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伍書:新たな神獣
07:真名を注ぐ
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鹿のような角。馬のように四足歩行で、ふわふわとした毛並みに覆われている黄色のイキモノ。
甲高い「み」の声で鳴くところを見ると生まれたてなのだろう。機嫌がよさそうにアザミに頬ずりし、うるうるとした瞳を向けている。
「……んだ、こいつ」
突然、輪の中心というよりアザミの腹部に乗っていた小さな生き物の首根っこを掴んだイルハの行動に、混乱と衝撃が封花殿を襲ったのはいうまでもない。
「み゛みみみミ゛みミみみ」
「いってぇ、噛みやがった」
「アザミ、大事ないか?」
「わっちはなにも」
慌てた様子のジンに体中を触られるが、正直何もない。
気が付いたらお腹の上に乗っていた。
いったいどこから現れたのか。痛みも、何もないのだから疑問しか浮かばない。
「邪獣……いや、これは……なんだ?」
「アザミちゃんだけにやたらなついてるね」
「ってか、アザミ以外眼中にねぇって感じだな」
噛みつかれたイルハが手を放したせいで再びアザミの腹部に乗ったイキモノは、コウラ、ヒスイ、アベニに覗き込まれても、ふんっと鼻を鳴らすだけ。ジンにいたっては、アベニの言うように眼中にないのか、無視した様子で背を向けている。
いや、アザミだけを見ている。
じっと、うるうるとした瞳を向けて、アザミの素肌に頬ずりをしている。
「えっと……撫でて大丈夫、なのかな?」
「みッ」
鳴き声と共に差し出された頭をアザミはおずおずと撫でてみる。
ふわふわとした柔らかな感触と毛並みが独特で、いつまでも撫でていたくなる。人間の赤ん坊よりも小さいか、同じくらいか。とにかく初めて触れるイキモノにアザミは「わぁ」と興奮した声をあげていた。
「可愛い」「みぃ」
両手で持ち上げてみると意外と重たい。
尻尾があって、耳も獣みたいで、べろりと舐められた顔にあたる舌は細長くてあったかい。
「あはは、くすぐったい……っ…おも…え……重た」
両手で抱え上げられる程度のイキモノがどんどん重くなる。べろべろと舐められるたびに体重が増加しているとしか思えないが、やがて支えきれなくなったアザミは寝台の上に押し倒される形で黄色いイキモノに襲われていた。
「待て、待て待て待て」
「みみみみみみ」
「うわ、本当にこの子噛むよ。ってか、なに、これ邪獣じゃないよね?」
「みみみみみみみみみ゛」
「とりあえずアザミの上からどけ…ッ…コウラ、あぶねぇだろ。アザミが凍ったらどうする」
「そんなへまをするとでも?」
アザミから離れようとしないイキモノをジンがはがそうとし、ヒスイが援助して噛まれたところをアベニが助太刀したが、同時にコウラが魔那を放ったらしい。さらに、俊敏に捕まえようとしたイルハが失敗して、アザミの胸に突っ伏していた。
「み゛み゛み゛み゛」
「いって、わざとじゃねぇ…ッ…痛い」
アザミの胸に触れたのは罪だとでもいわんばかりにイキモノはイルハの髪を食べている。
白銀の髪が黄色のふわふわに咀嚼されていくのを呆然と見つめていたが、アザミはハッとしたように黄色のイキモノに向かって「だめ」と注意した。
「み」
先ほどの低い濁音とは違い、甲高く愛らしい「み」が聞こえてくる。
「イルハ、大丈夫?」
「大丈夫に見えんのかよ」
「だよね…っ…ぅ、わ」
自分以外の他人をかまうことも許さないらしい。
随分と正直なイキモノだがアザミ以外と意思疎通する気がないとなれば、喧嘩を売られたも同じだと複数名は思うらしい。
「え、あ……ちょっと」
結果として、黄色いイキモノは四獣たちに捕まえられて、何やら特殊なカゴに入れられた。檻とも言える格子から見える黄色のもふもふが、心なしか、しぼんだように見える。ずっと「み」の音で鳴いているが、開けてはダメだと念を押されてしまえば、可哀想でも開けられない。
「ごめんね」「み」
「アザミに色目使うな」「み゛」
「アザミを舐め倒すなどありえん」「み゛」
「アザミちゃん、怖かったねぇ」「み゛み゛み゛」
ヒスイがこれ見よがしにアザミを抱きしめて口づけをしてくる。当然、黄色のイキモノはカゴを壊す勢いで暴れている。それでもカゴに入っていれば安全だと思ったのか、ジンがまじまじと眺めて、アベニが隣でそれに応じていた。
「邪獣……ではないな」
「ああ。どっちかっていうと四獣に近そうだ」
「突然現れたが、気配を全く感じなかった」
邪獣は陰禍から生まれる。陰禍を払えるジンはその気配がまったくなかったといい、それは全員同じ見解だったのだろう。
アザミも邪獣が何かは知っている。
黄宝館に現れた邪獣はもっと、とげとげしく、おぞましく、傍にいるだけで身の毛がよだつような気配を持っていた。
それと比べれば全く違う。黄色のイキモノはもっと、別の、懐かしい何かを感じる。
「正体がわかるまではカゴから出せないね」
「アザミに危険があるとわかってて出せるか」
ヒスイとコウラも、ジンとアベニに参加して議論を始めてしまった。イルハに至ってはイキモノとにらみ合っていたが、噛まれた傷の手当てが先だとヒスイに呼ばれて舌打ちだけを残していった。
「みみ、み」
「ごめんね。カゴから出したら怒られちゃうの」
「みぃみぃ」
悲しそうな声に胸が苦しくなる。見た目が愛くるしくて、可愛いのだから今すぐにでもカゴから出して抱きしめたくなる。
「アザミ」「はい、あけんせん」
二人きり、ではない。
手が届くほど近くに全員いて、アザミには痛いほどの監視の視線が飛んでくる。
ジンに注意されて、アザミは伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「どこからきたの?」「み?」
「魔那の夢を見た時のような懐かしい気持ちになるんだけど、魔那だったりするの?」「み?」
秘密を囁くように声を潜めて、アザミが首を傾げれば、イキモノも首をかしげる。
そうであれば説明がつくと思ったところで、違和感はぬぐいきれない。
「四獣みたいな神獣、とか?」
「み、みっ」
「そうなら名前があるよね。んー……んむぅ」
「アザミ、簡単に名を呼ぶな。なくても名づけるな」
「そうだよ、アザミちゃん。それが仮に神獣だったとしたら名づけると厄介なことになるよ」
コウラとヒスイが止めに来るよりも早く、アザミはアベニに口を塞がれていたのだから反論できない。また濁音付きの「み」を発しながら黄色のイキモノはカゴの中で暴れ狂うのかと思ったが、ふと何かを考える素振りをしてぴたりと止まった。
ズイチーリン
それはアザミの頭の中にだけ流れてくる音のような声だった。
「アザミ?」
口を塞ぐのが苦しかったかと、アベニが解放してくれてアザミはぷはっと息を吐き出す。
「ズイチーリン?」
それがいったい何を意味するのか聞こうと思った。本当にただ、疑問のままに口にした。
それだけなのに、黄色のイキモノが入ったカゴが破壊されて、神々しい光の渦が封花殿を支配する。
「…………え?」
アザミはアベニに抱えられてジンがいる後方まで飛んでいたが、四獣が周囲を陣取って、同じ方向を向いているのがわかった。
そこにいる、光り輝くイキモノを見下ろしている。
見下ろしているのは、黄色のイキモノが小さいからだが、先ほどまでの愛くるしさは少し薄れているように感じられた。いや、愛くるしさは健在だが、様子が違うと言った方がいいのかもしれない。
「名前を呼んでくれてありがとうございます、愛しの天女様ぁ」
なつく。という言葉の意味を考えたくなる。
うっとりとした顔、声、崇拝していると一目でわかる仕草。
初対面のイキモノに遭遇するのは初めてで、黄宝館の外を知らない二十年間、動物と触れあったことも数える程度しかない。それが突然、ここにきて。どうやってもぐりこんだかわからないイキモノに、とても気に入られるとあっては、さすがのアザミもたじろいでいた。
「な……名前?」
「ズイチーリンって呼んでくれたじゃないですかっ、思い出してくれたんですよね。ようやくっ、ようやく、お会いできましたぁっぁああああああ、本当に美しい、ずっとずっと会いたくて、ようやく会えて嬉しいですぅぅううぅ……み゛ゃ」
イルハの手に薙ぎ払われたズイチーリンを気にかける人はいない。
もふもふとした黄色のイキモノは蹴鞠(けまり)のように高く飛んでアザミに抱き着こうとしたのを阻止されただけでなく、イルハの手でさらに高く飛んで、天井にぶつかり、床でひとはねして、壁に激突していた。が、誰もが無視を決め込んでいる。
むしろ、アザミに害がなかったかと心配した過保護な男たちは、これみよがしにアザミに構った。
「アザミ、大事ないか?」
「え、ああ。ありんせん」
「飛びかかられて驚いたろ」
「だっ、大丈夫でありんす」
「同じ空気に触れさせるだけで不快だ」
「なにか聞こえても無視しろよ」
「アザミちゃん、怖かったね。ボクのところにおいで」
「愛しの天女様に触れるなぁ、この汚らわしい悪党どもめぇ」
それが「みみ゛みみみ゛みみみみ」と聞こえるのは気のせいではないだろう。
壁に激突した衝撃で言葉を失ったのか、ひっくり返ったズイチーリンはじたばたと短い手足を暴れさせている。
「……無視、できんせん」
アザミは取り囲む五人の輪の中で、降参した構えで両手をあげた。
「天女様ぁ゛ぁあ゛ぁァアぁ!!」
「話が進まない。あれはなんだ?」
ジンが一息ついて、裏返った亀みたいに手足をばたつかせるイキモノの正体を問う。顔を見合わせた四人は同時に首をかしげて、それからじっとアザミを見つめた。
「えっ、わっちも知りんせ……」
「ズイチーリンは天界と地上の道中をお守りするのが役目の神獣だぞ、天女様が地上に降りられるのはズイチーリンのおかげなんだぞ。それをよくも封印などと……みみみみ、恨めしやぁ。三百年も魔那と一緒に水の底で、天女様が解放してくれなかったらどうなっていたことかぁあぁっ」
「……封印……」
「そうなんですぅ、愛しの天女様。こやつら、天女様と添い遂げたいからとズイチーリンを封印して天界に還さないようにしたんです。しかも、しかも、そこにいる人の子である男が魔那を奪ったせいで天女様は力を失い、それを好機とばかりに、ぁあぁああ、あのとき、幻の木の実とやらの話にだまされなければ!!」
「……幻の木の実?」
「はい。地上に降り、魔那の穢れを浄化される期間はズイチーリンが天女様に害がないよう見張っているのですが、天界でも食べられない幻の木の実があると聞いて、ついつい」
目を離してしまいました。と、転がったまま涙ながらに語る黄色のイキモノに返す言葉はない。
おいおいと大粒の涙を垂れ流しているが、アザミはジンたちに囲まれている以上、どうしてあげることもできない。
「………」
大袈裟なほど大声で語る話をまとめてみる。
三百年前、ズイチーリンは泉で身を清める天女の傍で魔那の見張りをしていた。が、美しい人間の男から幻の木の実の存在を聞き、魔那を託して探しにいったらしい。戻ってきたときには、魔那は奪われ、天女はさらわれ、駆けつけた四獣たちに事情を説明したところ逆に封印されたのだという。
「ズイチーリンを心配する天女様の悲しみやたるや!!」
四本の手足をばーんと天井に向けて伸ばしたズイチーリンの声だけがむなしく響く。
「天女様は魔那を体内に宿せず、魔那を浄化できないと泣いておられた。それを、それを鬼畜な男どもはあの手この手で……みみみみみ……魔那から陰禍は溢れだし、邪獣が生まれ、地上は荒れ、それはひどい有様でした。彼らも、さすがにまずいと思ったのか、災厄を鎮めるため魔那はズイチーリンと一緒に封じられたのです」
裏返っていた体をなんとか起こして、ズイチーリンを名乗る黄色のイキモノは四本足で立ち上がる。そして、すでに表情を失っている五人の男に囲まれたアザミに向かって、少し興奮した面持ちで一歩前に踏み出した。
「魔那はここに来られた時点で天女様と同化しました。魔那と同化した天女様が彼らと順に交わったことで魔那が浄化され、ズイチーリンの封印もとけたのです」
「浄化……したの?」
「はい。相思相愛の交わりを果たされたので浄化しました!!」
今のは聞かなかったことにしたい。
そう思っても無理だろう。全員そろって向けてきた顔にイヤな予感しかしない。実際、ジンが何か呟き、それを聞いたヒスイがアベニとイルハに何か囁いて、二人がそろって頷いている。コウラに至っては片手で顔面を塞いでいるので何を考えているかはわからない。
「さっきから気になっておりんしたが」
アザミは場の空気を変えるために咳ばらいをして、赤い顔を誤魔化した。
「わっちは天女様ではなく、天女様を封じている器のはずでは?」
「いいえ、何代も器を渡り歩かれましたが、ようやく馴染まれました。ズイチーリンにはわかります。人の子であったとしても天女様は天女様です」
「えっと……それは、天女様に魔那を返したことになりんすか?」
「そうなりますね。魔那は浄化され勝手に天に戻りましたが」
「それなら、わっちはもう自由?」
「天界にお戻りになりたいということでしたら、それは無理です。ズイチーリンは魔那と一緒に封じられていたからか、陰禍を吸収しすぎて天女様を天界に還す力はないのです。天女様は地上で暮らすしかなく………申し訳ありません」
力説してくれる愛らしいもふもふは、不甲斐ないとばかりに耳と尻尾を垂れさせる。言葉を話せるようになっても鳴き声は「み」らしく、小さな声で鳴いているのを聞くのは心に突き刺さるものがある。
「忌々しい人の子と四獣が天女様の愛を独占するために三百年かけたのです。人の子と寿命をそろえるためとはいえ、天女様を人間に堕とすなど。四獣はそれでよいかもしれませんが、魔那のお役目を放棄させる手段があまりにも強引極まりない。ズイチーリンとしては今すぐにでも……やや、人の子。それは幻の木の実!!」
歯を食いしばって苦渋に耐えるような顔をしたと思った瞬間、キラキラと目を輝かせたズイチーリンの顔があがる。いつの間に用意したのか、大量の果物を積んだ大きな器をジンがズイチーリンに差し出していた。
「王族に伝わる書物の中に金色の獣には果物を与えよとあったので用意した」
「美しい人の子、素晴らしい!!」
「すべて食べてかまわない。しばらく席を外すが、果物でも食べて待っているといい」
崇拝の対象はアザミからジンに変わったといっても過言ではない。
あれほど暴言を吐いていたズイチーリンは、ジンを平伏する勢いで褒めたたえると、自ら四獣がつくった新しい檻の中に入って果物にありつきはじめた。
「アザミ、そなたに話がある」
ポンっと肩にのった手に、何の話かは大体想像がつく。
アザミは緊張した面持ちで静かにひとつ頷いていた。
甲高い「み」の声で鳴くところを見ると生まれたてなのだろう。機嫌がよさそうにアザミに頬ずりし、うるうるとした瞳を向けている。
「……んだ、こいつ」
突然、輪の中心というよりアザミの腹部に乗っていた小さな生き物の首根っこを掴んだイルハの行動に、混乱と衝撃が封花殿を襲ったのはいうまでもない。
「み゛みみみミ゛みミみみ」
「いってぇ、噛みやがった」
「アザミ、大事ないか?」
「わっちはなにも」
慌てた様子のジンに体中を触られるが、正直何もない。
気が付いたらお腹の上に乗っていた。
いったいどこから現れたのか。痛みも、何もないのだから疑問しか浮かばない。
「邪獣……いや、これは……なんだ?」
「アザミちゃんだけにやたらなついてるね」
「ってか、アザミ以外眼中にねぇって感じだな」
噛みつかれたイルハが手を放したせいで再びアザミの腹部に乗ったイキモノは、コウラ、ヒスイ、アベニに覗き込まれても、ふんっと鼻を鳴らすだけ。ジンにいたっては、アベニの言うように眼中にないのか、無視した様子で背を向けている。
いや、アザミだけを見ている。
じっと、うるうるとした瞳を向けて、アザミの素肌に頬ずりをしている。
「えっと……撫でて大丈夫、なのかな?」
「みッ」
鳴き声と共に差し出された頭をアザミはおずおずと撫でてみる。
ふわふわとした柔らかな感触と毛並みが独特で、いつまでも撫でていたくなる。人間の赤ん坊よりも小さいか、同じくらいか。とにかく初めて触れるイキモノにアザミは「わぁ」と興奮した声をあげていた。
「可愛い」「みぃ」
両手で持ち上げてみると意外と重たい。
尻尾があって、耳も獣みたいで、べろりと舐められた顔にあたる舌は細長くてあったかい。
「あはは、くすぐったい……っ…おも…え……重た」
両手で抱え上げられる程度のイキモノがどんどん重くなる。べろべろと舐められるたびに体重が増加しているとしか思えないが、やがて支えきれなくなったアザミは寝台の上に押し倒される形で黄色いイキモノに襲われていた。
「待て、待て待て待て」
「みみみみみみ」
「うわ、本当にこの子噛むよ。ってか、なに、これ邪獣じゃないよね?」
「みみみみみみみみみ゛」
「とりあえずアザミの上からどけ…ッ…コウラ、あぶねぇだろ。アザミが凍ったらどうする」
「そんなへまをするとでも?」
アザミから離れようとしないイキモノをジンがはがそうとし、ヒスイが援助して噛まれたところをアベニが助太刀したが、同時にコウラが魔那を放ったらしい。さらに、俊敏に捕まえようとしたイルハが失敗して、アザミの胸に突っ伏していた。
「み゛み゛み゛み゛」
「いって、わざとじゃねぇ…ッ…痛い」
アザミの胸に触れたのは罪だとでもいわんばかりにイキモノはイルハの髪を食べている。
白銀の髪が黄色のふわふわに咀嚼されていくのを呆然と見つめていたが、アザミはハッとしたように黄色のイキモノに向かって「だめ」と注意した。
「み」
先ほどの低い濁音とは違い、甲高く愛らしい「み」が聞こえてくる。
「イルハ、大丈夫?」
「大丈夫に見えんのかよ」
「だよね…っ…ぅ、わ」
自分以外の他人をかまうことも許さないらしい。
随分と正直なイキモノだがアザミ以外と意思疎通する気がないとなれば、喧嘩を売られたも同じだと複数名は思うらしい。
「え、あ……ちょっと」
結果として、黄色いイキモノは四獣たちに捕まえられて、何やら特殊なカゴに入れられた。檻とも言える格子から見える黄色のもふもふが、心なしか、しぼんだように見える。ずっと「み」の音で鳴いているが、開けてはダメだと念を押されてしまえば、可哀想でも開けられない。
「ごめんね」「み」
「アザミに色目使うな」「み゛」
「アザミを舐め倒すなどありえん」「み゛」
「アザミちゃん、怖かったねぇ」「み゛み゛み゛」
ヒスイがこれ見よがしにアザミを抱きしめて口づけをしてくる。当然、黄色のイキモノはカゴを壊す勢いで暴れている。それでもカゴに入っていれば安全だと思ったのか、ジンがまじまじと眺めて、アベニが隣でそれに応じていた。
「邪獣……ではないな」
「ああ。どっちかっていうと四獣に近そうだ」
「突然現れたが、気配を全く感じなかった」
邪獣は陰禍から生まれる。陰禍を払えるジンはその気配がまったくなかったといい、それは全員同じ見解だったのだろう。
アザミも邪獣が何かは知っている。
黄宝館に現れた邪獣はもっと、とげとげしく、おぞましく、傍にいるだけで身の毛がよだつような気配を持っていた。
それと比べれば全く違う。黄色のイキモノはもっと、別の、懐かしい何かを感じる。
「正体がわかるまではカゴから出せないね」
「アザミに危険があるとわかってて出せるか」
ヒスイとコウラも、ジンとアベニに参加して議論を始めてしまった。イルハに至ってはイキモノとにらみ合っていたが、噛まれた傷の手当てが先だとヒスイに呼ばれて舌打ちだけを残していった。
「みみ、み」
「ごめんね。カゴから出したら怒られちゃうの」
「みぃみぃ」
悲しそうな声に胸が苦しくなる。見た目が愛くるしくて、可愛いのだから今すぐにでもカゴから出して抱きしめたくなる。
「アザミ」「はい、あけんせん」
二人きり、ではない。
手が届くほど近くに全員いて、アザミには痛いほどの監視の視線が飛んでくる。
ジンに注意されて、アザミは伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「どこからきたの?」「み?」
「魔那の夢を見た時のような懐かしい気持ちになるんだけど、魔那だったりするの?」「み?」
秘密を囁くように声を潜めて、アザミが首を傾げれば、イキモノも首をかしげる。
そうであれば説明がつくと思ったところで、違和感はぬぐいきれない。
「四獣みたいな神獣、とか?」
「み、みっ」
「そうなら名前があるよね。んー……んむぅ」
「アザミ、簡単に名を呼ぶな。なくても名づけるな」
「そうだよ、アザミちゃん。それが仮に神獣だったとしたら名づけると厄介なことになるよ」
コウラとヒスイが止めに来るよりも早く、アザミはアベニに口を塞がれていたのだから反論できない。また濁音付きの「み」を発しながら黄色のイキモノはカゴの中で暴れ狂うのかと思ったが、ふと何かを考える素振りをしてぴたりと止まった。
ズイチーリン
それはアザミの頭の中にだけ流れてくる音のような声だった。
「アザミ?」
口を塞ぐのが苦しかったかと、アベニが解放してくれてアザミはぷはっと息を吐き出す。
「ズイチーリン?」
それがいったい何を意味するのか聞こうと思った。本当にただ、疑問のままに口にした。
それだけなのに、黄色のイキモノが入ったカゴが破壊されて、神々しい光の渦が封花殿を支配する。
「…………え?」
アザミはアベニに抱えられてジンがいる後方まで飛んでいたが、四獣が周囲を陣取って、同じ方向を向いているのがわかった。
そこにいる、光り輝くイキモノを見下ろしている。
見下ろしているのは、黄色のイキモノが小さいからだが、先ほどまでの愛くるしさは少し薄れているように感じられた。いや、愛くるしさは健在だが、様子が違うと言った方がいいのかもしれない。
「名前を呼んでくれてありがとうございます、愛しの天女様ぁ」
なつく。という言葉の意味を考えたくなる。
うっとりとした顔、声、崇拝していると一目でわかる仕草。
初対面のイキモノに遭遇するのは初めてで、黄宝館の外を知らない二十年間、動物と触れあったことも数える程度しかない。それが突然、ここにきて。どうやってもぐりこんだかわからないイキモノに、とても気に入られるとあっては、さすがのアザミもたじろいでいた。
「な……名前?」
「ズイチーリンって呼んでくれたじゃないですかっ、思い出してくれたんですよね。ようやくっ、ようやく、お会いできましたぁっぁああああああ、本当に美しい、ずっとずっと会いたくて、ようやく会えて嬉しいですぅぅううぅ……み゛ゃ」
イルハの手に薙ぎ払われたズイチーリンを気にかける人はいない。
もふもふとした黄色のイキモノは蹴鞠(けまり)のように高く飛んでアザミに抱き着こうとしたのを阻止されただけでなく、イルハの手でさらに高く飛んで、天井にぶつかり、床でひとはねして、壁に激突していた。が、誰もが無視を決め込んでいる。
むしろ、アザミに害がなかったかと心配した過保護な男たちは、これみよがしにアザミに構った。
「アザミ、大事ないか?」
「え、ああ。ありんせん」
「飛びかかられて驚いたろ」
「だっ、大丈夫でありんす」
「同じ空気に触れさせるだけで不快だ」
「なにか聞こえても無視しろよ」
「アザミちゃん、怖かったね。ボクのところにおいで」
「愛しの天女様に触れるなぁ、この汚らわしい悪党どもめぇ」
それが「みみ゛みみみ゛みみみみ」と聞こえるのは気のせいではないだろう。
壁に激突した衝撃で言葉を失ったのか、ひっくり返ったズイチーリンはじたばたと短い手足を暴れさせている。
「……無視、できんせん」
アザミは取り囲む五人の輪の中で、降参した構えで両手をあげた。
「天女様ぁ゛ぁあ゛ぁァアぁ!!」
「話が進まない。あれはなんだ?」
ジンが一息ついて、裏返った亀みたいに手足をばたつかせるイキモノの正体を問う。顔を見合わせた四人は同時に首をかしげて、それからじっとアザミを見つめた。
「えっ、わっちも知りんせ……」
「ズイチーリンは天界と地上の道中をお守りするのが役目の神獣だぞ、天女様が地上に降りられるのはズイチーリンのおかげなんだぞ。それをよくも封印などと……みみみみ、恨めしやぁ。三百年も魔那と一緒に水の底で、天女様が解放してくれなかったらどうなっていたことかぁあぁっ」
「……封印……」
「そうなんですぅ、愛しの天女様。こやつら、天女様と添い遂げたいからとズイチーリンを封印して天界に還さないようにしたんです。しかも、しかも、そこにいる人の子である男が魔那を奪ったせいで天女様は力を失い、それを好機とばかりに、ぁあぁああ、あのとき、幻の木の実とやらの話にだまされなければ!!」
「……幻の木の実?」
「はい。地上に降り、魔那の穢れを浄化される期間はズイチーリンが天女様に害がないよう見張っているのですが、天界でも食べられない幻の木の実があると聞いて、ついつい」
目を離してしまいました。と、転がったまま涙ながらに語る黄色のイキモノに返す言葉はない。
おいおいと大粒の涙を垂れ流しているが、アザミはジンたちに囲まれている以上、どうしてあげることもできない。
「………」
大袈裟なほど大声で語る話をまとめてみる。
三百年前、ズイチーリンは泉で身を清める天女の傍で魔那の見張りをしていた。が、美しい人間の男から幻の木の実の存在を聞き、魔那を託して探しにいったらしい。戻ってきたときには、魔那は奪われ、天女はさらわれ、駆けつけた四獣たちに事情を説明したところ逆に封印されたのだという。
「ズイチーリンを心配する天女様の悲しみやたるや!!」
四本の手足をばーんと天井に向けて伸ばしたズイチーリンの声だけがむなしく響く。
「天女様は魔那を体内に宿せず、魔那を浄化できないと泣いておられた。それを、それを鬼畜な男どもはあの手この手で……みみみみみ……魔那から陰禍は溢れだし、邪獣が生まれ、地上は荒れ、それはひどい有様でした。彼らも、さすがにまずいと思ったのか、災厄を鎮めるため魔那はズイチーリンと一緒に封じられたのです」
裏返っていた体をなんとか起こして、ズイチーリンを名乗る黄色のイキモノは四本足で立ち上がる。そして、すでに表情を失っている五人の男に囲まれたアザミに向かって、少し興奮した面持ちで一歩前に踏み出した。
「魔那はここに来られた時点で天女様と同化しました。魔那と同化した天女様が彼らと順に交わったことで魔那が浄化され、ズイチーリンの封印もとけたのです」
「浄化……したの?」
「はい。相思相愛の交わりを果たされたので浄化しました!!」
今のは聞かなかったことにしたい。
そう思っても無理だろう。全員そろって向けてきた顔にイヤな予感しかしない。実際、ジンが何か呟き、それを聞いたヒスイがアベニとイルハに何か囁いて、二人がそろって頷いている。コウラに至っては片手で顔面を塞いでいるので何を考えているかはわからない。
「さっきから気になっておりんしたが」
アザミは場の空気を変えるために咳ばらいをして、赤い顔を誤魔化した。
「わっちは天女様ではなく、天女様を封じている器のはずでは?」
「いいえ、何代も器を渡り歩かれましたが、ようやく馴染まれました。ズイチーリンにはわかります。人の子であったとしても天女様は天女様です」
「えっと……それは、天女様に魔那を返したことになりんすか?」
「そうなりますね。魔那は浄化され勝手に天に戻りましたが」
「それなら、わっちはもう自由?」
「天界にお戻りになりたいということでしたら、それは無理です。ズイチーリンは魔那と一緒に封じられていたからか、陰禍を吸収しすぎて天女様を天界に還す力はないのです。天女様は地上で暮らすしかなく………申し訳ありません」
力説してくれる愛らしいもふもふは、不甲斐ないとばかりに耳と尻尾を垂れさせる。言葉を話せるようになっても鳴き声は「み」らしく、小さな声で鳴いているのを聞くのは心に突き刺さるものがある。
「忌々しい人の子と四獣が天女様の愛を独占するために三百年かけたのです。人の子と寿命をそろえるためとはいえ、天女様を人間に堕とすなど。四獣はそれでよいかもしれませんが、魔那のお役目を放棄させる手段があまりにも強引極まりない。ズイチーリンとしては今すぐにでも……やや、人の子。それは幻の木の実!!」
歯を食いしばって苦渋に耐えるような顔をしたと思った瞬間、キラキラと目を輝かせたズイチーリンの顔があがる。いつの間に用意したのか、大量の果物を積んだ大きな器をジンがズイチーリンに差し出していた。
「王族に伝わる書物の中に金色の獣には果物を与えよとあったので用意した」
「美しい人の子、素晴らしい!!」
「すべて食べてかまわない。しばらく席を外すが、果物でも食べて待っているといい」
崇拝の対象はアザミからジンに変わったといっても過言ではない。
あれほど暴言を吐いていたズイチーリンは、ジンを平伏する勢いで褒めたたえると、自ら四獣がつくった新しい檻の中に入って果物にありつきはじめた。
「アザミ、そなたに話がある」
ポンっと肩にのった手に、何の話かは大体想像がつく。
アザミは緊張した面持ちで静かにひとつ頷いていた。
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