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第伍章:眠り姫の目覚め
05:姫のワガママ
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「あの男の匂いは消えたか?」
自身を引き抜く際、最後の引っ掛かりに震えた肌を見下ろして朱禅は問う。
ひくひくと、言葉を発しないどころか、ベッドにうつ伏せたまま尻だけを不恰好にあげて痙攣する胡涅の頭を撫で、うなじから背中にかけて手のひらで沈め、それから炉伯に視線を流して朱禅はホッと息をつく。
炉伯は微弱に揺れる胡涅の指先をかじっていたが、肯定も否定もせずに胡涅の手首の傷に舌をはわせた。
「元から薄い」
「ようやく我らの気も休まる」
「愛交花を刻みたいが、今の胡涅には負担が大きすぎる。他の男が触れるのはもちろん、匂いすらご法度だとわかればいいが」
「これほど痕を残せばイヤでもわかるだろう」
「胡涅は俺たちのつがいだ」
「ああ。我ら以外に触れる者がいるとは、苛立たしい限りだ」
胡涅の肌に点在する赤い印は、唇の痕だけならまだしも、手形も歯形も麻縄の傷も残っている。高く上がったお尻の間から白く垂れた一本の蜜が、濃厚さを隠しもせずゆっくりとシーツへと落ちていく。その甘美な光景にそれぞれ腕を伸ばして、指先で胡涅の割れ目に押し込んだ。
「胡涅が愛しくてたまらない」
「この狂おしいまでの愛を伝え足りないと思うのは夜叉ゆえか」
表面も内面も自分達で満たさなければおさまらなかったと、彼らは赤と青の瞳を交差してうなずきあった。
そして同時に目を細める。
一瞬にして全裸だった姿は豪華絢爛な和装の夜叉に変わり、顔の半分を覆う布は、彼らの顔を隠して胡涅を守る姿勢を見せた。
「嗚呼」
空気の重力が増し、威圧感に満ちていく。
「嗚呼、やはり夜叉は御免じゃ」
どこからか聞こえたその声に、二人同時に戦闘態勢に入ったのも無理はない。しかしその声の出どころに気付いて、すぐにベッドから飛び降り、片膝をつく形で頭を下げた。
「藤蜜御前」
朱禅と炉伯に名前を呼ばれて、胡涅の体が起き上がる。ほんの数秒前まで抱き潰されて痙攣していたとは思えないほど、優雅に淡々として、平然とそこにいる。
胡涅はベッドに腰かけたかと思えば足を組み、黄金色の瞳で頭を下げる男たちを冷めた気配で見つめた。
「うぬらは化け物じみて気色悪い。わらわの血を枯らす気か」
ふんっと鼻をならす胡涅の身体を借りた藤蜜は、その身体についた痕をみて「げ」と、心底イヤそうな表情を見せた。
「夜叉らしさでいえば天下一品だの、うぬらは」
「ありがたきお言葉」
「誠に感謝いたします」
「褒めておらぬわ、このたわけ」
調子が狂うといわんばかりに、藤蜜は朱禅と炉伯を一喝した。
「朱禅、わらわを睨むな。そんなにこの娘の体を取られるのが苦痛か?」
くつくつと喉の奥で藤蜜は笑う。
「炉伯、わらわを切れば、うぬらの番は首が落ちるぞ」
「ならば、さっさとお返しくだされ」
「その体は御前のものではない」
顔をあげる許可を出した覚えもないのに、朱禅と炉伯は怖い顔で藤蜜を見上げる。
形だけは服従を示しているが、その瞳は「どう消してやろう」と思考を巡らせているのだと告げていた。
「八束の衆と名を馳せただけは認めるが、うぬらは相変わらず口も態度も悪いの」
「御前、我らから胡涅を取り上げるつもりではあるまいな」
「である。といえば……はぁ」
冗談だと、藤蜜は突然切りつけられた二本の刃を眼前で止めながら息を吐き出す。
白刃に煌めく日本刀は、どちらも藤蜜にはあたっておらず、目に見えない障壁でもあるみたいに空気の膜が朱禅と炉伯の攻撃を止めていた。
「面倒な夜叉じゃな。嫉妬にかられ、人間の娘を食い散らかして楽しいか?」
「楽しい?」
攻撃を弾かれたことで刀を納めた朱禅が心底疑問だという顔で炉伯をみたが、同じく刀を下げた炉伯は肩をすかせるだけ。
その顔は両者ともに「当然の行為では?」と言っているのだから、藤蜜の顔はますます眉間を寄せてげんなりした。
「わかっておる。うぬらに聞いたのが間違いじゃ。夜叉の狂気ともいえる愛は重く、わらわには理解不能だ」
自分も夜叉のくせにとは誰も言わない。
彼らからすれば自分のほうが異端なのだと、藤蜜はその辺を理解していた。
「子犬一匹も許せぬか」
はぁと何度目かわからない息を飲み込んで、藤蜜は胡涅の身体で髪をかきあげる。
子犬一匹。
それをまた思い出したのか、刀を腰の鞘に戻した二人の顔は不機嫌そうに歪み、不貞腐れた態度でそこにある。
「この娘が、うぬら以外に触れるのを許すわけなかろう。嫉妬も度が過ぎればただの害悪よ」
「しかし、安易に触れられるのは許容できない」
「愚叉から逃げる際の介添えでもか?」
「あの程度の愚叉ならば逃げるまでもない。あえて逃げたのは胡涅に触れるため」
「…………あきれた」
嫉妬にかられた男も、盲目な男もごめんだと、藤蜜は胡涅の顔でうんざりした目を向ける。さすがに、惚れた女の顔で普段向けられない目を向けられて、朱禅も炉柏も拗ねた態度で口を閉ざした。
それを見て、藤蜜は赤と青のふたりに告げる。
「犬は、わらわの犬ぞ。そんじょそこらの野良犬と一緒にしてくれるな」
力の差は歴然としている。
夜叉の社会は年功序列と血の濃さで構成され、権威も権力もすべてそれで決まる。
その昔、夜叉の祖先とされる身児神(みこしん)が自然と調和し、祖先種とよばれる世代が蔓延るが、その中で生まれた均衡勢力をひとつにまとめた偉大なる王が「翁呻」であり、現在の「八束山」であるのは有名なおとぎ噺。
八束(やつか)は「八人の夜叉を束ねた王」に由来する名前だが、その八人に双子夜叉と恐れられた朱禅と炉伯がいたのもまた有名なはなし。
「うぬらの地位を思えば、今世に残る夜叉など恐れるに足らんだろうに」
そう愚痴をこぼす藤蜜は、祖先種の上、神々の時代に生まれた「身児神」と呼ばれる世代の女。当時も姫と呼ばれていたが、年功序列でいっても、血の濃さでいっても、藤蜜姫は夜叉のなかでも特別で、特異なのは誰もが知るところ。
「狗墨は御前の愛玩。とはいえ、夜叉はつがいに別の気配が残るのを嫌うは承知のはず」
「御前の印がなければ殺していた」
そんな夜叉姫が生前、気まぐれに飼った男が問題なのだと、朱禅と炉伯は不貞腐れていた。
「御前を求めて奪いに来たとも言いきれない」
「ようやく匂いが去ったのだ。我らに番をお返しくだされ」
飴玉をもらう子供じゃあるまいし。二人同時に手を差し出されても困るだけだと、藤蜜は目を細めた。
「子犬の匂いごときでガタガタと。狭量だな、うぬらは」
ふんっと藤蜜は明後日を向く。
「御前はわかっておられぬ」
朱禅が吐き捨てたので、藤蜜の意識がいやでも戻る。組んでいた足を戻し、両足を前に投げ出して、見えたキスマークや歯形に顔を歪めて、また朱禅を見る。
「夜叉の愛は重い」
「知ったようなことを」そう口にしようとした矢先、今度は炉伯に鼻で笑われる。
「夜叉の血を引くものはみな、等しく夜叉である。対象が人間であれど盲目になるのは、御前が一番身に沁みて知っておられるのでは?」
「うぬら、口が過ぎるぞ。翁呻の眷属だからと」
藤蜜は不機嫌に唇を歪めていた。合わせて、ビリビリと室内に異音が走っている。
「これだから夜叉は―――」
「偉大なる王が王たるゆえんは、懐の深さと、器のでかさゆえ。御前はそれを知っていて、まだ山には帰られないか?」
「―――翁呻がわらわを未だに守っているのは知っている」
何も言い返せなくなったのか。室内に満ちていた異音は鳴りやみ、圧迫感が消え、代わりに藤蜜が胡涅の顔で頬を膨らませていた。
「御前を連れ帰ることが我らの使命」
「俺たちが無事に連れていく」
「いやじゃ」
駄々をこねる子どもはどちらかと、朱禅と炉伯のこめかみに血筋が浮き出たのはいうまでもない。
「…………将門がおる」
胡涅の顔でやめてほしい。
二人がそう思ったのかは定かではないが、黄金色の瞳に恋を写して頬を染める藤蜜を朱禅と炉伯が何とも言えない目で見つめていた。
「将門は死んだ」
「わらわにはわかる。あれは将門じゃ」
自分の愛する女の姿で、別の男の名前を連呼される苦痛をどう相手すべきか。
口元が布で隠れているものの、二人の口角は引きつり、「将門」と名前を口にするだけで頬を染める胡涅に苛立ちを募らせていく。
「そうじゃ。うぬら、わらわを将門に会わせろ」
「断る」
「無理だな」
先ほどまで、散々嫉妬を形にして伝えていた男に対して、瞳を輝かせて言うことではない。必死で止める胡涅の姿も意識もないことが幸いか、いや、不幸なのか。どちらにせよ、全裸の胡涅と豪奢な和装の男二人では違和感が大き過ぎると断言できた。
* * * * * *
「将門に会うまで、わらわは山には帰らぬ」
それが、藤蜜の最後の言葉で、まるで言い逃げる形で消えていった。
あとに残されたのは気絶した胡涅の身体だけ。
「俺は将門に会わせるのは反対だ」
「同感だ。胡涅の瞳に他の男が映るなど、想像だけで腹が立つ」
意識を奪われ、好き勝手使用された身体は消耗し、あれだけ力を注いだにも関わらず、胡涅の体力はなくなっていた。
「やはり胡涅の身体を媒介に宿るか」
「顕現したのは初めてだな」
「心臓にある核も馴染みが早い」
「にしても、突然すぎるだろ」
朱禅と炉伯も気を削がれたように脱力し、全裸に戻ると、半分ベッドから飛び出した胡涅を抱き上げて、整えたベッドの上に丁寧に寝かせ、挟むように各々横を陣取りながら会話する。
「しばらく胡涅を抱けぬのは口惜しい」
「けど、胡涅以外に触れる気はない」
いつまた藤蜜に乗っ取られるかわからない以上、変に手出しができないと朱禅と炉伯は残念そうに息を吐いた。
ぎゅうっと音が出るほど抱きしめるせいで、胡涅が苦しそうな顔をしている。
それでも起きる気配はない。
「胡涅はもつか」
「もたせるしかあるまい」
「とはいえ、人間の時は早い」
「覚醒の兆しはある」
額にキスをして、それから迷惑そうに体をよじる胡涅をなだめる。
「胡涅、しばらくはまたチョコレートとやらが栄養源になるな」
つぶやいた声を胡涅は知らない。
悩める二人の男に挟まれて、息苦しく眠るだけ。それも記憶は散々な嫉妬をぶつけられたところで終わっている。
次、目覚めと共に、胡涅の気分は史上最悪だろうと、朱禅と炉伯は何ともいえない顔で胡涅の寝顔を眺めていた。
自身を引き抜く際、最後の引っ掛かりに震えた肌を見下ろして朱禅は問う。
ひくひくと、言葉を発しないどころか、ベッドにうつ伏せたまま尻だけを不恰好にあげて痙攣する胡涅の頭を撫で、うなじから背中にかけて手のひらで沈め、それから炉伯に視線を流して朱禅はホッと息をつく。
炉伯は微弱に揺れる胡涅の指先をかじっていたが、肯定も否定もせずに胡涅の手首の傷に舌をはわせた。
「元から薄い」
「ようやく我らの気も休まる」
「愛交花を刻みたいが、今の胡涅には負担が大きすぎる。他の男が触れるのはもちろん、匂いすらご法度だとわかればいいが」
「これほど痕を残せばイヤでもわかるだろう」
「胡涅は俺たちのつがいだ」
「ああ。我ら以外に触れる者がいるとは、苛立たしい限りだ」
胡涅の肌に点在する赤い印は、唇の痕だけならまだしも、手形も歯形も麻縄の傷も残っている。高く上がったお尻の間から白く垂れた一本の蜜が、濃厚さを隠しもせずゆっくりとシーツへと落ちていく。その甘美な光景にそれぞれ腕を伸ばして、指先で胡涅の割れ目に押し込んだ。
「胡涅が愛しくてたまらない」
「この狂おしいまでの愛を伝え足りないと思うのは夜叉ゆえか」
表面も内面も自分達で満たさなければおさまらなかったと、彼らは赤と青の瞳を交差してうなずきあった。
そして同時に目を細める。
一瞬にして全裸だった姿は豪華絢爛な和装の夜叉に変わり、顔の半分を覆う布は、彼らの顔を隠して胡涅を守る姿勢を見せた。
「嗚呼」
空気の重力が増し、威圧感に満ちていく。
「嗚呼、やはり夜叉は御免じゃ」
どこからか聞こえたその声に、二人同時に戦闘態勢に入ったのも無理はない。しかしその声の出どころに気付いて、すぐにベッドから飛び降り、片膝をつく形で頭を下げた。
「藤蜜御前」
朱禅と炉伯に名前を呼ばれて、胡涅の体が起き上がる。ほんの数秒前まで抱き潰されて痙攣していたとは思えないほど、優雅に淡々として、平然とそこにいる。
胡涅はベッドに腰かけたかと思えば足を組み、黄金色の瞳で頭を下げる男たちを冷めた気配で見つめた。
「うぬらは化け物じみて気色悪い。わらわの血を枯らす気か」
ふんっと鼻をならす胡涅の身体を借りた藤蜜は、その身体についた痕をみて「げ」と、心底イヤそうな表情を見せた。
「夜叉らしさでいえば天下一品だの、うぬらは」
「ありがたきお言葉」
「誠に感謝いたします」
「褒めておらぬわ、このたわけ」
調子が狂うといわんばかりに、藤蜜は朱禅と炉伯を一喝した。
「朱禅、わらわを睨むな。そんなにこの娘の体を取られるのが苦痛か?」
くつくつと喉の奥で藤蜜は笑う。
「炉伯、わらわを切れば、うぬらの番は首が落ちるぞ」
「ならば、さっさとお返しくだされ」
「その体は御前のものではない」
顔をあげる許可を出した覚えもないのに、朱禅と炉伯は怖い顔で藤蜜を見上げる。
形だけは服従を示しているが、その瞳は「どう消してやろう」と思考を巡らせているのだと告げていた。
「八束の衆と名を馳せただけは認めるが、うぬらは相変わらず口も態度も悪いの」
「御前、我らから胡涅を取り上げるつもりではあるまいな」
「である。といえば……はぁ」
冗談だと、藤蜜は突然切りつけられた二本の刃を眼前で止めながら息を吐き出す。
白刃に煌めく日本刀は、どちらも藤蜜にはあたっておらず、目に見えない障壁でもあるみたいに空気の膜が朱禅と炉伯の攻撃を止めていた。
「面倒な夜叉じゃな。嫉妬にかられ、人間の娘を食い散らかして楽しいか?」
「楽しい?」
攻撃を弾かれたことで刀を納めた朱禅が心底疑問だという顔で炉伯をみたが、同じく刀を下げた炉伯は肩をすかせるだけ。
その顔は両者ともに「当然の行為では?」と言っているのだから、藤蜜の顔はますます眉間を寄せてげんなりした。
「わかっておる。うぬらに聞いたのが間違いじゃ。夜叉の狂気ともいえる愛は重く、わらわには理解不能だ」
自分も夜叉のくせにとは誰も言わない。
彼らからすれば自分のほうが異端なのだと、藤蜜はその辺を理解していた。
「子犬一匹も許せぬか」
はぁと何度目かわからない息を飲み込んで、藤蜜は胡涅の身体で髪をかきあげる。
子犬一匹。
それをまた思い出したのか、刀を腰の鞘に戻した二人の顔は不機嫌そうに歪み、不貞腐れた態度でそこにある。
「この娘が、うぬら以外に触れるのを許すわけなかろう。嫉妬も度が過ぎればただの害悪よ」
「しかし、安易に触れられるのは許容できない」
「愚叉から逃げる際の介添えでもか?」
「あの程度の愚叉ならば逃げるまでもない。あえて逃げたのは胡涅に触れるため」
「…………あきれた」
嫉妬にかられた男も、盲目な男もごめんだと、藤蜜は胡涅の顔でうんざりした目を向ける。さすがに、惚れた女の顔で普段向けられない目を向けられて、朱禅も炉柏も拗ねた態度で口を閉ざした。
それを見て、藤蜜は赤と青のふたりに告げる。
「犬は、わらわの犬ぞ。そんじょそこらの野良犬と一緒にしてくれるな」
力の差は歴然としている。
夜叉の社会は年功序列と血の濃さで構成され、権威も権力もすべてそれで決まる。
その昔、夜叉の祖先とされる身児神(みこしん)が自然と調和し、祖先種とよばれる世代が蔓延るが、その中で生まれた均衡勢力をひとつにまとめた偉大なる王が「翁呻」であり、現在の「八束山」であるのは有名なおとぎ噺。
八束(やつか)は「八人の夜叉を束ねた王」に由来する名前だが、その八人に双子夜叉と恐れられた朱禅と炉伯がいたのもまた有名なはなし。
「うぬらの地位を思えば、今世に残る夜叉など恐れるに足らんだろうに」
そう愚痴をこぼす藤蜜は、祖先種の上、神々の時代に生まれた「身児神」と呼ばれる世代の女。当時も姫と呼ばれていたが、年功序列でいっても、血の濃さでいっても、藤蜜姫は夜叉のなかでも特別で、特異なのは誰もが知るところ。
「狗墨は御前の愛玩。とはいえ、夜叉はつがいに別の気配が残るのを嫌うは承知のはず」
「御前の印がなければ殺していた」
そんな夜叉姫が生前、気まぐれに飼った男が問題なのだと、朱禅と炉伯は不貞腐れていた。
「御前を求めて奪いに来たとも言いきれない」
「ようやく匂いが去ったのだ。我らに番をお返しくだされ」
飴玉をもらう子供じゃあるまいし。二人同時に手を差し出されても困るだけだと、藤蜜は目を細めた。
「子犬の匂いごときでガタガタと。狭量だな、うぬらは」
ふんっと藤蜜は明後日を向く。
「御前はわかっておられぬ」
朱禅が吐き捨てたので、藤蜜の意識がいやでも戻る。組んでいた足を戻し、両足を前に投げ出して、見えたキスマークや歯形に顔を歪めて、また朱禅を見る。
「夜叉の愛は重い」
「知ったようなことを」そう口にしようとした矢先、今度は炉伯に鼻で笑われる。
「夜叉の血を引くものはみな、等しく夜叉である。対象が人間であれど盲目になるのは、御前が一番身に沁みて知っておられるのでは?」
「うぬら、口が過ぎるぞ。翁呻の眷属だからと」
藤蜜は不機嫌に唇を歪めていた。合わせて、ビリビリと室内に異音が走っている。
「これだから夜叉は―――」
「偉大なる王が王たるゆえんは、懐の深さと、器のでかさゆえ。御前はそれを知っていて、まだ山には帰られないか?」
「―――翁呻がわらわを未だに守っているのは知っている」
何も言い返せなくなったのか。室内に満ちていた異音は鳴りやみ、圧迫感が消え、代わりに藤蜜が胡涅の顔で頬を膨らませていた。
「御前を連れ帰ることが我らの使命」
「俺たちが無事に連れていく」
「いやじゃ」
駄々をこねる子どもはどちらかと、朱禅と炉伯のこめかみに血筋が浮き出たのはいうまでもない。
「…………将門がおる」
胡涅の顔でやめてほしい。
二人がそう思ったのかは定かではないが、黄金色の瞳に恋を写して頬を染める藤蜜を朱禅と炉伯が何とも言えない目で見つめていた。
「将門は死んだ」
「わらわにはわかる。あれは将門じゃ」
自分の愛する女の姿で、別の男の名前を連呼される苦痛をどう相手すべきか。
口元が布で隠れているものの、二人の口角は引きつり、「将門」と名前を口にするだけで頬を染める胡涅に苛立ちを募らせていく。
「そうじゃ。うぬら、わらわを将門に会わせろ」
「断る」
「無理だな」
先ほどまで、散々嫉妬を形にして伝えていた男に対して、瞳を輝かせて言うことではない。必死で止める胡涅の姿も意識もないことが幸いか、いや、不幸なのか。どちらにせよ、全裸の胡涅と豪奢な和装の男二人では違和感が大き過ぎると断言できた。
* * * * * *
「将門に会うまで、わらわは山には帰らぬ」
それが、藤蜜の最後の言葉で、まるで言い逃げる形で消えていった。
あとに残されたのは気絶した胡涅の身体だけ。
「俺は将門に会わせるのは反対だ」
「同感だ。胡涅の瞳に他の男が映るなど、想像だけで腹が立つ」
意識を奪われ、好き勝手使用された身体は消耗し、あれだけ力を注いだにも関わらず、胡涅の体力はなくなっていた。
「やはり胡涅の身体を媒介に宿るか」
「顕現したのは初めてだな」
「心臓にある核も馴染みが早い」
「にしても、突然すぎるだろ」
朱禅と炉伯も気を削がれたように脱力し、全裸に戻ると、半分ベッドから飛び出した胡涅を抱き上げて、整えたベッドの上に丁寧に寝かせ、挟むように各々横を陣取りながら会話する。
「しばらく胡涅を抱けぬのは口惜しい」
「けど、胡涅以外に触れる気はない」
いつまた藤蜜に乗っ取られるかわからない以上、変に手出しができないと朱禅と炉伯は残念そうに息を吐いた。
ぎゅうっと音が出るほど抱きしめるせいで、胡涅が苦しそうな顔をしている。
それでも起きる気配はない。
「胡涅はもつか」
「もたせるしかあるまい」
「とはいえ、人間の時は早い」
「覚醒の兆しはある」
額にキスをして、それから迷惑そうに体をよじる胡涅をなだめる。
「胡涅、しばらくはまたチョコレートとやらが栄養源になるな」
つぶやいた声を胡涅は知らない。
悩める二人の男に挟まれて、息苦しく眠るだけ。それも記憶は散々な嫉妬をぶつけられたところで終わっている。
次、目覚めと共に、胡涅の気分は史上最悪だろうと、朱禅と炉伯は何ともいえない顔で胡涅の寝顔を眺めていた。
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