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閑話
【雑録3】メイソン家の人々
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海に浮かぶ巨大な豪華客船。
先日、テレビで放送されたシャーリー号は、日本の港に停泊したまま。視界には、すでに乗客している各国の客人はもちろん、日本から乗り合わせる人々の姿が映る。
特に今回、日本での注目は高かった。なぜなら、世界的ブランド『オーラル・メイソン』のファッションショーが執り行われる予定になっているため。
毎年、開催場所は船の上。
停泊する港は直前まで公開されないのが、一種の起爆剤となっている。
会場となるメインホールは現在立ち入り禁止で、ショーの準備が進められていた。
「ソニア、それはお前が悪い」
「思わず舌入れちゃったこと?」
「それは最悪だ」
「仕方ないのよ、パパ。想像してたタイプと全然違ったアヤがいけないの」
「だけど挨拶にキスはよくない。日本の文化にそれはないって、カナコのときにも言っただろう?」
「キスで相性がわかるっていうじゃん」
「それは異性の場合」
「じゃあ、パパがアヤにキスしてみせてよ」
「ソニアはパパがキライなのかな?」
「ロイにやられてダサいとは思ってる」
「そっくり同じ言葉を返すよ」
足元には長さも素材も異なる布地が乱雑に散らばっている。
室内に響くのはそれらの布擦れの音と、ハサミの音、それから目の下に隈をつくった男と、キラキラ光るドレスを着た女の愚痴だけ。
スヲンの姉ソニアはもちろん、彼らの父オーラル・メイソンは口に針を加えて、休むことなく手を動かし続けていた。
「ほんっと、ロイのやり方、陰湿でキライ」
「ハートン家の恋人にキスしたソニアが悪い」
「弟の彼女がどんなタイプか確認することのどこが悪いの!?」
「スヲンだけの彼女なら、まあ、まだセーフだったかもね」
指で押さえた箇所に、口で加えた針を突き刺す。
幾重にも素材違いの布が織り成すドレスは、何度も仮止めを繋げて、思い描く完成形に近づけるしかない。
「完成したドレスを隠すだけで済まさないあたりが性悪すぎる。これだけの生地を切り刻むなんて、しかも微妙に長さが足りない!!」
苛立ちに髪を絡ませたソニアが地団駄を踏んでいる。
エメラルドの口紅と細いピンヒールは健在だが、今夜開かれるパーティー会場からつい今しがた、屈強な男達に拉致られて放り込まれた場所がこのシャーリー号。
「……渾身の出来だったのに、な」
ポロポロと涙ぐむのは怒り狂うソニアではなく父のオーラル・メイソン。よほど寝不足が堪えているのか、時々意識を飛ばしては針を指に突き刺して「痛い」と小さな悲鳴をあげている。
「そういえばヨンヒとララは?」
一緒にスヲンの彼女に会いに行ったのではなかったのかと、安易に聞いたのがいけなかったのだろう。
「知らない」のひと言で会話終了を告げられた哀れな姿は、実に同情を誘う。
「パパも会いたかった」
「ファッションショーには連れてくるって言ってたし、あいつらが、もしバックレてもバージルとカナコの結婚式で会えるわよ」
「あいつ。服を頼んでおいて、モデルに会わせないのは酷すぎるだろ」
「スヲンから初めて『父さんの服を彼女に着せたい』なんて言われて舞い上がるからよ」
「だって、あのスヲンだぞ?」
端切れでなんとか形にしたあたりは、さすがオーラル・メイソンというべきか。それでも、やはり納得はできないのだろう。
ちぐはぐなドレスを着せたトルソーから距離をとって腕を組み、「んー」と、なんともいえないうなり声をあげている。
「女遊びはカモフラージュで、ロイと付き合ってるのかとパパは思ってた」
「それはみんな、そう思ってた」
「ランディを連れてきた日は、そっちが本命なのかとパパは疑った」
「それは、みんな疑った」
「そう思っていたら女の服を、しかもレディースサイズを発注されて……スヲンが着るんじゃなくて、彼女だって言うじゃないか」
「それは、ほんと、そう。驚いたわよね」
うんうんと、親子そろって首を縦に動かす。
特殊な仕事柄、家族そろって暮らすという一般的な形を作ってこなかった。物心つく頃には家族はバラバラ。本人よりもメディアで先に現状を知らされることも多い。
特に一番末っ子のスヲンには、家族全員、寂しい思いをさせてきた自負がある。
「ロイと一緒になる」と、駆け落ち同然の手紙だけを残してスヲンが家を出た日。遠い目をしたのは、そう昔の話でもない。
業界人含めて、色んな人を見てきた。だからこそ、息子の性癖や趣向をできる限り受け入れるつもりでいた。
ある日突然「ロイと結婚する」と言い出す未来がくるとすれば、家族総出で、アーサーとシルフィの盾になるつもりでもいた。ところが、先日。まさに青天の霹靂とはこのことか。
『大切な女性とようやく一緒になれた。今度紹介する』
電話を受け取ったのは、シャーリー号が日本のメディアで放送された夜あたり。そのときに「カナコの衣装を作るならアヤの衣装も頼みたい」と告げられて、オーラルは石膏のように固まった。
大切な女性。
息子の口からその言葉を聞く日が来るとは、想像すらしていなかった。
だからこそ、オーラルは電話を切るなり、電光石火のごとく妻のヨンヒを含めて、娘のララとソニアにそれを自慢した。
「嘘でしょ。ちょ、待って、落ち着きましょう、あなた!!」
「落ち着いて、ヨンヒ。愛してるよ」
「私も愛してるわ、あなた。スヲンが、あのスヲンが本当にそう言ったの!?」
「そうだよ。日本人で名前はアヤと言うそうだ」
「女の子の名前よ!!」
「女の子の名前!?」
「女、まじで!?」
緊急家族会議はパソコンや携帯のリモートで行われている。
ネット環境が悪いのか、テンションにネットが追い付かないのか。
その瞬間の妻と二人の娘の悲鳴は忘れられない。と、後にオーラルは語るのだが、このときは自分も同じように興奮していたのだから無理もない。
「ただ、ロイとランディと三人と付き合っているらしい」
「なんですって!?」
「え、まじで!?」
「ソニア、さっきから同じ台詞しか言ってない」
「ララこそカメラの準備に夢中じゃない!!スクープ撮るなら、ソニアに売ってほしい。ソニアが買う」
「それは父さんも欲しい」
「あなた、それはあとでいいわ。本当にあの三人と付き合える女の子が現れたっていうの!?」
「凄い子だよ。あの三人から気に入られるなんて、どんな子だと思う?」
「どうして、そんな、奇想天外なことになってるの!?」
「さあ」
「それはわからない」そう言えば、画面越しのヨンヒも少し黙る。
もう、何を考えればいいのかパニックだった。
息子に彼女が出来たことを素直に喜ぶべきか。
複数愛を問題なく受け入れられた心境を告げるべきか。とはいえ、あの三人が悪戯を仕掛けている可能性もゼロではない。
冗談であればいいと願うことを何度体験させられたか。疑心暗鬼になるのも仕方がない。
警戒心は捨てきれないが、それ以上に、スヲンの口から愛する人の存在を告げられたことが嬉しくてたまらない。
「アヤ」という名前の女が余程の性悪ではない限り、あの三人に限って、結婚詐欺ではないと思うが、それはわからない。もし仮にそうなれば、初めて人を土に埋めてしまうかもしれない。
喜怒哀楽のどれを選択すればいいのか。
感情と思考が天元突破したのだろう。聞いたことのない声をあげたヨンヒが鼻息を吹いた。
「嗚呼、やっぱりこの目で見ないと信じられない。じっとしていられないわ。日本に来てるなら話も早いわね。ちょっとスヲンに会いに行く次いでに、バージルと仕事の話をしてくるわ!!」
「ヨンヒ、スヲンがメインになってるよ?」
「当たり前でしょう。アヤの情報仕入れたらすぐに教えるから。なんなら、拉致してさらってくるから、あなたはいつでも採寸できる準備を整えておいて!!というか、諸々の準備が終わったらあなたも来ればいいわ、じゃあ、あとでね」
「ラジャー」だったか、「グッドラック」だったか。どちらにせよ、オーラルがそれを口にする前に、妻と娘の姿は消えた。
そしていそいそと鼻歌を奏でながら待つこと数日。エクシブカンパニー日本支社再建を祝うパーティーが夜に開かれる日。
徹夜でこなしたファッションショーの最終チェックを終え、船のテラスでのんびりくつろいでいたオーラルのもとへ、現れたのが妻でも娘でもなくロイだったときの絶望は筆舌に尽くしがたい。
「ねぇ、スヲンが全然解放されなくてボクたち困ってるんだけど?」
「ろっ、ロイくん、久しぶりだねぇ」
「そっちにいると思って、さっきファッションショーの会場、見てきたんだけどさ。何あれ。いかにも息子の彼女を出迎えますって感じの仕掛け」
「いやー、あれはなんていうか。そう、採寸したいなって」
「大事なアヤの採寸を他の男にさせるわけないでしょ」
「でも、ロイくん。服はサイズがわからないと作れないんだよ?」
「知ってる。そう思って、優しいボクがアヤのサイズ表を持ってきてあげたんだ」
感謝してよと、天使の笑顔で差し出される紙切れ。恐る恐るその紙を受け取ってみれば、本当に全身のサイズと、要望が随所に書かれたメモの羅列。
「いつもならメールで済ませるくせに」
「そうだね。誰かさんが賑やかな女性たちを送り込んでくれたおかげで、可哀想なスヲンはメールする時間も取れないんだよね」
「…………本当に付き合ってるのはロイくんじゃないの?」
「まだ存在してたの、その疑惑。いい加減にしてよ。スヲンは確かにイイ男だし、愛してるけど、アヤへの愛とはまた違う愛だよ。言葉に出来ないのがもどかしい」
眉を寄せて困ったように笑う顔で、なんとなく察する。仮にも世界的デザイナー。他人が言葉に出来ないものを汲み取る能力には長けている。
だからだろう。オーラルは手にした紙を掴む指先に力をこめて、ロイのほうへ体を起こした。
「わかった。ちなみにわたしはスヲンが幸せならそれでいいと思っている。きみたちが複数で愛し合う関係だろうと全力で応援するつもりだ」
「え、ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、ソニアをファッションショーが終わるまで監視しておいてよ。週末くらい、ゆっくり過ごしたいんだよね。ボクたち」
「…………ん?」
「アヤが拉致されたときの保険を貰おうと思って足を運んでみたけど、ちょうどいいや」
なにがちょうどいいのか。理解できずに無言で見つめ続けるオーラル。その目の隈を不憫に思ったのか、ロイは「部屋でくつろげないにしても、こんな場所じゃなくて、せめて立ち入り禁止の会場で寝なよ」と優しい言葉を付け加えてくる。
そのまま「じゃあね」と笑顔で去っていったロイの背中が、オーラルの瞳に焼き付いて、閉じた目蓋の残像に変わる頃。
オーラルは青ざめた顔で船のなかを走っていた。
「や、やられた!!」
どうしてもっと早く気付かなかったのか。
たどり着いたファッションショーの会場は、見るも無残な有り様。散らばった布の切れ端を回収するだけで数時間は要するだろう。
そして、絶望を上乗せするように思い出されるあの台詞。
「まさか、まさか、まさか……ッ」
その場所をみて、オーラルが膝から崩れ落ちたのも無理はない。
『あなた、今、スヲンに撒かれたところで忙し……』
「ヨンヒ、あの子たちにやられた」
『……え、なに。オーラル、まさか泣いてるの?』
「俺はそっちに行けそうにない」
『どいういこと!?』
「メインドレスが……俺の渾身の作品が……」
『…………おぅ』
何かの慰めの言葉をくれたような気はする。それでも現実を受け止めきれない感情が、無意識で電話をかけていた妻の声すら受け入れない。
「ちょっと、痛い。いい加減、離しなさいよ!!」
「……ソニア?」
どれほどの時間がたったのか。
太陽はまだ海面を照らしているから、たぶんそう長い時間ではないだろう。個性溢れるドレスを着て、緑の口紅を愛用する娘なんて一人しか知らない。
そのソニアが屈強な男たちの群れに押し込まれて部屋に入ってきたと思ったら、なぜかガチャリとイヤな音がして、文字通り閉じ込められたのだと知る。
「くそっ、あの悪魔。こっちのSPまで買収するとかありえな…い…あ、パパ」
「やあ、ソニア」
あっけらかんとした娘に、ことの成り行きを聞いて、オーラルが合点をつけたのは言うまでもない。
こうなれば、連帯責任としてソニアにも手伝わせようと現状を説明し、そして冒頭に戻る。
つまり、二人は各々の罪による罰として、今夜のパーティーの参加権を剥奪されたのだった。
「ヨンヒはどこまで飛ばされたのだろうか」
「さあ、って言うか。パパ、サボらないでよ」
「もう疲れた。少し寝るよ」
ロイもそう言っていたしと、オーラルは布切れがひしめく床に寝転がって天井を眺める。
「…………は?」
あまりに驚きすぎて、目がさえるとはこのことか。シャンデリアの間にぶら下がるのは、未発表のドレスを着た首のないトルソー。
思わず笑えてきたオーラルの声に、ぎょっとしたソニアが駆け寄ったが、父の眺めるその先に視線を移して理解する。
「もー。まじ、どうすんのよ、あれ」
二人して寝転ぶしかない。小間切れの布に騙されて、何時間作業していたのか。とっくに日は暮れて、パーティーに乗り込む余力すら残っていない。父娘は「してやられた」と言わんばかりに顔を見合わせて、それから揃って同じ笑顔を浮かべた。
先日、テレビで放送されたシャーリー号は、日本の港に停泊したまま。視界には、すでに乗客している各国の客人はもちろん、日本から乗り合わせる人々の姿が映る。
特に今回、日本での注目は高かった。なぜなら、世界的ブランド『オーラル・メイソン』のファッションショーが執り行われる予定になっているため。
毎年、開催場所は船の上。
停泊する港は直前まで公開されないのが、一種の起爆剤となっている。
会場となるメインホールは現在立ち入り禁止で、ショーの準備が進められていた。
「ソニア、それはお前が悪い」
「思わず舌入れちゃったこと?」
「それは最悪だ」
「仕方ないのよ、パパ。想像してたタイプと全然違ったアヤがいけないの」
「だけど挨拶にキスはよくない。日本の文化にそれはないって、カナコのときにも言っただろう?」
「キスで相性がわかるっていうじゃん」
「それは異性の場合」
「じゃあ、パパがアヤにキスしてみせてよ」
「ソニアはパパがキライなのかな?」
「ロイにやられてダサいとは思ってる」
「そっくり同じ言葉を返すよ」
足元には長さも素材も異なる布地が乱雑に散らばっている。
室内に響くのはそれらの布擦れの音と、ハサミの音、それから目の下に隈をつくった男と、キラキラ光るドレスを着た女の愚痴だけ。
スヲンの姉ソニアはもちろん、彼らの父オーラル・メイソンは口に針を加えて、休むことなく手を動かし続けていた。
「ほんっと、ロイのやり方、陰湿でキライ」
「ハートン家の恋人にキスしたソニアが悪い」
「弟の彼女がどんなタイプか確認することのどこが悪いの!?」
「スヲンだけの彼女なら、まあ、まだセーフだったかもね」
指で押さえた箇所に、口で加えた針を突き刺す。
幾重にも素材違いの布が織り成すドレスは、何度も仮止めを繋げて、思い描く完成形に近づけるしかない。
「完成したドレスを隠すだけで済まさないあたりが性悪すぎる。これだけの生地を切り刻むなんて、しかも微妙に長さが足りない!!」
苛立ちに髪を絡ませたソニアが地団駄を踏んでいる。
エメラルドの口紅と細いピンヒールは健在だが、今夜開かれるパーティー会場からつい今しがた、屈強な男達に拉致られて放り込まれた場所がこのシャーリー号。
「……渾身の出来だったのに、な」
ポロポロと涙ぐむのは怒り狂うソニアではなく父のオーラル・メイソン。よほど寝不足が堪えているのか、時々意識を飛ばしては針を指に突き刺して「痛い」と小さな悲鳴をあげている。
「そういえばヨンヒとララは?」
一緒にスヲンの彼女に会いに行ったのではなかったのかと、安易に聞いたのがいけなかったのだろう。
「知らない」のひと言で会話終了を告げられた哀れな姿は、実に同情を誘う。
「パパも会いたかった」
「ファッションショーには連れてくるって言ってたし、あいつらが、もしバックレてもバージルとカナコの結婚式で会えるわよ」
「あいつ。服を頼んでおいて、モデルに会わせないのは酷すぎるだろ」
「スヲンから初めて『父さんの服を彼女に着せたい』なんて言われて舞い上がるからよ」
「だって、あのスヲンだぞ?」
端切れでなんとか形にしたあたりは、さすがオーラル・メイソンというべきか。それでも、やはり納得はできないのだろう。
ちぐはぐなドレスを着せたトルソーから距離をとって腕を組み、「んー」と、なんともいえないうなり声をあげている。
「女遊びはカモフラージュで、ロイと付き合ってるのかとパパは思ってた」
「それはみんな、そう思ってた」
「ランディを連れてきた日は、そっちが本命なのかとパパは疑った」
「それは、みんな疑った」
「そう思っていたら女の服を、しかもレディースサイズを発注されて……スヲンが着るんじゃなくて、彼女だって言うじゃないか」
「それは、ほんと、そう。驚いたわよね」
うんうんと、親子そろって首を縦に動かす。
特殊な仕事柄、家族そろって暮らすという一般的な形を作ってこなかった。物心つく頃には家族はバラバラ。本人よりもメディアで先に現状を知らされることも多い。
特に一番末っ子のスヲンには、家族全員、寂しい思いをさせてきた自負がある。
「ロイと一緒になる」と、駆け落ち同然の手紙だけを残してスヲンが家を出た日。遠い目をしたのは、そう昔の話でもない。
業界人含めて、色んな人を見てきた。だからこそ、息子の性癖や趣向をできる限り受け入れるつもりでいた。
ある日突然「ロイと結婚する」と言い出す未来がくるとすれば、家族総出で、アーサーとシルフィの盾になるつもりでもいた。ところが、先日。まさに青天の霹靂とはこのことか。
『大切な女性とようやく一緒になれた。今度紹介する』
電話を受け取ったのは、シャーリー号が日本のメディアで放送された夜あたり。そのときに「カナコの衣装を作るならアヤの衣装も頼みたい」と告げられて、オーラルは石膏のように固まった。
大切な女性。
息子の口からその言葉を聞く日が来るとは、想像すらしていなかった。
だからこそ、オーラルは電話を切るなり、電光石火のごとく妻のヨンヒを含めて、娘のララとソニアにそれを自慢した。
「嘘でしょ。ちょ、待って、落ち着きましょう、あなた!!」
「落ち着いて、ヨンヒ。愛してるよ」
「私も愛してるわ、あなた。スヲンが、あのスヲンが本当にそう言ったの!?」
「そうだよ。日本人で名前はアヤと言うそうだ」
「女の子の名前よ!!」
「女の子の名前!?」
「女、まじで!?」
緊急家族会議はパソコンや携帯のリモートで行われている。
ネット環境が悪いのか、テンションにネットが追い付かないのか。
その瞬間の妻と二人の娘の悲鳴は忘れられない。と、後にオーラルは語るのだが、このときは自分も同じように興奮していたのだから無理もない。
「ただ、ロイとランディと三人と付き合っているらしい」
「なんですって!?」
「え、まじで!?」
「ソニア、さっきから同じ台詞しか言ってない」
「ララこそカメラの準備に夢中じゃない!!スクープ撮るなら、ソニアに売ってほしい。ソニアが買う」
「それは父さんも欲しい」
「あなた、それはあとでいいわ。本当にあの三人と付き合える女の子が現れたっていうの!?」
「凄い子だよ。あの三人から気に入られるなんて、どんな子だと思う?」
「どうして、そんな、奇想天外なことになってるの!?」
「さあ」
「それはわからない」そう言えば、画面越しのヨンヒも少し黙る。
もう、何を考えればいいのかパニックだった。
息子に彼女が出来たことを素直に喜ぶべきか。
複数愛を問題なく受け入れられた心境を告げるべきか。とはいえ、あの三人が悪戯を仕掛けている可能性もゼロではない。
冗談であればいいと願うことを何度体験させられたか。疑心暗鬼になるのも仕方がない。
警戒心は捨てきれないが、それ以上に、スヲンの口から愛する人の存在を告げられたことが嬉しくてたまらない。
「アヤ」という名前の女が余程の性悪ではない限り、あの三人に限って、結婚詐欺ではないと思うが、それはわからない。もし仮にそうなれば、初めて人を土に埋めてしまうかもしれない。
喜怒哀楽のどれを選択すればいいのか。
感情と思考が天元突破したのだろう。聞いたことのない声をあげたヨンヒが鼻息を吹いた。
「嗚呼、やっぱりこの目で見ないと信じられない。じっとしていられないわ。日本に来てるなら話も早いわね。ちょっとスヲンに会いに行く次いでに、バージルと仕事の話をしてくるわ!!」
「ヨンヒ、スヲンがメインになってるよ?」
「当たり前でしょう。アヤの情報仕入れたらすぐに教えるから。なんなら、拉致してさらってくるから、あなたはいつでも採寸できる準備を整えておいて!!というか、諸々の準備が終わったらあなたも来ればいいわ、じゃあ、あとでね」
「ラジャー」だったか、「グッドラック」だったか。どちらにせよ、オーラルがそれを口にする前に、妻と娘の姿は消えた。
そしていそいそと鼻歌を奏でながら待つこと数日。エクシブカンパニー日本支社再建を祝うパーティーが夜に開かれる日。
徹夜でこなしたファッションショーの最終チェックを終え、船のテラスでのんびりくつろいでいたオーラルのもとへ、現れたのが妻でも娘でもなくロイだったときの絶望は筆舌に尽くしがたい。
「ねぇ、スヲンが全然解放されなくてボクたち困ってるんだけど?」
「ろっ、ロイくん、久しぶりだねぇ」
「そっちにいると思って、さっきファッションショーの会場、見てきたんだけどさ。何あれ。いかにも息子の彼女を出迎えますって感じの仕掛け」
「いやー、あれはなんていうか。そう、採寸したいなって」
「大事なアヤの採寸を他の男にさせるわけないでしょ」
「でも、ロイくん。服はサイズがわからないと作れないんだよ?」
「知ってる。そう思って、優しいボクがアヤのサイズ表を持ってきてあげたんだ」
感謝してよと、天使の笑顔で差し出される紙切れ。恐る恐るその紙を受け取ってみれば、本当に全身のサイズと、要望が随所に書かれたメモの羅列。
「いつもならメールで済ませるくせに」
「そうだね。誰かさんが賑やかな女性たちを送り込んでくれたおかげで、可哀想なスヲンはメールする時間も取れないんだよね」
「…………本当に付き合ってるのはロイくんじゃないの?」
「まだ存在してたの、その疑惑。いい加減にしてよ。スヲンは確かにイイ男だし、愛してるけど、アヤへの愛とはまた違う愛だよ。言葉に出来ないのがもどかしい」
眉を寄せて困ったように笑う顔で、なんとなく察する。仮にも世界的デザイナー。他人が言葉に出来ないものを汲み取る能力には長けている。
だからだろう。オーラルは手にした紙を掴む指先に力をこめて、ロイのほうへ体を起こした。
「わかった。ちなみにわたしはスヲンが幸せならそれでいいと思っている。きみたちが複数で愛し合う関係だろうと全力で応援するつもりだ」
「え、ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、ソニアをファッションショーが終わるまで監視しておいてよ。週末くらい、ゆっくり過ごしたいんだよね。ボクたち」
「…………ん?」
「アヤが拉致されたときの保険を貰おうと思って足を運んでみたけど、ちょうどいいや」
なにがちょうどいいのか。理解できずに無言で見つめ続けるオーラル。その目の隈を不憫に思ったのか、ロイは「部屋でくつろげないにしても、こんな場所じゃなくて、せめて立ち入り禁止の会場で寝なよ」と優しい言葉を付け加えてくる。
そのまま「じゃあね」と笑顔で去っていったロイの背中が、オーラルの瞳に焼き付いて、閉じた目蓋の残像に変わる頃。
オーラルは青ざめた顔で船のなかを走っていた。
「や、やられた!!」
どうしてもっと早く気付かなかったのか。
たどり着いたファッションショーの会場は、見るも無残な有り様。散らばった布の切れ端を回収するだけで数時間は要するだろう。
そして、絶望を上乗せするように思い出されるあの台詞。
「まさか、まさか、まさか……ッ」
その場所をみて、オーラルが膝から崩れ落ちたのも無理はない。
『あなた、今、スヲンに撒かれたところで忙し……』
「ヨンヒ、あの子たちにやられた」
『……え、なに。オーラル、まさか泣いてるの?』
「俺はそっちに行けそうにない」
『どいういこと!?』
「メインドレスが……俺の渾身の作品が……」
『…………おぅ』
何かの慰めの言葉をくれたような気はする。それでも現実を受け止めきれない感情が、無意識で電話をかけていた妻の声すら受け入れない。
「ちょっと、痛い。いい加減、離しなさいよ!!」
「……ソニア?」
どれほどの時間がたったのか。
太陽はまだ海面を照らしているから、たぶんそう長い時間ではないだろう。個性溢れるドレスを着て、緑の口紅を愛用する娘なんて一人しか知らない。
そのソニアが屈強な男たちの群れに押し込まれて部屋に入ってきたと思ったら、なぜかガチャリとイヤな音がして、文字通り閉じ込められたのだと知る。
「くそっ、あの悪魔。こっちのSPまで買収するとかありえな…い…あ、パパ」
「やあ、ソニア」
あっけらかんとした娘に、ことの成り行きを聞いて、オーラルが合点をつけたのは言うまでもない。
こうなれば、連帯責任としてソニアにも手伝わせようと現状を説明し、そして冒頭に戻る。
つまり、二人は各々の罪による罰として、今夜のパーティーの参加権を剥奪されたのだった。
「ヨンヒはどこまで飛ばされたのだろうか」
「さあ、って言うか。パパ、サボらないでよ」
「もう疲れた。少し寝るよ」
ロイもそう言っていたしと、オーラルは布切れがひしめく床に寝転がって天井を眺める。
「…………は?」
あまりに驚きすぎて、目がさえるとはこのことか。シャンデリアの間にぶら下がるのは、未発表のドレスを着た首のないトルソー。
思わず笑えてきたオーラルの声に、ぎょっとしたソニアが駆け寄ったが、父の眺めるその先に視線を移して理解する。
「もー。まじ、どうすんのよ、あれ」
二人して寝転ぶしかない。小間切れの布に騙されて、何時間作業していたのか。とっくに日は暮れて、パーティーに乗り込む余力すら残っていない。父娘は「してやられた」と言わんばかりに顔を見合わせて、それから揃って同じ笑顔を浮かべた。
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楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18G】姦淫病棟(パンドラシリーズ掲載作品)
皐月うしこ
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