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第参章:八束市の支配者
03:家ではないどこか
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会食を終え、どこか満足そうな祖父を置き去りに店を抜け出し、すっかり日暮れになった町の光を浴びる。市街ではあるが、大きくもなく、小さくもない町。それでもそれなりに商業施設や企業が立ち並び、主要な道路や駅は身近にある。
有名な温泉地ということもあって、観光産業が盛んなせいかもしれない。そんな町で「棋風院」は目立ちすぎる。
「炉伯」
今日の送迎人を呼び出してみれば、いつからそこにいたのか。右側に腰を折る白髪の美形がいた。
「不機嫌そうだな、胡涅」
あげた顔の奥にある青色の瞳がそう告げてくる。実際の声はない。なぜなら、胡涅に続いて、堂胡が姿を現したからだった。
ほぼ半日貸し切りにした店から出てきた堂胡は、店員たちに見送られ、複数の部下を引き連れてそこにいる。
「では、わしはそろそろ行く。何かあればすぐに連絡しなさい」
「……はい」
返事をする孫娘ではなく、その後方にたたずむ白髪の男を堂胡は睨んでいる。
何かあればの「何か」が、胡涅の傍にいる『オス』に向けられたものでなければいい。それを報告するのであれば、事後報告になってしまう。
キスから先に進んでしまった関係に、名前はない。恋人でも婚約者でもなく、処女という体裁も保っていれば、名前のつけようもない。ただの護衛。ただの従業員。
「食欲がまだ戻らんようだ。何かあればすぐに報告せよ」
堂胡は炉伯に命令したが、炉伯が無視を決め込んだので、ちょっと嬉しい。
「藤蜜、次はいつ会えるのか」
胡涅も炉伯を真似して堂胡を無視することにした。いつもなにも、どうせ一ヶ月後には同じ光景を繰り返している。
藤蜜という愛称に、嫌気を持ちはじめているが、堂胡はそれをやめない。
それらしい言葉を口にするのは、孫娘への純粋な心配だと思いたいのに、そう思わせない何かを感じる。それは日増しに感じるのだから、勘違いではないのかもしれない。
「傍に置けぬのが忌々しい。よいか、何かあればすぐに、特に体調に変化が出たときは……」
「丁度良い。我らもその事について聞きたいことがある」
朱禅までそこに現れたことに驚いたのだろう。胡涅の代わりに答えた声に振り向いて、堂胡は言葉を失くす。
無理もない。
彼らは巨大な壁と同じ。毎日挟まれているのだから、彼らに前後を挟まれる圧迫感はイヤというほど知っている。
まさに双璧。フタカベとはよく名付けたものだと、胡涅は他人事のようにその光景を見つめていた。
「………お前たちと話すことはない」
赤い瞳と青い瞳に挟まれた場所で、堂胡はふんっと鼻を鳴らして静かに立ち去っていった。
真っ黒の従者と共に運転手に運ばれた祖父を見送り、今度こそ、会食は終わりを告げた。一ヶ月に一度の食事会を楽しみにしていたのは、記憶にないほど遠いむかし。今は苦痛が自分でわかるほど、この日がイヤでイヤでたまらない。
「胡涅。車は少し先に……はぁ」
途中まで口にした朱禅の声が呆れた息を吐き出す。
炉伯も困ったように肩をすくめて、胡涅の背中を見つめていた。
「おーい、胡涅。どこ行くんだ?」
「放っといて」
「不機嫌だからって当たるなよ」
「当たってないもん。歩いて帰りたいだけ」
炉伯の言うとおり、これが八つ当たりだと自覚している。そして同時に、甘えているのだと理解している。
自分の感情を素直に吐露できるのは、心を許した間柄でないと難しい。特に怒ったり、泣いたりする負の感情ほど、蓋をすることを覚えた性格は、素直さと真逆の態度を吐き出していく。
「たまには歩くか」
「胡涅がそうしたいのであれば、付き合うとしよう」
一本道を入れば古風な静寂に満ちている。普段なら人目を避けてそうした道を好む。けれど今は大通りを歩いていきたい。
どこまでも甘い二人は、胡涅の数歩を一歩で詰める。不機嫌に街路樹の下を歩いていた胡涅は、甘えさせるように近付いた二人の気配に、少しだけ歩くスピードをゆるめた。
「………おなかすいた」
地面をみながらポツリと呟く。
それでも地獄耳かと思えるほど、上の方にある美形たちは聞き逃さないのだからスゴいと思う。
「食事会でまた食わなかったのか?」
「だって、炉伯。不味いんだもん」
「一流のシェフではなかったか?」
「朱禅のほうが腕は上だよ」
顔をあげて、それぞれに答える。
これだけ手足が長いのに、歩幅を考えてくれる優しさが嬉しい。聞こえやすいように、身体を屈めて話してくれるのも嬉しい。
些細なことに気付き始めれば、二人の間にいる居心地のよさは、至福の喜びだと思えてくる。
「ねぇ、朱禅が作ったご飯が食べたい」
ワガママを口にして、わざとらしく二人を横に並べて後ろから腕を組んでも、朱禅も炉伯もまったく怒らない。愛なんてないただの雇用主にベタベタ触られて、イヤな顔ひとつしない。
それなのに祖父よりも愛を感じる。
遠くの親戚より近くの他人。そんな言葉が当てはまる気がする。
「朱禅も炉伯も、いい匂いがする」
「なら、もっと嗅いで俺の匂い覚えろよ」
「わっ……ちょっとあぶな…ッ」
ぐいっと抱き寄せた炉伯によろけた身体が、同じように腕を回した朱禅との間で止まる。
「胡涅も我ら好みの匂いをしている」
「嗚呼、うまそうだ」
耳元で囁くのだけはやめてほしい。
外なのに変な気分がおこりそうになる。周囲を意識して、平常心を装っているが、心臓は早鐘を打っている。それがこの二人にバレないはずもない。別に朱禅も炉伯もいつも通りで、なにも変わらない。
この距離の近さはずっと同じ。
変わってしまったのは、自分の感情だということに、気付いてしまえばそれがすべて。
「………ッ」
からかわれているだけだとしても、勝手に意識してしまう。中途半端に進展した関係がそこから先を期待してしまう。
意識したくない。今まで平気だった自分が恨めしいほど、彼らの一挙一動が胸の高鳴りを連れてすごくうるさい。
「手が冷えているようだが寒くないか?」
「……寒いって言ったら?」
「ならば、もっと近くへ寄れ」
「ちょっ……もう」
女慣れしているイケメンはさすがだなと内心で感心しつつ、胡涅もそれをやめない。
やめたくない。
許されるならもっと、ずっと、深くて濃い関係になりたい。
「朱禅、お祖父さまに知られちゃう」
「すぐにどうこうできる場所にいない」
「炉伯、ち、近い」
「胡涅がイヤならすぐに離れよう」
離れないでほしい。安心できる匂いに包まれていたい。
この二人とずっと一緒にいられるなら、世間体や祖父を裏切ってもいいと思うほどには惹かれている。
「好き……ッ、やっぱりこの匂い好き。いい匂いがする。香水変えたの?」
「いや」
「へ……へぇ」
思わず漏れた本音を誤魔化して、胡涅はスーツの上着を差し出してくる朱禅に腕を伸ばした。
それから、朱禅のスーツを羽織らせてもらって、ブカブカとコートみたいな大きさの袖を揺らして、胡涅はその匂いを肺いっぱいに吸い込む。
「今日は何もしたくないなぁ」
チラッと上目使いで首をかしげて、調子にのって歩くのもイヤだと続ければ「そうか」と、お姫様抱っこしようとしてきたので、さすがにそれは遠慮しておいた。
平日の黄昏時。車も人も行き交う大通りにいる。大抵は観光客だが、どこで誰にみられているかわからない。
祖父の監視の目はいつもそこら辺にある。
忘れてはいないのに、忘れそうになるのは二人が作る雰囲気のせいだろう。現実に意識を向ければ、四方八方から視線を集めているとわかる。
これ以上の公開羞恥プレイはゴメンだと、胡涅は朱禅と炉伯から離れるために、わざと一歩大きく前に躍り出た。
「もう帰りたいけど、まだ帰りたくない」
自分だったらこんな主人はイヤだと思う台詞が止まらない。無駄に目的もなく歩かされ、感情をぶつけて、ワガママで振り回す。こんな聞き分けのない性格をしてたかと、自分でも驚くほど、胡涅はぷくっと頬を膨らませていていた。
「温泉でも行くか?」
「温泉……行きたい…けど」
炉伯の提案に胡涅は少し頭を悩ませて、承諾して、言葉を濁す。
まっすぐ帰らなくては、また祖父から説教をくらう羽目になりそうで面倒くさい。せっかく別れられたのに「胡涅がさらわれた」と事態を大きくして他方に迷惑をかけるのだけは避けたい。
「堂胡も今日は関心を控えるさ」
「胡涅の機嫌取りが最優先だからな」
「市内から出なければ平気だろう」
「緋丸温泉なら堂胡も目をつぶる」
根拠のない炉伯の発言に朱禅も加担したため、多数決で言えば進路は温泉に変更になった。
「……じゃあ、行く」
胡涅の暮らす八束市には、緋丸温泉という有名な温泉地がある。由来によれば、その昔、この地にいた夜叉の王が、実らない恋を嘆いて山となり、現在も市を囲む八束岳の元となった。その後、王を偲んで集まった夜叉とこの地に暮らす人間との争いがあり、その時の合戦で温泉が湧き出たという。温泉は、討ち取った夜叉の名前から緋丸温泉と名付けられ、万病平癒の温泉として、八束市の観光源となっている。
「部屋、空いてるかな?」
胡涅は電話をかける朱禅を見上げながら、抱きついてきた炉伯に問いかける。
「棋風院の名前で取れないわけないだろ」
呆れた声で頭を撫でられたが、それもそうかと思い直した。
それなりに観光で栄えている八束市だが、もうひとつ、この市で一代産業を築いたのが棋風院家であり、胡涅の実家でもある。
八束市に棋風院あり。
八束市の繁栄は棋風院で成り立っているといっても過言ではない。
それこそ温泉が沸いた頃に創業したというのだから、歴史は古く、創業者は「棋綱(きつな)」と聞いたことがある。今に続く「棋綱製薬」は世界でも有数の製薬会社であり、特に寿命を伸ばす部類の薬に強い。そんな家系に生まれた特異体質の病弱な娘。跡継ぎが胡涅ひとりとは、皮肉にもほどがある。
「……っ」
妙な視線を感じて、反射的に朱禅の服の端をつかむ。炉伯が腰に回す腕を強めたのは、気のせいだと思いたい。
自分よりも彼らの方が野性的で、冴える勘を持っているのだから、そんな風に緊張を走らせないでほしい。
「殺すか?」
「何体目だよ」
朱禅と炉伯の口パクは、もはや見なかったことにしたい。
彫られた墨の朝顔が踊る気がして、胡涅は無言で彼らを見つめていた。
有名な温泉地ということもあって、観光産業が盛んなせいかもしれない。そんな町で「棋風院」は目立ちすぎる。
「炉伯」
今日の送迎人を呼び出してみれば、いつからそこにいたのか。右側に腰を折る白髪の美形がいた。
「不機嫌そうだな、胡涅」
あげた顔の奥にある青色の瞳がそう告げてくる。実際の声はない。なぜなら、胡涅に続いて、堂胡が姿を現したからだった。
ほぼ半日貸し切りにした店から出てきた堂胡は、店員たちに見送られ、複数の部下を引き連れてそこにいる。
「では、わしはそろそろ行く。何かあればすぐに連絡しなさい」
「……はい」
返事をする孫娘ではなく、その後方にたたずむ白髪の男を堂胡は睨んでいる。
何かあればの「何か」が、胡涅の傍にいる『オス』に向けられたものでなければいい。それを報告するのであれば、事後報告になってしまう。
キスから先に進んでしまった関係に、名前はない。恋人でも婚約者でもなく、処女という体裁も保っていれば、名前のつけようもない。ただの護衛。ただの従業員。
「食欲がまだ戻らんようだ。何かあればすぐに報告せよ」
堂胡は炉伯に命令したが、炉伯が無視を決め込んだので、ちょっと嬉しい。
「藤蜜、次はいつ会えるのか」
胡涅も炉伯を真似して堂胡を無視することにした。いつもなにも、どうせ一ヶ月後には同じ光景を繰り返している。
藤蜜という愛称に、嫌気を持ちはじめているが、堂胡はそれをやめない。
それらしい言葉を口にするのは、孫娘への純粋な心配だと思いたいのに、そう思わせない何かを感じる。それは日増しに感じるのだから、勘違いではないのかもしれない。
「傍に置けぬのが忌々しい。よいか、何かあればすぐに、特に体調に変化が出たときは……」
「丁度良い。我らもその事について聞きたいことがある」
朱禅までそこに現れたことに驚いたのだろう。胡涅の代わりに答えた声に振り向いて、堂胡は言葉を失くす。
無理もない。
彼らは巨大な壁と同じ。毎日挟まれているのだから、彼らに前後を挟まれる圧迫感はイヤというほど知っている。
まさに双璧。フタカベとはよく名付けたものだと、胡涅は他人事のようにその光景を見つめていた。
「………お前たちと話すことはない」
赤い瞳と青い瞳に挟まれた場所で、堂胡はふんっと鼻を鳴らして静かに立ち去っていった。
真っ黒の従者と共に運転手に運ばれた祖父を見送り、今度こそ、会食は終わりを告げた。一ヶ月に一度の食事会を楽しみにしていたのは、記憶にないほど遠いむかし。今は苦痛が自分でわかるほど、この日がイヤでイヤでたまらない。
「胡涅。車は少し先に……はぁ」
途中まで口にした朱禅の声が呆れた息を吐き出す。
炉伯も困ったように肩をすくめて、胡涅の背中を見つめていた。
「おーい、胡涅。どこ行くんだ?」
「放っといて」
「不機嫌だからって当たるなよ」
「当たってないもん。歩いて帰りたいだけ」
炉伯の言うとおり、これが八つ当たりだと自覚している。そして同時に、甘えているのだと理解している。
自分の感情を素直に吐露できるのは、心を許した間柄でないと難しい。特に怒ったり、泣いたりする負の感情ほど、蓋をすることを覚えた性格は、素直さと真逆の態度を吐き出していく。
「たまには歩くか」
「胡涅がそうしたいのであれば、付き合うとしよう」
一本道を入れば古風な静寂に満ちている。普段なら人目を避けてそうした道を好む。けれど今は大通りを歩いていきたい。
どこまでも甘い二人は、胡涅の数歩を一歩で詰める。不機嫌に街路樹の下を歩いていた胡涅は、甘えさせるように近付いた二人の気配に、少しだけ歩くスピードをゆるめた。
「………おなかすいた」
地面をみながらポツリと呟く。
それでも地獄耳かと思えるほど、上の方にある美形たちは聞き逃さないのだからスゴいと思う。
「食事会でまた食わなかったのか?」
「だって、炉伯。不味いんだもん」
「一流のシェフではなかったか?」
「朱禅のほうが腕は上だよ」
顔をあげて、それぞれに答える。
これだけ手足が長いのに、歩幅を考えてくれる優しさが嬉しい。聞こえやすいように、身体を屈めて話してくれるのも嬉しい。
些細なことに気付き始めれば、二人の間にいる居心地のよさは、至福の喜びだと思えてくる。
「ねぇ、朱禅が作ったご飯が食べたい」
ワガママを口にして、わざとらしく二人を横に並べて後ろから腕を組んでも、朱禅も炉伯もまったく怒らない。愛なんてないただの雇用主にベタベタ触られて、イヤな顔ひとつしない。
それなのに祖父よりも愛を感じる。
遠くの親戚より近くの他人。そんな言葉が当てはまる気がする。
「朱禅も炉伯も、いい匂いがする」
「なら、もっと嗅いで俺の匂い覚えろよ」
「わっ……ちょっとあぶな…ッ」
ぐいっと抱き寄せた炉伯によろけた身体が、同じように腕を回した朱禅との間で止まる。
「胡涅も我ら好みの匂いをしている」
「嗚呼、うまそうだ」
耳元で囁くのだけはやめてほしい。
外なのに変な気分がおこりそうになる。周囲を意識して、平常心を装っているが、心臓は早鐘を打っている。それがこの二人にバレないはずもない。別に朱禅も炉伯もいつも通りで、なにも変わらない。
この距離の近さはずっと同じ。
変わってしまったのは、自分の感情だということに、気付いてしまえばそれがすべて。
「………ッ」
からかわれているだけだとしても、勝手に意識してしまう。中途半端に進展した関係がそこから先を期待してしまう。
意識したくない。今まで平気だった自分が恨めしいほど、彼らの一挙一動が胸の高鳴りを連れてすごくうるさい。
「手が冷えているようだが寒くないか?」
「……寒いって言ったら?」
「ならば、もっと近くへ寄れ」
「ちょっ……もう」
女慣れしているイケメンはさすがだなと内心で感心しつつ、胡涅もそれをやめない。
やめたくない。
許されるならもっと、ずっと、深くて濃い関係になりたい。
「朱禅、お祖父さまに知られちゃう」
「すぐにどうこうできる場所にいない」
「炉伯、ち、近い」
「胡涅がイヤならすぐに離れよう」
離れないでほしい。安心できる匂いに包まれていたい。
この二人とずっと一緒にいられるなら、世間体や祖父を裏切ってもいいと思うほどには惹かれている。
「好き……ッ、やっぱりこの匂い好き。いい匂いがする。香水変えたの?」
「いや」
「へ……へぇ」
思わず漏れた本音を誤魔化して、胡涅はスーツの上着を差し出してくる朱禅に腕を伸ばした。
それから、朱禅のスーツを羽織らせてもらって、ブカブカとコートみたいな大きさの袖を揺らして、胡涅はその匂いを肺いっぱいに吸い込む。
「今日は何もしたくないなぁ」
チラッと上目使いで首をかしげて、調子にのって歩くのもイヤだと続ければ「そうか」と、お姫様抱っこしようとしてきたので、さすがにそれは遠慮しておいた。
平日の黄昏時。車も人も行き交う大通りにいる。大抵は観光客だが、どこで誰にみられているかわからない。
祖父の監視の目はいつもそこら辺にある。
忘れてはいないのに、忘れそうになるのは二人が作る雰囲気のせいだろう。現実に意識を向ければ、四方八方から視線を集めているとわかる。
これ以上の公開羞恥プレイはゴメンだと、胡涅は朱禅と炉伯から離れるために、わざと一歩大きく前に躍り出た。
「もう帰りたいけど、まだ帰りたくない」
自分だったらこんな主人はイヤだと思う台詞が止まらない。無駄に目的もなく歩かされ、感情をぶつけて、ワガママで振り回す。こんな聞き分けのない性格をしてたかと、自分でも驚くほど、胡涅はぷくっと頬を膨らませていていた。
「温泉でも行くか?」
「温泉……行きたい…けど」
炉伯の提案に胡涅は少し頭を悩ませて、承諾して、言葉を濁す。
まっすぐ帰らなくては、また祖父から説教をくらう羽目になりそうで面倒くさい。せっかく別れられたのに「胡涅がさらわれた」と事態を大きくして他方に迷惑をかけるのだけは避けたい。
「堂胡も今日は関心を控えるさ」
「胡涅の機嫌取りが最優先だからな」
「市内から出なければ平気だろう」
「緋丸温泉なら堂胡も目をつぶる」
根拠のない炉伯の発言に朱禅も加担したため、多数決で言えば進路は温泉に変更になった。
「……じゃあ、行く」
胡涅の暮らす八束市には、緋丸温泉という有名な温泉地がある。由来によれば、その昔、この地にいた夜叉の王が、実らない恋を嘆いて山となり、現在も市を囲む八束岳の元となった。その後、王を偲んで集まった夜叉とこの地に暮らす人間との争いがあり、その時の合戦で温泉が湧き出たという。温泉は、討ち取った夜叉の名前から緋丸温泉と名付けられ、万病平癒の温泉として、八束市の観光源となっている。
「部屋、空いてるかな?」
胡涅は電話をかける朱禅を見上げながら、抱きついてきた炉伯に問いかける。
「棋風院の名前で取れないわけないだろ」
呆れた声で頭を撫でられたが、それもそうかと思い直した。
それなりに観光で栄えている八束市だが、もうひとつ、この市で一代産業を築いたのが棋風院家であり、胡涅の実家でもある。
八束市に棋風院あり。
八束市の繁栄は棋風院で成り立っているといっても過言ではない。
それこそ温泉が沸いた頃に創業したというのだから、歴史は古く、創業者は「棋綱(きつな)」と聞いたことがある。今に続く「棋綱製薬」は世界でも有数の製薬会社であり、特に寿命を伸ばす部類の薬に強い。そんな家系に生まれた特異体質の病弱な娘。跡継ぎが胡涅ひとりとは、皮肉にもほどがある。
「……っ」
妙な視線を感じて、反射的に朱禅の服の端をつかむ。炉伯が腰に回す腕を強めたのは、気のせいだと思いたい。
自分よりも彼らの方が野性的で、冴える勘を持っているのだから、そんな風に緊張を走らせないでほしい。
「殺すか?」
「何体目だよ」
朱禅と炉伯の口パクは、もはや見なかったことにしたい。
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