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閑話

【雑録 side相園カツラ】気の許せる仲間

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私の名前は相園カツラ。学生時代から付き合っていた夫と結婚して、今は二歳になる娘との三人暮らし。共働きだから娘は保育園に通わせているんだけど、その兼ね合いで全然ガラじゃないキャラ弁なんてものを職場に持ってきている。


「カツラちゃんって、慈悲がない」

「………は?」


入社2日目。私の隣の隣の席で脂肪の塊を揺らしながら肉巻きおにぎりの三個目をほうばる年齢の違う同僚を睨み付ける。
そう、こいつは年下。
なに、私はなめられてるの?
こいつは私に喧嘩売ってるの?


「カツラちゃんって、所作っていうのかな、食べ方めちゃくちゃキレイなのに、そのギャップがいいよね」

「………は?」

「萌由ってさ、ほら、こんな感じじゃん。カツラちゃんみたいなの憧れなんだよねぇ」


人生で三回連続で「は?」を繰り返すなんて、妊娠中に夫が会社を辞めたいって言った時以来だわ。
たしか、名前はなんだっけ、私はそういうの得意じゃないのよね。人の名前と顔を覚えるのはすこぶる苦手。まあ、ほぼ初対面で下の名前を無遠慮に呼んでくるやつなんて、そもそも私の人生にいなかったけど。


「それはどうも」


ザクッと、お弁当箱の中心で笑っていたウサギの目を突き刺す。
「ギャップやばぁ」とか言って笑われるが、何がそんなに面白いのか。イライラは良くないから無視をするに限る。
私のなかで、こいつとは関わらない。そう決めたうえでの当たり障りない返事だけで十分だろう。
せめて、隣の空白の席にくるやつは、まともであってほしいと切に願う。
いくつ食べるつもりなのか、隣の隣の彼女は肉巻きおにぎりが入ったパックをもうひとつ開けていた。


「あ、いる?」

「いらない」

「てゆーかさぁ。カツラちゃん、少食過ぎない?」

「あんたには関係ない」

「あんたじゃなくて、萌由」

「………は?」

「三原萌由っていうの。昨日、よろしくってしたじゃん」


もう忘れちゃったの。なんて頬を膨らませる女が、私はこの世で一番キライだ。よって、この女はキライ。仕事以外で口は聞きたくない。


「三原さん、よろしくっていうのは仕事上の意味で、お昼の時間は一人で過ごさせてもらえますか?」


至極丁寧に、自分のなかで最高の営業スマイルで、しかも敬語でお願いしてやった。
大抵は引く。怖いだの、いじめるだの言いつけて陰口を叩く。
ギャップが何よ。笑顔が似合わない外見をしている自覚はある。たしかに可愛いよりカッコいいが好きだし、キャラ弁なんか好きじゃない。それでも娘が好きなものは尊重したいし、口が軽そうな女に喋るプライベートも持ち合わせてない。
こっちは正直に生きてるだけ。
無駄な関係性に精神削られるほうが無理。大体、私は金を稼ぎにきてるのであって、友だちを作りにきているわけじゃないのよ。


「えー、そんな酷いこと言わないでさぁ、萌由はカツラちゃんと仲良くなるって決めたの」

「そんなこといわれても」

「一緒のチームなんだしぃ、ね?」

「………いや、だからさぁ」


こいつは馬鹿か?
私はいつの間にか食べる手を休めて、三原とかいう女につられそうになった喋り方を咳払いで止めた。
その隙を狙って、といえば、私の性格も歪んでるなと自嘲する。


「仕事ができて、所作も完璧。萌由が人として学べそうって思った人なんだから仲良くしたいのっ」

「私の仕事ぶりとか昨日、今日で何がわかるの?」

「この班に配属されただけで出来るって決まってる。しかもリーダー。でしょ?」


ふふんと、笑う顔が不覚にも可愛いと思ってしまった。
たしかに、この三原萌由とかいう女のいうとおり、私が配属された班は、普通の班ではない。事務の中でも本社のアメリカと日本を繋ぐパイプであり、上層部とのやり取りに特化した極秘資料に一番最初に触れる場所でもある。
秘書課、人事課、経理課、システム課それぞれ極秘資料を扱うのだが、その極秘資料のやり取りを任されている。メールの翻訳、振り分け、国内外の電話対応、荷物の受け取り、内容物の確認、ファイリング、会議の準備、データの管理、あげればキリがない。
たまに世界中に点在する系列店からも連絡がくるから英語は必須。
広報もかんでくるから情報は最初に私たちを通るといっても過言ではない。だから口が固い人間にしかつとまらない。はず。この三原萌由を選んだ人事の目は、まだ疑っている。
二百人前後の会社で、経理課と一緒のフロアで事務は七人。経理課は男女混ぜて五人いるけど、事務は課長以外は全員女。班はふたつ。三人ずつ。
もうひとつの班は、座席表やコピー用紙の発注、業者対応など社内を中心に仕事する事務。英語は別に使えなくても問題ない。
こんな感じで漠然とわかれているけど、大変なときはお互いに助け合う。
前体制から一新されたメンバーで構成され、かなり吟味されて選抜されたと課長から念を押されたうえでの採用通知だった。
残業の有無はもちろん有休取得のしやすさと、家からの距離と給料。全部含めて第一候補だったから、採用されたときは本当に嬉しかった。
頑張ろうって、気合いいれて、娘にも宣言して、夫にも理解してもらってここに座っている。
それなのに、だ。なぜ、私は肉巻きおにぎりをほうばる口が軽そうな爆乳女と席を並べているんだってはなし。誰か教えてくれ。


「そういう三原はどうなのよ」

「んー、萌由?」


敬語すらもったいない。
こういうタイプには何をしたって響かないんだから、私も地で行くことを勝手に決めた。
ごちそうさまでしたと意外と手を揃えて食事を終えた三原は、お茶を飲んで一言いった。


「この外見もそうだけど、好きなものを貫きたいから誰にも文句を言わせない仕事をする。以上」


真っ直ぐな目で射抜かれたと思った瞬間、三原はふわりと笑う。


「あ、そうだ。カツラちゃん。大事なことだから先に伝えておくね。萌由は、仕事に手は抜かないけど、ルンピのために生きてるから、ルンピの日は休みます!! そこだけよろしくねぇ」

「ルンピ?」

「萌由の彼氏」

「え、彼氏?」

「そう、ルンピは萌由の彼氏ぃ」


イケメンキャラクターを模したぬいぐるみを取り出して、顔の横に引っ付けて笑う同僚。


「………」


実際、午後からの仕事では、派手なネイルの指先が高速で動いて、キレイに整理整頓されていく真面目さに胸打たれた。
私は、仕事が出来るやつが世界で一番好き。


「三原、悪いんだけど」

「大丈夫だよぉ。早く帰ったげて。明日もちゃんと休んでね」


空白の席が埋まる大事な日を翌日に控えた午後、娘が熱を出したと保育園から連絡がきた。


「明日は来れると思うから」

「え?」


何言ってるのと本気で不思議そうな三原の顔に私も驚く。


「仕事は萌由がいるけど、娘ちゃんのママはカツラちゃん一人なんだから、そっち優先。仕事のことは任せなさい」

「……三原」

「カツラちゃんも仕事と家庭の両立で頑張ってんだから、数日休んだって問題ないよ。娘ちゃんもママ恋しいって。ほんと、お大事にね。文句いうやつがいたら萌由が代わりにしばいといてあげるからぁ」


爆乳女だなんて言ってマジでごめん。
あんたいいやつだった。


「えっ、なに。カツラちゃん泣いてんの?」

「泣いてないわ、バカ」


そんなこんなで早退と有休をもぎ取って、心身ともに穏やかな一日を過ごしていた。
平日の休みって、なんでこんなに心穏やかに過ごせるかな。念のため病院に連れていったけど、娘の熱はどうってことなかったし、夏らしい天気も素敵だ。
おかげで娘の機嫌もいいし、久しぶりにケーキなんて買いにいっちゃったりして。自分へのご褒美に胸を踊らせていると、携帯が震えた。


「ん?」


どうせ広告か何かでしょ。と、思いつつ、緊急時は連絡してと三原に連絡先を渡したことを気に掛ける。


「……はぁ」


やっぱり人に仕事なんて任せるもんじゃない。
画面には『カツラちゃん、やばい、大変、マジでやばい』が単語で飛んでくる。電話して状況を聞くべきかと心配した瞬間『テンハラのヒロインきたーーー』と意味のわからない単語と小躍りするルンピとかいうキャラクターのスタンプ。


『カツラちゃん、女神だよ。女神降臨』

「……意味がわからん」

『本社から帰って来た事務の人、前体制の生き残りのラスボスかと思ってビビってたけど、めっちゃいい人だった。早口の電話に泣きそうだったけど、フォローも自然で優しすぎて惚れた。真面目だし、仕事できるなんて、テンションあがるーーあーもー、絶対お友だちになる、みんな惚れたっぽい。あちこちでアヤちゃんの話題沸騰中だよ。萌由が絶対一番乗りする』


端的にいえば、助けてもらったらしい。本社からの専門用語だらけの怖い早口電話を代わってくれたと喜んでいる。


『カツラちゃん、安心していいよ。アヤちゃん、めっちゃいい人だから』


ルンピスタンプまで、安心しろとイケメン風に微笑んでいる。
それを見て思わず笑ってしまった。
今の職場はたぶん、いい人に恵まれている。私はこんな性格だから、陰口叩かれることも多かったけど、戦わなくていい職場はありがたい。
居心地のいい職場は、大事にしたいと自然に思える。
そして、迎えた初対面。三原がいうテンハラはわからないが、乙女ゲームのヒロインというのはなんとなくわかる気がした。


「相園さん」


そんな日々が過ぎ去って訪れた水曜日。午後休に入る前、最後の仕事を頼んだときもそう。コピーすればいいだけのものを渡したつもりで、きちんと内容を確認してくれたのが嬉しかった。
控えめだけど、ちゃんと声をかけてくれる存在は助かる。三原じゃないけど、私も仕事で助けられたらありがたいと思うし、心強いとも思う。
仕事が好きだから、余計にそうかもしれない。


「ここのスペル。言い回し的にこっちのほうがいいかと思うんですが、直してからコピーします?」

「わ、ありがとう。うん、お願いします」


些細なことに気付いてフォローしてくれる人材は貴重だ。自然と敬語も出るってもんよ。


「昔からそんな感じなの?」

「そんな感じ、ですか?」


コピー機の横で並んで、話す機会を得たので聞いてみる。
そんなに身長は変わらないけど、三原のいう『愛妻感』はなんとなくわかる。それからいい匂いがするし、抱きつくと心地よさそうで、無性に世話をやきたくなる。
毎日つけてるネックレスも時計も似合ってて、それが彼氏からのプレゼントというのだから、彼氏はよく彼女のことを見てるなとセンスのよさに感心する。


「仕事の仕方、すごくやりやすくて好きよ。本社でも重宝されてたでしょ?」

「そんな。私は色々教えてもらってばかりで、セイラがいなかったらやっていけなかったと思います」

「セイラ?」

「メンター制度っていうのが本社にあって、私のメンターとして支えてくれたのがセイラなんです。セイラはシステム部で、締め切り前は怖いけど、とても優しくて明るくて、世話焼きでかっこよくて、可愛くて。今度、バートと結婚するんです」

「それはおめでたいわね」

「はい。ブライズメイドに選んでくれたから色々話したいんだけど、連絡先を知らなくて」

「は?」


そこから色々聞いて目眩を覚えるのは私だけじゃないと思いたい。大体、携帯もなしに何日も見知らぬ土地で過ごせるなんて、さすがというかなんというか。


「親御さんはさぞかし心配したでしょうね」


最初の感想はそれだった。
自分の娘がそんな会社に就職して、海外に飛ばされたら速攻で退職させるわ。


「あ、でも。今は彼氏がセイラの番号を教えてくれて、ちょっとだけどやり取りしてるんです」


嬉そうに笑うアヤちゃんをよしよしと撫でてしまったのは、娘を思い出していた反動かもしれない。


「彼氏も苦労するわね」

「え、何か言ったぁ?」

「あんたには言ってない」


三原とも随分とくだけた仲になったと思う。そんな今日は、木曜日。なんだか癒しが足りない気がするのは、私の中でマスコット的存在になりつつある彼女がいないせいだろう。


「カツラちゃん」


ああ、もう。
三原はいつも無遠慮に私を下の名前で呼ぶ。


「職場で下の名前で呼ぶなって、ん?」


いつものキャピキャピした雰囲気はどうしたのか。デスクトップ画面に釘付けの顔とは裏腹に、ルンピカラーらしいネイルを塗った指がひらひらと呼んでくる。
内緒話をする女子高生か。
どうせ、推しの情報でも入手したんだろうとふんで、大した心構えもせずに覗き込んだ私が悪い。


「………っ」


人間、本当に驚いたときは声がでないというのは本当らしい。
改めて自分の仕事が、極秘事項を最先端で取り扱うのだと身に沁みる。


「…………これは驚きだぁ」


三原が蚊の鳴くほど小さな呟きを落としたけど、本当にそうだと思わざるを得ない。
現実は小説よりも奇なり。
そんな言葉が浮かんでくる。
来月公開される本社の新プロモーション映像。広報に回すための翻訳案件を理由にして、直接私たち宛に送ってくれたセイラとかいう人は、あのセイラさんのことだろう。
妙なシンパシーを感じる。
アヤをよろしくと、聞こえてきた気がするのはきっと気のせいではない。
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