日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第四話『理不尽』 急

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 崖を転げ落ちる建物の中、わたる達はしこに体をぶつけていた。

「ぐっ、くそ! こんな……!」

 これが犯人の言っていた「確実に死ぬ」という脅しの正体か。
 わたるはあまりの理不尽に怒りを覚えながら、暗闇の中で助かる道を探す。
 当たり前に考えれば、建物ごと崖から落下する状況で助かるはずが無いのだが、犯人の言い方では、薬を飲んだ事でその可能性が出るとも取れる。

「こんな所で死んでたまるか!!」

 部屋の中は他の者達の悲鳴できょうかんの様相を呈している。
 わたるは必死に五感を研ぎ澄ます。
 その時、わたるは背後に温かな光を感じた。

「なんだ……?」

 上下左右の区別も付かない状況で、何かに引き寄せられるようにわたるは振り返った。
 暗闇の中、淡い光の人型がわたるに向かって来る。

「誰……だ……?」

 小さな体は少女のそれを思わせた。
 心地良いぬくもりがわたるに近付いて来る。
 あまりの心地良さに、わたるはそれへと身を委ねても良いような気がした。
 一瞬、危機的状況を忘れすらした。

 光の人型がわたると重なる、その直前に建物が激しい衝撃を受けて震えた。
 わたるが我に返った時、光の人型は目の前から消失していた。
 再度の衝撃で建物はバラバラに砕け、彼らは白日の下にさらされてしまった。

「うわあああああっっ!!」

 八人の体は中空へ投げ出された。
 一緒にとらわれていた仲間達の体とれきの区別も付かない状態で、わたるは更なる底へと落ちていく。
 彼らの命運は明らかに尽きていた。

「諦めるかああああああっっ!!」

 わたるは叫びをとどろかせるも、その響きはただむなしかった。
 現実という凶器で殴り付けるように瓦礫が頭を打ち、わたるの無駄な抵抗をめさせた。



    ⦿⦿⦿



 しつす、古い音楽の美しい旋律が聞こえる。
 突然の窮地にただ右往左往するばかりで何も出来なかったわたるは、不思議な感覚に包まれていた。

 誰かが自分を優しく包み込むように抱きしめている。
 それは闇に差し込む陽光の温もりを想わせた。

 こころしか、自分の体が小さくなったような気がする。
 まるで、幼い頃に戻ったような……。

 わたるは思わず、自分を抱き締めている何かを抱き返した。
 小柄で柔らかな少女の体、滑らかな長い髪が腕に触れる。

 その相手はわずかに身を反らした。
 体が少し離れ、わたるは抱き合っていた相手の顔を認めた。
 懐かしい少女の面影だった。

……こと……?」

 出会ったばかりの頃の、まだいとけない少女だったおさなじみうることわたるほほみかけている。
 その笑顔を見ていると、わたるは不意に泣きたくなった。
 これ程近い距離で互いに見つめ合った事など、久しく無かった気がする。
 今のわたるの心は、本当に幼い子供に戻ったように無防備で、寂しさに対してもろくなっているのだろうか。

 そんな彼の心情をんでか、少女のことは少年のわたるを再び抱き寄せる。
 耳に息が掛かり、わたるは全身のうぶでられる心地に包まれた。

 わたるは耳元にことの唇が近付くのを感じた。
 胡頽子ぐみの実の様な唇からこぼれるささやきを、わたるかたんでびる。
 いつの間にか、彼女は大人の体付きになっていた。

 くすり、とかすかにことは笑った。
 僅かな息がまた耳に掛かる。
 そして、彼女の唇とわたるの鼓膜が震えた。

『キモッ、鼻の下伸ばしてんじゃないわよ』

 低音で耳に植え付けられた静かな罵声に、わたるは背筋に電流がはしるのを感じた。
 同時に、わたるは瓦礫の中で目を覚ました。



  ⦿⦿⦿



 体に圧し掛かる重みを感じながら、わたるは五体の無事を確かめた。

(生きてる……。も無い……)

 最後の最後まで往生際悪くえたものの、これは不可解な事だった。
 明らかに助からない高さから谷底へ落下し、瓦礫の下敷きになったのに、問題無く体が動くのだ。
 疲労は感じるものの、それは転落前から変わらない。

(さっきのあれは……臨死体験だったのかな)

 あるいは死のふちこいねがってまない夢を見たのだろうか。
 わたるは冷たいコンクリートの感触を残念に思った。
 夢の中でことに抱かれた感覚とは比べるべくもない、ひどく無機質な現実に拘束されている。
 ことにならいつまででも抱かれ、死の海底へと沈んでも構わないわたるだったが、こんな場所で埋もれていたくはない。

 わたるは気力を振り絞って瓦礫からた。
 辺りを見回すと、既に何人かは目を覚ましている。
 わたるは四人目だった。

「他のみんなは?」

 わたるが問い掛けると同時に、しん退けた瓦礫の下からふたが見付かった。
 落下の衝撃でゆがんで割れてしまった眼鏡から、悲しそうにほこりを払っていた。
 わたるもまた、助けを呼ぶ声に気付き、急いで駆け付けて瓦礫を動かした。

「死ぬかと思ったー!!」

 まゆづきわたるに抱きつき、年上の威厳など欠片かけらも感じさせない姿で泣きすがってきた。
 生きる気力を全く失っていた女と同一人物とは思えない。

「まあ、無事で何よりですよ」

 別の場所では、しんが協力しておりを救出していた。
 他には椿つばきくたれた様子ですわんでいる。

(一人……足りない……?)

 わたるのうに嫌な予感がよぎった。
 同時に、予想された、しかし決して見たくなかったむごい光景が視界に飛び込んできた。

はら……さん……」

 わたるにとって、それに直面するのは初めてではない。
 だが、先程までつかにも親しく接していた人物となると、胸の奥に血まりが出来て黒い濁りを成すようなうとさで苦しくなる。

 はらひなは頭から大量の血を流し、瞳から光を失い、事切れていた。
 人形の様に動かない、命を失った幼いむくろが、ひとかけの力も無く横たわっていた。
 青白い顔の目尻からあふれた赤黒い筋は、年端も行かずしゅうえんを迎えてしまった運命に対する無念の涙にも見えた。

 他の者達も彼女の死に気付いたらしく、皆一様に沈痛な面持ちを浮かべていた。
 殺人鬼のおりですらけんしわを寄せて厳しい表情を浮かべており、決して面白くない胸の内が見て取れる。
 趣味も合い、直前まで語り合っていたふたは目を伏せて涙を流している。
 彼女が最もショックだろう。

 つい先程語っていたひなの夢は、あまりにも理不尽な予期せぬ形で破れてしまった。
 他にもやりたい事は山程あったろうに、二度とかなわないまま終わってしまった。

 わたるひなの目をてのひらでそっと閉ざし、一歩離れて手を合わせた。
 罪悪感と無力感にさいなまれる心を、六月にしてはあまりに冷たい風が吹き抜ける。
 照りつける太陽すら冷たく感じる程の不条理に誰も何も出来ない。

「『しん』は身に着けたようだな。だが、一人脱落したか。素質が無くて残念だったな」

 瓦礫の山の上から聞き覚えのある声が響いた。
 わたる達を閉じ込めた犯人の男が薄笑いを浮かべ、少女の死を悼むわたる達の元に飛び降りて来た。

「貴様アアアッ!!」

 わたるは怒りに駆られて男につかかった。
 だが、前述の通りわたるただでさえ空腹で、更に瓦礫の下から生還したばかりである。
 男はやすわたるの腕をひねった。

「がアアアッッ!!」
「ククク、やめておけ。お前らごときでは束になってもおれには勝てん。ふんっ!」

 男の拳がわたる鳩尾みぞおちに突き刺さる。
 堪らず膝を突いたわたるを、男は蹴り転ばした。

「刃向かおう等とは思わないことだな。お前らは黙って我々の言う通りにするしか無いんだよ」

 立ち上がることも出来ずにき苦しむわたる
 その様子を見て、まゆづきが泣き崩れた。

「もうやだ……帰りたい……」

 男は口角を歪ませ、まゆづきの嘆きをあざわらうかのように言葉を発した。

「帰れるさ。こうこくを倒せばな」
こうこくを……?」

 立ち上がろうとするわたるを踏み付けにし、男は両腕を広げた。

「そういえばつぶれてくたばったその餓鬼が面白い事を始めていたな。おれも一つ自己紹介しておこうか。おれの名はわたりりんろう! こうこくを打倒する同志を育てる革命戦士だ! そして歓迎しよう、新たな同志諸君! 我々は反こうこく政府組織、『そうせんたいおおかみきば』!!」

 高らかに名乗り上げる声がおどろおどろしくけいこくに響き渡った。
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