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第12話★雲行きがおかしいですわ
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「エリーたん。おいしくて当たり前なんてことはない。美味しいのはここの料理人たちが試行錯誤して作ってくれているからで、執事やメイドたちが朝から働いてくれているからだ。他人に用意してもらっておいて、その態度はいけない」
「えっ、なっ、そんなのおかしいですわ」
「おかしいのはエリーたんだよ」
「だって、だって、私のために用意するのは当然ですわ」
「それが彼女たちの仕事だからね。お金を払ってしてもらっていることだ。逆に言えば、支払う給金以上のことをする必要のない人たちだよ」
「おっ、おとう、お父さまだって、おっしゃったもの。私のメイドだから好きにしなさいって。お父さまが、そうおっしゃったもの。何でも言いなさいって、エリーに合うメイドを見つけようって」
「わがままと理不尽の違いもわからないのか」
低い声で呟いて、エリーではないどこかを見る姿に、恐怖を覚えたのはエリー本人だけではない。「伯爵が娘を怒る」という噂は一晩で、使用人全員が知ることとなっていたが、百聞は一見にしかずとはこのことか。
ポトリと落ちた音は、柔らかな絨毯に転がったエリーの人形だが、伯爵の視線の先にいたメイドの一人は、それはもう恐怖で膝から崩れ落ちた。そして「なぜ、服が濡れている?」という質問をされて、平伏する勢いで頭を下げた。
「エリーたん、謝りなさい」
「え?」
これは地面に額をつけるメイドが発した台詞。名指しされた当のエリーは、顔を真っ青から真っ赤に変えて、ドレスの裾を握っている。
「エリーたん?」
「イヤですわ。私は何も悪くないもの」
「そうか」
その言葉と同時に、バシャッと聞き慣れたようで、感じたことのない音がエリーを襲う。パチパチと可愛くまばたく黒曜石の瞳は、次の瞬間、かけられたお茶以上に潤みを帯びて、父親の顔を見上げていた。
「素直に謝らないエリーたんが悪い」
「うわぁぁああわぁん」
「だっ、旦那様。わたくしは大丈夫です。エリーお嬢様をどうか叱らないでやってくださいませ」
「そうやって周囲が甘やかしてきた結果がこれだろう」
騒然というより、混沌。あまりの異常さに、メイドがエリーをかばうという、生まれてはじめての事態になっているが、エリーは今こそ本気で泣いているので気付かない。
優しい父親に怒られることも、冷たい目で見られることも、お茶をかけられることもなかった七年の人生が、音をたてて崩れていく恐怖に、逃げ出してしまいたかった。それでも身体が床に縫い付けられたように動かない。それは、エリーにとって理由不明の現象だった。
「エリーたん」
びくりとエリーの肩が震える。次に何をされるのか、予想できないことが怖かった。
「パンを用意してくれないからと、怒って彼女にしたことと同じ事をしたんだよ。気分はどうだい?」
最悪以外のなにものでもない。
それを口に出来る素直さはないが、まだ完成形に至ってないので、唇を噛み締めて、頬を膨らます表情だけは誤魔化せない。どこか胸の奥に、罪悪感があるのか。
「最悪だろう?」
目線を合わせるようにしゃがんだ父親に、エリーは顔をそらした。その代わり、床に膝をついたメイドと視線が合う。
「お、おちゃ」
「………はい」
「お茶をかけて、ごめ、ごめんなさい」
「いいえ、お嬢様。わたくしは大丈夫です。昼食には、焼き立てのパンをすぐにお持ちします」
感動の空間がエリーとメイドの間に生まれる。なぜか、周囲のメイドと執事まで涙ぐんでいるが、まあ、「エリーたぁん。ごめんねぇぇええぇ」と泣き叫んでエリーを抱き締める伯爵ほどではないだろう。
「いい子、ほんっとうにいい子。エリーたんは冷たいとか、意地悪とか言うけど、本当は警戒心が強くてツンデレなだけなんだよ。素直で一途で、可愛くて、頭も良くて、誤解されがちだけど、オレは愛してるよぉおおおぉ」
「…………旦那様」
「そうだ、エリーたんの初めての謝罪はどこか、誰か撮ってないか!?」
「…………旦那様」
「リック当たりに聞けばいいか。あいつ、変態だからな」
「…………旦那様」
「なんだ、セバス?」
「お嬢様が気絶なさっておいでです」
父親に体当たりよろしく、力一杯抱きつかれた娘は、キャパオーバーで目を回していた。そこからはまた混沌。メイドたちがエリーの服を乾かし、整え、ベッドへ運ぼうとするのを、伯爵は咳払いで止める。
「今後、エリーが人として悪いことをしたときは遠慮なく叱ってやってくれ。自分で出来ることを増やしてやりたい。きみたちもエリーに対して腫れ物のように扱う必要はない。だからといって、エリーたんを傷つけるやつはオレが直接始末してやる」
「………旦那様」
「エリーたんが幸せになるルートは、オレが見つけるんだ」
執事を連れて颯爽と去っていった伯爵の言葉は、またマトラコフの屋敷内を駆け抜ける。寒い冬に吹く北風に耳を澄ますものは少なく、半信半疑で、でも確実に、『マトラコフ伯爵は事故で人が変わったようだ』という噂だけが流れていた。
「えっ、なっ、そんなのおかしいですわ」
「おかしいのはエリーたんだよ」
「だって、だって、私のために用意するのは当然ですわ」
「それが彼女たちの仕事だからね。お金を払ってしてもらっていることだ。逆に言えば、支払う給金以上のことをする必要のない人たちだよ」
「おっ、おとう、お父さまだって、おっしゃったもの。私のメイドだから好きにしなさいって。お父さまが、そうおっしゃったもの。何でも言いなさいって、エリーに合うメイドを見つけようって」
「わがままと理不尽の違いもわからないのか」
低い声で呟いて、エリーではないどこかを見る姿に、恐怖を覚えたのはエリー本人だけではない。「伯爵が娘を怒る」という噂は一晩で、使用人全員が知ることとなっていたが、百聞は一見にしかずとはこのことか。
ポトリと落ちた音は、柔らかな絨毯に転がったエリーの人形だが、伯爵の視線の先にいたメイドの一人は、それはもう恐怖で膝から崩れ落ちた。そして「なぜ、服が濡れている?」という質問をされて、平伏する勢いで頭を下げた。
「エリーたん、謝りなさい」
「え?」
これは地面に額をつけるメイドが発した台詞。名指しされた当のエリーは、顔を真っ青から真っ赤に変えて、ドレスの裾を握っている。
「エリーたん?」
「イヤですわ。私は何も悪くないもの」
「そうか」
その言葉と同時に、バシャッと聞き慣れたようで、感じたことのない音がエリーを襲う。パチパチと可愛くまばたく黒曜石の瞳は、次の瞬間、かけられたお茶以上に潤みを帯びて、父親の顔を見上げていた。
「素直に謝らないエリーたんが悪い」
「うわぁぁああわぁん」
「だっ、旦那様。わたくしは大丈夫です。エリーお嬢様をどうか叱らないでやってくださいませ」
「そうやって周囲が甘やかしてきた結果がこれだろう」
騒然というより、混沌。あまりの異常さに、メイドがエリーをかばうという、生まれてはじめての事態になっているが、エリーは今こそ本気で泣いているので気付かない。
優しい父親に怒られることも、冷たい目で見られることも、お茶をかけられることもなかった七年の人生が、音をたてて崩れていく恐怖に、逃げ出してしまいたかった。それでも身体が床に縫い付けられたように動かない。それは、エリーにとって理由不明の現象だった。
「エリーたん」
びくりとエリーの肩が震える。次に何をされるのか、予想できないことが怖かった。
「パンを用意してくれないからと、怒って彼女にしたことと同じ事をしたんだよ。気分はどうだい?」
最悪以外のなにものでもない。
それを口に出来る素直さはないが、まだ完成形に至ってないので、唇を噛み締めて、頬を膨らます表情だけは誤魔化せない。どこか胸の奥に、罪悪感があるのか。
「最悪だろう?」
目線を合わせるようにしゃがんだ父親に、エリーは顔をそらした。その代わり、床に膝をついたメイドと視線が合う。
「お、おちゃ」
「………はい」
「お茶をかけて、ごめ、ごめんなさい」
「いいえ、お嬢様。わたくしは大丈夫です。昼食には、焼き立てのパンをすぐにお持ちします」
感動の空間がエリーとメイドの間に生まれる。なぜか、周囲のメイドと執事まで涙ぐんでいるが、まあ、「エリーたぁん。ごめんねぇぇええぇ」と泣き叫んでエリーを抱き締める伯爵ほどではないだろう。
「いい子、ほんっとうにいい子。エリーたんは冷たいとか、意地悪とか言うけど、本当は警戒心が強くてツンデレなだけなんだよ。素直で一途で、可愛くて、頭も良くて、誤解されがちだけど、オレは愛してるよぉおおおぉ」
「…………旦那様」
「そうだ、エリーたんの初めての謝罪はどこか、誰か撮ってないか!?」
「…………旦那様」
「リック当たりに聞けばいいか。あいつ、変態だからな」
「…………旦那様」
「なんだ、セバス?」
「お嬢様が気絶なさっておいでです」
父親に体当たりよろしく、力一杯抱きつかれた娘は、キャパオーバーで目を回していた。そこからはまた混沌。メイドたちがエリーの服を乾かし、整え、ベッドへ運ぼうとするのを、伯爵は咳払いで止める。
「今後、エリーが人として悪いことをしたときは遠慮なく叱ってやってくれ。自分で出来ることを増やしてやりたい。きみたちもエリーに対して腫れ物のように扱う必要はない。だからといって、エリーたんを傷つけるやつはオレが直接始末してやる」
「………旦那様」
「エリーたんが幸せになるルートは、オレが見つけるんだ」
執事を連れて颯爽と去っていった伯爵の言葉は、またマトラコフの屋敷内を駆け抜ける。寒い冬に吹く北風に耳を澄ますものは少なく、半信半疑で、でも確実に、『マトラコフ伯爵は事故で人が変わったようだ』という噂だけが流れていた。
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