日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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序章

第二話『閑話の談笑』 破

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 喫茶店の店員がわたるに水を持ってきた。
 ことの真後で息を潜めるわたるは店員の言葉に無言でうなずき、二人の会話を聞き逃すまいと後方へ耳をそばだてる。
 という、ことと相席する男は一旦コーヒーに口を付け、話を続ける。

「この一年、こうこくに目立った動きは無い。我々の予想していた通りだ」
「ええ、そうですね」

 ことの前には水だけが置かれている。
 注文が届いていないのか、それとも何も頼んでいないのか、わたるはそれを把握していなかった。

(話を合わせてんじゃねえよ)

 わたるは内心で理不尽な批難をことに浴びせていたが、こういう言葉を面と向かって言うことは無い。
 恋情故に気後れしているのと、それ以上に初対面の苦い経験が強く出ることをはばからせる。
 一年前、相変わらず彼女がきょうじんさで自身のはるかに上回っていると知って、内心おっかなく感じている。

 そんな臆病者のわたるとは違い、このは随分と自信に満ちたふうていをしている。
 おそらく、年齢の割にかなりの金を持っている。
 鍛えられた身体のラインにぴったり沿ったスーツも、所々に光沢を放つ装飾品も、そのような物品をいや無く身に着けるこなれ感も、どのような相手であろうが左側に囲ってしまえるしょうに満ち満ちていた。
 少なくとも、目の前のことに対して何ら引け目を感じていないと、わたるにはそう見えていた。

 漫画やアニメ、月並みの進路、あいの無い世間話しかレパートリーの無いわたると違い、話題にも知性がある。

「だが、国際社会はこんとんを深めている。きみ達のような子供にはピンと来ないかも知れないがな。そう遠くない未来に、米国がこうこくに対して軍事的な対応をするという予想がある。それに伴って、各国の動きもきな臭くなっているな。また、イデオロギー団体やカルト・セクトの動きも活発化していると聞く」

 わたるは、知った風に国際政治の話をするに対して、嫉妬から来る悪印象を強めていた。
 高校生を相手に政治の話を持ちかけるような人間はろくなものではないのだから、さっさと席を立てと、ことに届くはずの無い念波を送っていた。
 だが、続く会話は再びわたるおののかせる。

「我が国も例外ではない。あの日、きみの学校に来たらしいな」
「ええ。まさかあんなちゃをするとは思いませんでした」

 突然、一年前のテロリストに話が及んだとあって、わたるの心臓が大きく脈打った。
 音でことに自分の存在がばれやしないかと、肝を冷やした程だ。

「あの様なは政治結社『じんかい』の本懐に反すると言わざるを得ない。愚かな連中だ。こうこくが転移して来た時点で、我が国はまないたこいも同然だというのに。その時、国体国家国民を守るべく挙国一致で戦うことこそ、そうすいの理念だった筈だ」

 ものげに目を伏せてためいきを吐いた。

 一方で、わたるの気は静かに動転していた。
 聴けばこのという男、一年前のテロリストの事情にかなり通じている。
 しかも口振りからすると、しゅかいとなる存在の人物像も知っているらしい。

 今、わたるはかなり悪い想像を働かせている。
 ことは「じんかい」とかいう団体の一員に、一年前とは違ったおん便びんなやり方で声を掛けられているのではないか。
 そんなわたるの思いなど知る筈も無いはしかし、不敵な笑みを浮かべてわたるの予想を裏切る。

もっとも、おれの考えは少し違うがね」
貴方あなたの考え?」
「知っているだろう、きみも。こうこくまとに戦って、勝てる訳が無いのだ。国力が、文明力が、軍事力が、それ以前にもっと純粋な『力』が違い過ぎる。それは米国ですら同じことだ。おそらく彼らのもくくじかれ、相当に痛い目を見るだろう。そして世界情勢は制御不能の動乱に陥る」

 ことの話から目をらすように窓の外へと視線を遣った。
 対するは、そんな彼女に言い聴かせるように身を乗り出して話を続ける。

「そのような事態を事前努力で防ぎ、壊れかけの秩序を土俵際で支え、日本の国益を守る。そのためおれは今の生き方を選んだのだ」

 ことの目線がへと戻る。
 それを待っていたかのように、まとう空気が変わった。
 陰から盗み聴くわたるは、天災の前触れを察知した野生動物の心持ちで、アドレナリンの蛇口が壊れたと自覚した。
 の口から、とんでもない言葉が飛び出した。

「その生き方を、うる君、きみに助けてほしいと思っている」

 その瞬間、わたるは足場が音を立てて崩れるような感覚に襲われた。
 奈落の底へ向けて自由落下するような、現実感の無い浮遊感が放心状態を作り出していた。
 視力はあるのに、目の前が何も見えない。
 透明になってしまった心を、漆黒の闇が覆い尽くしてしまう。

(こいつ、ふざけんなよ!! ぼくことと六歳の頃からの付き合いなんだぞ!! 列には先に並んだ方が優先だって小学生でも知ってるんだよ!! 順番守れや!!)

 なお、実際のところは並んだと勝手に思っているだけで、そもそも列など出来ていなかったというオチなのだ。

きみには高い知性と華がある。おれと志を同じくして共に歩み、未来を守る為の重要な資質だ」
「未来、ですか……」
「そうだ、この国の未来だ。今の日本には諦めが満ちている。『もう衰退するのは確実なのだから、成熟した国として身の丈に合わせてつつましやかな幸福を分かち合おう。未来に手を伸ばしても都合良く使われて疲弊するだけだ。もう充分頑張った、これからはせめて穏やかな余生を過ごそう』……そんな空気が蔓延っている。だが、それは一世代で完結して去りく老人の発想だ。国家とは、世代交代しながら次生まれ来る命により良い未来を託し続け、千代に八千代に続いていくものだ。だから無責任なたわごとにはしっかりとNOを突き付けてやらなければならない。その為には若く優秀な人材が要る。おれきみが欲しい」

 わたるの頭の中は「断れ」の二文字で一杯だった。
 夢なら一人で勝手に見ろと、いたいな女子高生を巻き込もうとするなと、自分の都合で強い呪念をにぶつけていた。

わたしでなくては駄目なのですか?」

 わたるの心にわずかな光が差し込んだ。
 丁度、食堂のテラスを秋の木漏れ日が照らすように。
 少し分が悪くなったは、説得を続けようとする。

きみが良いんだ。おれきみのことをよく知っている」

(ほーう、ぼくよりも知っているんですかね?)

おれはずっと、きみりょうしんと懇意にさせてもらってきた。だから分かる。きみは間違いなく、あの人の娘だ」

 ことの眉が僅かに動いた。
 わたるからは見えないので、ことの反応がただただ怖い。
 分かるのは、彼女が水を一口飲んだことだけだ。
 ことは小さく溜息を吐いた。

さん、母は母、わたしわたし、ですよ。貴方あなたが母を尊敬し手伝ってくれるのは有難いです。志を応援するのもやぶさかではありません。でも、わたしは単なる十七歳の小娘ですよ。他人から切掛をもらわないとく友達も作れないような、コミュニケーション能力の低い生意気な餓鬼です。それ以上の、何者でもありません」

 ことは席を立った。
 わたるは九死に一生を得た気持ちだったが、彼女が店を出るつもりなら脇を通るので、通路から見えない様に慌てて顔を背け縮こまる。

 と、その時、の表情はいびつな笑みに変わった。
 それまでの厳しいが生真面目な様子とは打って変わった、腹黒さを強く浮かばせた笑みだった。
 ことは構わず去ろうとするが、はそんな彼女の手首を素早くつかんだ。

うること……おれを甘く見るなよ。このおおうそきめ」
「何のつもりですか?」

 ことの変貌に対して取り乱すことなく、落ち着き払って静かに、しかし相手の脅しに対して確かな圧を返すように冷厳な視線を向けていた。

「他の連中のように、このきゅうのこともせると思ったら大間違いだ。きみが単なる小娘だと? くく、冗談も大概にしろ」
「大概にするのはお前だよ」

 わたるは横からの手首を掴み、ことからがした。

わたる……」
「国よりもいきなり女子高生に掴みかかる自分の性根をどうにかしろよ」

 わたるの握力をものともせず立ち上がり、上からにらける。
 一九〇センチ近くある鍛え抜かれたたいが、わたるに強い威圧感を与える。

(こいつ、強いぞ。多分、けんになったら負けるな)

 わたるは自身の展望が明るくないことを瞬時に悟った。
 たいして威嚇し合うだけで力の差がありありとわかる。
 しかし、だからこそわたるは退けなかった。
 この威圧がことに向けられたとあっては、到底許せなかった。

きみが……さきもりわたるか」
「よく知ってるじゃないか。誰から聞いたんだよ。『じんかい』とかいう連中にはってない筈だがな」

 は「ふん」と鼻を一つ鳴らし、わたるの手を力尽くでほどいた。

「どこから聴いていたか知らんが、きみは誤解しているようだ」
「何が?」
ず、おれ自身はじんかいではない。それに、きみ達の学校を襲ったのも厳密にはじんかいとは別組織だ」

 どういうことだ、とわたるただそうとした時、喫茶店の自動ドアが割れた。
 迷彩服に目出し帽を被った二人の男が、軍刀を振りかざして店内に入ってきていた。
 来店客に対応する為、入り口付近で待機していた店員が腰を抜かしてしまっている。

「な、何ですか貴方あなた達は!?」
「何だろうがお前達には関係無い! 我々は女と話をしに来た!!」

 瞬間、わたることを背中に隠そうとする。
 格好と武器から、一年前に学校を襲ったテロリストの集団だと推察するには充分だ。

「あいつら……!」
うわさをすればなんとやらだな。ついでだから教えておこう。あいつらがきみ達を襲った過激派組織『じんかいかいてん』、本家から分派した別団体だ。本家のじんかいかいてんは国政に対する考え方から犬猿の仲でな、一緒にすると双方烈火の如く怒る。やつらは本家に優位を取るべく一人の女子高生を狙っているのだ」

 わたるは背後にかばったことの方を見たが、いつの間にか彼女の姿は無かった。
 気が付くと、ことはテロリスト「かいてん」と向かい合っていた。

「おい、こと!」
「やれやれ、向こう見ずなじょうさまだ」

 わたるも慌ててことを追うようにテロリストへ向かって行こうとするも、に引き倒されてしまった。

こと御嬢様、一年間お待たせしました。今度こそ国家防衛の為に我々と来てもらいましょうか」
「お断りするわ」
「お前らの如き国家転覆を企むごみくずに、彼女が手を貸すと思うか」

 店内に悲鳴がこだまし、和やかな日常の風景は急転してけんそうへと変わり果てた。
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