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第四夜 隠密に舞う床戦(中)

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吸い込まれそうなほど深みのある瞳に囚われる。
本当に遊んで行けと思っていないことは、その目を見れば一目瞭然。縛られ、さらわれてきた無防備な女の元に刀を持ち込む男の正体など、知りたくもなかった。


「ほぅ」


何がそんなに気に入ったのか、目の前で転がる雪乃の視線と交差した閃光が妖しく変わる。


「この俺にたてつこうってのか?」


甲冑をはめた武士というのは、どうしてこうも気位が高いのか。以前、母である野菊がそうぼやいていたのを聞いたことがあるが、なるほど。雪乃も目の前の男をみて同じ感想を抱いていた。
脱がせば八香の勝利。
手練手管を見せてこそ、八香の本領が発揮される。この絶望的な状況で、目の前の男の甲冑を脱がせるにはどうすればいいか。雪乃がこの部屋から命を無事に解放させるには、それしか手段が思いつかないのも無理はない。


「八香の姫も数いる女と変わらんな。まあ、この俺をにらみ返す女は、今のところ出会ったことはないが」


馬鹿にしたように雪乃の身体に跨りながら男はほくそ笑む。


「八香の血が志路家と密接な関係があることがわかっている。我が玖坂は、女で政を左右したりはせん。それに貴様は、甲冑を脱がせば勝てると思っている程度の女だろう」

「ッ?!」

「貴様がどう感じようと関係ない。俺には今ここで貴様の生涯を終わらせる権利を持っている。それも一興。俺にはどうってことはない。ただ、ひとつ難儀するとすれば、兼景が怒り狂って戦ではなくなるだろうがな」


あいつは八香の話になると熱くなる男だと、どこか不機嫌そうに呟きながら、男は雪乃の上からその腰をあげる。そして、床に転がったままの雪乃を振り返ってニヤリと笑った。


「何を驚いた顔をしている。そうだ、兼景と戦を交える玖坂元史(クサカモトチカ)とは俺のことだ」

「ッ!?」


まさか、誘拐されてきた先が敵将であったことなど夢にも思わず、雪乃は声を出すのも忘れた瞳を見開いて、目の前の男を凝視していた。見た目は自分より少し年上か、兼景と変わらない年の青年。世の中で言えば端整な美丈夫の部類に入るのだろうが、その目は何度も人を殺めて来たのか、奥底の見えない深い黒を携えていた。


「兼景はここに来る前、貴様を抱いたか?」


その質問は、純粋なようでいて尋問のようにも聞こえた。


「戦神の血をひく八香姫の夜伽を召したものは、必ず勝利を約束されると聞く。応えろ、女」


一瞬、本当に死んだんじゃないかと勘違いした雪乃の声が、はらりと落ちた口枷に混ざって大量の空気を吸い込み、ゲホゲホと咳き込む。荒く変わった呼吸の奥から本当に心臓まで一緒に吐き出してしまうのではないかと疑えるほど、雪乃の心拍は異常に跳ね上がっていた。


「このまま首をはねてもかまわん」


目と鼻の先に、ぬらりと光る銀色の刀が先端をこちらに向いて迫っている。
いつ鞘から抜いたのか。
口は解放されて新鮮な空気と声を得たはずなのに、雪乃はまだその声を出せないまま固まっていた。


「あーあ、やっぱり、こうなってしまうのですね」

「玖吏唐(クリカラ)、誰が入ることを許した」

「許すも何も元史(モトチカ)さま。仮にも一国の姫にそれはないでしょう」


安易に刀を向けて脅すのはどうかと笑っている声の主は知っている。ここまで運んできた人攫い。


「どうして玖坂が、私を」


声がかすれ、少し上ずってしまったのは仕方がない。目の前で刀先を向ける男と、その男を怖がりもせず淡々と近づいてくる優男。顔見知りではないが、さすがに二人並ぶと圧巻ともいえる風貌に、気圧されそうになる。


「貴様の質問に答える義理はない」

「わっ私だってあなたの質問に答える義理はないはずよ」

「そうか」

「そうかって、え、なっ、キャァッ?!」


縛られた体は不便なことこの上ない。暴れることも出来ないまま、雪乃は頭側に回った玖吏唐に手首ごと体を支えるように持ち上げられ、不本意にも立ち上がることを強制される。相対して初めて、雪乃は二人の男が自分よりも背丈が高く、予想以上に大きいことに気が付いた。


「どうしてこんなこと」

「それはあなたが知ることではありません」


淡々と背後から答えてくれる声は相変わらず静かで落ち着いている。それが余計に雪乃の心情を泡立たせ、焦りと不安を連れてきていた。


「元史さまの質問を、代わりに応えて差し上げましょうか?」

「っ…ヤッ」

「拒否は許されません。あなたは志路家から玖坂家への献上品なのですから」

「なっ!?」


背後から囁かれる言葉に驚いた雪乃の瞳が、目の前の元史から後ろの玖吏唐へと流れていく。聞き間違いでなければ、確かにこう言っていた。


「献上品?」


ニヤリと笑われた雰囲気に、思わず顔が赤く染まる。挙句、すぐ近くで刀が鞘に収まる甲高い音が聞こえて、雪乃の顔から血の気が引いていった。


「あ~~ッ…やっ」


「来ないで」と、そう言ったはずなのに、逃げようとひねった腰は玖吏唐に抑えられてびくとも動かない。そのまま近づいてきた元史にあごをつかまれ、無理矢理持ち上げられたその先は、想像すらしたくなかった。


「俺は貴様に興味はない」


何度目かの宣告を受け、今度は食われるように告げられる。


「だが、戦の勝利を約束する姫を相対する武将が抱いた場合、その結果がどう出るのか、兼景がどういう顔をするのかは興味がある」

「な~~っんッ!?」


深い闇に吸い込まれるように、近づいてきた唇が静かに重なる。あまりにも不意で、自然に重なってきた唇に、雪乃は拒絶する間もなく元史の行為を許していた。


「ッ!?」


割られた唇の中に舌を差し込まれるようになって、ようやく思考回路に回ってきた緊迫感が現実を認識する。驚きのあまり閉じるのを忘れていた瞼にギュッと力が入ると同時に、危険を察知して暴れようとした体が背後の男に食い止められる。


「~~~~っ…はぁ…ぁ」


頭がぼーっと熱を帯びたように意識を曇らせていく。長時間縛られた体は血の巡りを鈍らせ、正常な思考回路を雪乃から奪おうとしていた。口付は交わるための前戯。甲冑を脱がすことを目的とするならば、八香の自覚が欲望に染まっていく。


「どうした、まるで盛りのついた雌だな」


だらしなく舌をだし、蕩けたように瞳を滲ませる雪乃の中にクスリと笑う元史が映る。


「八香の女は簡単に股を開く浅はかな女だというが」

「っぁ…ぁ」

「どうやら貴様も例外ではないらしい」


くすくすと何がおかしいのかはわからないが、元史はアゴを持ち上げた雪乃の瞳を覗き込むようにしてその双眼の笑みを深めていた。深い深い漆黒の闇。戦乱の時代において、それなりの地位に上り詰め、生き残っているということは、すなわちそういうことを意味していた。


「あわれだな」


背後の玖吏唐のせいで、逃げることも崩れ落ちることも許されない雪乃に、元史は冷めた瞳で侮蔑的に言い放つ。


「まだ戦場で刃を交える兼景の方が俺をそそる」


その言葉に意識が触れたのか、雪乃の瞳にわずかに光が戻ってくる。戦場。刃。兼景。思い返せばまだほんの数刻前、日付が変わることもない時間のうちに、雪乃は触れ合った相手の姿を思い起こす。


「かね…っ…かげさ、ま」


初見で見慣れない二人の男に挟まれたまま、雪乃はぼんやりと遠くを見つめるようにその名を呼んでいた。


「もう間もなく戦は始まる」


おもむろに体を離した元史の気配に、熱を帯びた雪乃の頬に冷気があたる。ひんやりと、密室空間にも関わらず、わずかな空気の冷たさが意識の活性を助長していた。おかげで、元史の声が先ほどよりもはっきりと聞こえてくる。


「貴様を献上することで俺が戦を止めると思われていたのであれば、これほど心外なことはない。婚約が決まったばかりとはいえ、あいつはそういうことをするようなやつではない」

「え?」

「兼景様は、元史様との戦より無事帰還した暁には、奈多姫と婚儀を済ませることになっているのですよ」

「あいつは奈多姫より八香の姫と婚儀をしたいと抗議したそうだがな」


耳元で囁くように聞こえてくる玖吏唐の声は先ほどと何も変わらないはずなのに、元史の声がより鮮明に聞こえるようになったのは気のせいではないだろう。頭に乗せていた兜をおろし、現れたその美麗な顔には、苛立ちが滲んでいた。


「津留のお方様の差し金といったところだ」


津留。それは紛れもなく兼景の実母の名。現在の志路家を裏で牛耳る影の支配者。大奥の頂点にたつ正室に他ならない。


「なぜ、津留さまが?」

「八香の娘が随分と愚問だな」

「ッ…ぁ」


縛られた手首を持つ玖吏唐のせいで、一瞬たりとも姿勢を崩すことは許されないらしい。後ろ手で縛られた腕が腰を支え、伸びた上半身にぴたりと張り付いたような薄布越しにうつる乳房の輪郭が浮き彫りになる。しかも最悪なことに、先ほど交えた口付のせいで、食い込ませた縄に沿った体が色めいた反応を見せていた。


「志路家が戦の交渉に八香を使うのは常套であろう」

「やっ」

「イヤだと言いながら、体は素直に反応するらしい」


本当にその通りだと認めざるを得ない。
身体に沁み込んだ直江仕込みの色気は、こんなときでも優先されて現れる。男を惑わすための技術を学び、男を陥れるための仕草を心得、男を翻弄するために培われた経験は、自然と雪乃自身が体現している。


「兼景はここに来る前、貴様を抱いたか?」


意地悪な質問を繰り返す男だと、雪乃は目の前の元史をにらむ。


「貴様、そういう顔の方が男を煽るぞ。気が変わった。玖吏唐、兼景に伝えろ」

「はっ」

「この玖坂元史、志路家の貢ぎ物を受け、床戦に応じるとな」

「御意」

「きゃっ」


ポンっと前に押された体が不安定にぐらつき、雪乃は元史の胸に抱き止められる。風のように去っていった玖吏唐の残り香は、不思議なことに、部屋のどこにも漂っていない。
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