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第8話★お父さまなんて、大キライですわ
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2月最初の水曜日。その日は間違いなく、エリーにとって人生最悪の日だったに違いない。父親に初めて怒られた記念すべき日。使用人たちが鳥よりも早く、興奮した口調で、『父に怒られる娘』の話を囀ずるなか、当の本人は自室のすべてに八つ当たりしていた。
ムカつく。
その一言がエリーの胸の中を占める。
「おとうさま、なんて、だいっキライ」
キライ、キライ、キライ。その言葉以外を知らない怪物は、花瓶を倒し、椅子を倒し、人形の衣装箱を放り投げ、胸元のブローチをむしりとる。もちろん、エリーはそれを投げた。外見は、儚く可憐な令嬢を想像しても、実際にはそうではないのだから仕方がない。
投げたブローチは、上質な絨毯が敷き詰められた床に転がるのではなく、勢い余って、お気に入りの鏡台のそれも鏡を破壊する角度で綺麗に入った。瞬間、鏡は粉々に砕け散って、エリーの顔が放射線状に映る。
「うわぁぁあぁん」
癇癪の成れの果て。エリーの黒い瞳から嘘泣きではなく、本気の涙が出たのはいつぶりか。その悲しみに反応したのは、皮肉にもエリーが投げたブローチで、防御壁と通電が涙に呼応して発動している。
はっきり言って、混沌としていた。
散らかった部屋、泣きじゃくる少女、粉々に砕け散った鏡とバリバリと魔法を展開するブローチ。この状況を初見で判断するのは難しい。結果、転移魔法で駆けつけた次兄のリックと三男のハイドは、互いに顔を見合わせて、狼狽えるしかなかった。
「エリー、どうしたの。何があったの?」
「エリー、怪我はないか。兄様が来たからもう大丈夫だぞ」
「おに……っおにぃさまぁぁあぁあ」
エリーは、いの一番にじぶんの心配をしてくれた兄二人に抱きすがる。珍しく泣きじゃくるエリーに困惑したものの、その身体が無傷だと知って、兄たち二人もホッと息を吐いた。
「エリー、聞かせて。どうして鏡にブローチが刺さってるの?」
「おとう、さま、が」
「父さんが、どうしたの?」
「……なげ、た」
「父様が投げた?」
「……うん」
「うーん。エリーの言うことはなんでも信じてあげたいけど、それは違うなぁ」
「違うくない!!」
ハイドの問いに可愛らしく涙をぬぐう姿に絆されそうになるが、そうもいかない。リックがエリーの嘘を暴くために取り出したのは、手鏡のようなつるりとした板。
「ほら、ごらん。可愛いエリーが自分でブローチを投げてるのが映ってる」
「リック兄さん。まじで妹の部屋を盗撮する趣味はやめた方がいいと思う」
「まあまあ。こうして役にたってるし、離れて暮らすエリーの無事を常に確認できないと僕がおかしくなる」
ため息を吐くハイドは、兄に見せられた鏡の真実に、蒼白な顔を浮かべるエリーへと視線を戻す。エリーが蒼白な理由は、盗撮に対してではないだろう。エリーは『見られ』慣れている。恐ろしいことに、年齢と共に成長しているエリーの自己肯定に天井はない。
「リックお兄さま。これには私が投げた姿が映ってるわ。でも、おとうさまが、いけないの」
「エリーは兄さんを甘やかしすぎだよ」
「だってハイドお兄さま。リックお兄さまは、私をいつでも視界に入れておかないと、目の保養にならないんですのよ?」
「うーん。まあ、エリーがいいならいいんだけど。それで、エリーはどうして泣いてるの?」
深く考えてはいけない。弱冠十二歳にして頭痛持ちのツラさを味わうように顔をしかめたハイドは、すっかり泣き止んだエリーに問いかける。
エリーは、その言葉にビクリと肩を震わせて、思い浮かばない言い訳を探していた唇をぎゅっと結んだ。
「黙っていたらわからないよ、エリー」
「エリー。そんなに唇を噛んだら可愛い顔が台無しだ。その顔も愛らしくて、すごく魅力的だけど、今は問題解決がしたい」
よしよしと頭を撫でられ、兄二人に抱き締められて落ち着いたのか。エリーは、「お父さまが新しいお人形を買ってくれない」と口にした。
「新しいお人形はダメだって」
言っている内に思い出して悲しくなってきたのだろう、再びエリーの瞳に涙が浮かび始める。けれど、それよりも、兄たち二人は衝撃を受けて固まっていた。
「父様がエリーに何も買わないって?」
「父さんがエリーのお願いを断ったの?」
信じられないのも無理はない。エリーが生まれて七年。マトラコフ家では、エリー至上主義が貫かれてきた。それを率先して行っていたのは父であるヒューゴ、その人のはずなのに、これはいったいどういうわけか。エリーにとって、それは青天の霹靂に違いないとようやく納得したのか、けれど、どこか信じられない面持ちで、兄たち二人はまた、互いの顔を見合わせる。
「それは、驚いたね。エリー」
なんとか口からでてきた言葉のままにハイドはエリーの頭を撫でる。
「うん」と、甘えるように呟いて、エリーは慰めてくれるその手にすり寄った。
「父様は?」
「おとうさま、なんて、だいっきらい」
「……………おお」
「兄さん、感心してる場合じゃないよ。エリーの口から大嫌いって言われた日の父さんを知ってるでしょ」
「そうだった。国中の人形師から苦情がくるまえに、父様をとめにいかないと。エリーもおいで」
「いや、今のお父さまは嫌い。前のお父さまがいい」
「エリー」
両手を広げてくれるリックの腕は魅力的だ。抱き上げられて廊下を歩けるなら、兄二人を味方に付けていけるなら、父にダメージを与えられるのでは、と幼いエリーの小さな計算式は弾き出した。
「いい子だ」
自分の選択は間違っていなかったのだと、兄の腕に抱かれて散らかった部屋を出る。
「エリーの部屋の片付けをしておいて」
「はい」
廊下にいたメイドの一人にハイドが命じれば、頭を下げたそのメイドはエリーの部屋に消えていく。
次に帰ってきたときは、元通りの部屋がそこにあるだろう。
向かう先はただひとつ。今ごろ国中の人形師に「エリーが気に入る人形」を作らせているだろう父親のいる場所。
ムカつく。
その一言がエリーの胸の中を占める。
「おとうさま、なんて、だいっキライ」
キライ、キライ、キライ。その言葉以外を知らない怪物は、花瓶を倒し、椅子を倒し、人形の衣装箱を放り投げ、胸元のブローチをむしりとる。もちろん、エリーはそれを投げた。外見は、儚く可憐な令嬢を想像しても、実際にはそうではないのだから仕方がない。
投げたブローチは、上質な絨毯が敷き詰められた床に転がるのではなく、勢い余って、お気に入りの鏡台のそれも鏡を破壊する角度で綺麗に入った。瞬間、鏡は粉々に砕け散って、エリーの顔が放射線状に映る。
「うわぁぁあぁん」
癇癪の成れの果て。エリーの黒い瞳から嘘泣きではなく、本気の涙が出たのはいつぶりか。その悲しみに反応したのは、皮肉にもエリーが投げたブローチで、防御壁と通電が涙に呼応して発動している。
はっきり言って、混沌としていた。
散らかった部屋、泣きじゃくる少女、粉々に砕け散った鏡とバリバリと魔法を展開するブローチ。この状況を初見で判断するのは難しい。結果、転移魔法で駆けつけた次兄のリックと三男のハイドは、互いに顔を見合わせて、狼狽えるしかなかった。
「エリー、どうしたの。何があったの?」
「エリー、怪我はないか。兄様が来たからもう大丈夫だぞ」
「おに……っおにぃさまぁぁあぁあ」
エリーは、いの一番にじぶんの心配をしてくれた兄二人に抱きすがる。珍しく泣きじゃくるエリーに困惑したものの、その身体が無傷だと知って、兄たち二人もホッと息を吐いた。
「エリー、聞かせて。どうして鏡にブローチが刺さってるの?」
「おとう、さま、が」
「父さんが、どうしたの?」
「……なげ、た」
「父様が投げた?」
「……うん」
「うーん。エリーの言うことはなんでも信じてあげたいけど、それは違うなぁ」
「違うくない!!」
ハイドの問いに可愛らしく涙をぬぐう姿に絆されそうになるが、そうもいかない。リックがエリーの嘘を暴くために取り出したのは、手鏡のようなつるりとした板。
「ほら、ごらん。可愛いエリーが自分でブローチを投げてるのが映ってる」
「リック兄さん。まじで妹の部屋を盗撮する趣味はやめた方がいいと思う」
「まあまあ。こうして役にたってるし、離れて暮らすエリーの無事を常に確認できないと僕がおかしくなる」
ため息を吐くハイドは、兄に見せられた鏡の真実に、蒼白な顔を浮かべるエリーへと視線を戻す。エリーが蒼白な理由は、盗撮に対してではないだろう。エリーは『見られ』慣れている。恐ろしいことに、年齢と共に成長しているエリーの自己肯定に天井はない。
「リックお兄さま。これには私が投げた姿が映ってるわ。でも、おとうさまが、いけないの」
「エリーは兄さんを甘やかしすぎだよ」
「だってハイドお兄さま。リックお兄さまは、私をいつでも視界に入れておかないと、目の保養にならないんですのよ?」
「うーん。まあ、エリーがいいならいいんだけど。それで、エリーはどうして泣いてるの?」
深く考えてはいけない。弱冠十二歳にして頭痛持ちのツラさを味わうように顔をしかめたハイドは、すっかり泣き止んだエリーに問いかける。
エリーは、その言葉にビクリと肩を震わせて、思い浮かばない言い訳を探していた唇をぎゅっと結んだ。
「黙っていたらわからないよ、エリー」
「エリー。そんなに唇を噛んだら可愛い顔が台無しだ。その顔も愛らしくて、すごく魅力的だけど、今は問題解決がしたい」
よしよしと頭を撫でられ、兄二人に抱き締められて落ち着いたのか。エリーは、「お父さまが新しいお人形を買ってくれない」と口にした。
「新しいお人形はダメだって」
言っている内に思い出して悲しくなってきたのだろう、再びエリーの瞳に涙が浮かび始める。けれど、それよりも、兄たち二人は衝撃を受けて固まっていた。
「父様がエリーに何も買わないって?」
「父さんがエリーのお願いを断ったの?」
信じられないのも無理はない。エリーが生まれて七年。マトラコフ家では、エリー至上主義が貫かれてきた。それを率先して行っていたのは父であるヒューゴ、その人のはずなのに、これはいったいどういうわけか。エリーにとって、それは青天の霹靂に違いないとようやく納得したのか、けれど、どこか信じられない面持ちで、兄たち二人はまた、互いの顔を見合わせる。
「それは、驚いたね。エリー」
なんとか口からでてきた言葉のままにハイドはエリーの頭を撫でる。
「うん」と、甘えるように呟いて、エリーは慰めてくれるその手にすり寄った。
「父様は?」
「おとうさま、なんて、だいっきらい」
「……………おお」
「兄さん、感心してる場合じゃないよ。エリーの口から大嫌いって言われた日の父さんを知ってるでしょ」
「そうだった。国中の人形師から苦情がくるまえに、父様をとめにいかないと。エリーもおいで」
「いや、今のお父さまは嫌い。前のお父さまがいい」
「エリー」
両手を広げてくれるリックの腕は魅力的だ。抱き上げられて廊下を歩けるなら、兄二人を味方に付けていけるなら、父にダメージを与えられるのでは、と幼いエリーの小さな計算式は弾き出した。
「いい子だ」
自分の選択は間違っていなかったのだと、兄の腕に抱かれて散らかった部屋を出る。
「エリーの部屋の片付けをしておいて」
「はい」
廊下にいたメイドの一人にハイドが命じれば、頭を下げたそのメイドはエリーの部屋に消えていく。
次に帰ってきたときは、元通りの部屋がそこにあるだろう。
向かう先はただひとつ。今ごろ国中の人形師に「エリーが気に入る人形」を作らせているだろう父親のいる場所。
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