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第拾章:あるべき姿へ

08:邂逅

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しんと静まり返る室内で、徐々に灰になって風化していく愚叉の姿に目を向けていると、ふと部屋の隅にとらわれた藤蜜姫の瞳が動いた気がした。


「……ッ、は…わらわの力も落ちたもの……」


かすれた声。
気位が高く、自信に満ちた雰囲気は変わらないが、生気や覇気がそこにはなく、ただ小さな音としてこぼれた声がぽつりと響く。


「藤蜜、無事か!?」


猟銃を持ったままの堂胡が、藤蜜姫にすがりつき、それを心底軽蔑した瞳で藤蜜姫は見つめた。


「無事も何も、わらわが己で決めたこと」

「なぜだ、なぜ。二百年も夜叉を裏切り、わしのもとに留まりながら、なぜ今頃になって去ろうとする!?」

「わらわが手を貸していたのは、将門之助であり、うぬではない」

「将門之助は五百年以上も前に死んだ。約束通り血は絶やさせておらん、保倉として傍においている」


会話がかみ合っていないというより、認識の共有ができていない。
そう思わずにはいられないほど、淡々と話す藤蜜姫と対照的に、堂胡は焦った声で藤蜜姫にまくし立てている。白衣を整えて立ち上がった保倉を無理やり傍に連れて「ほら」と藤蜜姫に見せつける。


「棋綱、人間はもとより、うぬも随分とつまらない生き物になった」


その笑顔が、この世の何より美しく、同時に恐ろしいと感じたのは胡涅だけではないだろう。


「よもや、わらわを出し抜けると本気で思っているのだとすれば、いとをかしなことよ。将門之助の血を絶やそうとし続けてきたうぬをわらわは決して許さぬ。二百年前、わらわがうぬのもとへ訪れ、交わした約束をたがうつもりか?」

「………くっ。保倉のくせにわしに抵抗するからだ。将門之助の血を引くものより昌紀のほうがよほど役に立ってきた。仙蒜を扱えるほどの力を手にした」

「うぬの事情は知らぬ。その力も、生来のものではないと知っていて匿うとは耳を疑う」

「血は絶やさせてないぞ」

「生まれては取り込み、育てては殺す。まあ、たしかに一理ある。幼い将充は将門之助の血だな」

「では、なぜ。今さら出ていこうとする」

「これ以上は山が怒る」


そしてどこか遠くを見つめる藤蜜姫の瞳に黄金色の光が増す。
棋綱と呼ばれた堂胡は、意味不明だと言わんばかりに唇を噛み締めて、わなわなと震えていた。


「うぬとの付き合いは七百年近くになるか。口にせねばわからぬとは、命を長らえたところで、面白味はないの」


堂胡に返せる言葉は持ち合わせていなかったのだろう。「二百年前、わらわが投降した時の約束を口にしてみろ」と、強気な藤蜜姫の態度で、その約束すら忘れてしまったのだと残念な気持ちになる。


「ま……将門之助の血を絶やさねば、何をしても許す、と」

「うぬは阿呆か。わらわはこう言った。紡ぐのと同じだけ、それが王との約束の期間。その期間、何をしてもすべてを許そう。ただし、将門之助の命を絶てばその限りではない」


すらすらと淀みなく告げられた言葉通りであれば、堂胡が何をしたところで、結果は変わらない。


「二百年、愛を紡ぎ。三百年、愛を見守り。そしてまた二百年、愛に生きた」


夜叉の愛は重い。
それは胡涅も身にしみて感じている。けれど、その重たさにも種類があり、藤蜜姫のそれは、なぜかギュッと胸が痛くなる。


「棋綱、唯一残した生来の血をぞんざいに扱わぬことだ」


妖しげに微笑む藤蜜姫から目がそらせない。
底知れない夜叉の力を垣間見て、誰もが床に足を縫い付けられたように一歩も動けなかった。しかし、そこに息を切らした女性が姿をみせる。


「堂胡様、幹久様が目を開けてくださらないのです、幹久様が、お願いします、お医者さまを」


あの状態から持ちこたえたのか。焦点のあっていない瞳を見る限りでは、現実を認識できているとは到底思えない。が、たしかに美都嘉は一人でそこにいる。


「堂胡様、ああ、保倉様、お願いいたします。幹久様をお助けください」


転がり込んだ部屋の中で見つけた屋敷の主人だけが救世主といわんばかりに、美都嘉は堂胡と昌紀の元でひざまずいて「幹久様を助けて」と懇願する。
服や手についた血が、黒く見える室内の暗さがせめてもの救いかもしれない。
医療に精通していなくてもわかる。
あの血の量と部屋の様子で、幹久が生きているわけはない。
愛する者が死んだ事実を受け入れられない美都嘉の悲痛な願いが室内に響くが、堂胡も昌紀もそれどころではない現実に直面しているのだから、どちらを優先するかは決まっている。


「七百年も生きれば、化け物になるか」


藤蜜姫はくすくすとおかしそうに笑ったが、胡涅は込み上げてくる嗚咽をこらえきれずに、口元を抑えた。
ごつごつとイヤな音が数回、響いた。
堂胡が持っていた猟銃で美都嘉の頭を殴り倒し、ごとりと気絶した身体が床に横たわった音が聞こえてくる。


「藤蜜、わしのもとから去ることは許さん。七百有余年、人間も進化を遂げるのだ」


そうして藤蜜姫の体に堂胡が突き刺したのは、どこからか取り出した注射器。おそらく、いつでもそうできるように、持ち歩いていたのだろう。
どす黒い液体が注入された瞬間、藤蜜姫は大きく目を見開いて、それからぐったりとうなだれた。


「……ふ、はは。欺滅草は、やはり効く。保倉、研究棟に二人を運べ」

「ほっ、本当によろしいのですか?」

「夜叉の世に戻させはせん。こういうときのために、藤蜜の血と相性の良い女を屋敷内に置いていたのだ。ためらうまでもない。ほれ、さっさと取巻草を動かして運べ」


人間と融合させれば、この世界にとどまるしかないと、堂胡は昌紀が取巻草でひとくくりにした藤蜜姫と美都嘉を連れていく。
保倉医師も狂気がにじんだ興奮を隠しもせずに後に続こうとしたそのとき、赤と青の気配が室内に現れた。
暗がりでもその瞳の色に正体はわかる。
保倉医師も咄嗟だったのだろう。何も考えず、興奮がそうさせたに違いない。


「……ふ……ふひゃ」


人間は、自分よりも格段上の獲物をしとめた時、安堵と興奮でそんな笑みを漏らすのだと、胡涅は遠ざかっていく風景に、走馬灯の終わりを瞳に刻んだ。


「ふじ、みつ……嗚呼…わし、の…藤蜜」

「わたしは藤蜜ではありません」


胡涅です。と、改めて告げる。
戻ってきた世界は、やはり白夜のような白い荒野で、取り囲む夜叉たちの中央で胡涅は堂胡の身体に触れた状態のままだった。


「私は、胡涅です」


すでに堂胡の体は三分の一も残っておらず、今見たものが歴史というなら七百年以上生きた肉体が原形を保てるはずもない。


「お祖父さま」


そう呼んでもいいのかと、ためらいが胸に住み着く。
血の繋がりはない。
すべての原因が堂胡だということもわかった。胡涅の身体が病弱なのも、両親がいないのも、外に出ることも許されず、研究員たちに囲まれて過ごした日々も。
それなのに、恨みを口にできない自分がいる。
過去がどうであれ、胡涅にとっては唯一の家族だった。育ててくれた人だった。自分にとっては、ただひとりの祖父だった。
藤蜜ではなく、胡涅と名付けてくれた。
おそらく、両親の残した名前だろう。
許す、許さない以前に、記憶に残る堂胡との日々は夢でも走馬灯でもなく、事実であり、思い出がある。


「……胡涅……」


ときどき、気まぐれに名前を呼んでくれる声が好きだった。最後のひと欠片が散っていくとき、聞こえた堂胡の声がギュッと胸を締め付けてくる。
手のひらに残るざらついたホコリのような感触を胸に、胡涅は声にならない嗚咽にひとり肩を震わせていた。
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