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Date:6月12日(1)
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ときどき、生きていることが不思議に思う。
紗綾はここ最近自分の身に起きた出来事を振り返って、本当にどうしてこうなったのかと何度も自問自答していた。寮のベッドの上。陽光が差し込む外の様子は、この梅雨真っ盛りの季節の存在を疑うほかない。
暑苦しい死神は、現在死神の世界らしき場所へと出かけている。この場合、出かけていると行っていいのか、帰ったというべきなのか、実際「ちょっと出かけてくるね」と言ってどこかへ消えてしまったのだから、いつかはこちら側へ帰ってくるつもりなのだろう。
今から二週間ほど前、紗綾は魔種に拉致された一人の女性を救出した。彼女の名前を坂口芙美。クラブマドンナでトップを誇る人気の嬢らしいが、帰ってからネットで「芙美香」と検索すると確かに本物だということが一目瞭然だった。そして翼心会の会長、天広五里。芙美香と愛人関係にあるらしいが、彼の名前もネットで検索すると簡単に情報を入手することができた。
不思議なことに、この町で一番接触する機会がなかった人たちに、たった一晩で携帯の番号を交換するくらいの間柄になるとは、いったい誰が想像しただろう。
「人生ってよくわかんないな」
紗綾は、ごろりと寝返りをうちながらどこにでもなく呟く。
少なくとも一年前と今は全然違う。一年前には紗綾の隣には幼馴染の佳良がいて、夏休みの計画をたてながら新作の水着をどうするかという話をしていた。あの頃の世界は佳良と一緒に回っていて、疑う余地もなく、来年も再来年もずっとそうだと信じていた。
それが今は状況がまったく異なる。想像した未来などどこにもない。すべてが想像していなかった未来ばかりで、あの頃には想像もつかなかった未来を歩いている。
「あーあ」
考えても答えなど出ない状況に、紗綾は脱力した声を天井に向かって投げかける。事件解決の糸口に思えたシュガープラムは、翼心会とは無縁だとわかったあの日からどうにもやる気がおきない。加えて、芙美香を襲った男は魔種に寄生されたのではなくシュガープラムを服用した結果ではないかという疑問がダリルの証言で濃厚になった。
近づいたようで遠のいた事実。
あの夜、白い化け物になった男の身体から魔種らしきものを死神の鎌で取り出したダリルは、それが偽物だと断言した。実際、それは雨に溶けるようにしてすぐに消えてしまったのだが、そういう現象を引き起こすことができる代物が何なのかという情報を紗綾は持っていない。唯一、一番近い心当たりはシュガープラムという麻薬の存在。だが、シュガープラムという麻薬を服用したこともなければ手に入れたこともないうえに、今までの事件で紗綾が十字架を残してきた場所は遺体こそあれど、直接の現場に居合わせたことはない。お手上げだという風に事の成り行きを見守っていた紗綾の代わりに、ダリルがとった行動は、襲われて腰を抜かした芙美香の記憶を覗き込み、ほんの少し記憶を操作するというものだった。
「よかったのかな、あれで」
芙美香の記憶は男に襲われたところを紗綾とダリルが「偶然通りがかって助けた」というありきたりな設定だけを残して、ダリルが鎌を振り回したことはごっそりと抜けてしまっていた。それどころか、路地からはい出し人目のつく大通りの片隅で目覚めた芙美香は、どうにかお礼をさせてほしいと紗綾とダリルを自宅に招き、どこかへ電話をかけ、紗綾がシャワーを浴びている間にあの五里という会長を呼び出していた。助けたのは事実だが、お礼を素直に受け取るには引っ掛かるものがある。
「全部覚えているのが幸せだとは限らないよ」
ダリルはそう言っていたが、はたして本当にそれが正しいと言えるのだろうか。
「ちょっと、桐谷さん」
紗綾の思考回路をぶった切るように、真上からキンキンとした苛立ちの声が降り注いでくる。
「あ、篠田さん」
いつの間に帰ってきたのか、紗綾は同じ寮の部屋を分け合う少女の帰宅に視線をするりと動かした。
「ずっと携帯が鳴っているの、うるさいからどうにかしてくれない?」
「え?」
「なによ、こんなに大きな音が鳴っているのに聞こえないなんてどうかしているんじゃないの」
ふんっと鼻を鳴らして制服を脱ぐ彼女の言うとおり、紗綾の携帯はたしかに大音量で着信を知らせている。画面には「堀田十和」と記されていた。
「ごっごめん、十和」
着信に応答するなり、紗綾の第一声は焦ったような音をあげる。電話越しの相手は、不機嫌を隠しもせずに「遅い」と一言、静かな嵐の前触れのような声で紗綾の行動をたしなめた。
あの日の夜、ダリルが携帯の電源を切ってから再び紗綾の手に携帯が戻ってきたのは、芙美香が携帯の番号を教えてほしいとねだってきたときだった。時刻は真夜中をとっくにすぎていたにも関わらず、電源を入れた瞬間、まるで鬼のように十和から着信がきたことを覚えている。
「だから本当なんだってば」
再三説明したにもかかわらず、十和はまったく状況を理解しようとはしなかった。
「ダリルをだせ」
「はいはーい」
「お前、紗綾に手を出してないだろうな」
「失礼だな、キミは。ボクじゃなくて一緒にいてほしいってお願いしてきたのは紗綾ちゃんのほうだよ」
「なっ」
「雨の夜は怖いから傍にいてほしいって可愛かったな、あの紗綾ちゃん」
「お前、ふざけるな」
「ふざけてないよ、事実だもん。ね、紗綾ちゃん」
電話越しに十和の怒声が飛んでいるが、ダリルの声は楽しそうに弾んでいる。対照的な二人の会話は片方しか聞き取ることが出来ていないが、よい流れに話は進んでいないことは明白で、紗綾はダリルから取り上げるようにして携帯を奪い返した。
「だから、誤解だってば十和」
「なにが誤解だ」
はあはあと、十和が取り乱して話すのは珍しい。意外な一面があるのだとあのときは思いもしなかったが、あとから思い返してみると確かに心配をかけすぎたと紗綾は反省した。
「さっきも説明したけど、男性に襲われていた女の人を助けたらそれがクラブマドンナの芙美香さんっていう人で、今その人の家でお世話になっているんだけど、翼心会の会長さんが一緒にいて」
「お前、嘘ならもっとましな嘘をつけ」
「だから本当なんだってば」
同じ言葉を何度繰り返せば十和は信じてくれるのだろうと、頭に血が上った幼馴染を説得させるだけの言葉がみつからずにうなだれていた紗綾は、そのときポンと肩にのった大きな手に携帯をとりあげられる。
「わしが翼心会の会長、天広五里だ。此度はこの娘さんに、わしの大事な女を助けてもらった。礼を言う」
「は、え?」
「きみも彼女が心配かもしれんが、なに心配はいらない。彼女のことはこのわしが責任をもって送り届けよう」
あの時の存在感を頼もしく感じたのは紗綾だけではない。
「やっぱりゴリちゃんかっこいい」と、芙美香が抱き着いてキスの雨を降らせていたが、十和を挑発したダリルもパチパチと手を叩いていたのだから事態は丸く収まった。
はずだった。
「紗綾、頼むから連絡がつかないとかやめろ」
「ごめんなさい」
「心臓に悪すぎる」
はぁと脱力したように息を吐く十和が、前にも増して過保護に拍車がかかったことは紗綾にしかわからない。元から口うるさいタイプだったが、佳良の事件があってからはますます口うるさく干渉してくるようになっていた。
「ねぇ、十和」
「なんだ」
ベッドに転がっていた紗綾は、うつぶせになるように体制を変えて十和に胸中を打ち明ける。
「会いたい」
さらりと流れた黒い髪が持て余したように揺れる足に合わせて、ベッドへと散らばっていく。素直な言葉を吐いたつもりだが、迷惑だっただろうか。なぜか無言になった電話口の相手に、紗綾は首をかしげて十和の名前を繰り返した。
「ダリルがいなくなって寂しいからって俺で埋めようとするな」
ぴしゃりと言い当てられた図星に、紗綾の足がピタリととまる。
「十和の意地悪」
「ふざけるな」
ぷつんと切れた電話に、紗綾はすねた息を吹きかける。思わず抱き寄せた枕が形よく顎の下に収まったが、その様子をみていた相部屋の少女が顔を引きつらせていたことを紗綾は知らない。
「桐谷さんってさ」
夕日が差し込む窓のカーテンを閉めようと窓に向かいながら洋子が何かつぶやいたが、紗綾の携帯はまた別の着信を告げるように大きな声を上げ始める。
「はい、もしもし?」
電話越しの相手は、あの日以来マメに連絡を寄こしてくるようになっていた。
「今からですか?」
紗綾の声は弾んでいる。
「わかりました」
にこやかに笑って出かける支度を整えた紗綾が、寮の扉を出ていくころ「あたしやっぱりあなたのこと嫌いだわ」と遠くで洋子がつぶやく声が聞こえてきた。
紗綾はここ最近自分の身に起きた出来事を振り返って、本当にどうしてこうなったのかと何度も自問自答していた。寮のベッドの上。陽光が差し込む外の様子は、この梅雨真っ盛りの季節の存在を疑うほかない。
暑苦しい死神は、現在死神の世界らしき場所へと出かけている。この場合、出かけていると行っていいのか、帰ったというべきなのか、実際「ちょっと出かけてくるね」と言ってどこかへ消えてしまったのだから、いつかはこちら側へ帰ってくるつもりなのだろう。
今から二週間ほど前、紗綾は魔種に拉致された一人の女性を救出した。彼女の名前を坂口芙美。クラブマドンナでトップを誇る人気の嬢らしいが、帰ってからネットで「芙美香」と検索すると確かに本物だということが一目瞭然だった。そして翼心会の会長、天広五里。芙美香と愛人関係にあるらしいが、彼の名前もネットで検索すると簡単に情報を入手することができた。
不思議なことに、この町で一番接触する機会がなかった人たちに、たった一晩で携帯の番号を交換するくらいの間柄になるとは、いったい誰が想像しただろう。
「人生ってよくわかんないな」
紗綾は、ごろりと寝返りをうちながらどこにでもなく呟く。
少なくとも一年前と今は全然違う。一年前には紗綾の隣には幼馴染の佳良がいて、夏休みの計画をたてながら新作の水着をどうするかという話をしていた。あの頃の世界は佳良と一緒に回っていて、疑う余地もなく、来年も再来年もずっとそうだと信じていた。
それが今は状況がまったく異なる。想像した未来などどこにもない。すべてが想像していなかった未来ばかりで、あの頃には想像もつかなかった未来を歩いている。
「あーあ」
考えても答えなど出ない状況に、紗綾は脱力した声を天井に向かって投げかける。事件解決の糸口に思えたシュガープラムは、翼心会とは無縁だとわかったあの日からどうにもやる気がおきない。加えて、芙美香を襲った男は魔種に寄生されたのではなくシュガープラムを服用した結果ではないかという疑問がダリルの証言で濃厚になった。
近づいたようで遠のいた事実。
あの夜、白い化け物になった男の身体から魔種らしきものを死神の鎌で取り出したダリルは、それが偽物だと断言した。実際、それは雨に溶けるようにしてすぐに消えてしまったのだが、そういう現象を引き起こすことができる代物が何なのかという情報を紗綾は持っていない。唯一、一番近い心当たりはシュガープラムという麻薬の存在。だが、シュガープラムという麻薬を服用したこともなければ手に入れたこともないうえに、今までの事件で紗綾が十字架を残してきた場所は遺体こそあれど、直接の現場に居合わせたことはない。お手上げだという風に事の成り行きを見守っていた紗綾の代わりに、ダリルがとった行動は、襲われて腰を抜かした芙美香の記憶を覗き込み、ほんの少し記憶を操作するというものだった。
「よかったのかな、あれで」
芙美香の記憶は男に襲われたところを紗綾とダリルが「偶然通りがかって助けた」というありきたりな設定だけを残して、ダリルが鎌を振り回したことはごっそりと抜けてしまっていた。それどころか、路地からはい出し人目のつく大通りの片隅で目覚めた芙美香は、どうにかお礼をさせてほしいと紗綾とダリルを自宅に招き、どこかへ電話をかけ、紗綾がシャワーを浴びている間にあの五里という会長を呼び出していた。助けたのは事実だが、お礼を素直に受け取るには引っ掛かるものがある。
「全部覚えているのが幸せだとは限らないよ」
ダリルはそう言っていたが、はたして本当にそれが正しいと言えるのだろうか。
「ちょっと、桐谷さん」
紗綾の思考回路をぶった切るように、真上からキンキンとした苛立ちの声が降り注いでくる。
「あ、篠田さん」
いつの間に帰ってきたのか、紗綾は同じ寮の部屋を分け合う少女の帰宅に視線をするりと動かした。
「ずっと携帯が鳴っているの、うるさいからどうにかしてくれない?」
「え?」
「なによ、こんなに大きな音が鳴っているのに聞こえないなんてどうかしているんじゃないの」
ふんっと鼻を鳴らして制服を脱ぐ彼女の言うとおり、紗綾の携帯はたしかに大音量で着信を知らせている。画面には「堀田十和」と記されていた。
「ごっごめん、十和」
着信に応答するなり、紗綾の第一声は焦ったような音をあげる。電話越しの相手は、不機嫌を隠しもせずに「遅い」と一言、静かな嵐の前触れのような声で紗綾の行動をたしなめた。
あの日の夜、ダリルが携帯の電源を切ってから再び紗綾の手に携帯が戻ってきたのは、芙美香が携帯の番号を教えてほしいとねだってきたときだった。時刻は真夜中をとっくにすぎていたにも関わらず、電源を入れた瞬間、まるで鬼のように十和から着信がきたことを覚えている。
「だから本当なんだってば」
再三説明したにもかかわらず、十和はまったく状況を理解しようとはしなかった。
「ダリルをだせ」
「はいはーい」
「お前、紗綾に手を出してないだろうな」
「失礼だな、キミは。ボクじゃなくて一緒にいてほしいってお願いしてきたのは紗綾ちゃんのほうだよ」
「なっ」
「雨の夜は怖いから傍にいてほしいって可愛かったな、あの紗綾ちゃん」
「お前、ふざけるな」
「ふざけてないよ、事実だもん。ね、紗綾ちゃん」
電話越しに十和の怒声が飛んでいるが、ダリルの声は楽しそうに弾んでいる。対照的な二人の会話は片方しか聞き取ることが出来ていないが、よい流れに話は進んでいないことは明白で、紗綾はダリルから取り上げるようにして携帯を奪い返した。
「だから、誤解だってば十和」
「なにが誤解だ」
はあはあと、十和が取り乱して話すのは珍しい。意外な一面があるのだとあのときは思いもしなかったが、あとから思い返してみると確かに心配をかけすぎたと紗綾は反省した。
「さっきも説明したけど、男性に襲われていた女の人を助けたらそれがクラブマドンナの芙美香さんっていう人で、今その人の家でお世話になっているんだけど、翼心会の会長さんが一緒にいて」
「お前、嘘ならもっとましな嘘をつけ」
「だから本当なんだってば」
同じ言葉を何度繰り返せば十和は信じてくれるのだろうと、頭に血が上った幼馴染を説得させるだけの言葉がみつからずにうなだれていた紗綾は、そのときポンと肩にのった大きな手に携帯をとりあげられる。
「わしが翼心会の会長、天広五里だ。此度はこの娘さんに、わしの大事な女を助けてもらった。礼を言う」
「は、え?」
「きみも彼女が心配かもしれんが、なに心配はいらない。彼女のことはこのわしが責任をもって送り届けよう」
あの時の存在感を頼もしく感じたのは紗綾だけではない。
「やっぱりゴリちゃんかっこいい」と、芙美香が抱き着いてキスの雨を降らせていたが、十和を挑発したダリルもパチパチと手を叩いていたのだから事態は丸く収まった。
はずだった。
「紗綾、頼むから連絡がつかないとかやめろ」
「ごめんなさい」
「心臓に悪すぎる」
はぁと脱力したように息を吐く十和が、前にも増して過保護に拍車がかかったことは紗綾にしかわからない。元から口うるさいタイプだったが、佳良の事件があってからはますます口うるさく干渉してくるようになっていた。
「ねぇ、十和」
「なんだ」
ベッドに転がっていた紗綾は、うつぶせになるように体制を変えて十和に胸中を打ち明ける。
「会いたい」
さらりと流れた黒い髪が持て余したように揺れる足に合わせて、ベッドへと散らばっていく。素直な言葉を吐いたつもりだが、迷惑だっただろうか。なぜか無言になった電話口の相手に、紗綾は首をかしげて十和の名前を繰り返した。
「ダリルがいなくなって寂しいからって俺で埋めようとするな」
ぴしゃりと言い当てられた図星に、紗綾の足がピタリととまる。
「十和の意地悪」
「ふざけるな」
ぷつんと切れた電話に、紗綾はすねた息を吹きかける。思わず抱き寄せた枕が形よく顎の下に収まったが、その様子をみていた相部屋の少女が顔を引きつらせていたことを紗綾は知らない。
「桐谷さんってさ」
夕日が差し込む窓のカーテンを閉めようと窓に向かいながら洋子が何かつぶやいたが、紗綾の携帯はまた別の着信を告げるように大きな声を上げ始める。
「はい、もしもし?」
電話越しの相手は、あの日以来マメに連絡を寄こしてくるようになっていた。
「今からですか?」
紗綾の声は弾んでいる。
「わかりました」
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