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番外篇『泥に咲く徒花』

泥に咲く徒花

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 しんせいだいにっぽんこうこくいて「新華族」という言葉は、文字通り「新たに貴族として遇された一族」を意味する。
 革命政府から政権を奪還し、二度目の王政復古を成し遂げた功績をたたえられてのことであり、伯爵・子爵・男爵の位を授爵している。

 はた家は男爵位を授爵された新華族だが、その二人の令嬢は大変に美しい姉妹との評判であった。
 特に姉・は文武両道・さいしょくけんな上、弱きを助け強きをくじく誇り高き人格者として、周囲の憧憬とせんぼうを集めていた。
 それは同じく美しいと評判の妹・にとっても同じで、彼女は実の姉・に対して道ならぬおもいを抱いていた。

 はんぎゃくの思想に傾倒し、反政府組織「そうせんたいおおかみきば」に身を寄せたのも、が姉を止めるべく愛国の思想に傾倒し、取り戻すべくおおかみきばに潜入したのも、必然の成り行きだったのだろう。

 はたは軍人を中心とした極右政治団体に身を寄せ、そのつてって軍の兵器を扱う技術を身に付けた。
 そしてその技能に訴求してそうせんたいおおかみきばに「おうぎ」の偽名で潜り込んだ。
 最高幹部の一人・わたりりんろうに近付き、信用を得るまでに筆舌に尽くしがたい苦労があったことは推して知れよう。

 わたりという男は支配欲が異常に強く、事あるごとのことをなぶった。
 また新隊員の世話や、粛正・総括という名のリンチで命を落とした者の死体処理など、面倒事はことごとく彼女に押し付けた。

 全ては姉を取り戻したい一心で、わたりの横暴に耐えてきた。
 だがそんな彼女も、こうこくとは別の世界線に於けるもう一つの日本から強引にさらってきた者達に訓練を付け、革命戦士に仕立て上げるやり方は、看過出来なかった。
 
 これまでのおおかみきばのやり方は洗脳染みた勧誘に限られていた。
 しかし、年々警戒とけいもうが広がってこうこく内ではほとんど人員を確保出来なくなっていた。
 そんな彼らが目を付けたのが、こうこくが世界線を転々として別の日本との遭遇を繰り返していたことだった。
 おおかみきばにとって、さきもりわたるを初めとした日本国民を拉致したのは、わば苦肉の策だった。

 にとって、おおかみきばは姉をたぶらかして悪の道へとした憎き犯罪組織である。
 何の罪もない日本国民を、本人達の意思に反して第二第三の姉になどしたくはなかった。
 なんとか逃がしたかった。

 しかし、拉致被害者の中心となって脱出をくわだてたさきもりわたるは、どうにも頼りない。
 それが余計に、を使命感に駆り立てた。
 弱きを助け強きを挫くという姉の理念は、いまなお妹の中で確かにいきいていた。



    ⦿⦿⦿



 そんな訳で、わたるに脱出の要となる巨大ロボット「どうしんたい」の操縦を教えることにした。
 これこそは、彼女がおおかみきばに潜入する際に最も売りとした技能である。

 は、一つ自らに強くいましめていた。

 苟且かりそめにも、自分はおおかみきばの活動に加担してきたのであり、それは犯罪行為の片棒を担いできたも同然である。
 たとえテロに直接的な加担はしていなくとも、彼女がびゅうとは到底言えまい。

 故に、そんな自分が恩人として感謝されることなどあってはならない。
 これはあくまで当然の義務であり、罪滅ぼしにもなりはしないのだ。

 ――わたるに対して、えて辛辣な言葉をぶつけるのはそういう理由からである。
 利害の一致から一時的に手を借りるだけのいけ好かない女として、忘れて欲しかった。

 だが、どうにも調子が狂う。
 わたるは、の冷たい態度にもあまり堪えていない、満更でもなさそうに思える。

 不思議に思って、彼女は一度操縦訓練後にたずねてみたことがある。
 いつも通り、休憩室で回復薬を一杯差し出すついでの質問だった。

さきもり様、いつもわたくしに素っ気無くあしらわれているにもかかわらず、どこかうれしそうに見えるのは気のせいなのでしょうか」
「んー、やっぱりそう見えます?」

 自覚があったらしい。
 としの割に幼さを感じさせるいとけない顔で照れ笑いを浮かべられても、は困ってしまう。

「まさか肯定されるとは思いませんでしたよ」

 あきれてためいき吐いた。
 わたるは頭をきながらほおを薄らと紅潮させていた。

「なんていうか、知り合いを思い出して懐かしく感じちゃうんですよね。失礼な話なんですが……」

 全くだ――わたるから顔を背けた。
 勝手に知り合いの面影を重ねても、わたるの事など何も分からないだろうし、としてもその人物の顔さえ知らないのだ。

「成程、さきもり様は心に決められたかたの尻に敷かれるのがお好みという訳ですか……」
「うぐ……。まあ、そんな感じでは……ありますが……」

 の胸に罪悪感が去来する。

 気が許せる、楽しい――彼女はわたると過ごす時間に安らぎを感じていた。

 きっ、叛逆者の一味として罪も無い者達を苦しめる日々に疲弊していたためだろう。
 屹度、敬愛する主君や忠愛する国家に対し、心にも無い敵意を向けさせられる日々に嫌気が差していた為だろう。
 屹度、この時間だけが唯一、本来のはたに戻れる時間だからだろう。
 屹度、二人で一つの目的の為に秘密を共有しているからだろう。

 だが、それは許されない。

 彼らを元居た故郷に帰すのは、にとってわば義務である。
 にも拘わらず、彼女はそれを姉の捜索という目的の為に利用し、自分の都合でこの場に縛り続けてしまっている。
 本来ならば今すぐにでも彼らを脱出させなければならないのに、姉の居場所を知るであろうおおかみきばの首領に近付くべく、彼らの脱出計画をわたりの失脚に利用してしまっている。

 嗚呼ああ、こんな汚いわたくしを、そんな奇麗なで見ないで欲しい。
 その瞳に映るべきひとは別に居るのでしょう。
 その瞳はそのひとのものなのでしょう。

 だからその為に、わたくしは成すべきことを必ず果たしましょう。
 喩えそれが、どれ程に耐え難い屈辱であろうとも――は強く心に誓ったのだった。



    ⦿⦿⦿



 明かりの消えた部屋、窓の外は雨、響き渡るは女の叫び声。
 壁に映る影は、男女のまぐいというよりは獣の交尾に近かった。

「あッ! あぁッ! アアァーッッ!!」

 背中をあざだらけにした女の声は、あえぎ声と呼ぶにはあまりにも悲痛に濁っており、寝台ベッドきしませるその行為がりょうじょくの様相を呈しているとにょじつに物語っていた。
 彼女は既にまんしんそうであり、消耗し切っている。
 息も絶え絶えで、今にも崩れ落ちそうだが、男はそれを許すまじと腰に爪を立てて引き寄せる。

「ほぉれっ!」

 男はぎゃく心の駆り立てるままに女のしりを強く打った。

「ひぐうぅッッ!!」
「ほぉらもっとけ! もっとはしたない声で啼いてみろ! この淫乱の雌犬いぬが!」
「あぐっ! あッ! あァーッッ!!」

 バチン、バチン、と何度も平手の激しい打音が電流の様に響き、泣き叫ぶ女の声と笑い叫ぶ男の声がいびつな不協和音を奏でていた。
 こんな激しい夜を、同じ宿で七人も寝ている屋根の下で演じている。
 にも拘わらず誰も起きて来ないのは、女自身の仕事にるものだった。

 防音がしっかりしている訳ではない。
 女、おうぎことはたの異能「じゅつしきしん」に因って、他の七人は目を覚ます事が出来ないでいるのだ。

 男、わたりりんろうは嫉妬に駆られていた。

 自分がほしいままにしていた美しい女・おうぎが、自分に刃向かう男――それも反抗的な威勢だけでまるで実力が伴っていない軟弱な男・さきもりわたると親しげにしている事が、大層気に食わなかった。
 だから、その女を憎きさきもり――女の愛しきさきもりと、一つ屋根の下で毎晩犯してやろうと考えたのだ。
 そうして何も出来ない無力さ、この場を支配する存在を二人同時に思い知らせ、二人の仲を裂こうとしていた。

さきもりを眠らせておいて良かったなァ! こんなあられもない姿、いとしの殿方には到底見せられないよなァ!」
「ですからそれは誤解……あうァッ!!」

 抗弁の声をわたりの激しい平手が黙らせた。
 どういう訳か、わたりは目の前の「おうぎ」をなぶる事に、他の女では得られない充足した愉悦を感じるのだ。
 じょうは知らずとも、彼女が普通とは違う特別な女であると本能が察知しているのかも知れない。

「ああぁッ! わたり様、どうか御慈悲をぉっ! あぐううぅッッ!!」
「んんー? 弱音を吐いても良いのかァ? 明日にも気が変わって、愛しのさきもり様を粛正してしまうかも知れんのだぞぉ?」
「それはぁッ! それだけはどうかお許しを! さきもり様のお命はどうか、どうか!!」
「やっぱり気があるじゃないかこの淫売めが!」

 好意の有無しではない、ただ彼のことを守らなくては――は自分にそう言い聞かせ、苦痛と屈辱に耐え続ける。
 この男の無用な嫉妬をあおってしまったのは完全な失策だった。
 そのせいで計画の要であるさきもりわたるは目の敵にされ命を脅かされ、自分は凌辱を甘んじて受ける羽目に陥っている。

 彼女は強く悔いていた。
 これは罰なのだ。
 汚濁に耐え続けるのうに、そうよぎった。

 個人的な理由で忠君愛国の責務に背いた罰。
 多くの者を傷付ける悪事に手を貸した罰。

「うぐあああああッッ!!」

 深く強く、腹の奥に熱りった怒張が突き立てられ、何度も激しくえぐる。
 にとって、その感覚の全てが不快で不浄で、地獄の苦しみだった。

「ははは、どうだ! 気持ち良いか! 気持ち良いと言え!!」

 バコバコと、機関銃のそうてんと発砲の如くきょうだんが連続挿抜される。
 バチン、バチンと、ただ痛め付ける為の平手が彼女の痣を増やす。

「ほら言え、気持ち良い、もっと下さいと言ってみろォ!」

 気持ち良い訳があるか、お前の様な下衆に犯されて、感じるものか――そう言いたいだったが、多くの状況が彼女に服従を強いていた。

「き、気持ぢ良いでずぅ!! もっど下ざいぃぃ!!」
「汚い声でりおって! お望み通りくれてやる!」
「ひぎいいいいッッ!!」

 彼女はただ、早くわたりが満足してくれるよう祈る事しか出来ない。
 後四日、それをどうにか耐え忍ぶ――考えただけで気が遠くなる辛苦だった。

 だが、わたりは更に残酷な事を思い付いた。
 彼は息を荒らげ、腰を強く打ち付けて一番奥まで挿入すると、ふしくれった手での髪をわしづかみにして耳元でささやいた。

「そうだ、面白い趣向を思い付いたぞ」

 息が掛かる、おぞましい――の顔は既に涙でぐしゃぐしゃだった。
 蛇の様な下で耳をめられ、鳥肌が立つ。

 不意に、わたりの男根がの秘部から引き抜かれた。
 間違っても、凌辱をやめるつもりになったという訳ではないだろう。

を変えるぞ、来い!」

 わたりは部屋の扉を開け放った。



    ⦿⦿⦿



 られる様に廊下を連れられたは、昇り階段に足を取られて転んだ。
 自室でわたりに散々なぶられた彼女は既にボロボロで、その有様は一目見ただけであわれみを誘うだろう。
 だがわたりときたらそんな彼女に目もれずに二階へ上がるものだから、彼女は動物の様につんいで付いて行く事を強いられた。

(こいつ、何を思って二階などへ……?)

 なんとか階段を昇り切ったなおわたりに引かれる。

「ほぉら、ここだ。お前のカードキーで開けられるはずだな?」

 わたりが立ち止まった部屋の扉を見上げ、は一気に血の気が引くのを感じた。
 確かに、宿を管理する彼女はマスターキーとなるカードを所持している。
 そこはさきもりわたるあぶしんの相部屋、二人がの能力でぐっすりと眠る寝室の扉の前だった。

「い、嫌……! は、放して……! なにゆえこのような場所へ?」
「んんー? どうせお前が深く深く眠らせて、絶対に目は覚めんのだろう? だったら何の問題がある? たださきもりの部屋で続きとしゃもう、というだけだろうが」

 わたりは既にの衣服からマスターとなるカードキーを奪っていた。

(絶対に起きない筈、でも……!)

 わたりによって、わたるしんの部屋は開け放たれた。
 しつけに錠を解かれた扉から、招かれざる全裸の客が眠れる青年達の領域を侵す。

 わたるしんはそれぞれの寝台ベッドで死人の様に寝かされ、丁寧に布団を掛けられている。
 冷房の温度も、安眠を妨げないよう心地良い設定にされている。
 の能力で眠る二人はそのような配慮など無くとも朝まで目を覚ますことなど無いのだが、これは彼女なりの誠意だった。

 今、それがこの支配したがる男によって土足でにじられようとしている。
 の地獄は守るべき男の部屋で再開されようとしていた。

「そうらっ!」

 わたりは再び後背位バックに挿入した。
 たまらずわたる寝台ベッドのシーツをつかむ。
 これはわたりの狙った通りである。
 彼は彼女に自ら整えた寝台ベッドを乱させようとしたのだ。

「うぐっ! んむぅーっ!!」

 ピストンが再開され、の悲痛なうめごえが廊下までダダ漏れで響き渡る。
 必死に声をころそうとするが、激しく突き入れられる男根の前ではほとんど無駄な抵抗だった。

「なんだ、今更ていしゅく振るのかァ? もっとわめいて、みだらに乱れる姿を夢に見てもらえば良いだろう! ほらぁッ!!」

 わたりの平手がしりを激しく打ち据える。
 既に彼女の尻は赤く腫れ上がり、あおあざも出来ている。
 痛々しいりょうじょくの痕が熱感を帯びていた。

「あぎィッ!! ひぎぃぃ!! 熱い! 痛いぃぃッッ!!」
「ははは、みっともないなァ! いつも澄ました顔を装っていたお前が、ひどい有様だぁっ! ハハハハハ!!」

 寝台ベッドに顔を埋めて悲鳴を上げる彼女は、まるでわたるに助けを求めてすがいているかの様だ。
 だが、それは決してかなう筈の無い懇願であり、も重々承知で基よりそのつもりも無い、無い筈だ。

(大丈夫です、わたくしは大丈夫です! わたくしは決して、貴方あなた達の安眠を妨げません! どんなに痛め付けられようと、朝が来ればいつも通りに皆様をお迎えいたします!)

 そう強く念じるも、わたるのシーツはの涙でれてしまっている。
 朝までにこれが乾かなければ、ひょっとするとわたるに勘付かれてしまうかも知れない。

(それは嫌! この方には、この方だけには知られたくない! おのれ、この下衆野郎! 殺してやる! 許さない、絶対に許さない!)

 ふくしゅうを誓うことでどうにか正気を保つ
 しかし、そんな彼女に追い打ちを掛けるが如く、わたりはとんでもない行動に出た。
 わたりは息を興奮で荒らげ、低い声での耳元にささやく。
 それはこの男のぎゃく心が極まった悪趣味な言葉だった。

「そろそろ素直になったらどうだ? お前の本当の心を、この場で解き放ってみろ」

 散々なぶられ、限界を迎えようとしていたに、わたりおぞましい悪趣味を告げた。
 本当の心、それをここで、この状態で――眠っているとはいえわたるの前で、強いられてとはいえあられもない姿で打ち明けろというのか。

 何故なぜ、こんな仕打ちを甘んじて受けるのか。
 何故、これ程までに心をえぐられるのか。
 そうまでして何を成そうとしている?
 何を避けようとしている?

 嗚呼ああ、なんということだろう――にとってその事実は、今までのどんな仕打ちよりも耐え難い辱めに思えた。
 よりにもよってこんな男に本心を見抜かれ、こんな仕打ちで気付かされてしまった。
 その屈辱により、とうとうの心は崩れてしまった。

「……ります」

 かすれた声が漏れる。
 無論、わたりはそれで許しなどしない。

「いかんな。主語述語目的語をはっきりさせて、大きな声で告白してみろォ! 夢見心地の思い人までちゃんと届くようになァ!」

 わたりの爪がの肉に食い込み、薄らと血がにじむ。
 極大の暴力が彼女にたたけられ、凶悪な苦痛が奥深くまで激しく抉った。
 は絶叫しながら、ついにそれを口にしてしまった。

わたくしは、さきもりわたる様をお慕い申し上げております!」
「んんー、朗報だな。もっと聞かせてやれ。どういうところが好きなんだァ?」
「優しくて! 親しみやすくて! 少年の様にあどけなくて! 不相応に頑張り屋で! はにかむ笑顔が素敵で! お守りしたくなります!」
「ははは、やはり母性本能狂いの好き者女じゃないか! じゃあ一層のこと父親のおれと結ばれるというのはどうかなぁっ? 晴れてこの軟弱者の母親になれるぞォ?」
「そ、そんな!?」

 あおめた。
 わたりが何を言わんとしているかは明らかだった。
 そんな事は絶対に耐えられない、耐えられる筈が無い。

(やめろやめろやめろ!!)

 一旦崩れたの心はもう、胸に募る拒絶の声を押し殺せなかった。

「そ、それは……! それだけはどうか御勘弁を!!」
「何を今更一線を引く? お前はもう汚れ切っているんだよ!」
「嫌!! やめて!!」
「やめるかよ! 観念しろ!」

 まるで断末魔の叫びの様に、彼女は心の底からのけんと拒絶をわめき散らす。

「嫌だ!! 助けてェッ!!」

 その瞬間、わたりは明らかに油断していた。
 目の前の女の征服が完成しようとしていて、そちらに気を取られていた。
 愉悦の絶頂を迎える寸前で、後首を掴まれた事にも気付いていなかったかも知れない。

 あり得ない事だった。
 鬼の様な形相をしたさきもりわたるが立っていた。
 そして、間抜けな声と面で振り向いたわたりの顔面を、わたるは思いきり殴り飛ばした。
 わたりの体は派手に壁へぶつかり、は最大の危機から辛うじて助けられた。

「出て行け」

 異様な雰囲気でわたりを見下ろすわたるは、普段とまるで別人に見えた。
 普段は彼をいたわたりですら、今のわたるにはされていた。
 意地から反撃を試みるも、金的を喰らいもんぜつする姿は、それはそれは滑稽なものだった。

「今すぐおれの前から消えろ!! さっさと出て行け!!」

 わたりほうほうていで「くそ、許さん。覚えてろ」などとのたまいながら宿を出て行ったが、にとって最早あの男のことはどうでも良かった。
 信じられないのは、わたるが起こした奇跡だった。

 何故こんなことが出来るのだろう――助けるつもりが助けを求め、そしてそれを叶えられてしまったは、困惑を極めていた。

 期待など全くしていなかった。
 自分の能力には自信があったし、してやそれを才覚に乏しいわたるに破られるなどとは夢にも思わなかった。
 この青年は自分を助けるために信じられない力を発揮し、奇跡を起こして見せたのだ。

(何故、思い人でもないわたくしの為に……?)

 次第に、は別のおもいにさいなまれていく。
 彼女はそれに突き動かされるまま、枕をわたるの背中に投げ付けた。

「何なんですか貴方あなたは! なんで目を覚ますのですか!!」

 涙声で喚くの理不尽な叱責に何も返せないわたるの背中は、先程までの鬼気迫る様相がうその様に小さかった。

わたくしのことなど放っておけば良いでしょう! 心に決めたひとが居る癖に……!」

 そう、結局のところ、わたるのものではない。
 近く彼女の許を去っていく。
 その為にこそ今まで尽力してきたし、それが通すべき道理であった。

「今、わたくしがどれ程に惨めなおもいをしているか、お分かりですか? こんな姿、貴方あなたに見られたくなどなかった……。あんな想い、貴方あなたに聞かれたくなどなかった……。貴方あなたを愛したくなどなかった……」

 肩に手を置かれたは、指の隙間からわたるの顔をのぞた。
 泣きそうな顔、しかし普段の頼りなさは感じられなかった。
 それは救うべき者をみいした男の、酷くかなしい顔。

 そんな顔をしないで欲しい。
 わたくしの為に哀しまないで欲しい。
 基より出会うべきではなかったのだから、脇見を振らずに帰るべき場所を、かえるべき人をまっぐ見ていて欲しい。

 ただ、それでも……――は涙に濡れた顔で精一杯笑って見せた。

はたは、さきもりわたる様のことを、心よりお慕い申し上げております」

 壊れそうな程切ない思いを打ち明けたに対し、わたるは彼女の手をもう一方の手でそっと握った。

「ごめんなさい。ぼく貴女あなたの思いには応えられない」
「はい、承知しております」
「でも一つ、貴女あなたの為にこれだけは約束します」

 は赤く腫れた目を見開いた。

「脱出の時、貴女あなたが教えてくれた全てを駆使して、ここにあるあいつらの設備施設を、貴女あなたを苦しめてきたものをちゃちゃにしてやります。だから知っている限りの標的をぼくに教えて欲しい。全部壊しますから。最後にわたりが何の言い訳も出来ない程の大暴れを、貴女あなたささげますから」

 わたるまなしを、は潤んだ瞳で受け止める。

ぼくが、わたりに引導を渡します」

 この方は決してわたくしのものにはならない、してはいけない。
 でも、それでもわたくしは……――は再び小さくほほんだ。
 そして、彼女は目の前の男の胸に寄り掛かり、強く抱き締めた。

「突然の無礼をお許しください。そしてかなうならば一度だけでも、たった一度だけでもわたくしを『』とお呼びください。それだけで、わたくしは生きていける」

 わたるはそんなを抱き返す。

「どうもありがとう、さん」

 の恋はことごとく初めから実を結ばぬ不毛な想いだった。
 況してやこれは泥に咲くあだばなである。

 しかし、それでもその恋に花咲く命ある限り、その美しさを誇り貫こうと、彼女は心に強く誓った。

(それでもわたくしは、この方を好きになって良かった……)

 どうにか静寂を取り戻した夜は、月明かりでそっと二人を包み込み、更けていった。



    ⦿⦿⦿



 翌朝のこうてんかんわたりわたるの反撃によって退散を余儀無くされていた。
 わたる以外の六人はこの日も同じように訓練に出掛けた。
 戦闘訓練から解放されたわたるは、と操縦訓練の追い込みに入る。
 助手席にわたるを乗せるは、いつになく晴れやかな気分だった。

「まさかさきもりごときにわたくしじゅつしきしんが破られるとは、不覚で御座いましたね」

 対照的にわたるはどこか浮かない顔で流れる景色を眺めている。
 自分たちの為の脱出計画が、実はの一方的な献身によって成立していた――男として、計り知れない罪悪感だろう。

ぼくは……きょうだ……」

 そんな彼の様子を見かねて、は小さく笑う。

さきもり様、これは元々わたくしが言い出したことです。それに、わたくしの心は昨夜の件で充分報われました。後は約束を果たして頂ければ、それこそ言葉も御座いませんわ」

 の言葉にも、わたるの表情は中々晴れない。
 そんな彼に、は少し意地悪をしたくなった。
 想いに応えてもらえないことは承知しているが、それでもただわきまえるのはしゃくだった。

「ですので、あまりくよくよ悩んでいられては困ります。今日からの大詰め、わたくしの指導もわたりに負けず劣らず苛烈になるものとお考えください」
「げ、マジですか……?」

 わたるった笑みを浮かべた。
 だがそこにあるのは、普段のどこか頼りない彼の表情だった。

「約束、守って頂きますからね」

 安易な約束を、にべも無く告白をそでにした仕打ちを、少しは後悔してくれただろうか。
 精々、残りの日々を大切に過ごさせてもらおう。
 その後は、どうかお幸せに――は意地悪く微笑んだ。

 その日まで後四日、運命の時は刻一刻と迫る。
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