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閑話

【独白】Sideランディ~関係を持つ前~

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【Side ランディ】

システム部は静かだ。
キーボードを叩く音が各ブースから聞こえるだけで、時折、誰かの大きな独り言が合いの手を打つ程度。舌打ち、悪態、アラーム、納期を知らせる赤い丸印が近付くほど、険悪な空気は充満していく。
内線は滅多にならない。いや、鳴るときは鳴る。


「おい、誰か出てくれ」

「お前が出ろよ。こっち、手が離せない」

「ちっ」


舌打ちと共に無愛想な態度で電話に出た部下の名前をいちいち覚えていられない。電話の対応ひとつに、目くじらを立てるなんて無駄でしかない。要件なんて伝わればそれでいい。
愛想よりも効率重視。
だからシステム部は怖いと思われている。
それがいつの間にか社内の暗黙となっているのだから、電話口の態度なんて今さらだろう。それなのに、電話をとった男の声が打って変わって優しい音に変わる。
なんだ。取引先から直接電話でも入ったのか……内線に?


「えっ、アヤ。ごめん、怖かったよね」

「なに!?」


コーヒーをひとくちのんで作業に戻ろうとしたオレの意識は、優しい声に変わった部下と、今しがた「手が離せない」と言ったくせに「俺にかわれ」と要求している部下の声に奪われる。
予想とは異なる矛盾の未来。
なにかトラブルか。
そうも思ったが、どうやら違うらしい。


「くそっ、アヤが相手だったら俺が出たかった」

「アヤ専用の内線番号作っとけよ」

「納期迫った時のアヤの声はまじで癒し」

「えーそうか。俺はああいう系無理だわ」

「いや、お前。実際会って喋ってみろよ、気の強い女としか接する機会のない俺たちにとっちゃありがたい存在なんだって」


ざわざわと声があちこちで飛び交い始める。
好き派と嫌い派に分かれて女のタイプにまで話題が飛躍しているが、今まで内線ひとつで騒然となった事例があっただろうか。いや、ないと言い切れる。
良くも悪くもアヤという名前の持ち主は、予定調和を崩す存在なことに変わりないようだ。


「セイラ、いるよ。え、忙しいといえばそうだけど、ランチの誘い。俺じゃダメ?」


今度は一斉に雑音が止む。
フロアが静かなのはいつものことだが、どういうわけかタイピングの音まで止んでいる。電話の向こうを想像して、そのやり取りの結果が気になるのか。
全員の耳が会話に集中しているのがよくわかった。


「なあ、アヤって誰だ?」


仕事の効率が下がるのは見過ごせない。
オレは目の前のデスクに座る部下に声をかける。普通は真後ろにあるガラス壁で仕切られた役職者用の個室におさまるべきなのかもしれないが、オレは迅速に対応できるよう、常に全員と同じ空気を感じていたい。
それが部下の集中力をあげているのか、さげているのか。実際のところは知らないが。
ともあれ、オレの質問を受けた部下は瞬間、顔をひきつらせてオレを見た。


「いやいやいや、ランディさん。それは冗談か何かっすか?」


身振りまで添えて苦笑される意味がよくわからない。黙って見つめていると本気だと解釈したのか、部下は「ほら、セイラの」と赤い髪が特徴の女の名前を出した。


「テイラーがどうかしたか?」

「セイラのメンターですよ。日本から来た研修生の」

「ああ、そういえば一人、来てるんだったな」

「毎日あんなにアヤのこと話してるじゃないですか」

「そうか?」

「よく気が利くだの、一生懸命で可愛いだの、真面目だけど頑固なところがあって、見ていて心配になるからシステム部に異動させてほしいって今朝も言ってましたよ?」

「……あれか」


人事はすべてスヲンが仕切っているからオレに伝えても無駄だ、と答えた今朝のやり取りが思い出される。


「あのセイラが可愛がってるってだけでも驚きなのに、アヤにあった人物はみんなファンになるって噂、知りません?」

「知らないな」


そういう噂があればロイやスヲンが目ざとく話題に出してきそうだが、そういう話は聞かない。三人一緒に暮らしているのに、アヤの噂どころか名前も聞かない。
つまりはオレたちとって重要な存在ではないということだろう。
日本の研修生は形式上面倒を見ているだけで、本来の目的が別にあることを知っている。社長がカナコという日本人と一緒になるための布石として、こっちに預けられただけの可哀想な女。
そこまで考えてオレは思った。
そういえば、顔を見ていない。
日本人の顔はオレの好みだ。普段ならロイやスヲンがからかい半分に研修生の話を出すが、今回はまだ一言も聞いていない。わずかな違和感を覚えながらも、いつもと違う結果になった原因には心当たりがある。
納期が迫った仕事が立て込みすぎて、ロイから頼まれた日本人の面倒をテイラーに丸投げした。


「あんたたち、なに仕事サボってんの!?」


どうやら席をはずしていたらしいテイラーは戻ってくるなり、大声でこの場の空気を一括する。
システム部の例外。
彼女はとてもうるさい。どこにいても目立つ赤い髪、複数のピアスに、派手な柄の服。整った顔立ちだが、気は強くて、タイピングの音も気分で変わる。機嫌がいいときは鼻歌をうたい、機嫌が悪いときは周囲すべてに噛みつく。
正直、わかりやすい。
彼らの言う「気の強い女」の代表格にテイラーは挙げられるだろうが、仕事の成果物は誰よりも高く、精巧。そんなわけでテイラーの行動は、大抵のことに目をつぶって受け入れている。テイラーもそれをわかったうえで好きなようにやっている。
ただ、いつもであればテイラーの怒声で目が覚めたように仕事に戻る彼らも今日は様子が違った。


「喜べ、みんな。アヤが来るぞ」


電話を切るなり叫んだ男を中心に、波紋のように歓声が広がっていく。
そして、そそくさとデスク回りを整頓し始めた異様さにオレは驚くしかない。


「……はぁ」


テイラーがわかりやすく額に手を当てて息を吐いている。


「アヤってば、新種のウイルスか何かなのかしら」


対策用のセキュリティソフトならぬ彼氏を作るべき。と、テイラーはぶつぶつ唱えているが……これは、なんだ。ここまで周囲に反応の変化を与える噂の人物に、オレは俄然興味が湧いた。


「……日本の研修生か」


珍しく来訪者を気にかける。今までも日本からの研修生を受け入れたことは何度もある。今思えば、全員にそれとなくやる気がないように思えたのは、社長があえてそういう風に腐らせていたんだろう。
だから今回、日本から人質代わりに研修生を迎えると決めたロイの発言にもオレはそこまで心が踊らなかった。
システム部には関係のない話だし、何より、すぐに消える研修生よりも迫った納期の方がオレにとっては重要だった。


「いやいや、噂のアヤが来るからってみんな張り切りすぎでしょ」

「たしかになー。それよりここのコードエラー解決の方が俺にとっては死活問題だよ」

「何お前、まだそこやってんの?」

「ランディさん、このエラーわかります?」


意識が切り替わって、部下からのヘルプに思考が向く。
アヤという存在がこのフロアに来るという周囲の期待がオレにも影響しているのか、視線は液晶画面を見つめているのに、神経のすべてが空気に霧散していた。
こんなことは滅多にない。
噂のアヤという存在に、ワクワクと期待している自分がいる。


「……あの」


おずおずとした声が猛獣たちを刺激する。
オレもすぐに顔を上げてその声に反応したかったが、生憎、すぐに解決できそうなエラーコードだとわかって、指が仕事をしていたせいで出遅れたのは言うまでもない。


「アヤちゃん、こんな陰気な場所までよく来てくれたね。嬉しいよ。元気?」

「あ、はい。元気です」

「ね、ランチどこにいくの?」

「えっと、まだ…あの、決まって、じゃない……決めてなくて」

「じゃあ、セイラじゃなくて俺と一緒にどう?」

「ずるい、俺にしなよ。なんなら車で少し遠くまで行ったっていいよ」

「お前急ぎの仕事があるだろ。アヤ、こいつはやめて俺にしなよ。オススメの店が近くにあるんだ」

「そんなに一度に群がってやるなよ。な、アヤ」

「え、はい…それで、セイラは……あ、昨日、コピー機の!」

「覚えててくれたんだ、嬉しいよ。また困ったことがあったら声かけて」

「あのときは助かりました。本当にありがとうございます」


餌に群がる動物の輪のなかでペコリと頭を下げる小さな生き物。
ここから噂のアヤの姿は見えない。
部下が「癒し系」と言っていたが、声はかなり好みだ。出来ることなら姿をみたい。のに、見えない。
デスクに一日中座っている野郎共とは思えない俊敏さで、ほとんどの男が立ち上がったせいだ。


「アヤってば、危機感なさすぎ」


またテイラーが肩を落として息を吐く。
異様な盛り上がりを見せる部下たちは丁寧に言葉を選んで喋る小動物が物珍しいだけかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。テイラーの雰囲気が物語っている。そもそもテイラーは面倒見のいい性格をしているが、誰彼構わず手を掛けるわけではない。
その言葉を吐いたあとの顔は、姫を守る騎士のように何かの使命を背負っているように見えた。


「はいはいはいはい。あんたらアヤに群がりすぎ」

「セイラ」


その声が一段上がる。
ふわふわとした雰囲気が伝染して、普段殺伐とした空気が和らいだ気がした。実際、うるさかった男たちは毒気を抜かれたように息をのんで大人しくなっている。


「あっ、そうだ。ニコライさんっている?」

「ニコライ?」

「新しいシステムに組み込む…なんだっけ…えっと、デイビットが渡せばわかるって」


うまく伝言できないことが悲しいのか、途端に声が小さくなる。
たぶん、今度事務所にいれることになっている新システムへの要望書だろうと見越して、オレはその場に足を運ぼうとした。
が、出来なかった。


「っ」


電流が走るとはこのことか。
一目惚れなんて、小説やドラマでしかあり得ない現象だと思っていたのに、あまりの理想を具現化した姿にオレは固まった。
日本人はたしかに好きだが、ここまで好きだと思う造形に出会えたことはなかった。なんだ、このキラキラした生き物は。
本当に夢でもなく、二次元でもなく、現実に存在しているのかと目を疑った。
彼女は気付いていないだろう。
資料を奪われるように、「それなら俺が」と他の誰かがアヤとオレとのパイプ役を買って出ている。


「ランディさん、これ事務部から」

「……ああ」


勝者が誰かはどうでもいい。
オレは、いま見た姿が幻じゃないかどうかを確認する余裕もなかった。
なんだこれは。心臓がうるさい。ドキドキと呼吸の音だけに支配されるのは、バスケの試合でゾーンに入ったときによく似ている。
だけど、全然違う。


「アヤってば、突然来たらビックリするでしょ」

「ごめんなさい、内線したんだけど」

「そうやってすぐに謝らない。ランチの誘いは嬉しいんだから」

「ほんと!?」


コロコロかわる表情と声が、先ほどと雲泥の差で響いてくる。
これはヤバい。同時にロイとスヲンがなぜオレに話題を振ってこなかったのかピンと来た。
あの二人はオレの好みを誰よりも知っている。


「たしかに肉食系っていうより小動物系だな」

「ああ、なんかアイコンみたいじゃね?」

「それわかる。キャラっぽい」

「てか、おしゃれとか興味ないのかな。セイラと並ぶとすごいギャップ」


エラーを修正した部下の言葉を耳で受け流しながらオレは雷で撃たれたようにアヤにくぎ付けだった。


「アヤとランチいってきまーす」


テイラーがアヤの肩を抱いて颯爽と出ていったが、残された男たちとオレは大差なく見えるだろう。
わかりやすく肩を落として、名残惜しそうにいなくなった場所を見つめ続ける。


「彼女がアヤ、か」


目を閉じただけで目蓋の裏に焼き付いたみたいだ。
彼氏はいるのか。
好きなやつはいるのか。
そもそも研修生なら日本にいるのかもしれない。アヤだって、オレみたいにデカい男にいきなり言い寄られたら怖いだろう。
でも一度火が着いた感情は、止められない。


「………情報収集だな」


要望書を見つめながら口にしていたせいか、普段通りに戻ったフロアでその発言は不審に思われなかった。
次からはもう少し、テイラーの話に耳を傾けてみよう。効率と士気があがるなら、スヲンに打診することくらいは出来るかもしれない。
とはいえ、まずはアヤがどういう子か知りたい。外見の好みだけで浮わついて迫れるほど、オレももう若くはないのだから。
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