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第七章 左手の婚約指輪

第百二話 男同士の約束

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すき焼きの準備のため、アヤが母親に駆り出された客間。ロイたち三人とアヤの父親は、同時に「はぁ」と息を吐いて、それから顔を見合わせて、少しだけ笑った。


「ありがとうございます」


ロイが一人、深々と頭を下げる。
今度はすぐに顔をあげた。


「ボクたち三人と付き合っていることを認めてくださって」


結婚は一年後。猶予期間にアヤは不貞腐れていたが、そもそもこの関係性を受け入れてくれたことに感謝しかないとロイは告げる。


「別れろと言われることを覚悟していました」

「言ったところで別れるのか?」

「それはあり得ません。アヤはボクの運命です」


じゃあ、なぜそれを告げてきたのかとアヤの父も思ったに違いない。けれど同時に、そんな追及も無意味だと思ったのだろう。


「あの子は、毎日笑っているようだね」


ロイが口にした「運命」という単語を華麗に無視するあたり、その情報源が容易に想像できて、ロイたち三人も顔を見合わせて「はい」と答える。


「ここだけのはなし、わたしよりも妻がよほど心配していてね。わたしたちは親戚もなく、アヤに兄弟もいないだろう。将来、頼る先がないんじゃないかと悩んでいたんだ。今の会社に入社するまでアヤは英語を喋るどころか、半分引きこもりみたいな生活だったしね。とはいえ、入社直後は毎日ひどい顔で帰ってきていたよ。アヤには社会復帰してほしかったが、あまりに酷いようなら、いつでも辞めていいと思っていた。そんなだから、アメリカなんて行ったこともない土地で、しかも携帯も持たずに、滞在期間も延長されて、随分と心配していたんだ。いくら妻の友人のツテだとはいえ、帰ってきたら即辞めるようにいうつもりだった。でも、きみたちが一度ここに来た日、アヤを連れ帰ってきてくれた日のことだが、あの日に妻はアヤの顔を見て、きみたちがアヤを守ってくれていたんだとわかったらしい。だからといって、全員と付き合っているとは思わなかった」


複雑な心境だと、アヤの父はすっかり冷めたお茶を飲んで、ロイたちにも足を崩すように促した。
この家に足をあげたのは一度ではない、とは、もちろん誰もいわない。形のいい顔を崩すことなく、各々に足を崩して指摘することを放棄している。
アヤの父親はお茶を飲んでいるし、空気がそれを見てみないふりをするのなら、カウントがひとつ違うことくらい、なんてことはない。


「まさか、あの子が自分の言葉であんな風に言ってくるなんて」


そこで思い出したように一息ついたあと、アヤの父親はお茶をおいてロイたちを見つめる。


「で、ロイくん、スヲンくん、ランディくんといったね。職業はなにを?」

「ボクはエグゼクティブカンパニーの次期社長として、今は社長補佐のような仕事をしています」

「ああ、そうか。ロイくんは、カナコさんと結婚するバージルさんの甥っ子だったね」

「はい。将来は実家のハートン社も継ぐ予定です。スヲンはボクの秘書であり、副代表のようなもので、ランディはシステム会社の代表として会社のサポートをしてもらっています」


にこやかに答えるロイにならい、左右を挟むスヲンとランディもお茶を飲んで「いえす」とうなずく。
カナコから詳細情報が母親経由で回っているに違いないので、深く説明する必要はない。実際、アヤの父親もロイの発言を疑っている雰囲気はなかった。ただ、人として、ごくごく普通の疑問が浮かんだらしい。


「なぜ、アヤなんだ?」


真面目に疑問符を浮かべる顔が、どこかアヤに似てる気がする。


「こんなことをいうのはなんだが、きみたちなら、他にたくさん選べるだろう?」


それには、どう答えよう。
三人の雰囲気が思案する。
アヤに答えたときと今は違う。口説くための本音しか吐けない口で、「良き夫」のイメージを持たせる建前はどう表現するべきか。


「………アヤは可愛い」


またしても、ランディが速かった。
真っ赤な顔で口元を大きな手で押さえて、視線を外して「初手を間違えた」とあせる顔は正直言って好感度が高い。


「アヤは可愛い……です。ずっと笑顔でいてほしいし、そうできるのが自分でありたいと思います」

「ときどき無理をして、自分で自分を苦しめちゃうから、ボクたちが傍にいてアヤの寂しさとか、苦しさとかを全部取り除いてあげたい。好きなだけワガママをいって、アヤらしくボクたちを振り回してくれるのが、何より嬉しいんですけど、本人が無自覚で無防備なので、なかなか、世話が焼けるところも可愛くてたまりません」

「うん。アヤはよく気が利くし、いつも自分よりも誰かのために献身的で一生懸命です。俺もアヤが可愛いです。真面目で、ひたむきな姿が愛しいです」


ランディが口にすれば、ロイ、スヲンが続く。それぞれの言葉で、三人同じ雰囲気を共有して、どこか照れたようで、それでいて嘘のない言葉に時間が進んでいく。


「ボクたちはいつもアヤの話ばかりです」


アヤさんからアヤ呼びになっていることを注意するまでもなく、自然と受け入れてしまえるのは、彼らがあまりに愛しい響きで娘の名前を呼ぶからだろう。大事にしてくれているのだと、彼らを見ていればわかる。「心配あらへんって、会えばわかるから」と妻から伝言ゲームのように、先にアヤたちの交際を知っていたカナコに告げられていたが、たしかにその通りだと思わざるをえない。
寂しさは、いつか味わうとわかっていた巣立ちの感傷。
娘を持つ親として、受け入れなければいけないとわかっている。ただ、まだどうしていいのかわからない。
交際と結婚は違う。
普通の交際ならまだしも、複数での交際というだけで世間は奇異な目で見るだろう。実際、ロイたちに会うまで、アヤの父親も複数交際には前向きではなかった。


「百聞は一見に如かずだな」


会って話してわかることもある。通じ合えるものもある。人生はどこでどうなるかわからない。でも、わかっていることもある。
大事な一人娘が選んだ相手、連れてきた相手は、その辺の男とは違い、方々に影響力があるだろう。
交際だけでどれほどの困難があるのか。いや、交際だけならうまくやれるのかもしれない。それが結婚となれば、様々な障害を乗り越える必要がある。
たった三カ月。それだけの土台では心もとない。


「アヤにあそこまで言わせたんだ。一年くらい、どうってことないと信じているよ」

「もちろんです」


自信満々に即答するロイたちを頼もしいと感じながら、素直に娘をあげられない心境に、アヤの父はお茶をぐいっと飲み干すと、小さく何度もうなずいた。


「それで、お義父さんひとつお話が」

「……まだ、きみたちのお義父さんではない」

「そうだよ、スヲン。いきなりそんな風に呼んで、ファーザーも困ってるじゃん」

「英語で誤魔化されんぞ」

「では、なんとお呼びすれば?」


どさくさに紛れたスヲンとロイを牽制した父親に、ランディがお伺いをたてる。どこまでが計算かわからないが、見事な連携プレーだと思わざるを得ない。


「わたしは孝男(たかお)だ。妻はユキ江。どうせ知ってるんだろう。名前で呼んでくれ」


「いえす」と朗らかに答える将来の息子たちに、悪い気はしない。
家族三人。どことなく静かに、平穏に暮らしてきた。聞こえる声は妻と娘の二人分で十分賑やかだと思っていたのに、この三人の空気を知れば、華やかさとは何かを思い知る。


「それで?」


スヲンが言おうとしていた話はなにかと、孝男は先を促す。


「実は来月、ロイの社長就任に合わせて現行のブランドイメージを一新するんですが、それに使用する写真を先にお知らせしておきたくて」


言いながらテーブルの上にタブレットが乗せられる。流麗な所作は大袈裟だが、それでもスヲンの動きに無駄はなく、孝男は勧められるまま、そこに視線を落としていた。


「………一年は一年だ」

「わかっています。ただ、見ていただいた方が早い話もあります」

「目は口ほどにものを言うだっけ?」

「ロイ、この場合はあれだ。百聞は一見にしかず」


スヲンと孝男がタブレットを覗き込む横で、ロイとランディがことわざ遊びをしている。
よくわかった。
孝男が実際に口にしたわけではないが、それこそ、目は口ほどにモノを言う。


「来月には世界的にテレビCMなども流れます。日本では流さないよう調整済みですが、動画配信サイトでは一部拡散されるでしょう」

「まあ、興味あるやつはあるだろうな」

「日本では元社長のバージルとカナコさんの新ブランドのほうがおそらく取り沙汰されるので、大丈夫だと見越しています」


秘書のくせに営業マンみたいだと、孝男はスヲンの口調に眉尻を下げる。


「きみたちがアメリカで事態収拾を図るあいだ、アヤは日本で変わらない日常を過ごせるわけだな」

「寂しい思いはさせません」

「当たり前だ。泣かせるようなことがあれば、一年どころか、その場でジ・エンドだと思え」


いたずらに告げれば、彼らはそろって不敵に笑う。
それでいいのかもしれない。いや、それがいいのだろう。おずおずと顔を覗かせたアヤに気付いたスヲンが「アヤ」と呼んで男同士の会話は終了したが、それで十分だったに違いない。


「食事にしよう」


孝男は先に席を立って、部屋を出ていく。
部屋の入り口にいたアヤの横を通るとき、ほんの少し楽しそうに見えたのが、何よりの証拠だった。


「……お父さんと何話してたの?」


まだ不貞腐れているのか、機嫌の戻らないアヤの態度に「おいで」とロイが両手を広げる。
アヤは口を結んだまま部屋に入り、机を回って、スヲンとランディの間にいるロイの腕のなかへ素直に収まった。


「アヤから美味しそうな匂いがする」

「ご飯作ってたから」

「エプロン姿も可愛い。それ、アヤの?」

「………うん」


前はつけていなかったと指摘すれば、「だって寝起きだったし、頭があまり回ってなかったもん」と、アヤはもごとごと言い訳を口にする。


「写真、撮っていい?」

「……だめ」

「じゃあ、ホテルに戻ったらいっぱい撮ろう」

「エプロンなんか持っていかないもん」


ギュッと抱きついて、ロイの胸に顔を隠す。頭を撫でて、背中を撫でて、それから頭部にキスをくれるが、この幸せがあと少しでなくなるかと思うと寂しさが込み上げてくる。


「アヤが意地悪なこというからランディがショック受けてるんじゃない?」


ロイの言葉に少しだけ好奇心が勝って、ロイの向こう側にいるランディを見てみる。
先ほどから妙に大人しいと思ったら、アヤの家庭的な姿に思考が停止してしまったらしく、震える両手がこちら側に迫ってきていた。


「……えぷろん」


大きなランディが片言でいうと、妙に似合っていなくておかしくなる。


「ほら、アヤ。ランディを悩殺したその格好を俺にも見せて?」

「悩殺って、スヲン。ただのエプロンだよ?」

「そうだな。『俺てきには裸の上に着用させたい』」


後ろからわざと英語で、それも耳元に囁く声に、身体に熱がこもる。裸エプロンなど、一度は聞いたことがある単語でも実践したことはない。それなのに、スヲンが言うと、近い将来それが身にふりかかりそうで意識してしまう。
唇が近付いて、キスをしてしまえば、そこから始まる一日は長い。けれど、タイミングを見計らったように母の声がアヤの名前と、スヲンとロイとランディの名前を呼んだ。


「………ッ、もう。しないもん、ご飯できたから、呼びに来ただけだしっ」


ロイの腕から抜け出すのと一緒に、三人をそれぞれ急き立てて部屋から追い出す。
わらわらと向かう場所はリビングしかない。
四人がけのテーブルに椅子をひとつ追加して、机に乗りきらないほどの食材を敷き詰めて、ど真ん中にはガスコンロと鍋がひとつ。


「ロイくんたちは飲めるのか?」


冷えた日本酒を片手に聞いてくる父に、アヤは首を縦に動かす。ついでに「酔ってるのみたことない」と付け加えれば「……ふぅん」と、どこか間のきいた返事が返ってきた。
アヤはそれを無視してロイたちを座らせ、自分は用意した簡易の椅子に腰かける。


「お父さん。まだお昼なんだから、飲みすぎないでね」

「明日出勤でしょう?」


娘と母に諭されても脳内で「勝負」に変換されていることは一目瞭然。実際に、ランディ、ロイ、スヲンの順に近い側の席から酒を注ぎ与えている。


「……はぁ」


これは母娘のため息だったが、いただきますとすぐに開始された真夏のすき焼きパーティに、それはかき消される。
楽しそうに乾杯しているのであれば、今はきっとそれでいい。笑い声の溶けた空気が、幸せを運んでくれる気がするから。
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みんなの感想(19件)

ちょこ
2024.11.08 ちょこ

この作品がすごく好きです♪読んでるとワクワクキュンキュンして楽しくなります♪いつまでも更新待ってます!!大変なこともあると思いますが頑張って下さい♪

皐月うしこ
2024.11.08 皐月うしこ

ちょこさん!ありがとうございます。
ワクワクキュンキュンしていただけるような作品であることが嬉しいです。時間を見つけて書いていきますね。頑張ります!!!

解除
manami
2024.10.27 manami

更新楽しみに待ってます🥺

皐月うしこ
2024.10.27 皐月うしこ

manimiさん

ありがとうございます!!楽しみにしてくださっているのに、こちら全然手をつけれていなくてすみません。執筆再開したらお知らせします。気長にお待ちいただけると嬉しいです。引き続きよろしくお願いします!

解除
ゆーりん
2023.08.11 ゆーりん

更新ありがとうございます😭

皐月うしこ
2023.08.11 皐月うしこ

ゆーりんさん
こちらこそありがとうございます( ;∀;)♡少しでも何かお届けできたらと思い……癒しになれば幸いです

解除

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