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第漆章:怒り狂う男たち
02:愛玩の狗墨(前半)
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シーツの上でもつれ合い、吐く息すらもったいないと半分食い気味にキスをしてくる男に揺られて、胡涅の体は前後に熱を預けていた。
「ッ……いぬ、み」
もう何時間になるのか。いや、一時間も経過していないかもしれない。ここに時計などという概念はなく、時の流れは地上とは異なる。
閨(ねや)
それは、夜叉が外部の干渉を受けずに逢瀬を楽しむ家であり、囲いでもある。ある者は、それを「巣」だと表現したらしいが、性と食事の両方を満たす場所とするならそれもまた面白いと、胡涅の体は絶頂にしなりながら密かに微笑む。
「藤蜜さま」
今にも泣きだしそうな声で、自分の欲を内部にこすりつけてはキスを求める狗墨の首に腕を回して、胡涅は、いや、藤蜜は足まであげて狗墨の腰にまとわりついた。
「そんなにわらわが愛しいか?」
「はい……っ、お慕いしております」
ついにポロポロと涙の雨を降らせる狗墨に、藤蜜の顔も優しく変わる。
「うぬは、ほんに犬よの。朽ちた木の幹で拾ったときから何も変わらぬ」
「オレは藤蜜さまの狗です。あなたが名づけてくださった。忠実なる犬です」
「そうだったな」
よしよしと頭を撫でてやれば、狗墨は甘えるように藤蜜の首筋に顔を埋める。その頬に伝う涙をぺろりと舐めて、藤蜜はまたくすくすと笑った。
「狗墨。うぬを存分に愛でてやりたいが、少し抑えろ。この身体はもろく、弱い」
「オレは何度も果てていただける悦びを感じています」
「…ッ、ぁ……こら、わざとするな」
「藤蜜さま、オレは幸せです。どんな姿でも藤蜜さまを抱けるなら、オレは」
「………いぬ…み」
この娘は快楽に弱すぎると藤蜜が悪態づくが、それは狗墨を喜ばせる以外のなにものでもない。いつも優位に立ち、圧倒的な支配を見せていた思い人が、自分が触れるすべてに感じ、悶え、反応を返してすがりついてくるのを好機とばかりに責め立てていく。
「狗墨…ッ…いぬ、み」
何度も名前を呼ばれて、混ざり合って、溶けあう。
互いに裸でもつれ合って、絡み合ったまま狗墨が満足するまで、藤蜜は胡涅の体でその愛を受け取り続けていた。
「きちんと食事をとれているか?」
途切れていた息も落ち着きを取り戻し、つかの間の恋人のような時間を楽しめるのは胡涅の体の弱さのせいだと藤蜜は嘆息づく。差し込んだまま離れない狗墨は幸福だろうが、藤蜜自身にこの時間を楽しんできた記憶は少ない。
退屈しのぎに何かないかと、思案して思いついたのだろう。その質問は、先日、傷を癒すために食した女の影を指していた。
瞬間、むっと表情が変わった狗墨がすねたような顔で「壬禄が無理やり」と歯切れの悪い言葉を吐き出している。
「みろく……ああ、あの坊か」
狗墨に連れられて藤蜜が姿を現したときに、閨へとつながる部屋に居座っていた男だとすぐに悟る。狗墨を心配して待っていたのだろう。藤蜜を見るなり頭を下げてすぐに姿を消したが、あれは祖先種の子孫の子孫の子孫あたりか。ともあれ夜叉と呼ぶには血が薄く、けれど人間ではないその容貌に、藤蜜の顔が口角をあげたのは記憶に新しい。
「毘貴の愛玩だな」
「壬禄の話はいいです。今は、その口から他の男の名前を聞きたくない」
自分から口にしておいて、唇をふさいで黙らせてくる仕草に藤蜜は笑う。
キスを受けながらよしよしと頭を撫でるが、ふと、そこに別の顔がちらついた。
『この娘を人間として生かしてやれ』
なぜ、自分でもそういう言葉を吐いたのか疑問に思う。
自分が乗っ取ることで、わかる部分があるせいかもしれない。
将門之助、こと、保倉将充を食したあと、そそくさと服を整えた藤蜜は、将充が何かを言い出す前に「狗墨」と唱えた。すると、まるでランプの魔神みたいに、どこからともなく狗墨があらわれて、ベッドから降りた藤蜜の足元で膝をついて頭を下げていた。
「狗墨、参じました」
「息災か?」
「はい。この日をずっと待ちわびておりました」
顔を上げよと告げられた狗墨は、頬を染めて藤蜜を見上げる。
歓喜と感動で震える声や藤蜜を心酔した瞳で見つめるのとは対照的に、狗墨は将充を視線だけで殺せるほど睨み付ける。
「藤蜜さま」
「ならぬ」
懇願するように吐き出された狗墨の声を藤蜜はくすりと笑って断ち切る。
腰元に手を添え抜刀する構えを見る限りでは、狗墨は藤蜜と身体を重ねた男が憎くてたまらないらしい。許されるなら今すぐ八つ裂きにしたいと、雰囲気だけでも十分に伝わってくる。
「狗墨、行くぞ」
息をのんで必死に存在感を消そうとする将充を視界の端に写しながら、藤蜜は白い靄の中に歩き出していた。
いったいどこへ消えようというのか。
頭で考えるよりも先に、「あ、まっ待って、胡涅ちゃん」とかすれた声で腕を伸ばした将充は、半分以上かすんだ藤蜜に触れる前に、白刃の先に悲鳴をあげていた。
「寄るな、下郎が。藤蜜さまの気まぐれでなければ、即刻、この刃で切り裂けるものを」
黒髪、紫の瞳、右側だけの欠けた角と小さな牙。
明らかに人間ではない様子に、将充は藤蜜と狗墨がそろって消えるのを見届けるほかなかっただろう。そのあとすぐに、白髪の青い瞳を持つ夜叉に氷漬け寸前の恐怖を味わわされていることは、藤蜜と狗墨が知るはずもない。
「藤蜜さま、なぜあのような者を」
「わらわに説教する気か?」
「いえ、そんな」
白い靄の中を先頭きって歩く藤蜜の背後で、狗墨は小さく肩を落とす。けれど、態度とは裏腹に心はいますぐ抱きつきたくてたまらないと、興奮していた。
本物の犬であれば、間違いなく、しっぽが左右に触れていただろう。
「狗墨、その傷はどうした?」
閨につき、服を脱いだ際に藤蜜に指摘されて、初めて焦るそぶりを見せた狗墨は、無意識に左のわき腹をかばう。
「夜叉狩りにでもおうたか?」
慌てて一歩下がり、顔をそむけた狗墨の仕草に藤蜜は怪訝な顔をみせた。
「まさか、仲間内か?」
「ち、違います。今は、そんな時代でもないですし」
「もしや、あの時の傷がまだ癒えておらぬのか?」
心底驚いた顔などめったに見られないだけに、これも勲章のひとつかと狗墨が少し嬉しそうな顔をしたのは仕方がない。とはいえ、藤蜜にそれは関係のない話。
男が照れようと、顔を羞恥に赤らめようと、藤蜜にとって触れる男は大抵そのような顔をするのだから、いちいち気にしていられないというのが本音でもある。
「夜叉の回復力が追いつかぬのか。愚叉の傷は治りが遅いとはいえ、狗墨は半分人間だしの」
「ちょ、触れないでください」
「何を遠慮しておる。狗墨がわらわを拒む場所などあるものか」
あるはずもない壁際に追い詰めるように、藤蜜は狗墨を覗き込み、顔を寄せてせまっていく。狗墨は苦悶の顔で、藤蜜との距離を保ちながらじりじりと後退していた。
「ですが、オレは」
「人間の娘を四匹ほど食ったことなら、わらわは気にせぬ」
「オレが気にします」
抱き着けない理由を口にした狗墨の顔に、ついに藤蜜はケタケタと笑い声をあげた。
夜叉の食事が何かは、すでに誰もが知っている。今さらどこで、どのような食事をとろうと気にすることはないのに、律儀に反省どころか、真面目に後悔している狗墨の様子に藤蜜は込み上げてくる笑いを抑えられずにいた。
「おいで」
「……はい」
前後の態度がめちゃくちゃだと、狗墨は困った顔で藤蜜を見つめる。
その時にはすでに藤蜜の腕が首元に回り、爽やかでどことなく甘い藤の香りが鼻腔をくすぐっていた。
「いくら愛玩とはいえ、将門之助の匂いをうぬが消したいと思うように、わらわもそう思うのは道理であろう」
そう耳元でささやかれ、軽くほほを舐められて、止める理性はどこにもない。
なだれこむようにキスを交わした二人は、それから今まで二人きりの時間を堪能していたことになる。
「ッ……いぬ、み」
もう何時間になるのか。いや、一時間も経過していないかもしれない。ここに時計などという概念はなく、時の流れは地上とは異なる。
閨(ねや)
それは、夜叉が外部の干渉を受けずに逢瀬を楽しむ家であり、囲いでもある。ある者は、それを「巣」だと表現したらしいが、性と食事の両方を満たす場所とするならそれもまた面白いと、胡涅の体は絶頂にしなりながら密かに微笑む。
「藤蜜さま」
今にも泣きだしそうな声で、自分の欲を内部にこすりつけてはキスを求める狗墨の首に腕を回して、胡涅は、いや、藤蜜は足まであげて狗墨の腰にまとわりついた。
「そんなにわらわが愛しいか?」
「はい……っ、お慕いしております」
ついにポロポロと涙の雨を降らせる狗墨に、藤蜜の顔も優しく変わる。
「うぬは、ほんに犬よの。朽ちた木の幹で拾ったときから何も変わらぬ」
「オレは藤蜜さまの狗です。あなたが名づけてくださった。忠実なる犬です」
「そうだったな」
よしよしと頭を撫でてやれば、狗墨は甘えるように藤蜜の首筋に顔を埋める。その頬に伝う涙をぺろりと舐めて、藤蜜はまたくすくすと笑った。
「狗墨。うぬを存分に愛でてやりたいが、少し抑えろ。この身体はもろく、弱い」
「オレは何度も果てていただける悦びを感じています」
「…ッ、ぁ……こら、わざとするな」
「藤蜜さま、オレは幸せです。どんな姿でも藤蜜さまを抱けるなら、オレは」
「………いぬ…み」
この娘は快楽に弱すぎると藤蜜が悪態づくが、それは狗墨を喜ばせる以外のなにものでもない。いつも優位に立ち、圧倒的な支配を見せていた思い人が、自分が触れるすべてに感じ、悶え、反応を返してすがりついてくるのを好機とばかりに責め立てていく。
「狗墨…ッ…いぬ、み」
何度も名前を呼ばれて、混ざり合って、溶けあう。
互いに裸でもつれ合って、絡み合ったまま狗墨が満足するまで、藤蜜は胡涅の体でその愛を受け取り続けていた。
「きちんと食事をとれているか?」
途切れていた息も落ち着きを取り戻し、つかの間の恋人のような時間を楽しめるのは胡涅の体の弱さのせいだと藤蜜は嘆息づく。差し込んだまま離れない狗墨は幸福だろうが、藤蜜自身にこの時間を楽しんできた記憶は少ない。
退屈しのぎに何かないかと、思案して思いついたのだろう。その質問は、先日、傷を癒すために食した女の影を指していた。
瞬間、むっと表情が変わった狗墨がすねたような顔で「壬禄が無理やり」と歯切れの悪い言葉を吐き出している。
「みろく……ああ、あの坊か」
狗墨に連れられて藤蜜が姿を現したときに、閨へとつながる部屋に居座っていた男だとすぐに悟る。狗墨を心配して待っていたのだろう。藤蜜を見るなり頭を下げてすぐに姿を消したが、あれは祖先種の子孫の子孫の子孫あたりか。ともあれ夜叉と呼ぶには血が薄く、けれど人間ではないその容貌に、藤蜜の顔が口角をあげたのは記憶に新しい。
「毘貴の愛玩だな」
「壬禄の話はいいです。今は、その口から他の男の名前を聞きたくない」
自分から口にしておいて、唇をふさいで黙らせてくる仕草に藤蜜は笑う。
キスを受けながらよしよしと頭を撫でるが、ふと、そこに別の顔がちらついた。
『この娘を人間として生かしてやれ』
なぜ、自分でもそういう言葉を吐いたのか疑問に思う。
自分が乗っ取ることで、わかる部分があるせいかもしれない。
将門之助、こと、保倉将充を食したあと、そそくさと服を整えた藤蜜は、将充が何かを言い出す前に「狗墨」と唱えた。すると、まるでランプの魔神みたいに、どこからともなく狗墨があらわれて、ベッドから降りた藤蜜の足元で膝をついて頭を下げていた。
「狗墨、参じました」
「息災か?」
「はい。この日をずっと待ちわびておりました」
顔を上げよと告げられた狗墨は、頬を染めて藤蜜を見上げる。
歓喜と感動で震える声や藤蜜を心酔した瞳で見つめるのとは対照的に、狗墨は将充を視線だけで殺せるほど睨み付ける。
「藤蜜さま」
「ならぬ」
懇願するように吐き出された狗墨の声を藤蜜はくすりと笑って断ち切る。
腰元に手を添え抜刀する構えを見る限りでは、狗墨は藤蜜と身体を重ねた男が憎くてたまらないらしい。許されるなら今すぐ八つ裂きにしたいと、雰囲気だけでも十分に伝わってくる。
「狗墨、行くぞ」
息をのんで必死に存在感を消そうとする将充を視界の端に写しながら、藤蜜は白い靄の中に歩き出していた。
いったいどこへ消えようというのか。
頭で考えるよりも先に、「あ、まっ待って、胡涅ちゃん」とかすれた声で腕を伸ばした将充は、半分以上かすんだ藤蜜に触れる前に、白刃の先に悲鳴をあげていた。
「寄るな、下郎が。藤蜜さまの気まぐれでなければ、即刻、この刃で切り裂けるものを」
黒髪、紫の瞳、右側だけの欠けた角と小さな牙。
明らかに人間ではない様子に、将充は藤蜜と狗墨がそろって消えるのを見届けるほかなかっただろう。そのあとすぐに、白髪の青い瞳を持つ夜叉に氷漬け寸前の恐怖を味わわされていることは、藤蜜と狗墨が知るはずもない。
「藤蜜さま、なぜあのような者を」
「わらわに説教する気か?」
「いえ、そんな」
白い靄の中を先頭きって歩く藤蜜の背後で、狗墨は小さく肩を落とす。けれど、態度とは裏腹に心はいますぐ抱きつきたくてたまらないと、興奮していた。
本物の犬であれば、間違いなく、しっぽが左右に触れていただろう。
「狗墨、その傷はどうした?」
閨につき、服を脱いだ際に藤蜜に指摘されて、初めて焦るそぶりを見せた狗墨は、無意識に左のわき腹をかばう。
「夜叉狩りにでもおうたか?」
慌てて一歩下がり、顔をそむけた狗墨の仕草に藤蜜は怪訝な顔をみせた。
「まさか、仲間内か?」
「ち、違います。今は、そんな時代でもないですし」
「もしや、あの時の傷がまだ癒えておらぬのか?」
心底驚いた顔などめったに見られないだけに、これも勲章のひとつかと狗墨が少し嬉しそうな顔をしたのは仕方がない。とはいえ、藤蜜にそれは関係のない話。
男が照れようと、顔を羞恥に赤らめようと、藤蜜にとって触れる男は大抵そのような顔をするのだから、いちいち気にしていられないというのが本音でもある。
「夜叉の回復力が追いつかぬのか。愚叉の傷は治りが遅いとはいえ、狗墨は半分人間だしの」
「ちょ、触れないでください」
「何を遠慮しておる。狗墨がわらわを拒む場所などあるものか」
あるはずもない壁際に追い詰めるように、藤蜜は狗墨を覗き込み、顔を寄せてせまっていく。狗墨は苦悶の顔で、藤蜜との距離を保ちながらじりじりと後退していた。
「ですが、オレは」
「人間の娘を四匹ほど食ったことなら、わらわは気にせぬ」
「オレが気にします」
抱き着けない理由を口にした狗墨の顔に、ついに藤蜜はケタケタと笑い声をあげた。
夜叉の食事が何かは、すでに誰もが知っている。今さらどこで、どのような食事をとろうと気にすることはないのに、律儀に反省どころか、真面目に後悔している狗墨の様子に藤蜜は込み上げてくる笑いを抑えられずにいた。
「おいで」
「……はい」
前後の態度がめちゃくちゃだと、狗墨は困った顔で藤蜜を見つめる。
その時にはすでに藤蜜の腕が首元に回り、爽やかでどことなく甘い藤の香りが鼻腔をくすぐっていた。
「いくら愛玩とはいえ、将門之助の匂いをうぬが消したいと思うように、わらわもそう思うのは道理であろう」
そう耳元でささやかれ、軽くほほを舐められて、止める理性はどこにもない。
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