29 / 45
Date:7月30日(3)
しおりを挟む「仮に持っていたとして、どうして初対面の男にそれを渡さないといけない?」
「金ならある、いくらでも用意する」
現実味のある言葉に、男が黙って控えていた残りの男たちを両手で仰ぐ。がさがさと足元に置いてあった巨大なカバンの中身を見せるように持ち上げられたそこには、白い帯のついた札束がぎっしりと詰まっていた。
「にっ二千万、現金でいま持ってきている」
言ってくれれば車にまだ積んであると、男は震える声で不瀬を見上げる。
自分の上司が懇願する姿をどう思っているのか、それぞれ一千万という大金を抱えた男たちは、黙ったまま事の成り行きを見守ることにしているようだった。
「ほほぅ。なるほど、なるほど。まあ、質問に答えてくれたら考えないわけではない」
ちらりと金を見た後で、不瀬の様子が希望の言葉を口にするのも無理はない。
それは目の前の哀れな男の願いであり、そうなるように運んだ結果でもある。やはり持つべきものは金なのだと、笑みの戻った男は了承の意味をこめて首を縦にふった。
「シュガープラムを使って何人殺してきた?」
「は?」
またこの場で聞くことになるとは思っていなかった質問が頭上から降ってくる。
娘を助けてほしいと懇願する男に向かって、何回殺人を犯したかなどという質問をするのはきっとこの男ぐらいだろう。まずは人助けが先だと、それが人情だと、心のどこかで日常的に刷り込まれた常識という存在が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
「理解力が低いね、まったく」
嘆かわしいと額に手を当てる男は、本当に人間なのかと疑えてならない。それでもここは、この男を信じて質問に答える道がないということも、本能のどこかに残された野生の常識なのだろう。
「わたしの作ったシュガープラムでどれだけの人間を殺してきたかって聞いているんだよ。わたしがバカだとでも、研究室にこもったままの何も知らない道化師だとでも思っているのかい?」
「い、いや」
「現在回収しているヴァージンローズは百二十八本。内、五十本はわたしでも、そこに座っている彼が回収したものでもない。それがどういう意味かわかるかな?」
「おっ俺は言われたとおりに納品した」
「そう、それは絶命した処女の数と同じなのだよ」
「だから、なにが」
「さらわれた娘だけを助ける理不尽は美しいのかね?」
ポカンと、男が口を開けたまま今度こそ本当に固まっている。今の話の流れで何がどう間違ったのか、途中で見えたはずの希望がなぜ潰えたのか、その答えにたどり着くことが出来ずに固まっている。
「それが答えだ、お引き取り願おう」
いつの間にどこに移動したのか、ガチャリと社長室の扉をあけた不瀬の仕草に、発狂した男の声が拳銃という似つかわしくない武器を取り出した。
ガンガンガン。昼下がりのビルの中で聞こえるその音は物騒と呼ぶにはあまりにも現実離れしている。ところがそれ以上に現実離れしたものをみたとき、人は何を「正常」だと判断できるというのか。
「ああ、イヤだねイヤだね。人間はすぐにそうして暴力に走ろうとする」
巨大な黒い鎌。白衣がはらりと舞い上がった下には、どこかで見た銀色の模様と黒い衣装。
ぽたり、と。赤い鮮血が壁や床に半円を描き、先ほどまで声高々に叫んでいた男も、大金を抱えていた従者たちも全員その場で朽ち果てていた。
「不瀬くん。あの黒塗りの高級車は目立って仕方がないような気がするのだけど」
「社長仕様にしてあげようか?」
「いや、もうたくさん持っているから遠慮しておくよ」
「それもそうか、なら、その金は遠慮なく使いたまへ。社長には必要だろう?」
現実離れした世界は非現実なことが次々に起こる。
むしゃむしゃと巨大な黒い鎌が男たちの遺体と血を床や壁から吸い上げるように捕食している光景が目に入らないのか、社長とよばれた中年の男は、眼下で亡き主人を待つ黒い車を見下ろしながら嘆いている。
そこにパラパラと不瀬は小さな黒い種を振りかけた。
アーモンドチョコに似た黒い結晶。夏にあられかひょうでも降ってきたのかと、驚いたような声が下から空を仰いでいるが、シュガープラムを見慣れた彼らでさえ、その黒い雨が意味する不吉さは瞬時に理解できなかっただろう。しかしそれも時間の問題。憑依するように姿を変えていく仲間に恐怖を覚えたのか、慌てて口を覆い、白い化け物に姿を変える元凶を体内にいれてなるものかと抗う姿が見苦しい。しかもその醜さを飲み込もうと、ビルからはい出した黒い影たちに主人の帰りを待っていた男たちは取り押さえられて、大量のシュガープラムを口の中に放り込まれていた。
「うんうん、実に美しくない。そういう醜いものはみんな溶けて、白く美しい花のための犠牲になってしまえばいい」
発芽するのはいつ頃か、それは不瀬にもわからない。男たちの体内に埋め込まれたのは人間ではどうすることも出来ない魔界の植物。そして、魔種という存在を人工的に作り出された最悪の異物。
「美しく、美しい、ヴァージンローズ。無垢な快楽、純白の花。さあわたしの愛しい人形たち、世界を白く染めようじゃないか」
ははははと甲高く響く笑い声は地上には届かない。何が楽しいのか調子はずれの鼻歌を奏でながら不瀬は研究室へと帰っていく。誰も止めることは出来ない。社長と呼ばれた彼も、謎の黒いスーツの男も、誰も不瀬那由太(ふせなゆた)と名札を下げたたった一人の存在を止めることはできなかった。
* * * * *
「は?」
突然掛かってきた電話に瀧世の声が不思議な一音を発したことで、紗綾たちは持っていた資料から顔を上げてその動向を見守ることにした。
「ちょ、待て待て待て。一体何がどうって?」
電話越しの相手が焦っているのかうまく聞き取れないノイズが、空気に波紋を描くように瀧世の挙動をおかしなものに変えていく。
少しでも電話の声を聞き取ろうと、しんと音をなくした室内で、紗綾は自分の知らないところで何かよくないことが起こったのだということを認識した。それは十和もダリルも岩寿も同じことだろう。みな、先ほどまで資料を見ながら考えを整理していたのに、今では誰もが資料から顔をあげて瀧世の顔を見つめている。
「わかった、おじき達が見つかったら俺に知らせろ」
ピッと音を立てて切れた通話。
静まり返る室内で重たい瀧世の息が床に埋もれていくが、すぐにそれを勢いよく吸い上げた瀧世は、次いで岩寿に向かって頭を下げた。
「岩寿、悪い。さっきの件、無理になった」
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【R18】愛欲の施設-Love Shelter-
皐月うしこ
恋愛
(完結)世界トップの玩具メーカーを経営する魅壷家。噂の絶えない美麗な人々に隠された切ない思いと真実は、狂愛となって、ひとりの少女を包んでいく。
RoomNunmber「000」
誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。
そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて……
丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。
二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか?
※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。
※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。
【R18】八香姫は夜伽に問う
皐月うしこ
恋愛
時は、戦国。まだ暴力が世界を支配し、弱き者が虐げられる時代。
この乱世の時代において、淑化淫女(しゅくかいんにょ)を掲げ、武将や権力者との交りを生業にすることで、影の支配者と恐れられた稀有な一族が存在する。その一族の名を「八香(やか)」。代々女が君主としてつき、夜の営みを主導することで、政を操作したという。
※2018年にムーンライトノベルズで掲載した作品。連載再開を機に、こちらでも公開します。
【R18】コンバラリア(ドルチェシリーズ掲載作品)
皐月うしこ
恋愛
愛峰鈴珠、築島圭斗、間戸部利津の三人は、いつも一緒だった。二十五歳最後の五月五日。世間がゴールデンウィークだというその日、今まで、二人の間で無邪気に笑っていられた自分が憎いと思えるほど、鈴珠は緊張していた。ロウソクに火を灯すとき、一年ぶりに再会した三人の離れていた時間が動き出す。
※2022年アンソロジー「十二月恋奇譚」寄稿作品
※無防備な子ほどイトシイをコンセプトにしたドルチェシリーズにも掲載
》》https://fancyfield.net/main/dolce/
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
意識転移鏡像 ~ 歪む時間、崩壊する自我 ~
葉羽
ミステリー
「時間」を操り、人間の「意識」を弄ぶ、前代未聞の猟奇事件が発生。古びた洋館を改造した私設研究所で、昏睡状態の患者たちが次々と不審死を遂げる。死因は病死や事故死とされたが、その裏には恐るべき実験が隠されていた。被害者たちは、鏡像体と呼ばれる自身の複製へと意識を転移させられ、時間逆行による老化と若返りを繰り返していたのだ。歪む時間軸、変質する記憶、そして崩壊していく自我。天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、この難解な謎に挑む。しかし、彼らの前に立ちはだかるのは、想像を絶する恐怖と真実への迷宮だった。果たして葉羽は、禁断の実験の真相を暴き、被害者たちの魂を救うことができるのか?そして、事件の背後に潜む驚愕のどんでん返しとは?究極の本格推理ミステリーが今、幕を開ける。
【R18】刻印屋 -KoKuInYa-
皐月うしこ
ファンタジー
その店は裏社会の七不思議。
お気に入りの娘が壊れる様を笑いながら楽しむという「刻印屋」へようこそ。彼ら美形兄弟が施す手術は、精神さえも染めると聞く。所有欲の証を刻むためその実を俺らに差し出せば、永遠に可愛がってもらえるだろう。死んだ方がマシだと思えるほどの快楽を与えてくれるだろう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる