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第一章『脱出篇』
第十二話『青血』 急
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魅琴は男から眼が離せなかった。
不意を突かれた訳でもないのに、男が己の手を取るのを躱せなかった。
「今宵、思い掛けずこれ程の婀娜めく麗人に出会えるとは! 羞月閉花、仙姿玉質とは汝の為にある言葉だろう! 何処から来た? 名は何という? これを機に縁を持ちたい」
魅琴は右腕を掴まれた瞬間、一瞬それが自分の体でなくなったと錯覚する程の、凄まじい主体意思の剥奪感に苛まれた。
この男と対峙することそのものが生殺与奪権を明け渡すことを意味するような、得体の知れない浮遊感が全身を駆け巡る。
「この稀なる夜を、是非朝まで共にしたい。俺に誘われるとは、汝も運が良いな。さあ、来るが良い」
魅琴は男の眼を見た。
左右色違い、三つ巴型の重瞳という異様、然れど曇り無く澄んでいる。
四字熟語の比喩を返すなら柳緑花紅、生の儘の汚れ無き眼差しが魅琴に注がれている。
おそらく、この男はただ純粋に魅琴を欲していた。
「どうした? 恥入ることはないぞ?」
「申し訳ありませんが、人を待たせておりますので」
魅琴は丁重に断ろうとする。
いきなり手を掴まれるという無礼にも拘わらず、努めて穏便に済まそうとするのは鷹番夜朗相手と同じ対応だ。
しかしあの時とは違い、魅琴は密かに覚悟せざるを得なかった。
(今回ばかりは……拗れたら本当に拙いな)
そんな魅琴の胸中など露知らぬ、といった様子で、男は怪訝そうに首を傾げる。
「ならばその者を伴っても構わんぞ? 下々の者と戯れる為の酒宴なのだ。その後のことは酒席で話せば良い」
「御言葉ですが、大事な用事があるのです」
男は眉間に皺を寄せ、益々深く首を傾げる。
「異な事を言う。この俺の誘いに増して優先すべき事柄が果たしてこの世に幾つ在る。一体何を憂える必要があろうか」
「皆まで言わせないでいただきたいですね。私は貴方の顔を立ててあげているのですよ」
三度目となると、流石に断りの言葉から棘を隠せなくなる。
次ははっきりとした拒絶を叩き付けなければならない、またしても一悶着か、と魅琴は臍を固めた。
男は大層驚いた様子で魅琴から手を放し、顎に手を当てて考え込んだ。
「敷島」
「は」
「どういうことだ?」
「私も、貴方様に対するあまりの無礼な発言に驚いております」
「いや、言葉は大した問題ではないのだ。俺が不可解なのは、抑も何故これ程までに頑ななのか、ということだ。今まで俺の誘いを受けて悦ばぬ女など居なかった。貴龍院、汝はどう思う?」
「恐るべき痴れ者、と申し上げるより他はありませんわね」
二人の女が男の脇から魅琴に迫り、腰の刀に手を掛けた。
「如何なさいまするか? この無礼千万な女、斬り伏せますか?」
「掛けまくも畏き貴方様のお誘いを袖にするとは許せませんわ。斬り捨てて朽ち葬りましょう」
「無礼千万はそちらでしょう。掛けまくも畏き、とは随分と恥知らずな形容だこと。とんだ痴れ者だわ」
とうとう明確に喧嘩を売ってしまった。
いや、先に害意を向けてきたのは二人の女であるから、この場合は喧嘩を買ったと言うべきか。
兎に角、魅琴は戦いに備えて気を張り詰めた。
(この二人の女、確かに強い。けれどもこいつらは一蹴出来る。問題はこの大男。こいつには多分、逆立ちしても勝てない気がする)
魅琴が抱いた感覚は、丁度父の死に瀕して何も出来なかった時に似ていた。
抗いようの無い敗北が迫り来る感覚、しかし魅琴は退かない。
彼女は勝てない相手に媚びを売ったりはしなかった。
男が手を横に出して二人の女を制止した。
心做しか、顔色が薄らと赤みを帯びている様に見えた。
やや紫色に変わった唇が開かれ、男は魅琴に問い掛ける。
「女、改めて名を聞きたい」
「何処まで無礼なの? 人に名を尋ねる時は、先ず自分からでしょう」
魅琴の返答に、男は全てを納得した様に怜悧な笑みを浮かべた。
今度は男の顔が青みを帯びている様に見える。
(この男の肌色、茶金色をベースに気分に依って大きく色味を変える……。まるで黄櫨染御袍……)
魅琴は何となく男の正体を察していた。
そしてそれは相手にとっても同じらしい。
「そうか、汝は明治日本より来りし者だな?」
男の言葉に、周囲から響めきが上がった。
皇國臣民でない日本人、この国で見たことがある者は殆ど居ないだろう。
「ならばこの情無き態度も得心が行く。しかし、明治の民にも電子決済は適応されているのか? 紙幣にもなっているこの顔を知らぬとはな。まあ良い。人に名告るなど滅多に無きこと、それもまた一興か」
男はその丸太の様な両腕を広げ、高らかに名告を上げる。
「俺は、いや余は神聖大日本皇國第一皇子、即ち皇太子だ。称号は『獅乃神』、名は避諱読みて『叡智』。行く行くは天上天下を遍く統べる者に謁えられし僥倖、しかと噛み締めるが良い!」
第一皇子・獅乃神叡智、諱は「叡智」だが、父親を除き誰もそれを呼ぶ者は居ない。
その男の、帝都に響く雄々しき声は、魅琴の脳裡に深く焼き付いた。
(成程、これが皇族か。確かに、私達の国とは違う)
魅琴は双眸に鋭利な光を宿し、名告に対する返礼に臨む。
此方の言う通り相手が名告ったのだから、最低限の礼は尽くさなければならない。
「皇太子殿下ともあろう御方が態々御丁寧に。私は麗真魅琴。御明察の通り、日本国からの訪問者です」
改めて告げられた魅琴の出自に、周囲は再び響めく。
ひょっとすると、この不敵な笑みを浮かべる巨躯の男と、冷厳な立ち姿で相対する蛾眉の女は今、三千世界の中心に位置しているのかも知れない。
獅乃神の護衛に就く二人の女の内、ゴスロリ服の貴龍院は刀から手を放したが、メイド服の敷島は尚も敵意を向けている。
「明治の民が何故皇國に居る。何を企んでいる」
「止せ、敷島。大方の見当は付く。余の語り口で察するが良い、此処は既に皇太子として接しなければならぬ公の場なのだ」
「……僭越で御座いました」
主君に咎められ、敷島は渋々抜き掛かった刀を納めた。
「序でに紹介しておこう。この二人は余の優秀な近衛だ。左が敷島朱鷺緒、右が貴龍院皓雪という」
「宜しくねえ……」
気取って一礼したのはゴスロリ服の貴龍院皓雪、メイド服の敷島朱鷺緒は目蓋を閉じて一礼した。
「麗真魅琴、要件は分かっているぞ。先日知り合った背の高い女から聞いている。中々面白い女だった。そうか、愈々動くのだな」
魅琴は少し驚いた。
獅乃神の言から察するに、彼の言う女とは白檀のことだろう。
白檀は皇族とコンタクトを取っていたのだ。
そして、件の大女が小売店で買ってきたであろう酒瓶を携えて暢気に歩み寄ってきた。
「をやぁ? 獅乃神様じゃないですか。私の連れが、何か粗相でも?」
魅琴は酒瓶にツッコミを入れなかった。
もう、気にした方が負けな気がする。
「おお、白檀。やはり汝の言っていた者であったか。芯の強い女で気に入ったぞ」
「それは良かったです。機会があれば、御一緒に文化交流と洒落込みたい所ですねー」
「ふむ、此方としても今からそう運ぼうと思っていたのだが、どうやら事情が変わった様だな」
「そうですねー。人を待たせていて、すっぽかしちゃうと大目玉ですし、我が国民の命が拘わることですからねー。大変心苦しいのですが、またの機会に」
皇太子と和やかに会話し、大事な部分では確りと線を引く白檀を見て、魅琴はほんの少し彼女への評価を改めた。
この人脈形成能力は只者ではなく、この点で諜報員の素質はあるのだろう。
「是非にも及ぶまいな。だが、此処で会ったのも何かの縁だ。余が少し、汝らを助けてやろう。汝らのこと、それから汝らの会わんとする者達のこと、余から父上以下親族に伝えておこうではないか」
「おお、それは心強いですねー。感謝の極みです」
白檀は愛想と調子の良い礼を返した。
魅琴も厳かな調子でそれに続く。
「お気遣い、感謝いたします」
「うむ、汝らの仕事が恙無く済むこと、心より願っているぞ。そしてようこそ、我が栄光ある皇國へ! 世界随一の大国、存分に堪能するが良い!」
偉丈夫は豪快に高笑いしながら。近衛侍女を引き連れてこの場を去った。
皇國第一皇子・獅乃神叡智。
神皇の嫡男としてこの世に生まれ、その瞬間より世界最高の権威を約束された男。
そして、生まれつき有りと有らゆる面に於いて圧倒的に強大な力を備えていた男。
その凄まじさは、比較と比例の中で成立し孰れは他の者と成り代わる「最強」いう評価すらも生温いとされる。
彼を知る者は、その存在を大仰に畏れ敬い、口を揃えてこう評する。
「絶対強者」と……。
⦿⦿⦿
統京駅中央大改札前。
「遅い……!」
根尾弓矢の苛立ちは堰を切る寸前まで募りに募っていた。
本来落ち合う場所に待ち人が現れず、隣の区――といっても距離は日本国の三倍ある――まで迎えに行く羽目になり、更に行き先の変更を告げられ、おまけにその場所にすら一向に現れないのだから、当然である。
根尾は額に青筋を浮き立たせ、震える指でスマートフォンを操作する。
「白檀……さっきもそうだが何故出ない」
何度も何度もコールを鳴らしているにも拘わらず、白檀は電話に出ない。
根尾の我慢が限界に達しようかという間際になって、漸く電話口から白檀の声が聞こえてきた。
『あぅ、もしもし……』
「白檀、何処で何をしている?」
根尾は己の声に滲む怒りを取り繕えなかった。
『それが、トイレに行っていたら麗真さんがまたトラブルに……』
「ほーう、よくもまあ立て続けに巻き込まれるものだ。厄日じゃないのか?」
『はい、この案件が終わったらお祓いに行きたいです……』
「どうでも良い。さっさとそのトラブルメーカーを連れて来い」
『そうします。鷹番夜朗に獅乃神叡智と来て、これ以上何かあったら身が保ちません』
「は? 今何と言った?」
根尾は声を驚愕に裏返した。
白檀は慌てた様子で早口に捲し立てる。
『はっ、しまった! 違いますよ! 六摂家当主や皇族と揉めてなんかいませんからね! 寧ろ私はファインプレーで防ぎましたからね! 根尾さん、聴いてます? 根尾さん?』
「良いからさっさと来い!!」
根尾はとうとう我慢の限界を超え、怒鳴り上げて一方的に電話を切った。
「なんだこのストレス!! 寿命が縮む!!」
憐れな彼の大声に、道行く人々は関わらぬように距離を取っていた。
二日後、彼らに課せられた仕事は事態を大きく変えることになる。
不意を突かれた訳でもないのに、男が己の手を取るのを躱せなかった。
「今宵、思い掛けずこれ程の婀娜めく麗人に出会えるとは! 羞月閉花、仙姿玉質とは汝の為にある言葉だろう! 何処から来た? 名は何という? これを機に縁を持ちたい」
魅琴は右腕を掴まれた瞬間、一瞬それが自分の体でなくなったと錯覚する程の、凄まじい主体意思の剥奪感に苛まれた。
この男と対峙することそのものが生殺与奪権を明け渡すことを意味するような、得体の知れない浮遊感が全身を駆け巡る。
「この稀なる夜を、是非朝まで共にしたい。俺に誘われるとは、汝も運が良いな。さあ、来るが良い」
魅琴は男の眼を見た。
左右色違い、三つ巴型の重瞳という異様、然れど曇り無く澄んでいる。
四字熟語の比喩を返すなら柳緑花紅、生の儘の汚れ無き眼差しが魅琴に注がれている。
おそらく、この男はただ純粋に魅琴を欲していた。
「どうした? 恥入ることはないぞ?」
「申し訳ありませんが、人を待たせておりますので」
魅琴は丁重に断ろうとする。
いきなり手を掴まれるという無礼にも拘わらず、努めて穏便に済まそうとするのは鷹番夜朗相手と同じ対応だ。
しかしあの時とは違い、魅琴は密かに覚悟せざるを得なかった。
(今回ばかりは……拗れたら本当に拙いな)
そんな魅琴の胸中など露知らぬ、といった様子で、男は怪訝そうに首を傾げる。
「ならばその者を伴っても構わんぞ? 下々の者と戯れる為の酒宴なのだ。その後のことは酒席で話せば良い」
「御言葉ですが、大事な用事があるのです」
男は眉間に皺を寄せ、益々深く首を傾げる。
「異な事を言う。この俺の誘いに増して優先すべき事柄が果たしてこの世に幾つ在る。一体何を憂える必要があろうか」
「皆まで言わせないでいただきたいですね。私は貴方の顔を立ててあげているのですよ」
三度目となると、流石に断りの言葉から棘を隠せなくなる。
次ははっきりとした拒絶を叩き付けなければならない、またしても一悶着か、と魅琴は臍を固めた。
男は大層驚いた様子で魅琴から手を放し、顎に手を当てて考え込んだ。
「敷島」
「は」
「どういうことだ?」
「私も、貴方様に対するあまりの無礼な発言に驚いております」
「いや、言葉は大した問題ではないのだ。俺が不可解なのは、抑も何故これ程までに頑ななのか、ということだ。今まで俺の誘いを受けて悦ばぬ女など居なかった。貴龍院、汝はどう思う?」
「恐るべき痴れ者、と申し上げるより他はありませんわね」
二人の女が男の脇から魅琴に迫り、腰の刀に手を掛けた。
「如何なさいまするか? この無礼千万な女、斬り伏せますか?」
「掛けまくも畏き貴方様のお誘いを袖にするとは許せませんわ。斬り捨てて朽ち葬りましょう」
「無礼千万はそちらでしょう。掛けまくも畏き、とは随分と恥知らずな形容だこと。とんだ痴れ者だわ」
とうとう明確に喧嘩を売ってしまった。
いや、先に害意を向けてきたのは二人の女であるから、この場合は喧嘩を買ったと言うべきか。
兎に角、魅琴は戦いに備えて気を張り詰めた。
(この二人の女、確かに強い。けれどもこいつらは一蹴出来る。問題はこの大男。こいつには多分、逆立ちしても勝てない気がする)
魅琴が抱いた感覚は、丁度父の死に瀕して何も出来なかった時に似ていた。
抗いようの無い敗北が迫り来る感覚、しかし魅琴は退かない。
彼女は勝てない相手に媚びを売ったりはしなかった。
男が手を横に出して二人の女を制止した。
心做しか、顔色が薄らと赤みを帯びている様に見えた。
やや紫色に変わった唇が開かれ、男は魅琴に問い掛ける。
「女、改めて名を聞きたい」
「何処まで無礼なの? 人に名を尋ねる時は、先ず自分からでしょう」
魅琴の返答に、男は全てを納得した様に怜悧な笑みを浮かべた。
今度は男の顔が青みを帯びている様に見える。
(この男の肌色、茶金色をベースに気分に依って大きく色味を変える……。まるで黄櫨染御袍……)
魅琴は何となく男の正体を察していた。
そしてそれは相手にとっても同じらしい。
「そうか、汝は明治日本より来りし者だな?」
男の言葉に、周囲から響めきが上がった。
皇國臣民でない日本人、この国で見たことがある者は殆ど居ないだろう。
「ならばこの情無き態度も得心が行く。しかし、明治の民にも電子決済は適応されているのか? 紙幣にもなっているこの顔を知らぬとはな。まあ良い。人に名告るなど滅多に無きこと、それもまた一興か」
男はその丸太の様な両腕を広げ、高らかに名告を上げる。
「俺は、いや余は神聖大日本皇國第一皇子、即ち皇太子だ。称号は『獅乃神』、名は避諱読みて『叡智』。行く行くは天上天下を遍く統べる者に謁えられし僥倖、しかと噛み締めるが良い!」
第一皇子・獅乃神叡智、諱は「叡智」だが、父親を除き誰もそれを呼ぶ者は居ない。
その男の、帝都に響く雄々しき声は、魅琴の脳裡に深く焼き付いた。
(成程、これが皇族か。確かに、私達の国とは違う)
魅琴は双眸に鋭利な光を宿し、名告に対する返礼に臨む。
此方の言う通り相手が名告ったのだから、最低限の礼は尽くさなければならない。
「皇太子殿下ともあろう御方が態々御丁寧に。私は麗真魅琴。御明察の通り、日本国からの訪問者です」
改めて告げられた魅琴の出自に、周囲は再び響めく。
ひょっとすると、この不敵な笑みを浮かべる巨躯の男と、冷厳な立ち姿で相対する蛾眉の女は今、三千世界の中心に位置しているのかも知れない。
獅乃神の護衛に就く二人の女の内、ゴスロリ服の貴龍院は刀から手を放したが、メイド服の敷島は尚も敵意を向けている。
「明治の民が何故皇國に居る。何を企んでいる」
「止せ、敷島。大方の見当は付く。余の語り口で察するが良い、此処は既に皇太子として接しなければならぬ公の場なのだ」
「……僭越で御座いました」
主君に咎められ、敷島は渋々抜き掛かった刀を納めた。
「序でに紹介しておこう。この二人は余の優秀な近衛だ。左が敷島朱鷺緒、右が貴龍院皓雪という」
「宜しくねえ……」
気取って一礼したのはゴスロリ服の貴龍院皓雪、メイド服の敷島朱鷺緒は目蓋を閉じて一礼した。
「麗真魅琴、要件は分かっているぞ。先日知り合った背の高い女から聞いている。中々面白い女だった。そうか、愈々動くのだな」
魅琴は少し驚いた。
獅乃神の言から察するに、彼の言う女とは白檀のことだろう。
白檀は皇族とコンタクトを取っていたのだ。
そして、件の大女が小売店で買ってきたであろう酒瓶を携えて暢気に歩み寄ってきた。
「をやぁ? 獅乃神様じゃないですか。私の連れが、何か粗相でも?」
魅琴は酒瓶にツッコミを入れなかった。
もう、気にした方が負けな気がする。
「おお、白檀。やはり汝の言っていた者であったか。芯の強い女で気に入ったぞ」
「それは良かったです。機会があれば、御一緒に文化交流と洒落込みたい所ですねー」
「ふむ、此方としても今からそう運ぼうと思っていたのだが、どうやら事情が変わった様だな」
「そうですねー。人を待たせていて、すっぽかしちゃうと大目玉ですし、我が国民の命が拘わることですからねー。大変心苦しいのですが、またの機会に」
皇太子と和やかに会話し、大事な部分では確りと線を引く白檀を見て、魅琴はほんの少し彼女への評価を改めた。
この人脈形成能力は只者ではなく、この点で諜報員の素質はあるのだろう。
「是非にも及ぶまいな。だが、此処で会ったのも何かの縁だ。余が少し、汝らを助けてやろう。汝らのこと、それから汝らの会わんとする者達のこと、余から父上以下親族に伝えておこうではないか」
「おお、それは心強いですねー。感謝の極みです」
白檀は愛想と調子の良い礼を返した。
魅琴も厳かな調子でそれに続く。
「お気遣い、感謝いたします」
「うむ、汝らの仕事が恙無く済むこと、心より願っているぞ。そしてようこそ、我が栄光ある皇國へ! 世界随一の大国、存分に堪能するが良い!」
偉丈夫は豪快に高笑いしながら。近衛侍女を引き連れてこの場を去った。
皇國第一皇子・獅乃神叡智。
神皇の嫡男としてこの世に生まれ、その瞬間より世界最高の権威を約束された男。
そして、生まれつき有りと有らゆる面に於いて圧倒的に強大な力を備えていた男。
その凄まじさは、比較と比例の中で成立し孰れは他の者と成り代わる「最強」いう評価すらも生温いとされる。
彼を知る者は、その存在を大仰に畏れ敬い、口を揃えてこう評する。
「絶対強者」と……。
⦿⦿⦿
統京駅中央大改札前。
「遅い……!」
根尾弓矢の苛立ちは堰を切る寸前まで募りに募っていた。
本来落ち合う場所に待ち人が現れず、隣の区――といっても距離は日本国の三倍ある――まで迎えに行く羽目になり、更に行き先の変更を告げられ、おまけにその場所にすら一向に現れないのだから、当然である。
根尾は額に青筋を浮き立たせ、震える指でスマートフォンを操作する。
「白檀……さっきもそうだが何故出ない」
何度も何度もコールを鳴らしているにも拘わらず、白檀は電話に出ない。
根尾の我慢が限界に達しようかという間際になって、漸く電話口から白檀の声が聞こえてきた。
『あぅ、もしもし……』
「白檀、何処で何をしている?」
根尾は己の声に滲む怒りを取り繕えなかった。
『それが、トイレに行っていたら麗真さんがまたトラブルに……』
「ほーう、よくもまあ立て続けに巻き込まれるものだ。厄日じゃないのか?」
『はい、この案件が終わったらお祓いに行きたいです……』
「どうでも良い。さっさとそのトラブルメーカーを連れて来い」
『そうします。鷹番夜朗に獅乃神叡智と来て、これ以上何かあったら身が保ちません』
「は? 今何と言った?」
根尾は声を驚愕に裏返した。
白檀は慌てた様子で早口に捲し立てる。
『はっ、しまった! 違いますよ! 六摂家当主や皇族と揉めてなんかいませんからね! 寧ろ私はファインプレーで防ぎましたからね! 根尾さん、聴いてます? 根尾さん?』
「良いからさっさと来い!!」
根尾はとうとう我慢の限界を超え、怒鳴り上げて一方的に電話を切った。
「なんだこのストレス!! 寿命が縮む!!」
憐れな彼の大声に、道行く人々は関わらぬように距離を取っていた。
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