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Story-02:レルムメモリア

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穏やかな日差しに見守られたオルギス王国は、十五年前も今と変わらない穏やかな気候を保っていた。
水色の柔らかな空には、ふわふわとした優しい雲が浮かび、澄んだ水が川となって流れ、緑は風に揺られて美しい音色を鳥たちと共に奏でていく。その恵まれた気候に古くから人々は集まり、国としてオルギスの土地は栄えていった。


「おばあちゃま」

「まあ、ラゼット。よく来たわね」


自分の膝丈くらいの女の子が頼りない足元で近づいてくるなり、手入れされた庭の椅子に座っていた女性が緩やかにほほ笑む。


「お母さまは、ご一緒ではないの?」


自分の元へ呼び寄せながら、白く美しい髪を揺らして、その女性は周囲に視線を巡らせた。
太陽の光に反射して輝く宝石のような瞳。
盾として、祈りの力を宿す額の紋章がその瞳と同じ紫色の光を放っている。


「おいのりちゅうなの?」


まだ、言葉数が少ないラゼットでもこの世界の常識は幼いころから知っている。
額の紋章が光るときは、盾が祈りを捧げている証。そういうときに邪魔をしてはいけないと、物心つく前から母にきつく叱られていたことを思い出す。


「ええ、でも最近長時間の祈りをすると膝が痛くてね。少し休憩をしていたの」

「おひざ、いたいの?」

「ラゼットの顔をみたら大丈夫になったわ。もう少しで終わるから、ラゼットは少し待っていなさい」

「ラゼットもおいのりしゅるの」


大好きな祖母の横で、ラゼットは祈りを捧げるように膝をついた。


「そう」


周囲に他の人影がないことに不安を覚えながら、フィオラ・オルギスはラゼットの頭を優しく撫でる。
自分と同じ白雪の髪に、深い紫の瞳。
間違いなく、最強の盾としての素質をもって生まれてきたことは誰の目にも明らかだった。


「ねぇ、ラゼット?」


なるべく刺激しないように、柔らかな声色でフィオラはラゼットに問いかける。


「なぁに、おばあちゃま」


祈りの姿勢で小さく手を組んでいたラゼットは、パッと嬉しそうに顔をあげて祖母の方を見つめた。
まだ何も知らない、穢れのない娘。
世界の闇も与えられた役割の意味も知らない、無垢な少女。
フィオラはラゼットに微笑みかけながら、再度同じ質問を繰り返す。


「お母さまは、ご一緒ではないの?」


どこか悲しそうに歪んで見えた瞳を覗き込みながら、ラゼットは小さく首を横に振る。


「おかあさまは、おいのりなの」

「あら、お祈りをしているの?」

「おとうさまが、うわきだから、とくべつなおいのりなの」

「そう、それは大変ね」


もう何度目になるだろう。小さな孫娘がこうして護衛もつけずに、祖母の元へ尋ねてくることは。
まだ三年しか生きていない世界の中で、孤独を知り、愛を求めて彷徨っている。


「ああ、ラゼット」


フィオラは、ラゼットを優しく抱きしめながら、温かな光の渦でその世界を包み込んだ。


「あなたが幸せであるように、わたしは祈っているわ」

「おばあちゃま、ないているの?」


抱きしめられた紫色の光の中で、ラゼットは小さな手を伸ばして、濡れる祖母のホホに手を当てる。涙は悲しいときに瞳から零れ落ちるもの。心細いときに自然とホホを伝うもの。


「なかないで、ラゼットはおばあちゃまのそばにいるよ」


それ以外に泣くことを知らない幼い孫娘に、フィオラの胸が熱く締め付けられていく。
自分には一体何ができるのだろうか。
何をしてあげられるのだろうか。


「優しいラゼット。可愛いラゼット。おばあちゃまは、ずっとずっとラゼットのために祈り続けていますからね」


平和で安らぎにあふれた国の内情は、はたから見れば何もわからない。
そこで暮らす人々が、誰も苦しまず、誰も悲しまず、いつでも笑って暮らしているわけではない。
史上最強の盾として名高い力を授かろうと、祈りを捧げること以外はただの女。何の力も持たない普通の人と何の違いもなかった。


「どうか無力なおばあちゃまを許して」


まだ幼いラゼットには、温かな光で包んでくれる言葉の意味はわからない。
いつも優しく受け入れてくれる穏やかな祖母の腕の中は、物心ついた時からラゼットの安らぎの場所だった。


「あなたのお母さまは欲に溺れてしまった」


それは隠しようのない事実。
現に城の中と言えど、幼い王女が一人で祖母を訪ねてきたというのに、父親である王も、母親である王妃も気づいていない。使用人や民たちからどのように囁かれているか、その評価を見下しているに違いない。
彼らは互いに、自分たちの欲望が叶うことだけを望み、自分たちの飢えが満たされることだけを祈っている。


「裏切られた悲しみに耐えられず、本来の祈りを忘れてしまった。それを止められなかったのが、わたしの罪なのかもしれないわね」


キョトンとした顔で、言葉の意味を測りかねているラゼットにフィオラは苦笑の息を投げかけた。
盾として教えたいことも伝えたいことも山ほどある。
世界は悲しみばかりではないこと。美しいものがたくさんあること。王と王妃ばかりが頼るべき相手ではないこと。


「ラゼット。あなたがいつでも自由に動けるように護衛をつけてもらうわ」

「ごえい?」

「あなたを守ってくれる盾たちよ」


それは前から考えてきたことだった。実行は早い方がいいだろう。
そう思うと、ふとフィオラの頭の中に妙案が浮かんできた。


「そうだわ、ラゼット。明日いいところへ連れて行ってあげましょう」

「いいところ?」

「祈りを女神さまに聞いてもらえる神聖な場所よ」


本来であれば盾の役割を代替えするときに使用する神聖な塔。
数千年前から存在し、幻獣魔族の世界と人間の世界をつなぐ場所に建造された崇高な場所。
唯一、光と闇の世界をつなぐためだけに存在しているといっても過言ではない。


「あなたの護衛も一緒に連れて、ね」


そう言っていたずらに片目をつぶった祖母の笑顔につられて、ラゼットも笑みをこぼす。
いつもは部屋に閉じ込められるように行動を制限されているからか、この時の祖母の提案ほど嬉しいプレゼントはなかったとラゼットは後になって知ることになる。


「ふらん、あきーむ!」


自分より少し年上の彼らは、次の日さっそくラゼットを迎えにやってきた。
最初は物怖じしていたラゼットだったが、優しい彼らの温かな手に導かれて、数分経てば初めて会ったのが嘘みたいに仲良くなっていた。


「やっぱり子供は同じ年頃の子と遊ぶのが一番ね」


馬車に揺られる室内で、フィオラは二人の男の子の中心で始終笑顔をこぼすラゼットをみて柔らかな笑みをこぼす。


「ずっと守ってやって、この世界の希望を」


小さく口にしたフィオラの願いは、馬の足並みにかき消されるようにして染み渡っていく。
この時は誰も気に留めていなかった。
国王は女遊びにふけり、王妃は王の愛を取り戻すために祈ることばかりを考えている。祈りに守られることに慣れ切った国民は平和に溺れ、怠惰に世界はまわっていると思っていた。
そうしてしばらく和やかな雰囲気で進んだ馬車は、やがてオルギス王国の端っこでその車輪を止めた。


「ここはね、祈りの塔というの」

「いのりのとう?」

「そうよ。ここで捧げられる祈りは特別なものなのよ」


馬車から降りて見上げた先は、厳粛な空気が漂う古代の塔。
両脇に広がる底が見えない深い谷は、真っ黒な口をあけて何とも言えないうなり声を響かせている。闇に染まる帯のようにどこまでも続いているが、どうやらそれは世界を一周するほどに長いらしい。
お世辞にも居心地がいいとは言えない細い土地が薄暗いテゲルホルムへと繋がっているが、その中央にポツンとその塔は立っていた。


「オルギスの盾はこの向こう、テゲルホルムの幻獣魔族たちから、何千年もこの塔で祈りを捧げてその侵略を防いできたの」


祈りの塔は、オルギス王国とテゲルホルム連邦の国境の目印にもなっている場所。


「なんだかこわい」


怯えるラゼットの手をフランとアキームがそれぞれ強く握り返してくれたのか、ラゼットは右と左に一度ずつ顔を動かしてから嬉しそうに顔を染める。
それをみて、またふわりと優しい眼差しでフィオラは笑った。


「フラン、アキーム。ここから先は正当な血を受け継ぐ盾と矛にしか立ち入ることは許されません。あなたたちは、わたしたちが戻ってくるまで少しの間、ここで待っていてちょうだい」


うなずく二人の笑顔に見送られるようにして、ラゼットはフィオラに手を引かれて歩き出す。
徐々に近づいていく塔は、ますます厳粛な空気をたずさえながらラゼットをじっと見下ろしていた。


「幻獣魔族から世界を守るために、この塔は存在しているの」


その塔はフィオラとラゼットの額に現れた紋章に反応して、ギギギとさび付いた音を響かせながら開いていく。
カツン。
歩くたびに滑らかな石で整えられた足元が音を立てる。


「うわぁあぁあ」


そのあまりの美しさに、ラゼットは恐怖を忘れてフィオラの手から駆け出して行った。


「おばあちゃま、すごいわ」


高い天井から差し込む無数の光が足元の石板を照らし、中央の祭壇では矛と盾をイメージした男女の像が腕を取り合って微笑んでいる。まさしく平和の象徴。
この世界の伝説が語り継がれるにふさわしい聖地だと一目見て理解できるほどだった。
余計な物など一切なく、祭壇の前で膝をついて祈りを捧げることは当然だと思えるほど、初めて目にするその場所はラゼットにとって新鮮な感覚を与えてくれた。


「オルギス王国は人間の希望。幻獣魔族たちから守る盾の国」


祭壇に刻まれた文字なのか、まだ文字の読めないラゼットの代わりにフィオラは暗唱を始める。


「ギルフレア帝国は権威の象徴。人々を導く鉾の国」

「ほこ?」

「そうよ。盾と矛は二人でひとつ。どちらが欠けてもいけないの」


ラゼットは暗唱しながら祭壇へと近づいていくフィオラの跡を追う。けれど、フィオラはラゼットが隣に追い付いてくるなり、祭壇から目線を下げるようにしてラゼットの元でしゃがんでみせた。


「実際に矛の力をもつ者が誕生していないから、そこは伝説だと言われているけど、誰も確かめたことがないからわからないわよね」

「え?」

「だって、わたしたちオルギスの盾は、こうしてちゃんと存在しているもの」


チョンっとつつかれた鼻先に、ラゼットはケタケタと笑い声をあげる。


「わたしたち祈りを捧げる盾の役割は、テゲルホルム連邦から侵略してこようとする幻獣魔族から世界の平和を守ってくださいと祈り続けることなのよ」


再び腰をあげて立ち上がったフィオラの横顔をラゼットはじっと見上げるように見つめていた。
自分と同じ白髪と額に宿る紫の紋章。
自分もいつか史上最強と名高い祖母のようになるんだと、このとき深く誓ったことを覚えている。


「わぁ、おばあちゃま。あれはなぁに?」

「あら、ラゼット。あなたもそれが気に入ったの?」


フィオラの横顔が見つめる先を目で追いかけたラゼットが見たもの。
祭壇の中央で、男女の像が守られるようにしてそれは未知なる光を放っていた。


「それは希望を叶えてくれる石、希叶石(キキョウセキ)という魔石」

「ませき?」


聞いたことがないと、ラゼットの首が少し傾く。それに少し苦笑してからフィオラはその希叶石を祭壇から取り出すように持ち上げて、そっとラゼットの手に持たせてくれた。
楕円形をした白く滑らかな石。
力があるようにも見えないが、無いようにも見えない。不思議なことに、持っているだけで不安や孤独から救ってくれるような力を与えてくれる。


「いいかい、ラゼット」


希叶石に魅入られていたラゼットは、ハッとしてフィオラへと顔をあげる。
そこでは、いつもと違ってどこか真剣な眼差しをした盾としての祖母がいた。


「祈りは自分のためにあるものではないの。愛する人を守るために祈りを捧げるのが私たちに授かった力」

「あいするひと?」

「そうよ。思う心、願う心、信じる心が祈りに希望と勇気を与えてくれるわ。その代わり、よく覚えておいで。祈りは心。迷いや、弱さは祈りの効果をなくしてしまうもの」


自身の胸元に手を置きながらフィオラはラゼットの瞳をじっと見つめる。
紫色の双眼。昔はシワひとつなかったであろうその肌には、長年の苦労と思慕が刻まれていた。


「心には強さが必要だよ」


強さ、その意味はよくわからない。けれど、なぜだか、目がそらせない。
いや、そらしてはいけないのだと、ラゼットは希叶石をぎゅっと握りしめながら、祖母の言葉に耳を傾けていた。


「ラゼット、この希叶石はね。人の心を癒す力がある魔石なの。大事なことは祈りに食われないことだ」

「いのりにくわれる?」

「そう。祈りは願いに、願いは呪いに、呪いはやがて闇となって世界を飲み込んでしまうだろう」


フィオラはラゼットの手に握られた希叶石に目を落とす。つられて、ラゼットも自分の手の中にある希叶石へと視線を落とした。
小さな手に握られた拳ほどの大きさの石。まだ小さなラゼットの手のひらでは包み込めないほどの大きさの石。
その希叶石を持つラゼットの手をフィオラの手がそっと優しく包み込む。


「ラゼット、忘れないで」


希望を叶えてくれる石だといった祖母の声が、祈りの塔の中で静かに反響していく。


「希叶石を救いたいと思う誰か、幸せになってほしいと願う誰かにあげなさい。そうすればきっと、お前の心はいつまでも誰かのために祈ることができるだろう。己がしたことは己の身にまわりまわって返ってくるものなの。自分の欲望のためだけに祈りを捧げる者は、やがてその報いを受ける羽目になるだろう」

「むくい?」

「今はまだわからなくてもいい。だけどね、ラゼット。希叶石はお前がずっと持っていてはいけないよ」

「ねがうだれか?」

「そう。助けてあげたいと思う誰かに出会ったときに、必ずそれをあげなさい」


よく意味が分からないといった風に、ラゼットは首をかしげていた。
「いまはまだ、わからなくてもいい」そう、ラゼットの頭をポンポンと二回ほど叩いてから、フィオラは立ち上がる。


「祈りを捧げましょう。オルギス王国とこれからの未来を背負うあなたのために」


希叶石を見つめたまま言われたことの意味を考えていたラゼットは、差し伸べられた手に気づいて、ハッと顔をあげる。


「ラゼットはおばあちゃまのためにいのるの」


また頭をポンポンと叩いてきた祖母は、優しい笑みを浮かべていた。
その顔がどこか悲しそうで、泣きだしそうで、つないだ手の温もりにラゼットの心がざわざわと騒ぎ出す。


「おばあちゃま、あ───」


ラゼットの声が空中で止まると同時に、フィオラは満面の笑顔で答えていた孫娘の目が大きく見開かれ、恐怖と絶望に染まっていくことに気づいた。


「ケケケケケケ、ミツケタ。見つけたぞ、女神さま」

「───キャァァアアァァァ」


地面が崩れていくほどの大きな揺れと、頭上からバラバラと降り注いでくる瓦礫の数々。その隙間を縫うように空から向かってくる巨大な鳥の風圧に幼いラゼットの体が吹き飛ばされる。


「ラゼット!?」


断続的に繰り返される爆撃の音。視界が遮られるほどの粉塵の中、フィオラは吹き飛ばされた先で気を失ったラゼットを見つけた。


「ラゼット、ラゼット!!」


慌てて駆け寄りながら、フィオラはラゼットの名前を繰り返す。


「ラゼット、しっかり。しっかりしなさい、ラゼット!!」

「…っ…んっ」


瓦礫でかすったのだろう。命があることにフィオラの顔が安堵にゆるむ。
かすり傷だらけではあるが奇跡的に命を取り留めたラゼットの体に顔をうずめながら、フィオラは祈りの塔から一目散に外へと走り出た。


「フィオラ様、ラゼット様!?」


外へ出たフィオラとラゼットの元へ、外で待っていたらしいフランとアキームが駆け寄ってくる。


「一体、何が起こったのです?」

「ラゼット様、どうなさったのですか?」


血だらけのラゼットを抱えたフィオラの姿に驚愕したフランとアキームの顔がこわばっていた。それはそうだろう。問いかけたフィオラの後方から、祈りの塔を超えて無数の獣が群れをなして侵略する姿が近づいてくる。
本の中でしか見たことのない。古代の生き物が鎧をまとい、武器を装備し、獰猛な瞳を宿して舌なめずりをしていた。


「ケケケケケ、ダヴィド将軍。この娘、この娘です」

「ッ!?」


ラゼットを囲む三人の頭上を一頭と表現するにふさわしい大きさの巨大な鳥が待っていく。
風になびかられて体勢を崩した三人は、その鳥が崩れた祈りの塔の先端に止まるのを見た。


「よくやったジュニアロス」


地を這うような低い声。その声に幻獣魔族の進行がピタリと止まる。


「よく聞け、人間ども。わしらの女神を返してもらうぞ」


ノドの奥で笑いを噛み締めたような声が深い谷底を伝って、ザワザワと神経を這い上がってくる。
幻獣魔族たちを率いているらしいその獣が何かを口にするたびに、空気が揺れ、風がオルギス王国へと黒い空気を送り込んでいく。


「フラン、アキーム。ラゼットを頼んだよ」

「フィオラ様」


フィオラが眠るラゼットの体をアキームにたくす。その行為の意味を察して、フランが何かを言いたそうに口ごもった。


「いいかい。ラゼットはこの世界の希望だ」


フィオラは心配そうに顔を曇らせる二人の少年に、ふっと力強い笑みを見せる。


「わたしなら大丈夫。史上最強と呼ばれた盾だよ。それよりもラゼットの手当の方が一刻を要する。国王様と王妃にこのことを告げ、ギルフレアの矛を探しなさい」


そこまで言われて共に戦うことができるほど、フランもアキームも大人ではない。まだ十年も生きていない少年たちにとって、唯一の大人であるフィオラの言葉は絶対。
お互いに顔を見合わせた後、ラゼットを見下ろした二人は、フィオラへと力強く一度だけうなずいた。


「させるか、ジュニアロス。女神を奪え」

「ッ、フラン、アキーム。いきなさい!!」


フィオラの身体から解き放たれた紫色の光が、ラゼットを襲おうとした巨大な鳥を包みこむ。


「おのれっ…フィオラぁあ…っ、女神様ぁぁ」


羽を広げることを奪われた古代竜は、悔しそうにバタバタと地面の上を流れていった。


「ラゼット、愛しているわ」


そうして無事に走り去っていく二人の少年とラゼットを見送った後、フィオラは一人、背後に群がる幻獣魔族へと向き直る。その目には怒りと覚悟、決意と疑惑の念が込められていた。


「なぜ、祈りの塔に幻獣魔族が?」


その声はうなり声をあげる大地の風に乗って、一族を率いて迫りくる将軍に笑みをこぼさせる。


「老いぼれの盾にわしらを食い止めることができるものか。フィオラよ、貴様が祈りの姫と呼ばれる時代は終わった。暗黒に染まったオルギスの盾がわしらをこの地へと招き入れたのだ」

「まさか」

「そのまさかだ、自分の娘に裏切られる悲しみに運命を呪えフィオラ。祈りは願いに、願いは呪いに、呪いはわが幻獣魔族の力を増幅させる源、呪いは闇となりてわしら幻獣魔族の糧となる」

「ッ!?」


その咆哮に地面が揺れていくのが否定できない。
何の力も持たない人間たちが魔人だと恐れる古代生物たちを相手にして生きられるわけがなかった。


「ここから先はいかせない」


背後にはオルギス王国がフィオラの祈りによってまだ守られている。砲撃や砲弾が紫色のベールに押し返されているのが何よりの証だが、祈りの塔がテゲルホルムに陥落した以上、何の保証もなくなってしまった。
じっと目の前の敵を見つめていたフィオラの瞳が閉じられ、大きな呼吸音が二回ほど聞こえてくる。やがて彼女の瞳が大きくカッと見開かれた。


「いくら老いぼれのわたしでも、守りたいものはいる」


フィオラの額に描かれた紫色の紋章が強く輝き始める。


「大地に宿る精霊たちよ、われの祈りを届けたまえ。今こそ眠りから覚め、世界に平和をもたらせたまへ」


それから十日。
フィオラの死と共に、祈りの塔はテゲルホルムより侵略してきた幻獣魔族の手に落ちた。
幸いにもフィオラの祈りによって守られたオルギス王国に負傷者は出なかったが、なぜかフィオラの死後も祈りの力は作用し続ける現象がおこっていた。そのため、幻獣魔族たちは祈りの塔を手に入れたことで一時満足し、それ以上の侵略をせずにテゲルホルムへと帰還していくことになる。


「どうして、どうして誰も助けてくれないの?」


祈りの塔が陥落するまでの十日間。フランとアキームと共にラゼットも必死に救援を求めたが、ギルフレア帝国は参戦することを口にしながら自国の問題を棚に上げて結局助けにはこなかった。
オルギス王国の民は、ギルフレア帝国を裏切りの国とし、この一件以来、両国の国交は劣悪なものと化していった。
そして、世界が悲しみに暮れたこの最悪の出来事を人々は後に「レルムメモリア」と呼ぶ。
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