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第四章 埋まりゆく外堀
第五十二話 職場での顔
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火曜日。遅刻せずに昨日と同じ出社時間を守れた自分を褒めてあげたい。が、しかし。ひとつ難癖をつけることが許されるなら、思い浮かんだ人物に顔を歪めるしかないとアヤは息を吐く。
「……スヲンの嘘つき」
寝て起きたら元に戻ると言ったくせに、寝て起きてもクリトリスは割れ目に戻ってくれていなかった。ショーツの布に擦れて、時々じんじんとした痛みが走るうえに、神経がそこばかりに向いて仕事にならない。
会えたら文句を言おうにもスヲンは起きた時にはすでにホテルの部屋にいなかったし、ロイやランディも「スヲンに聞いて」とはぐらかすばかり、職場ではもちろん現在進行形で顔を見ていない。
「アヤちゃん何か言ったぁ?」
「……え?」
「朝からどこか上の空だし、彼氏と喧嘩でもしちゃった?」
「ううん、喧嘩はしてない」
「そっか、ま。誰だってそんな気分なときあるよねぇ」
今は、一人勝手に納得したらしい萌由と食堂でランチをしている。
白いふりふりのシフォンワンピースが爆乳を強調しているが、萌由は特大ステーキをその前に置いて大口で肉をがっついてるのだから衝撃である。
語尾を伸ばす可愛い口調で語りかけてくれるなか、アヤはその胸と口がせわしなく動くのを見つめることで現実に意識を取り戻していた。
「萌由ちゃんはお肉好きなの?」
「萌由はお肉大好きだよぉ」
「昨日はチャーシューだったし、今日はステーキ食べてるから、そうなのかなって」
「うんうん。ちなみにぃ、昨日の夜は焼肉食べ放題」
「……すごい」
目がどうしても揺れる爆乳に集中してしまうのは許してほしい。
女同士とはいえ、真夏に可愛い女子の巨乳が目の前で揺れるとどうしても魅入ってしまう。触ったら柔らかそうだし、心なしか、男性職員の視線もそこに集中しているような気がする。
「肉かぁ」
萌由のように肉の消費量をあげれば胸がもう少し育つかもしれないと、アヤは人知れず自分の胸を見下ろしていた。
「うーん」
ロイもスヲンもランディも大きさで文句を言ったことはない。
揉まれれば育つと思いたいが、二十七歳にもなると育ちざかりは過ぎたのか、彼らと付き合う前と今で胸の大きさは何も変わらない。むしろ今後を考えれば垂れないほうを意識するべきか。その点で言えば、巨乳じゃない方がありがたいのかもしれない。
とはいえ、やはり比べてしまうものは比べてしまう。
「大きい方がいいよね……色々、うん……おっぱい大きくするのには、やっぱりお肉を食べるべき?」
「アヤちゃん、さっきから全部口に出てるよ」
「ふぇッ!?」
まさか全部口に出ていたとは。
アヤは食べようとしていたパスタを置いて萌由の指摘に喉をならした。
「ご…っ…ごめん、ね?」
「いいよいいよー。見られて減るもんでもないし、萌由のおっぱい目立つしね」
「彼氏喜ぶんじゃない?」
「どうだろ。実際触ってもらったことないからわからないけどぉ」
「え!?」
パスタを食べるのが遅いのは、連続した驚きのせいだと告げたい。いまここにロイがいれば、驚いたその口にパスタが放り込まれるところだが、ここは社内食堂。パスタが自動で口に運ばれることはない。
「彼氏、萌由ちゃんの触らないの?」
「毎晩抱きしめて寝てるから感触は伝わってると思うんだよね」
「………私だったら触りたい」
「あははは、アヤちゃんってば意外とエッチ。好きなだけ揉んでいいよ」
「うっ……彼氏に悪いから遠慮しときます」
ようやく一口。パスタがアヤの口の中に消える。
もぐもぐと咀嚼してみても、肉の重圧が目の前で匂いもろとも存在感を放ってくるのだから、味はいまひとつ口の中に残ってくれなかった。
「アヤちゃんは感度良さそうだもんね」
「えっ、感度?」
ごくんと飲み込んだ味気のないパスタをアイスティーで流しながらアヤは萌由の言葉に首をかしげてみる。そしてそのまま視線を自分の胸に落とした。
まあ、たしかに。
時と場合によっては乳首だけでイケる身体であることは認めないこともない。開発してきた三人の顔がまた浮かんで、ついでに興奮状態の下半身が疼いたが、現在は同僚とのランチタイム中。それを口に出して告知するわけにはいかないので、アヤはアイスティーに刺さったストローを指先で回すことで誤魔化した。
「アヤちゃんは彼氏に愛されてる感、めっちゃする」
「~~~っ、なにそれ、変なの」
「ほら、そういう顔。社内男子の視線が痛い痛い」
それは萌由の胸を見ているんだよと言いたくて言えない。セクハラは辞めておこうと、分別を再度口に運んだパスタと一緒に咀嚼して飲み込む。
「そういえばさ、アヤちゃんは彼氏と長いの?」
「んー、研修時からの付き合いだからまだほんの二ヶ月くらい」
「は?」
「え?」
「出会ってすぐの関係で、そんな愛妻みたいな雰囲気出てるとかヤバくない?」
「あ、愛妻?」
「うちの会社結構スペック高い男多いけど、アヤちゃん見向きもしないし、そもそも眼中にないでしょ。エロ可愛いのに、そういう方面に媚び売らないから仲良くしたいなぁって思って声かけたんだけどさ。まさか二ヶ月とは、衝撃過ぎたぁ」
「エロ、かわいい?」
初めて言われる表現に脳が混乱している。
「エロい」も「可愛い」も自分の人生の正反対にある言葉だと思っていただけに、萌由の賛辞が素直に入ってこなかった。それでも嘘ではないのだろうと心のどこかが反応する。
三人が日々仕込んでくる「エロい」と、毎日毎晩嫌というほど浴びせられる「可愛い」が自分でも気づかないうちに定着し、そのジャンルの仲間入りを果たしてしまったのではないだろうか。
私「なんか」と思っていた頃が嘘みたいに、自分のことを「愛しい」と思ってくれている存在が心強い。
「エロ可愛いなんて初めて言われた」
思わず口にして「ふふ」と笑ってしまった。
「私がエロ可愛いなら、萌由ちゃんもエロ可愛いだね」
「……いや、まじ。それ天然ならヤバいわ」
「え?」
「ううん、アヤちゃんの彼氏は苦労しそうだなぁって……あ、ちょっと昼休みの時間終わるじゃん。アヤちゃん、早くパスタ食べてぇ」
「あ、う、うん」
それ以上は何も言わせてもらえないどころか、ロイ達からもらった腕時計が差す時刻を見てアヤも焦る。たしかに萌由の言う通り、昼休憩に許された時間内に食事を終えるなら急いでパスタに専念するしかなさそうだった。
「あー、帰ってきた帰ってきた」
「相園さん、すみません。時間ギリギリになっちゃいました」
「ん、何言ってんの。休憩なんて一分一秒まで無駄にせず使い切ってなんぼでしょ」
デスクでお弁当を食べるために一人残っていたカツラの態度と言葉が真逆を描いている。手招きで帰ってきたことを喜ぶ仕草は「さっさと手伝え」と言っているのに、休憩は存分に堪能しろと告げてくるのだから無理もない。
一体、どちらが本心なのか今の状況ではわかりにくい。
「よし、昼休憩終わったから早速本題に入るわよ。上層部から事務も人員回してほしいって要請があって、あたしが行こうと思ったんだけど何故か今日に限って急ぎで翻訳の業務受けたところでさ、二人が帰ってくるの待ってたってわけ」
「なにかトラブルでもあったのぉ?」
「今週末に開かれるパーティーの最終調整ってとこじゃないかしら。あとは会場への機材搬入、それからセッティング含めて諸々手伝ってほしいんだって。まだ全部は読めてないけど、これが集合場所が書かれた用紙。行けば、まあそれなりに業務圧迫すると思う」
「えー、そんなの事務の仕事じゃなくない?」
「色んな部署から少しずつ手を借りてるそうよ。急ぎの案件抱えてないのがちょうどあたしたちの島ってのもあって、あたしたち三人のうち、誰か一人行けば大丈夫。らしい」
「えー、萌由、肉体労働めっちゃ苦手なのにぃ。ネイルもせっかく塗り直したところだったし。そんなの業者に頼もうよぉ」
「まだ組織体制変わったばかりだし低予算で回ってるの知ってるでしょ」
「それなら私、行きます」
誰か一人でいいなら自分が行った方が話は早い。そう思って挙手しただけなのに、なぜか心配そうな顔で二人に見つめられる。
「アヤちゃん、荷物運びとか出来るの?」
「骨、折れたりしない?」
「アヤちゃん行かせたら怒られそうだし、萌由頑張るよ」
「いやいや、二人とも。私のどこをどうみたらそんなか弱い女子に見えるんですか。どちらかというと力仕事を任されてきたほうなんで、結構得意だから大丈夫」
安心させるように笑顔で両手を拳に変えて目の前で構えてみる。
ますます心配そうな顔をされたが、アヤは決定事項とばかりにカツラから集合場所を示された用紙を受け取って事務所をあとにした。
「………んー?」
場違い感が否めない。
数えて三十人ほど。会議室に集合しているのは各部署から集まった男性ばかり。女性も中にはチラホラ見かけはするものの、作業着だったり、いかにも出来る風の人しかいない。
フレアのロングスカートにカットソーのアヤは、明らかに浮いていた。
「せめて髪だけでもまとめとくか」
力仕事をするのであれば、髪はすっきりさせておくに限る。ヒールは幸いにもロータイプだったので動き回るには問題ない。カツラから集合場所の用紙と一緒にもらった髪ゴムが役に立つと、アヤは気合を入れるように息をいれる。
周囲の視線が痛いが、仕事であれば仕方がないとアヤは気付かないふりをしてやり過ごすことにした。
「……あ」
教室のように前方に並んだ机と椅子。そのひとつに腰かけて説明会を待っていたアヤの目の前に現れたのは見慣れた黒髪の美青年。
集まった人たちに指示を出すという統括役がまさかのスヲンだった。
同じ会社で働きながら一緒に仕事をしたことはない。思わずじっと見つめてしまったが、スヲンは気付かないのか、こちらには見向きもしない。
それもそうかと、横から回ってきた資料を一部手に取ってアヤはそこに意識を集中させた。
「日本支社再建の記念祝賀会のセッティング、参加は招待客3797人……すご…え、場所が、あ、私たちの泊ってるホテル……立食パーティーなんだ、楽しそう」
会社の上層部に加え、取引や付き合いのある大手企業や資産家が参加するらしい。紙には当日の開催に必要な準備物や配置場所が示されている。今からこれを手分けして事前準備し、前日、つまり明後日には会場に搬入する段取りが追記されている。
「えっと、業者が会場で用意してくれるのは料理と立食のセッティングだけか。スケジュールは17時から受付開始の18時半スタート。会社の沿革、役員紹介、社長の挨拶、今後のビジョン、協賛紹介、ゲスト出演、21時終了で見送り時に手土産……当日スタッフのインカムと壇上マイクや司会マイク、プロジェクターの映像や音響の確認、出席者の名札、受付表、手土産の準備……大きなものはなさそうだけど、会場は広いし、参加者も多いから適度に分けて配置しているほうがよさそう」
ぶつぶつと紙を見つめながら一人呟いていると、ゴホンと咳払いが聞こえたので顔をあげる。ちょうどスヲンが全員に紙が行き渡ったことを確認して口を開くところだった。
「では全員に概要が行き渡ったので説明を始めます。以前から協力いただいている方もいるかと思いますが改めて、自己紹介を。本日より三日間、特別業務に関わる指揮について。わたくしキム・スヲンに一任されています。記念祝賀会に関する質疑応答は直接確認してください。まずは各自役割についてですが」
「……ん?」
スヲンが流暢に説明を始めているのを聞き流すつもりはなかったのに、アヤは引っかかった発言を頭の中で数回繰り返す。
ところが、その解決に至る前に周囲がざわざわと動きだしてアヤの煩悩は振り払われた。どうやらスヲンの簡潔な説明はあっという間に終わったらしく、すでにそれぞれの持ち場につこうと空気が流れている。
「え、えっと…私、何したら」
どうしよう。確実に聞き逃していた。
困った顔のままキョロキョロと周囲の動向を探っていたが、顔見知りは誰もいない。持ち場に行こうと席を立つ人に声をかけるのも難しく、アヤは最後に取り残されたその場所で案の定、スヲンの視線を浴びて肩をすくませた。
「……スヲンの嘘つき」
寝て起きたら元に戻ると言ったくせに、寝て起きてもクリトリスは割れ目に戻ってくれていなかった。ショーツの布に擦れて、時々じんじんとした痛みが走るうえに、神経がそこばかりに向いて仕事にならない。
会えたら文句を言おうにもスヲンは起きた時にはすでにホテルの部屋にいなかったし、ロイやランディも「スヲンに聞いて」とはぐらかすばかり、職場ではもちろん現在進行形で顔を見ていない。
「アヤちゃん何か言ったぁ?」
「……え?」
「朝からどこか上の空だし、彼氏と喧嘩でもしちゃった?」
「ううん、喧嘩はしてない」
「そっか、ま。誰だってそんな気分なときあるよねぇ」
今は、一人勝手に納得したらしい萌由と食堂でランチをしている。
白いふりふりのシフォンワンピースが爆乳を強調しているが、萌由は特大ステーキをその前に置いて大口で肉をがっついてるのだから衝撃である。
語尾を伸ばす可愛い口調で語りかけてくれるなか、アヤはその胸と口がせわしなく動くのを見つめることで現実に意識を取り戻していた。
「萌由ちゃんはお肉好きなの?」
「萌由はお肉大好きだよぉ」
「昨日はチャーシューだったし、今日はステーキ食べてるから、そうなのかなって」
「うんうん。ちなみにぃ、昨日の夜は焼肉食べ放題」
「……すごい」
目がどうしても揺れる爆乳に集中してしまうのは許してほしい。
女同士とはいえ、真夏に可愛い女子の巨乳が目の前で揺れるとどうしても魅入ってしまう。触ったら柔らかそうだし、心なしか、男性職員の視線もそこに集中しているような気がする。
「肉かぁ」
萌由のように肉の消費量をあげれば胸がもう少し育つかもしれないと、アヤは人知れず自分の胸を見下ろしていた。
「うーん」
ロイもスヲンもランディも大きさで文句を言ったことはない。
揉まれれば育つと思いたいが、二十七歳にもなると育ちざかりは過ぎたのか、彼らと付き合う前と今で胸の大きさは何も変わらない。むしろ今後を考えれば垂れないほうを意識するべきか。その点で言えば、巨乳じゃない方がありがたいのかもしれない。
とはいえ、やはり比べてしまうものは比べてしまう。
「大きい方がいいよね……色々、うん……おっぱい大きくするのには、やっぱりお肉を食べるべき?」
「アヤちゃん、さっきから全部口に出てるよ」
「ふぇッ!?」
まさか全部口に出ていたとは。
アヤは食べようとしていたパスタを置いて萌由の指摘に喉をならした。
「ご…っ…ごめん、ね?」
「いいよいいよー。見られて減るもんでもないし、萌由のおっぱい目立つしね」
「彼氏喜ぶんじゃない?」
「どうだろ。実際触ってもらったことないからわからないけどぉ」
「え!?」
パスタを食べるのが遅いのは、連続した驚きのせいだと告げたい。いまここにロイがいれば、驚いたその口にパスタが放り込まれるところだが、ここは社内食堂。パスタが自動で口に運ばれることはない。
「彼氏、萌由ちゃんの触らないの?」
「毎晩抱きしめて寝てるから感触は伝わってると思うんだよね」
「………私だったら触りたい」
「あははは、アヤちゃんってば意外とエッチ。好きなだけ揉んでいいよ」
「うっ……彼氏に悪いから遠慮しときます」
ようやく一口。パスタがアヤの口の中に消える。
もぐもぐと咀嚼してみても、肉の重圧が目の前で匂いもろとも存在感を放ってくるのだから、味はいまひとつ口の中に残ってくれなかった。
「アヤちゃんは感度良さそうだもんね」
「えっ、感度?」
ごくんと飲み込んだ味気のないパスタをアイスティーで流しながらアヤは萌由の言葉に首をかしげてみる。そしてそのまま視線を自分の胸に落とした。
まあ、たしかに。
時と場合によっては乳首だけでイケる身体であることは認めないこともない。開発してきた三人の顔がまた浮かんで、ついでに興奮状態の下半身が疼いたが、現在は同僚とのランチタイム中。それを口に出して告知するわけにはいかないので、アヤはアイスティーに刺さったストローを指先で回すことで誤魔化した。
「アヤちゃんは彼氏に愛されてる感、めっちゃする」
「~~~っ、なにそれ、変なの」
「ほら、そういう顔。社内男子の視線が痛い痛い」
それは萌由の胸を見ているんだよと言いたくて言えない。セクハラは辞めておこうと、分別を再度口に運んだパスタと一緒に咀嚼して飲み込む。
「そういえばさ、アヤちゃんは彼氏と長いの?」
「んー、研修時からの付き合いだからまだほんの二ヶ月くらい」
「は?」
「え?」
「出会ってすぐの関係で、そんな愛妻みたいな雰囲気出てるとかヤバくない?」
「あ、愛妻?」
「うちの会社結構スペック高い男多いけど、アヤちゃん見向きもしないし、そもそも眼中にないでしょ。エロ可愛いのに、そういう方面に媚び売らないから仲良くしたいなぁって思って声かけたんだけどさ。まさか二ヶ月とは、衝撃過ぎたぁ」
「エロ、かわいい?」
初めて言われる表現に脳が混乱している。
「エロい」も「可愛い」も自分の人生の正反対にある言葉だと思っていただけに、萌由の賛辞が素直に入ってこなかった。それでも嘘ではないのだろうと心のどこかが反応する。
三人が日々仕込んでくる「エロい」と、毎日毎晩嫌というほど浴びせられる「可愛い」が自分でも気づかないうちに定着し、そのジャンルの仲間入りを果たしてしまったのではないだろうか。
私「なんか」と思っていた頃が嘘みたいに、自分のことを「愛しい」と思ってくれている存在が心強い。
「エロ可愛いなんて初めて言われた」
思わず口にして「ふふ」と笑ってしまった。
「私がエロ可愛いなら、萌由ちゃんもエロ可愛いだね」
「……いや、まじ。それ天然ならヤバいわ」
「え?」
「ううん、アヤちゃんの彼氏は苦労しそうだなぁって……あ、ちょっと昼休みの時間終わるじゃん。アヤちゃん、早くパスタ食べてぇ」
「あ、う、うん」
それ以上は何も言わせてもらえないどころか、ロイ達からもらった腕時計が差す時刻を見てアヤも焦る。たしかに萌由の言う通り、昼休憩に許された時間内に食事を終えるなら急いでパスタに専念するしかなさそうだった。
「あー、帰ってきた帰ってきた」
「相園さん、すみません。時間ギリギリになっちゃいました」
「ん、何言ってんの。休憩なんて一分一秒まで無駄にせず使い切ってなんぼでしょ」
デスクでお弁当を食べるために一人残っていたカツラの態度と言葉が真逆を描いている。手招きで帰ってきたことを喜ぶ仕草は「さっさと手伝え」と言っているのに、休憩は存分に堪能しろと告げてくるのだから無理もない。
一体、どちらが本心なのか今の状況ではわかりにくい。
「よし、昼休憩終わったから早速本題に入るわよ。上層部から事務も人員回してほしいって要請があって、あたしが行こうと思ったんだけど何故か今日に限って急ぎで翻訳の業務受けたところでさ、二人が帰ってくるの待ってたってわけ」
「なにかトラブルでもあったのぉ?」
「今週末に開かれるパーティーの最終調整ってとこじゃないかしら。あとは会場への機材搬入、それからセッティング含めて諸々手伝ってほしいんだって。まだ全部は読めてないけど、これが集合場所が書かれた用紙。行けば、まあそれなりに業務圧迫すると思う」
「えー、そんなの事務の仕事じゃなくない?」
「色んな部署から少しずつ手を借りてるそうよ。急ぎの案件抱えてないのがちょうどあたしたちの島ってのもあって、あたしたち三人のうち、誰か一人行けば大丈夫。らしい」
「えー、萌由、肉体労働めっちゃ苦手なのにぃ。ネイルもせっかく塗り直したところだったし。そんなの業者に頼もうよぉ」
「まだ組織体制変わったばかりだし低予算で回ってるの知ってるでしょ」
「それなら私、行きます」
誰か一人でいいなら自分が行った方が話は早い。そう思って挙手しただけなのに、なぜか心配そうな顔で二人に見つめられる。
「アヤちゃん、荷物運びとか出来るの?」
「骨、折れたりしない?」
「アヤちゃん行かせたら怒られそうだし、萌由頑張るよ」
「いやいや、二人とも。私のどこをどうみたらそんなか弱い女子に見えるんですか。どちらかというと力仕事を任されてきたほうなんで、結構得意だから大丈夫」
安心させるように笑顔で両手を拳に変えて目の前で構えてみる。
ますます心配そうな顔をされたが、アヤは決定事項とばかりにカツラから集合場所を示された用紙を受け取って事務所をあとにした。
「………んー?」
場違い感が否めない。
数えて三十人ほど。会議室に集合しているのは各部署から集まった男性ばかり。女性も中にはチラホラ見かけはするものの、作業着だったり、いかにも出来る風の人しかいない。
フレアのロングスカートにカットソーのアヤは、明らかに浮いていた。
「せめて髪だけでもまとめとくか」
力仕事をするのであれば、髪はすっきりさせておくに限る。ヒールは幸いにもロータイプだったので動き回るには問題ない。カツラから集合場所の用紙と一緒にもらった髪ゴムが役に立つと、アヤは気合を入れるように息をいれる。
周囲の視線が痛いが、仕事であれば仕方がないとアヤは気付かないふりをしてやり過ごすことにした。
「……あ」
教室のように前方に並んだ机と椅子。そのひとつに腰かけて説明会を待っていたアヤの目の前に現れたのは見慣れた黒髪の美青年。
集まった人たちに指示を出すという統括役がまさかのスヲンだった。
同じ会社で働きながら一緒に仕事をしたことはない。思わずじっと見つめてしまったが、スヲンは気付かないのか、こちらには見向きもしない。
それもそうかと、横から回ってきた資料を一部手に取ってアヤはそこに意識を集中させた。
「日本支社再建の記念祝賀会のセッティング、参加は招待客3797人……すご…え、場所が、あ、私たちの泊ってるホテル……立食パーティーなんだ、楽しそう」
会社の上層部に加え、取引や付き合いのある大手企業や資産家が参加するらしい。紙には当日の開催に必要な準備物や配置場所が示されている。今からこれを手分けして事前準備し、前日、つまり明後日には会場に搬入する段取りが追記されている。
「えっと、業者が会場で用意してくれるのは料理と立食のセッティングだけか。スケジュールは17時から受付開始の18時半スタート。会社の沿革、役員紹介、社長の挨拶、今後のビジョン、協賛紹介、ゲスト出演、21時終了で見送り時に手土産……当日スタッフのインカムと壇上マイクや司会マイク、プロジェクターの映像や音響の確認、出席者の名札、受付表、手土産の準備……大きなものはなさそうだけど、会場は広いし、参加者も多いから適度に分けて配置しているほうがよさそう」
ぶつぶつと紙を見つめながら一人呟いていると、ゴホンと咳払いが聞こえたので顔をあげる。ちょうどスヲンが全員に紙が行き渡ったことを確認して口を開くところだった。
「では全員に概要が行き渡ったので説明を始めます。以前から協力いただいている方もいるかと思いますが改めて、自己紹介を。本日より三日間、特別業務に関わる指揮について。わたくしキム・スヲンに一任されています。記念祝賀会に関する質疑応答は直接確認してください。まずは各自役割についてですが」
「……ん?」
スヲンが流暢に説明を始めているのを聞き流すつもりはなかったのに、アヤは引っかかった発言を頭の中で数回繰り返す。
ところが、その解決に至る前に周囲がざわざわと動きだしてアヤの煩悩は振り払われた。どうやらスヲンの簡潔な説明はあっという間に終わったらしく、すでにそれぞれの持ち場につこうと空気が流れている。
「え、えっと…私、何したら」
どうしよう。確実に聞き逃していた。
困った顔のままキョロキョロと周囲の動向を探っていたが、顔見知りは誰もいない。持ち場に行こうと席を立つ人に声をかけるのも難しく、アヤは最後に取り残されたその場所で案の定、スヲンの視線を浴びて肩をすくませた。
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