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第拾章:あるべき姿へ

01:八束の衆

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八束市はその昔、八人の夜叉を束ねた王が暮らしていたが、王は人間と恋におちた藤蜜姫に絶望して八束山となり、藤蜜姫と人間を外に逃がさないよう八束岳を形成したと言われている。
人間に味方した唯一の夜叉姫。藤蜜御前の伝承は、古くから八束市に根付いている。
「夜叉伝説が残る町、八束市へようこそ」
それは、八束市へ観光に訪れたものなら必ず目にする看板であり、八束山は観光名所のひとつとして、よく手入れされた市営公園でもある。


「ま………ッ、待って」


これは、ひとり、山登りを命じられた将充のものであり、胡涅のものではない。
体力のなさでいえば胡涅に軍配が上がりそうだが、胡涅は炉伯の腕で横抱きにされているのだから疲れようもなかった。


「貧弱な」


あまりに距離ができたため、将充が視界にはいる程度で足を止めた炉伯と朱禅は、胡涅の髪に口付けて、体力というよりかは、心を休めている。


「そう言うな、朱禅。俺たちが胡涅とたわむれる時間を作っているんだろうよ」

「であれば、なかなかに空気が読める」


俗にいうお姫様抱っこも、当然のようにされてしまえば、ここまで運ばれるのも自然の流れとして受け止めるしかない。とはいえ、隙あればキスをしてくるのはいかがなものか。


「………おりる」

「では、我の方へ来い」

「やだ。朱禅、へんなとこ触る」

「炉伯なら良いのか?」

「違う、だから降りるってば」


おそらく、二人はうさぎやネコのつもりで相手をしているに違いない。
首筋、胸、腰、お尻と数え上げたらキリがないが、不用意に身体を撫でないでほしいと訴えたところで、無意味だろう。頬擦り、愛撫、口付け、耳元で愛を囁き、余裕ぶった雰囲気で山を登る男たちは、ここぞとばかりに「胡涅不足」を解消している。


「おたわむれもいいですが、加勢していただいても?」


空から宙返りして眼前に降ってきた狗墨が、血まみれの顔に怒りを宿して、背中を向ける。
同時に愚叉が大口を開けて、刀を振り下ろし、ぶちギレた狗墨の刀と燐光を散らせた。


「加勢も何も、これしき、狗墨には問題ないだろう?」

「すべて駆逐すると、俺たちに啖呵をきったじゃねぇか」


二人は真剣に胡涅を愛でるのに忙しいらしい。降りるときかない胡涅をなだめるためにキスを送り、地面に足がついたところで逃がすものかと、身体を寄せあっている。その証拠に、二人の肉厚に潰された胡涅の小さなうめき声がそこにある。


「……胡涅様がよろしければ、なんでもいいです」


盛大な溜息をこぼした狗墨の刀が、夜の山で愚叉を切る。
『堂胡はどこへ行った?』
そう問いかけた狗墨に、将充は一言「知らない」と答えた。朱禅と炉伯にまで詰め寄られて、青ざめた顔でしきりに「知らない」と答えていたので、本当に知らなかったのだろう。
仕方がないと、炉伯が将充の記憶と部屋に残る残滓を頼りに、堂胡の行方を察知し、こうして八束山にきた。
将充がいるので狭間路を通るわけにもいかず、延々とここまで歩いてきたが、夜の街は静寂すぎるほど静寂で、一歩山に足を踏み入れたときからの不気味な威圧感に、炉伯が力を使うまでもなかったとぼやいているのが新鮮だった。
いや、静寂すぎるというのは語弊がある。


「すべて駆逐してやる」

「良い心がけだ」「胡涅のために励めよ」


愚叉が点在し、道すがら遭遇する不気味な姿は、舌打ちした狗墨がひとりでぶった切ってきた。


「狗墨、ケガしてない?」


肉厚で押しつぶそうとしてくる朱禅と炉伯の腕の中からでは、声をかけるしかできなかったが、将充に人工呼吸して以来、むすっとしていた狗墨の顔が少し緩む。


「狗墨……ッ、ちょ、炉伯……朱禅」

「学習能力がねぇな、胡涅は」

「狗墨ばかりを気にかけると痛い目をみるぞ」

「あー、もう、ほら、朱禅と炉伯も、私のことはいいから狗墨の」


加勢をしてあげてというお願いは、同時に聞こえた悲鳴によってかき消された。


「う、うわぁっ…ぅ゛……ぎゃ、あぁぁああ」


いちいちうるさい将充の声が少し下の方で叫ぶので、胡涅を愛でる二人も、愚叉を切った狗墨も「はぁ」と息を吐いて仕方なしに顔を向ける。
そして胡涅も顔を向けて、それからビクリと肩を揺らした。


「にゃはははは、うるさぁ。こんな愚叉ごときに、ほんっと、ビビりすぎぃ。邪魔だから切っただけだしぃ、あちきは礼よりも、精のつくオスが喰いたいにゃぁ」


甲高い女の声。楽しそうというより、愉快そうに弾むその声は、複数の気配をつれて将充の元からこちら側へ近づいてくる。
正確には、将充に襲い掛かった数体の愚叉を一瞬で片づけた夜叉たちというべきか。
可哀想に。将充は無事らしいが、腰が抜けてその場にへたり込んでいる。


「うーんんん?」


高い声は、腰を抜かした将充を通り抜けたところで一度止まり、首をかしげて将充の元まで後ずさる。


「ああ、何か知ってると思ったらぁ、あんさん、将門之助の子孫か、そっくりぃ。マジで似すぎ。吟慈、瀬尾、紘宇、こっちきてみー。将門之助がおるぇー」


キャッキャッと弾む女性らしき声で動く影は、背が低い。
太ももまでの短い着物に、下駄をはいて、よくとおる鈴の音のような声で「ぎんじ」「せお」「こうう」の三人の男を呼び寄せる。


「王の山に誰が来たかと思えば、将門之助殿ですか。心底歓迎しておりませんのに、ようこそわれらが王の山へ。して、なにようで?」


腰までのびた白銀の長髪をひとつに束ねた美しい男性は、にこやかに笑みを浮かべて、その長身の腰をおった。その横には、同じく白髪の男。


「せやけど、わいらが喪から起きたんは、将門之助やのぉて、新しい姫の覚醒を祝うためやろ?」


宴だ、酒だと、低い声をした男らしい短髪の白銀が、口元に鋼のお面をつけて腰に手をあてている。


「………どうでもいい。どうせ面倒なことしか起こらん」


最後に至ってはツノから布を垂らしているため顔はわからない。
ただ、全員が日本刀のような刀を持ち、襲い来る愚叉の群れを一刀両断したことは確かで、可哀想な将充は腰を抜かした状態で、やたら美形率が高い夜叉の面々に囲まれてしまったようだった。


「その腑抜け具合がなけりゃ、あちきの愛玩に……て、あっ、朱禅と炉伯じゃん。きゃー、本物じゃー。相変わらず、面が良いのぉ」


ぶんぶんと手を振った女夜叉の声に、複数の気配が一斉にこちらを向く。
明らかに知人だという雰囲気。
それなのに温度差を感じるのは気のせいだろうか。
胡涅は、夜叉の集団から能面でも貼り付けたみたいに表情が死んだ両端の朱禅と炉伯を見上げた。


「朱禅と炉伯の知り合い?」

「知り合いっつーか……」


無視を決め込もうとした朱禅に代わり、炉伯がうんざりした顔で何かを言いかけたその時、「んやぁ!?」と、なんともいえない胡涅の悲鳴が夜の山に響く。


「やわこー、やわこい。あの女の血に耐えたとは思えんくらいに、想像よりもちんまいぃぃい」


朱禅と炉伯のあいだにいたはずなのに、いつの間にか小さな女性の腕の中にいる。
呆気なくさらわれてしまった。あの朱禅と炉伯が、他人に奪われるのを許すはずもないのに簡単にさらわれてしまったと、胡涅の息が困惑に染まっていた。
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