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第五章 動き出す人々

第六十二話 パーティーの始まり

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壁に耳あり障子に目あり。
ランディが好きそうな日本のことわざだが、そんな言葉が脳裏を横切るくらいには内心の冷や汗が尋常じゃない。自分だけが知らないスヲンとランディの一面を知らされて、不覚にも嬉しいと思う反面、複雑な心境は加速していく。
「誰か一人」ではない付き合い方をこの場で二人に告げるには、あまりにハードルが高すぎる。


「ね、ねえ。プリンスって、誰?」


話題をすり替えたい一心で、紡ぎだした言葉だった。
第四派くらいの客の塊が並び始めたから、出来ればこの会話は続くことなく、今すぐ終わってくれればいいなと淡い期待が胸をつく。
その期待が伝わったのか「やだなぁ」と、萌由が出迎え用の笑顔を作りながら声だけで話題に乗っかってくれた。


「やだなぁ、営業課の金髪王子ロイ・ハートンに決まってるじゃん」

「営業課ってのは、さすがにだまされたわ。社長も人が悪いわよね」

「萌由も。マジで実質王子だったなんてビックリだよぉ」

「実質、王子?」

「まさかアヤちゃん、知らないの!?」


驚きに一度だけアヤの方に顔をむけた萌由は、再び客の対応に戻りながら告げる。


「ロイ・ハートンって、セレブ一家で有名なハートン家の子息で、もうすぐアメリカ本社の社長になるんだよ」


興奮気味に話してくれた萌由のおかげで、アヤの彼氏が「誰か」という特定は避けることが出来た。反面、アヤは自分が知らない彼氏情報を他人から知りえた事実に、少なからず、いや結構な衝撃を受けて固まっていた。


「なにそれ、知らない」


その呟きは客の波に寄せられて消える。
研修時代。といっても三か月ほど前の話でしかないが、そのときにも自分以外の第三者から重大だと思われる情報を何度か聞かされてきた。セイラはもちろん、情報通のデイビットから教わる彼らの知らない一面は、出来ることなら彼女になった今は、本人たちから直接聞きたいと思ってしまう。
これは絶対ワガママとかではないと思いたい。


「どうでもいいことばっかり教えるくせに、肝心のことは何も教えてくれないんだから」


怒りというよりムカつき。
いや、寂しさなのかもしれない。負の感情が少しずつ混ざった濁りの心。隣にいれば今すぐ解消されるはずのそれも、そううまくいかないのだろう。
この気持ちは当分抱えたまま過ごす羽目になりそうだと、アヤは現在進行形で強く頷く。


「ねぇ、ロイたちはアメリカに帰っちゃうの?」


これは完全に独り言。
現在、それは会場入りした人たちの視線を一身に集めながらロイの叔父であり、カナコの恋人でもあるエクシブカンパニーの社長、バージル・ハートンが登壇しているのを眺めているところ。
時間通り始まったパーティーは、最低限の人数だけを残して社員も含め、全員会場入りしている。もちろんアヤもその中に含まれる。視界には招待客と社員と何故かマスコミらしき人々。
誰もが壇上に目を向けているが、アヤだけは登壇予定者たちのいる、明らかに世界が違う一角に目をやっていた。その列に当然のように並んでいるのは、他でもない彼氏たち。だから、アヤの呟きに答えてくれる人は近くにいない。


「なんか、夢みたい」


つい数時間前の出来事が不確かなものに感じられる。昼間の情事がなければもっと、そう感じていたのかもしれない。
不安と不満が入り交じって、あまりいい気分はしていない。
そうしてロイたちを眺めていれば、同じようにそこに視線を注ぐ複数の存在に気がついた。


「全員、顔面偏差値高すぎて映画の試写会に参加してる気分」

「わかる。ヤバいよね。イケメンを生で見られるなんて眼福でしかない」

「えー、彼女とかいるのかな?」

「狙うだけ無駄だって。あんなイケメンと並んで許されるって、それこそ女優かモデルだけだわ」

「あの黒髪の人、キム・ヨンヒの息子らしい」

「は、ヨンヒってあのオーラル・メイソンの嫁でも有名な女優の。いや、でも、あのスタイルと顔ならありえる。本物ならヤバいどころの話しじゃなくない?」

「本当かは知らないけど。まあ、あの顔面じゃそう言われても納得だよね。いま喋ってるエクシブの社長が六十超えてるのはマジらしいけど」

「まじで、六十超えてんの。うちの父親より年上なんだけど」


すぐ目の前で、はしゃぐ若い女性陣に面識はない。
どこにいても新情報が飛び込んでくるのは、いい加減どうしたものか。彼女として一番身近にいられる存在だと自負していたのに、他人が持ってる情報量が多すぎて自信がなくなってくる。
すでに知っていることも、ここまでくれば慰めにもならない。「自分だけが特別に知っている」なんて「何もない」と、自虐の念が湧いてくる。


「私が彼女だもん」


首についたネックレスに触れて、自分に言い聞かせるように息を吐く。
立食形式のパーティー会場。何かあったときに動きやすいよう壁と同化しているものの、基本的にやることはない。つまりは、じっと。アヤもその他大勢の一人として、社長の話に耳を傾けていた。


「本日は新しい門出にお集まりいただき感謝する。今夜、この場に居合わせたことを心からよかったと思ってもらえるよう、サプライズをたくさん用意した。出し惜しみはしない。マスコミの諸君はいいかな?」


流暢な日本語で話すのはさすがというべきか。自ら前方に来るようにマスコミを呼び、カメラや写真が構えられるのを待っている。
マスコミの準備が整うまでの時間。社長の斜め後ろに登場したのは巨大なスクリーン。会場の照明が少し落ちて、画面にエクシブカンパニーの社章が映し出される。


「エクシブカンパニーは私と兄のアーサー、二人で創立した。十四の頃だ。当時、船で旅に出ることが多かった私たちは旅先にも簡単に持っていけて、使い勝手が良く、質の高い石鹸作りに夢中だった。そこから長期保存できる備蓄食なども開発し、この事業は世界中に愛されるブランドになった。日本でも広く知ってもらおうと進出したが、知っての通り、一度頓挫している。そこで、エクシブカンパニーは新たな舵を切ることを決めた」


拍手があがり、バージル・ハートンの横に着物姿の女性がひとり近付いていく。遠目で見ても、それが母の友人であるカナコだということは一目瞭然だった。
知る人ぞ知る存在。エクシブカンパニー社長の恋人。
ただ、このタイミングでなぜ社長の隣にカナコが並ぶのか、アヤは知らない。


「彼女の名前は前里加奈子。カナコは私の運命の女性だ」

「運命なんて言うてますけど、そない大層なもんやありません」


独特のイントネーション。
会場の空気はバージルからカナコに発言権が移ることを許している。


「初めておうたときは、新手の詐欺かなんかやと」

「カナコを見た瞬間、運命を感じた。こんなに美しい人は、後にも先にもカナコしかいない」

「うちより後がおるんか?」

「いるわけないじゃないか。愛してるよ」


カナコへの発言権譲渡は、まさかのバージルが許さなかった。
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