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第二章 共通の知人

第十五話 セイラ・テイラー

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赤いボブに赤い唇。眉毛と唇と耳にピアス。奇抜なファッションと濃いメイク。
職場のファッションが自由とはいえ、ここまで個性を主張する人間はそう多くない。システム部は変わり者が多いというが、その中でも特に異質で、特に優秀なのがセイラ・テイラーという人物だった。


「なに?」


無言で書類を差し出してくるランディを睨むのもセイラくらいだろう。
それはセイラも自覚している。もともと、短気で目つきが悪い。周囲と馴染めず、孤立してきた人生。それでも一応上司であるランディには何かと助けられてきたので、口は悪くも無下にしない。ただ、その巨体で見下ろされるとイラっとする。


「何か喋れば?」


奪い取るように書類を受け取って、セイラは目を通した。


「冗談でしょ?」


紙とランディを交互に見つめるセイラの瞳は、言葉そのままの色をにじませていた。


「決定だ」

「待ってよ。あたしにだって拒否する権利くらいあるわ。言ったわよね。あたしはシステム開発だけするって、他のことは一切しないって」

「適任だと判断された」

「プロ意識も何もないヒヨコのおもりをするくらいなら配線工事してた方がマシ」


もう話は終わりだとばかりに、ランディは自分の椅子に座ってパソコンをいじりはじめる。大きな身体のくせして静かで器用。物静かなその態度が、余計にセイラの心をイラつかせた。


「日本人の研修担当なら他をあたって。そんなことに時間なんて割いていられない」

「たった一か月だ」

「一か月って何時間あると思ってるの。だれがこんな人選したの」

「お前が作ったシステム」

「……ああ、そう。そういえば入社試験でそんなものを作った記憶があるわ」

「もう来てるらしい」

「なにが?」

「研修生」


そう言ってランディが指さすのはセイラが握りしめたままの書類。
斎藤アヤ、年齢は27歳。会社が用意したレディースマンションに期間中は滞在するらしい。なぜかあるべきはずの写真が添付されていないのはミスか、故意か。配属部署は事務兼庶務。実務を教えるのはデイビットだが、メンタルサポート役にはセイラの名前が記されている。


「自分で自分の作ったシステムを悪く言いたくないけど、この人選は絶対間違ってる」


セイラは怒りを隠すことなく廊下を歩いていた。
向かう先はブレイクタイムで利用される開けた場所。ずんずん怒り任せに歩いていたセイラは、たどりついたその場所で一人の少女が立っていることに気が付いた。
こっちをみるなりペコリと慌ててお辞儀をしている。


「……」

「……」


ピタッと足を止めたセイラは、一瞬「誰かの娘?」と言いかけてやめた。
自己表現の花園とも称される事務フロアで、フローラルバード以外の女が働いているイメージがないせいもある。一言、場違い。以上。


「ねぇ。もしかして、あんたがアヤ?」

「は…っ、はい。アヤ・サイトウです。よろしくお願いします」

「…はぁ…まじか…あたしの勘は冴えてるけど、上司はまじで変えてほしい」

「え?」

「あたしはセイラ。あんたのメンター」

「メンター?」

「会社でわからないことがあったらあたしがサポートするってわけ。実務じゃなくて、会社のこととか、生活のこととか、なんか悩みとかそういうの」


説明は終了とばかりに、セイラは立ち去ろうとする。
そのとき、グイっとTシャツの裾が引っ張られて、セイラは苛立ちを隠すことなく振り返った。


「なに?」

「あ、ごっ、ごめんなさい。も、もう一回、お願いできますか?」


見れば、アヤはメモと筆記用具を持って「もう一度」とジェスチャーで伝えてくる。
片言の英語。泣きそうなのに、泣かない。よくよく観察してみれば、そのメモには日本語らしき字体で色んなことが書かれている。


「あんたまさか、喋れないとかじゃないわよね?」

「しゃっ、喋れます」

「じゃあ、なに。英語が出来ないの?」

「えっと…その…少しは大丈夫です。ゆっくり、喋ってもらえれば」


本当は「冗談でしょ。ゆっくりって、ただでさえ早口だって言われてるのに」と、まくしたてたかった。けれど、そういう言葉が出てこなかったのは、アヤの態度にあったのかもしれない。


「セイラ、さん。よろしくお願いします」


また頭を下げられる。
自分よりも少し低い目線。真面目そうな恰好。白いシャツにタイトスカート。ストッキングに少しだけヒールのある黒い靴。綺麗な黒い瞳とひとつに束ねた落ち着いた髪。簡単にメイクをしているみたいだが、ここにはいない人種。
出来ない人間は、ハッキリ言って嫌い。迷惑以外の何物でもない。
ただ、一生懸命に環境に適応しようと努力するやつはキライじゃない。


「いいわよ」

「……え?」

「年下なんだから、そんなに丁寧に喋らなくてもいいって言ったの」

「セイラさん、年下なんですか!?」

「五つほどね。とりあえず、座らない?」


アゴで促して椅子に音をたてて座って足を組むと、アヤは素直についてきて静かに座った。
間にあるテーブルに身体を寄せて、メモを開くと、真剣な眼差しでじっと見つめてくる。


「日本人は真面目って聞いてたけど、それよりも、なんだろう。アヤはなんか危なっかしい」

「危ない?」

「この辺りは治安がいいから自分で大丈夫だと思っても、あまり一人で出歩かないことをおすすめするわ」

「……一人で、出歩かない」

「そこはメモいらないでしょう。っていうか、あたしの話にメモなんか取る必要ないから」

「……ぁっ……」

「アヤは飲む?」

「……え?」

「コーヒー」


それが最初の出会い。
定期的に声をかけて、必要なら一緒に食事をしたりしてお互いの親密度をあげていく。アヤにとって英語の会話力が上達したのはデイビットの影響もあるが、それ以上にセイラのおかげともいえる。知人も友人もいないアメリカでの生活がそこまで不安にならなかったのも、セイラが何かと世話をやいてくれたからだった。


「……セイラさん、いますか?」


システム開発部に足を運ぶのは、いつも少しだけ緊張する。
ロイたちの住むマンションに引っ越しを終えた翌月曜日。職場のエレベーターでハリソンを見かけたが、セイラの姿は見当たらない。そこで会えるのが一番よかったのだがブレイクタイムも終わり、アヤはランディに言われた通りにシステム部のフロアを訪れていた。


「うぅ……今日が納期じゃありませんように」


納期前のシステム部は蜂の巣に挑むくらいの気合いがいる。今日はどうかそういう日じゃないことを祈るしかない。
出来る限りセイラを待っていたが、自分から会いに行かない限り永遠に会えない気がして、アヤはここまで足を運んできた。


「噂のアヤか、可愛いね。こんなところまで何しに来たの?」


これは、まったく見知らぬ人。
噂とは何の噂かと冷や汗が背中を伝う。ハリソンの目の前で告白した三人のうち、一人はこの部署にいる。ただ、あの日以来、社内の様子が目立って変わらないところをみると、ハリソンは意外と口が固いのかもしれないとも思っていた。
噂が立つのも嫌だが、静かすぎるのもなんだか不気味で、結局は周囲に状況をゆだねている部分が自分にもあるのだろうなとアヤは人知れずため息を吐き出す。


「おいおい、怖がらせるなよ。アヤ、誰か探してる?」

「怖がらせてねぇって、ってか、本当。実物はまじで若く見えるな」

「セイラが聞いたら蹴りが飛んでくるぞ」

「とか言って、お前もアヤと喋りに来たくせに」


ランディと目があったが、気付かないフリをしてみた。
珍しいものでも見にくるようなノリで野次馬が集まり始めている。ここは早く目的を達成して、去った方が無難だろう。


「あの…っ…セイラさん。いますか?」


同じ質問を繰り返してみる。
海外の人たちはやたらと大きい。見上げてみても巨大な壁にしか思えず、その隙間から部屋をのぞこうにも、赤いボブの女性を見つけることは出来なさそうだった。


「あんたら邪魔。一体、そこで何して…ッ…アヤ?」

「セイラ」


ホッとして駆け寄っていく。
てっきり会いに来たことを喜んでくれると思ったのに、セイラは全身で「迷惑」だという雰囲気を放っていた。


「何しに来たの?」

「え…あ、あの。最近会えなかったから」

「別に会えないからって問題ないでしょ。あんたの彼氏じゃあるまいし、毎日会う関係でもないし」

「あ…ごめんなさい。元気かなって、ちょっと心配で」

「見りゃわかるでしょ。元気よ。ほら、これで満足?」


セイラはそういうが、確実に元気そうではない。
いくら口や態度が悪くても、いつも明朗快活で最後には笑い話に変えてしまえるのに、今日はそうは思えない。それに不自然な目の下のクマが見えるし、少し痩せた。
納期前はイラついた態度をとることもあるセイラだが、なんというかランディの言う「覇気がない」という表現がよくわかる雰囲気をまとっていた。


「ううん」


呆然と首を横に振っていた。


「ねぇ、何かあった。先週から全然、セイラと喋ってないし…その…」

「何もないわよ。あんたに関係ないでしょ」

「でも」

「しつこい」


苛立つセイラの声の合間を縫って、セイラの携帯が誰かからのメッセージを告げる。
素早くそれを取り出して指でスクロールするセイラの顔は、はたから見ても普通じゃないような気がした。


「セイラ…っ…やっぱり、ちょっと」

「はぁ。アヤが頑固なの忘れてた。そんなに知りたければ教えてあげてもいいけど、こんな場所だと、あれね…んー…ちょうどいいわ。今夜はどう?」

「え?」

「予定があるの?」


あのとき思わず「ない」と即答してしまった自分を反省したい。
今夜はロイたちと昨晩の続きが出来るのを心のどこかで期待していた自分の淫乱具合もあるけれど、そうではない。
なぜ、またこの店に来る羽目になったのか。今はそれが知りたい。


「アヤ、こっち」


店の名前は「アッパーリード」
腕のどこかに特殊インクで施された変な虫のスタンプを押されて入るクラブ。
先週足を踏み入れたときは入口付近で楽しんでいただけのセイラが、今夜は構わず奥へと入っていく。あの日から毎日遊びに来ていたのだろうか。家にも帰らず、閉店後もずっと?
薄暗い店内は奥に進むにつれて重低音の曲が和らいでいき、妙に静かな空間が広がっていく。階段を上っているのにまるで深海に沈んでいくみたいに青紫のネオンが視界を包む。


「セイラ、どこまで行くの?」


疑問符を浮かべたまま、アヤはセイラに置いて行かれないために必死でついていく。
今日は、ちゃんとロイたちに報告済みだ。ランディもあの場にいたから成り行きは知っている。当然「お前ってやつは」という顔をされたが、あいにく、お世話になった相手の心配をしないほど人間は捨てていない。


「アヤ、紹介するわ」


静かな廊下を進んだ一番奥。真っ黒の革シートのソファーと金箔だろうものが細かに練り込まれた黒い壁。一目でVIPルームと呼ばれる部屋だということはわかった。視界の端で露出度の高い服を着た男女が密接に絡み合っている。
状況は理解できた。
理解できないのは、なぜセイラがこの場所に入り浸っているのか。


「あたしの彼氏、エドガー」


ランディと同じくらいの体躯をした男性。座っているが、立てばそれくらい背が高いだろう。ムダのない筋肉も鍛えているのか、強そうに見える。
上半身が裸だからよく見えるが、首から左胸にかけて植物と右の脇腹に聖女のタトゥー。アゴヒゲをはやし、ごつめの指輪が数個ついた左手にタバコのような何かを持って、右手でセイラの腰を引き寄せている。


「……彼氏?」


思わず復唱してしまったのは、エドガーがバートとあまりに正反対のタイプだったから。


「ほら、そういう顔すると思った」

「セイラ、待って。彼氏ってどういうこと?」

「そのまんまの意味よ。あの日から付き合ってるの」


エドガーをまじまじと見つめる。セイラが好むようなタイプには見えなかった。セイラは派手な見た目で勘違いされやすい。でも、決して中身が派手なわけではない。
面倒見が良くて、世話焼き。仕事も丁寧で真面目で努力家。
今のセイラはエドガーの左手から伸びてきたタバコのようなものを口に含み、その延長線上でエドガーとキスをしている。


「なに、吸ってるの?」


先ほどから部屋中に甘い匂いが充満している。
頭が痛くなりそうな甘さ。タバコのような葉巻のような、よくわからないそれから立ち上る煙が発生源なことは明白だった。


「大丈夫、心配ないわ。合法だから」

「……ドラッグ?」

「健全な範囲で楽しめるものはドラッグとは言わない。みんな普通でしょ?」

「でも…っ…」


無意識に体が後ずさる。その瞬間、エドガーの仲間らしき男に肩を抱かれて、アヤは近くにあったソファーへと強制的に座らされた。


「なに、この真面目そうな子。セイラの友達?」

「ううん。会社の後輩、あたしが心配だってついてきたの」

「心配とか可愛いじゃん。セイラ、こんな年下連れて悪い先輩だな」

「後輩だけど年下じゃないし、あたしの五歳上。日本人だから若く見えるでしょ、今研修中でこっちに滞在してるってだけ」

「へえ、全然年上に見えねぇ。お姉さん、名前は?」

「アヤ。そう呼んであげて」


同一人物が疑いたくなる。セイラの目が普通じゃない。
男たちはみんな正常に見えるのに、同じものを吸っているセイラだけが呂律も思考回路もどこか狂ったように視点が定まっていない。
こんな短時間で。
煙以外に何か原因があるとしか思えない。
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