上 下
7 / 74
第壱章:ふたりトひとり

04:二度目の再会

しおりを挟む
初めて胡涅が朱禅と炉伯の存在に触れてから十四年。十八歳になった胡涅の存在は、すでに屋敷から消え失せていた。
代わりに、巨木に捕らわれた赤と青の二人はずっと、屋敷の地下で眠っていた。朱禅も、炉伯も、目を閉じ、消えそうなほどの息を繰り返して、あれから一度も目覚めることなく眠っていた。
ずっと同じ夢を見ていた。もどかしくて、やるせなくて、胸の中に幾重ものクモの巣が張り巡らされたような感覚。ずっと晴れない雲の中にいて、叫んでも、暴れても抜け出せない、晴れない感覚に、苛立ちと不快感だけが増していく。


「あー……マジで、最悪」


呟いた声は夢か現実か。それすら把握できない自分が情けなくてイヤになるが、この状況なら仕方ないかと炉伯は思う。
正体不明の植物に囚われて十八年。窓のない暗い部屋で同じ体勢で身動きがとれないばかりか、絶え間なく抜かれ続ける血に、むしろ生きているほうが奇跡だと思えてくる。
隣の気配を探って、朱禅がまだ生きていることを確認すると、炉伯は数回まばたきをしてから深く息を吐き出した。


「はぁ。女喰いてぇ」


そもそも、なぜこんな場所で十八年も監禁されなければならないのか。何度考えても答えが見つからない。
この際、若くなくても老婆でも良い、いや、男でも構わないと勝手に欲望が募る。そうすれば身体は回復し、カビ臭い陰気な部屋ともおさらばできると、真剣に、そんなことを考えていた。


「炉伯、静かにしろ」

「なんだ、朱禅。まだ生きてやがったのか」

「お互い様だ」

「しぶてぇな、てめぇも」

「同じ言葉を返そう」


そんな憎まれ口を叩きあうことで、なんとか意識を保とうとしている自分が歯がゆい。多分、朱禅も同じだろう。どうせまたすぐに意識は落ちる。胸くそ悪い夢を見たくはないが、眠ること以外出来ないのだから、それもまた仕方がないと炉伯は瞳を閉じた。正しくは、閉じようとしていた。


「………あ、れ?」


意図しない出会いとは、不思議なタイミングで訪れるものらしい。前振りなく開いた扉から差し込む光は、一人の女の影を象って、室内に長く伸びている。


「絶対ここが出口だと思ったのに、残念」


本当に残念なのかと疑ったのは、彼女が鼻歌を歌いながら扉を閉めたせいだろう。何の歌かは知らない。知りようもない。
世界から隔離されて十八年。朱禅と炉伯にとっては、自分達以外と会話することすら実に十四年ぶりとなる。


「わぁ、気持ち悪い。やだ、なにこれ、お祖父様のコレクションかしら?」


怖いもの知らずとはこういうときに使う言葉だろうか。少女と呼ぶには大人びて、けれど、女と呼ぶには幼すぎる。そんな年頃の娘が、飢えた二人の元へやってきた。
その瞬間、炉伯だけでなく、朱禅も気付いたらしい。いや、朱禅にいたっては、足音が近づいてきたときから、気付いていたのかもしれない。


「胡涅」


記憶にある名前を口にする。
当然、彼女は驚いた顔で固まっていた。


「…………もしかして、炉伯?」


瞼を何度かパチパチと繰り返し、じろじろと顔を覗き込んでくる。あの頃より随分と成長した。人間でありながら、不思議な雰囲気を持った女。


「え、じゃ、じゃあ。こっちは、朱禅?」


べたべたと木の根を両手で触りながら、覗き込んでくるのをどうにかしてほしい。仮にも女なのだから、危機感を持つべきだと、なぜか余計な世話を焼きたくなる。


「赤い瞳と青い瞳、朱禅と炉伯だ。夢じゃなかった、いたんだ、本当に、いたんだ」


何が嬉しいのか、両手を叩いて喜んでいる。それは別にかまわない。人間は時々、意味のわからない言動をとる生き物だと、遥か昔から決まっている。


「でも、私の記憶よりなんだろう。木に埋もれた、いや、一体化してるっていうか、これじゃ、木に顔がついてるだけ。妖精っていうより妖怪ね。イケメンのイメージだったけど、記憶を補正し過ぎてたみたい」

「……好き勝手いってくれる」

「炉伯、あなた声枯れすぎよ?」


だったら喰わせろ。そう言いたかった。それが言えなかったのは、あのときと同じように胡涅が膝を抱えて二人の間に収まる姿を見せたせい。


「ああ、そうそう。これこれ。ここ、すごく落ち着く……ごめ、なさ……迷惑かもだけど、少し」


はぁはぁと息苦しそうな鼓動が、木の根を通して伝わってくる。時折、身悶えながら細く小さな身体を震わせて、何かを必死に耐える姿に、なぜか心が強く惹かれる。
鼻腔をくすぐる香りに、忘れていた何かが刺激される。甘く、淫らに溶けた女の匂い。


「発情か?」

「おいおい、勘弁してくれ」


朱禅と炉伯は、そろって怪訝な顔で間にいる胡涅に意識を向ける。
浅く、荒く繰り返される呼吸。速くなる脈拍、高鳴りを告げる鼓動、抱き締める肌に爪のあとが食い込み、耐える唇を強く噛んでやり過ごす。
本人はいたって真剣に苦しんでいるようだが、飢えた二人の男からしてみれば、それは誘われているようにしか見えない。応えられるなら、今すぐにでも押し倒したい。けれど、悲しいことに、木の根に侵食された身体では、指一本まともに動かすことは出来なかった。


「………どんな拷問だよ」


炉伯の舌打ちもどこ吹く風。
胡涅は、年々ひどくなる「発作」のなだめかたをひとつしか知らない。


「だ、ぃじょぶ。時間が過ぎれば、勝手におさまる、か、ら。私の、からだ。弱いの、ダメなの」


言いながら服のポケットから何かを取り出し、口に含んで一気にあおる。吸引器か、薬か。ただ、空気の抜けるような音からして、スプレー型の何かだった。


「お前、それ」

「これ、吸うと、マシになるの。お祖父様が、保倉先生に頼んで作ってくれたの」


炉伯の指摘に、胡涅は呼吸を整えながら答える。しかし、それを聞いた朱禅が口を挟んだ。


「胡涅、それを吸うのはやめておけ」

「それが出来たら…っ…いいんだろうけど」


少し呼吸がマシになったのか、もたれて重なる部分が温かい。肺から深く息を吐いて、弱々しく笑う顔が切ない。


「蠱惑草(こわくそう)と同じ匂いがしている。吸い続けると死ぬぞ」

「………ふふ。蠱惑草って聞いたことない。けど、大丈夫。心配しなくても、私、もうじき死ぬから」

「誰が言った?」

「誰も。でも、この病気が現代の医学じゃ治せないことくらい知ってる。明日の手術は多分失敗。お祖父様が私に生まれて初めて、行きたい場所を聞いてくれたのよ。そんなの、自分の未来がどうなるか決まってるようなものでしょ」


よしっと、気合いをいれて立ち上がる身体に、温もりまで一緒に引き剥がされた錯覚がしてくる。寂しいような、名残惜しいような。もてあました感覚についた名前を出来ることなら思い出したくはない。


「これが、会えるの最後かもね」


悪戯に笑う顔が振り返る。
伸ばせない手の代わりに、炉伯はひとつ憎まれ口を叩くことにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】愛欲の施設-Love Shelter-

皐月うしこ
恋愛
(完結)世界トップの玩具メーカーを経営する魅壷家。噂の絶えない美麗な人々に隠された切ない思いと真実は、狂愛となって、ひとりの少女を包んでいく。

異世界の学園で愛され姫として王子たちから(性的に)溺愛されました

空廻ロジカ
恋愛
「あぁ、イケメンたちに愛されて、蕩けるようなエッチがしたいよぉ……っ!」 ――櫟《いちい》亜莉紗《ありさ》・18歳。TL《ティーンズラブ》コミックを愛好する彼女が好むのは、逆ハーレムと言われるジャンル。 今夜もTLコミックを読んではひとりエッチに励んでいた亜莉紗がイッた、その瞬間。窓の外で流星群が降り注ぎ、視界が真っ白に染まって…… 気が付いたらイケメン王子と裸で同衾してるって、どういうこと? さらに三人のタイプの違うイケメンが現れて、亜莉紗を「姫」と呼び、愛を捧げてきて……!?

【R18】狂存トライアングル

皐月うしこ
恋愛
【オチ無し逆ハーレム】×【常時複数プレイ】 転職した会社で上司から言い渡されたのは海外研修。ろくに英語も喋れないどころか、パスポートも持っていなかったのに、見知らぬ土地でひとり。なんとかひたむきに日々を過ごしていたら、彼氏が三人も出来ました。 (直接表現あり/エロだけもあればエロ無しもある/ハッピーエンド予定) ※ムーンライトノベルズも同時連載中

【R18】コンバラリア(ドルチェシリーズ掲載作品)

皐月うしこ
恋愛
愛峰鈴珠、築島圭斗、間戸部利津の三人は、いつも一緒だった。二十五歳最後の五月五日。世間がゴールデンウィークだというその日、今まで、二人の間で無邪気に笑っていられた自分が憎いと思えるほど、鈴珠は緊張していた。ロウソクに火を灯すとき、一年ぶりに再会した三人の離れていた時間が動き出す。 ※2022年アンソロジー「十二月恋奇譚」寄稿作品 ※無防備な子ほどイトシイをコンセプトにしたドルチェシリーズにも掲載 》》https://fancyfield.net/main/dolce/

【R18】転生聖女は四人の賢者に熱い魔力を注がれる【完結】

阿佐夜つ希
恋愛
『貴女には、これから我々四人の賢者とセックスしていただきます』――。  三十路のフリーター・篠永雛莉(しのながひなり)は自宅で酒を呷って倒れた直後、真っ裸の美女の姿でイケメン四人に囲まれていた。  雛莉を聖女と呼ぶ男たちいわく、世界を救うためには聖女の体に魔力を注がなければならないらしい。その方法が【儀式】と名を冠せられたセックスなのだという。  今まさに魔獸の被害に苦しむ人々を救うため――。人命が懸かっているなら四の五の言っていられない。雛莉が四人の賢者との【儀式】を了承する一方で、賢者の一部は聖女を抱くことに抵抗を抱いている様子で――?  ◇◇◆◇◇ イケメン四人に溺愛される異世界逆ハーレムです。 タイプの違う四人に愛される様を、どうぞお楽しみください。(毎日更新) ※性描写がある話にはサブタイトルに【☆】を、残酷な表現がある話には【■】を付けてあります。 それぞれの該当話の冒頭にも注意書きをさせて頂いております。 ※ムーンライトノベルズ、Nolaノベルにも投稿しています。

【R-18】喪女ですが、魔王の息子×2の花嫁になるため異世界に召喚されました

indi子/金色魚々子
恋愛
――優しげな王子と強引な王子、世継ぎを残すために、今宵も二人の王子に淫らに愛されます。 逢坂美咲(おうさか みさき)は、恋愛経験が一切ないもてない女=喪女。 一人で過ごす事が決定しているクリスマスの夜、バイト先の本屋で万引き犯を追いかけている時に階段で足を滑らせて落ちていってしまう。 しかし、気が付いた時……美咲がいたのは、なんと異世界の魔王城!? そこで、魔王の息子である二人の王子の『花嫁』として召喚されたと告げられて……? 元の世界に帰るためには、その二人の王子、ミハイルとアレクセイどちらかの子どもを産むことが交換条件に! もてない女ミサキの、甘くとろける淫らな魔王城ライフ、無事?開幕! 

【R18G】姦淫病棟(パンドラシリーズ掲載作品)

皐月うしこ
恋愛
人類存続計画として母体と選ばれたのが運の尽き。強制的に快楽を仕込まれ、永遠に冷めない凌辱の世界に堕とされる。そんなお話です。この作品は過激なため、クッションページを挟んでいます。 「可哀想な女の子ほど可愛い」という歪んだ思考の元、世の中の善悪を何も考えずに、衝動のまま書き上げた狂った物語たちの巣窟パンドラシリーズ掲載作品。 》》パンドラシリーズ詳細は、こちら https://fancyfield.net/main/pandora/

5人の旦那様と365日の蜜日【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
気が付いたら、前と後に入ってる! そんな夢を見た日、それが現実になってしまった、メリッサ。 ゲーデル国の田舎町の商人の娘として育てられたメリッサは12歳になった。しかし、ゲーデル国の軍人により、メリッサは夢を見た日連れ去られてしまった。連れて来られて入った部屋には、自分そっくりな少女の肖像画。そして、その肖像画の大人になった女性は、ゲーデル国の女王、メリベルその人だった。 対面して初めて気付くメリッサ。「この人は母だ」と………。 ※♡が付く話はHシーンです

処理中です...