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第壱章:ふたりトひとり

03:囚われの双子

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「炉伯、これはどういうことだ?」

「知らねぇよ。さっき聞いただろ。俺が知りてぇくらいだわ」

「我は熟れてもいない女を喰う趣味はない。炉伯の初物好きが悟られたか?」

「俺だっていくら初物好きでも、こんなガキを喰う趣味はねぇよ」

「なぜ、胡涅というやつから御前の気配がする」

「ほんと、それな。けど、こいつは王の寵姫じゃねぇ」


この部屋から離れられない二人が正解を知るはずもない。ところが、その答えを知るよりも早く、二人は再び部屋の扉が開いたことを知った。


「今宵はえらく客人が多い」


朱禅の言うように、滅多に開くことのない扉が今夜だけですでに二回目。一人は足元で眠そうに目を擦っているが、もう一人は荒々しく扉を開けて、肩から息をする勢いで部屋に侵入を試みている。ただ、とても警戒している。顔面蒼白で、全身に冷や汗をかいた屈強な男の姿は、傍目からみても哀れに思えた。


「はぁ、はぁ……ちくしょう、どんだけ広いんだよ、ここは……はぁ…くそ、出口は……あ?」


暗闇に染まる部屋を一瞥して、その男は何かに気付いたらしい。てっきり、人外の雰囲気を放つ朱禅と炉伯かと思ったのに、物事はいつもなぜか斜め前にすすむ。


「はは、ついてら」


何がそんなに嬉しいのか。興奮した足取りで部屋に侵入してきた男は、まっすぐに二人の足元に向かってくるなり、寝ぼけた小さな少女の腕を掴んで、無理矢理引き上げた。


「………ひっ」


小さな悲鳴を飲み込んで、強ばった身体を持ち上げられて、胡涅は明らかに常人ではない男と対面する。


「やはり、上で騒ぎになってた胡涅様じゃねえか。こりゃいい、こんな場所でかくれんぼったぁ、見つけた俺はついてる」


ひひひと、瞳孔の開いた瞳は興奮を隠しもせずに、そのまま扉の方へ足を向けた。ところが、ふと異質な部屋の状況に意識が触れたのだろう。
気のせいでなければ、足元に冷気が漂い、吐く息が白く変わっていく。


「…っ…さぶ。なんだいきなり、空調の故障か、こんな暗くて不気味な部屋に隠れるったぁ、胡涅様も変わってんな」


身震いをして胡涅の顔を覗き込んだ視線は、後方に光る赤と青の瞳に気付いて眉をしかめる。金目になる宝石か。暗闇に慣れた瞳が白髪をとらえ、それが木の根に捕らわれた人であると認識した途端、今度は複数の気配が同時に部屋の扉をあけた。


「藤蜜(ふじみつ)!!」


誰もが別々の場所を見つめていた。
部屋の向こうから室内を覗くのは二人の老人。一人は初老だが、白衣のくたびれ具合から、一ヶ月に一度やってくる変態の研究者だとわかる。もう一人は厳格な顔つきをした身なりの良い老人で、藤蜜と叫んだその人だった。
彼らはそろって、胡涅を認識している。そして、胡涅の手を掴んで持ち上げる荒々しい男の姿も。


「わしの藤蜜から手を離せ。この死に損ないが」

「くそっ、近寄るな。こいつがどうなってもいいのか!?」


ズボンのポケットから取り出された刃物は、正しく胡涅の首筋に当てられる。脅威的なその行動に、動けないのも無理はない。
身なりの良い老人は悔しそうに歯噛みをし、変態の研究者はおろおろと見当違いのことを口走った。


「お前、それを振り回してくれるなよ。大事な夜叉を傷付けたらどうしてくれる。百五十年ぶりに姿を見せた祖先種だぞ」

「保倉、そやつらより、藤蜜じゃ。藤蜜を早く助けんか」

「ですが、堂胡(どうご)様。不確かな夜叉姫の血よりも、祖先種のほうが」

「保倉」

「…………かしこまりました」


口論の末、保倉と呼ばれた変態研究者が折れ、着ていた白衣から何かを取り出す仕草をする。それに気付いた刃物の男は、見るからに怯え、胡涅に向けていた刃物を保倉の方へ向けながらじりじりと後退していた。


「来るな、来るんじゃねぇ。来るならこいつを殺すぞ」

「はぁ………大の男が大袈裟な。そもそも死刑囚が簡単に表舞台に戻れるわけないでしょう。それに、まだ何もしていない。これを体内に注入するには」

「ふざけるな。俺は知ってる。それ以上近付くなぁぁあぁぁァ」


狂乱に振り回すポケットナイフがかすったのは、幼い子どもの皮膚。途端、鮮血が弧を描き、首筋を押さえた胡涅がペタりと床に座り込む。
一瞬の静寂。何が起こったのか、全員が理解できていなかったのかもしれない。


「ひっ…く…ぅ…わぁァアアあん」


どこかで時計の針が三度振れる音が聞こえた気がした。男がもっていたポケットナイフが床に落ち、胡涅の泣き声が響き渡る。次いで、堂胡様と呼ばれた身なりのよい老人の怒声が、名もなき男へ近付いて、自身を支えていたらしい杖で思い切り殴り付けようとした。
たしかに、そういう流れに見えた。
実際そうならなかったのは、堂胡が杖で殴るよりも先に、男が苦しみ始め、髪が白く染まっていく現象が起きたからに他ならない。


「………ぉお」


これは、感極まる声をあげ、震える手で宙を掴む変態研究者こと保倉の呟き。


「なんだ、これはどういうことだ。初めて見るぞ。なぜだ、祖先種の近くにいるからか、いや、これは……胡涅様の血、か?」


保倉は、白衣から取り出したよくわからない栄養ドリンク剤のようなそれを再度白衣へ戻し、呻きながら床に膝をつく男の観察を続けている。その隙に、堂胡は痛みに気を失った胡涅を抱いて、保倉を呼びつけた。


「保倉、何をしておる。さっさと胡涅を」


振り返ったその顔に、髪を白髪に染め、口から泡を吹いた男が襲いかかる。けれど、その手が堂胡に触れるより先に、変形した男の肉体はぼろぼろと乾いた泥人形のように崩れ始め、正しくそれはただの土として床に積み上がっていた。


「実に興味深い」


やはり、変態は頭のネジが何本か抜けている。殺人未遂だけでなく、異常現象を間近でみて、瞳をキラキラと輝かせる人間はそう多くない。


「保倉、わしはもう行く。あとは任せたぞ」

「御意」


胡涅を抱いて部屋を出ていった堂胡を、腰を折り曲げて見送った保倉は、姿勢を起こすなり、土になった男の残骸に視線を落とす。それから、その顔をあげて、物言わぬ二体の木にふと首をかしげた。


「動いていた、いや、喋っていたかと思ったが、気のせいか。まあいい、今はそれよりもこのナレハテの分析が先だ。ふふふ、忙しくなる」


何があったのか。赤と青の色に揺らめいていた瞳はいつの間にか閉じられ、そこから先の記憶を遮断している。しかも不思議なことに、そこから数年、今までは月に一度訪れていた保倉も顔を見せることはなくなった。
朱禅と炉伯を縛りつけて離さない植物が、胡涅の血を吸った部分だけ枯れている。
それに気付くものは誰もいない。
朱禅と炉伯でさえ、些細な違いを感じるほどの気力はどこにもなかった。長い長い眠りだけが、抜かれ続ける血のなかで悪夢を繰り返し、飢えと乾きだけを与えてくる。
苦しみは穏やかに積もるばかり。
最後に聞いた胡涅の泣き声を思い出すたび、頭痛と吐き気が込み上げて、不自由な環境を憎みたくなる。
こんな木の根など、本来ならば容易く抜け出せるはずなのに。脱出を試みればみるほど、意識を奪われ、覇気が削がれていく。
あれから何年。あれ以来、朱禅と炉伯の元へ訪れるものは一人としておらず、次に人と出逢うまでに実に十四年の歳月が流れることとなった。
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