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終章:ルージュの妄信 (5)
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先ほどから同じ反応しか繰り返さない十和を置いて、紗綾は一人先を進む。指は瀧世に返信を流しているところだが、慌てて小走りに追い付いてきた十和に気づいて、紗綾は携帯を鞄にしまった。
「ね、十和は瀧世と連絡とってないの?」
「必要以上に馴れ合うわけにはいかないだろ」
「そっか、そうだよね」
住む世界が違う以上、仕方がない。
十和は将来社長となり会社を背負う責務がある。瀧世もまた家業をついで色んな責任を背負うのだろう。二人の世界は光と影、昼と夜、白と黒のように相容れない場所に存在しているのだから無理もない。
「特別だったんだね」
ずっと続くと思っていた。
駆け抜けるように過ぎ去った思い出は、たった数日離れただけで、手の届かないどこか遠くへ行ってしまったみたいだった。岩寿のようにバッタリと偶然に会うこともあれば、瀧世と十和のように会おうと思っても会えない現実がある。環境であったり、周囲であったり、世間であったり生きていく中で感じるしがらみが、自由と不自由の壁を隔てている。
「紗綾、無理するなよ」
何年も住み慣れて、歩きなれた道は、もうずっと前から足が遠のいていた。
「大丈夫だよ、十和」
桐谷と表札がかかった一軒家。隣はまだ無人のままなのか、庭の草は季節の経過を知らせるように無造作に散っている。
「ただいま」
がちゃりと無機質な鍵の音がして、冷たい扉が音もなく開く。
閑静な住宅街。ひぐらしがどこか遠くの方で鳴いている。
「はぁ」
ドキドキと色んな感情が綯い交ぜになって早鐘をうつ鼓動が、紗綾の緊張感を高ぶらせていた。階段を一歩あがるごとに息が途切れ、深海へと潜っていくような息苦しさが体中を襲う。それでも紗綾は足を止めることをしない。一歩、一歩、それは時間の経過が永遠に感じるほどゆっくりと紗綾はそこに向かって進んでいた。
きぃ。
少し錆びついた音がして、紗綾の部屋の扉がひらく。
綺麗に整頓された部屋は、あの頃と配置は何も変わらないまま一年の経過を感じさせない程清潔に保たれていた。
「佳良」
紗綾の声が懐かしい匂いの中に吸収されていく。
自分の部屋。一年前に起こった惨劇の舞台の主人公は、紗綾ではなかった。
「佳良」
紗綾は震える声で、その空間に呼び掛ける。
「遅くなってごめんね」
ようやく会いにこれたと、紗綾は声をつまらせていた。
夏の終わり、秋の始まり、大好きな親友は紗綾の腕の中で花を咲かせて黒い種を産んだ。あの日は暗い雨が降り、冷たい闇に染まっていたが、今年は残暑の厳しい日差しが青空に白雲を澄ましている。似ているようで異なる世界。それでも変わらないものは変わらないまま、受け入れることしかできない。
「佳良、話したいことがたくさんあるの」
そう言って紗綾は取り出した赤い口紅をそっと机の上に置く。
「まずは佳良、もらったプレゼントをこんな風にしてゴメン」
「俺も紗綾を止められずに悪かった」
「十和は悪くないの、私が十和に無理矢理協力を頼んだの」
「それでも俺は止めることが出来たって佳良は思ってるよ」
「佳良、十和のこと怒っちゃダメだよ」
そう言って振り返って初めて、紗綾はそこに佳良をみた気がした。
「わかってるよ、紗綾」
なんでもお見通しだとでもいうように、足を投げ出して、自慢の胸を揺らして、ベッドのうえでふんぞり返る姿が見える気がした。
「あーあ。せっかくのお揃いなのに、こんな風にしちゃって、仕方ないなぁ。責任もってお揃いのもの考えてよね」
「うっうん」
「言ったよ、絶対だよ。私と紗綾がいつも一緒だってわかるやつ」
「佳良」
「紗綾。私、紗綾と幼馴染で本当によかった。大好きよ、ありがとう」
そこで紗綾は佳良に抱き着くように、ベッドの上で泣いていた。こんなにも声をあげて泣いたことはないかもしれないと、今までの感情の何もかもをぶつけるように、紗綾はその涙も声も枯れるまで、佳良の記憶を愛おしみながら泣いていた。
「紗綾」
青から赤に変わった空の下で静かになった紗綾に十和の声がかけられる。
「そろそろ行こう」
実家にも関わらず長居が出来ないのはおかしな話だが、今日のところは十和の言うことを聞いておこうと、紗綾は泣きはらした顔をぬぐいながら体を起こした。
かたん。体があたったのか、机の上に置いてあった口紅がコロコロと転がり、ベッドと机の隙間に落ちる。鼻をすすってその口紅を拾おうと手を伸ばした紗綾は、そこに見たことのない四角い紙が挟まっていることに気が付いた。
「なんだそれ?」
十和の声が紗綾の手に拾われたものを見て首を傾げた。
「なんだろう、わからない」
首を傾げた紗綾も、その正体を覗き込むようにそっとその紙を指先で広げた。たった一行の小さな手紙。それを見た二人は顔を見合わせてクスリと笑う。
「佳良、また来るよ」
「佳良、ありがとう」
十和と紗綾はそれぞれ口にして、そっと部屋の扉をしめた。
鍵をかけて、門を閉め、すっかり優美な茜色に変わった空の下で影を並べながら、紗綾は十和と来た道を戻っていく。
変わらないようで変わっていく日々。
繰り返しているようで、奇跡の連続が起こした特別な時間。
「私、生きるよ」
紗綾は誰にでもなく空に向かって両手を広げた。その手に握られたままの小さな手紙が風に揺れ、可愛らしい文字をそっと揺らしている。
紗綾、お誕生日おめでとう。ずっと一緒に笑って楽しんでいこうね
夏の終わり、秋の入り口。
新しい季節が、そっと肌に触れた気がした。
(完)
「ね、十和は瀧世と連絡とってないの?」
「必要以上に馴れ合うわけにはいかないだろ」
「そっか、そうだよね」
住む世界が違う以上、仕方がない。
十和は将来社長となり会社を背負う責務がある。瀧世もまた家業をついで色んな責任を背負うのだろう。二人の世界は光と影、昼と夜、白と黒のように相容れない場所に存在しているのだから無理もない。
「特別だったんだね」
ずっと続くと思っていた。
駆け抜けるように過ぎ去った思い出は、たった数日離れただけで、手の届かないどこか遠くへ行ってしまったみたいだった。岩寿のようにバッタリと偶然に会うこともあれば、瀧世と十和のように会おうと思っても会えない現実がある。環境であったり、周囲であったり、世間であったり生きていく中で感じるしがらみが、自由と不自由の壁を隔てている。
「紗綾、無理するなよ」
何年も住み慣れて、歩きなれた道は、もうずっと前から足が遠のいていた。
「大丈夫だよ、十和」
桐谷と表札がかかった一軒家。隣はまだ無人のままなのか、庭の草は季節の経過を知らせるように無造作に散っている。
「ただいま」
がちゃりと無機質な鍵の音がして、冷たい扉が音もなく開く。
閑静な住宅街。ひぐらしがどこか遠くの方で鳴いている。
「はぁ」
ドキドキと色んな感情が綯い交ぜになって早鐘をうつ鼓動が、紗綾の緊張感を高ぶらせていた。階段を一歩あがるごとに息が途切れ、深海へと潜っていくような息苦しさが体中を襲う。それでも紗綾は足を止めることをしない。一歩、一歩、それは時間の経過が永遠に感じるほどゆっくりと紗綾はそこに向かって進んでいた。
きぃ。
少し錆びついた音がして、紗綾の部屋の扉がひらく。
綺麗に整頓された部屋は、あの頃と配置は何も変わらないまま一年の経過を感じさせない程清潔に保たれていた。
「佳良」
紗綾の声が懐かしい匂いの中に吸収されていく。
自分の部屋。一年前に起こった惨劇の舞台の主人公は、紗綾ではなかった。
「佳良」
紗綾は震える声で、その空間に呼び掛ける。
「遅くなってごめんね」
ようやく会いにこれたと、紗綾は声をつまらせていた。
夏の終わり、秋の始まり、大好きな親友は紗綾の腕の中で花を咲かせて黒い種を産んだ。あの日は暗い雨が降り、冷たい闇に染まっていたが、今年は残暑の厳しい日差しが青空に白雲を澄ましている。似ているようで異なる世界。それでも変わらないものは変わらないまま、受け入れることしかできない。
「佳良、話したいことがたくさんあるの」
そう言って紗綾は取り出した赤い口紅をそっと机の上に置く。
「まずは佳良、もらったプレゼントをこんな風にしてゴメン」
「俺も紗綾を止められずに悪かった」
「十和は悪くないの、私が十和に無理矢理協力を頼んだの」
「それでも俺は止めることが出来たって佳良は思ってるよ」
「佳良、十和のこと怒っちゃダメだよ」
そう言って振り返って初めて、紗綾はそこに佳良をみた気がした。
「わかってるよ、紗綾」
なんでもお見通しだとでもいうように、足を投げ出して、自慢の胸を揺らして、ベッドのうえでふんぞり返る姿が見える気がした。
「あーあ。せっかくのお揃いなのに、こんな風にしちゃって、仕方ないなぁ。責任もってお揃いのもの考えてよね」
「うっうん」
「言ったよ、絶対だよ。私と紗綾がいつも一緒だってわかるやつ」
「佳良」
「紗綾。私、紗綾と幼馴染で本当によかった。大好きよ、ありがとう」
そこで紗綾は佳良に抱き着くように、ベッドの上で泣いていた。こんなにも声をあげて泣いたことはないかもしれないと、今までの感情の何もかもをぶつけるように、紗綾はその涙も声も枯れるまで、佳良の記憶を愛おしみながら泣いていた。
「紗綾」
青から赤に変わった空の下で静かになった紗綾に十和の声がかけられる。
「そろそろ行こう」
実家にも関わらず長居が出来ないのはおかしな話だが、今日のところは十和の言うことを聞いておこうと、紗綾は泣きはらした顔をぬぐいながら体を起こした。
かたん。体があたったのか、机の上に置いてあった口紅がコロコロと転がり、ベッドと机の隙間に落ちる。鼻をすすってその口紅を拾おうと手を伸ばした紗綾は、そこに見たことのない四角い紙が挟まっていることに気が付いた。
「なんだそれ?」
十和の声が紗綾の手に拾われたものを見て首を傾げた。
「なんだろう、わからない」
首を傾げた紗綾も、その正体を覗き込むようにそっとその紙を指先で広げた。たった一行の小さな手紙。それを見た二人は顔を見合わせてクスリと笑う。
「佳良、また来るよ」
「佳良、ありがとう」
十和と紗綾はそれぞれ口にして、そっと部屋の扉をしめた。
鍵をかけて、門を閉め、すっかり優美な茜色に変わった空の下で影を並べながら、紗綾は十和と来た道を戻っていく。
変わらないようで変わっていく日々。
繰り返しているようで、奇跡の連続が起こした特別な時間。
「私、生きるよ」
紗綾は誰にでもなく空に向かって両手を広げた。その手に握られたままの小さな手紙が風に揺れ、可愛らしい文字をそっと揺らしている。
紗綾、お誕生日おめでとう。ずっと一緒に笑って楽しんでいこうね
夏の終わり、秋の入り口。
新しい季節が、そっと肌に触れた気がした。
(完)
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