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参書:四季を冠る香妃

挿話:五色の花魁道中

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肌寒い風が吹く季節になり、帝都を行き交う人々がそわそわと落ち着きを無くしてくる。普段は店の名前を書いた提灯を連ねる道々に、大小さまざまな菊の鉢植えが置かれるようになってくると、そのざわめきは大きな興奮を増して、さえずりだす。


「ああ、楽しみだね。花魁道中、今年は五十年ぶりに開催されるとあって、どの店も気合が入っているそうじゃないか」

「そりゃそうだろう。四大香妃なんて、滅多に拝めるもんじゃねぇぞ」

「高級遊郭の妓女が帝都を練り歩くんだ。こんな機会を逃す馬鹿はいねぇだろ」

「ご贔屓にしてもらおうって店が試行錯誤こらして準備をしてんだ。忙しいったらねぇよな」

「前の統王のときは廃止されちまったからねぇ。ジン陛下も廃止継続されるとばかり思っていたから嬉しいよ」


そう言いながら、黄宝館を眺める人々の顔は期待に満ちて高揚している。
花魁道中。
帝国にある五つの高級遊郭。黄宝館、青珠館、朱珠館、白珠館、黒珠館。
各最高位の香妃がそれぞれの妓女や若い衆を従えて、遊郭から黄宝館までを練り歩き、宴を開催する最大行事なのだから無理もない。各領主である四獣が花魁の気を引き、統王の気をそらせるために趣味嗜好を凝らし、権力を鼓舞したのが起源だとされているが、詳細は残されていない。
現代の人々が知っているのは、これが帝国一の催事であり、十日間続く祭りであること。
香妃は三日かけて黄宝館までの道のりを進行し、黄宝館で過ごした後、三日かけてそれぞれの遊郭へ帰っていく。


「うちの大通りは、白珠館の香妃様が歩くんだ。金木犀を模した商品が人気があるとふんで、店主たちは大忙しだよ。青珠館の香妃様が歩く通りは女性用のクシもそうだが、龍にちなんだものも人気が出るとかで仕入れが大変らしい」

「あたしの方は黒珠館だね。玄武王が花魁にかんざしを贈ったとかで、職人たちも気合が入ってるよ。そっちは朱珠館の香妃様が見える通りだろ?」

「香はもちろんだが、クチナシを使った料理が最近増えてきた。あれを使うと黄宝館の色にもなるからな、新しい看板商品を作ろうと太る料理人が多いこと、多いこと」


途中の宿はもちろん、食事、嗜好品、土産に至るまで、流行の最先端を行く妓女たちが香妃に連れられて訪れる。それを拝もうと帝国中の人間が帝都に集まるのだから、帝都で商売する人々の営業活動には余念がない。
そして文月の満月を控えたある日。
人々の活気は最高潮に盛り上がり、東西南北に位置する各遊郭から香妃がそれぞれ旅立ったと一報が入った。

「栄光の沈丁花」青珠館のダナエ
「幸福のクチナシ」朱珠館のクイナ
「初恋の金木犀」白珠館のフヨウ
「慈愛の蝋梅」黒珠館のラミア

それぞれ決められた大通りを行進し、三日三晩かけて黄宝館へと集まってくる。
平民どころか高貴な身分のものでも滅多に会えない高級遊郭の最高妓女が帝都を練り歩くとなれば、こぞって人が群がるのも無理はない。
そのため、黄宝館でも忙しさは本番を迎え、多くの客入れにてんやわんやしていた。


「アザミ花魁の準備が整いました」


ニガナの声が黄宝館に響き渡ったのは、香妃たちが各領地を旅立って間もなくのこと。
黄宝館でも常連客や顔なじみが多く招待され、古参から新米まで全妓女が華美に着飾って接待を行う。十日間続く催事なのだから、香妃が練り歩く前夜祭から後夜祭まで、存分に楽しんでやろうと高揚した顔ぶれが揃っていた。
その目的の本命として、花魁の姿を一目見るというものがある。
黄宝館から出られないアザミは、三日三晩、香妃たちが到着するまで館内を練り歩く。


「おお」


感嘆や羨望、嫉妬、どよめき。けれど声はなく、母音の息が重なった程度に過ぎない。

「高貴なる菊」黄宝館のアザミ

結い上げた髪は左右三本ずつ刺さった蝋梅のかんざし、中央に沈丁花のクシがひとつ。白地に金木犀が刺繍された着物。帯には金色の紐と金細工でできた大輪の菊の帯留め。歩くたびに濃厚な甘い香りと華やかさが鼻腔をくすぐり、クチナシの香を炊き締めているのだと連想させる。


「なんと美しい。あれが稀代の寵姫か」

「絵姿などでは到底本物には及ばぬな」

「天女様もあのように美しかったのだろう」

「まことに、眼福とはこのこと」

「統王様と四獣様が溺愛しているのもうなずける」


薄く化粧を施した顔立ちは凛として黄宝館内を進んでいく。しかし、声をかけて、止められることは一度もない。全身の装飾品が花魁は誰のものであるかを告げている。特に、帯留めとして光り輝く金細工が所有を誇示しているのだから、恐ろしくて誰も声をかけられない。
それでも眼福だと。目の保養になるといわんばかりに、通り過ぎていくアザミの姿を追って、客たちは惚けた顔を貼り付けていた。


「アザミ花魁、おねーりー」


最終的にたどり着く広間ではジンが待っている。
催事会場となる広間は正面にジンとアザミの席があり、左に東西、右に南北が座る形で四獣代理と香妃がそれぞれ並ぶ配置になっている。コの字型に囲んだ宴の席の中央は、踊り子や楽団、芸人たちが工夫をこらして趣を添え、特別に作られた料理や酒がふんだんに振る舞われる。来賓たちはその後方に並べられ、広間に入れない客人たちは周辺の宿をとって、その雰囲気や漏れ出る音を楽しんでいた。


「コウラ様やヒスイ様、アベニ様、イルハ様のお席は?」


数日前、催事の詳細をゴマ婆から聞かされていたアザミは、そう尋ねて、頭を強く叩かれていた。


「馬鹿者。四獣様方は常に花魁を加護するというておろうが」


つまり、四人のうち、二人が常にアザミの後方に立ち控え、残りの二人が常に黄宝館の内外を見回るということらしい。普段は一人ずつ持ちまわる監視の役目が、二人ずつになるのだと、ゴマ婆は「知っていて当然」と言わんばかりの勢いで鼻を鳴らした。


「その日はニガナも他のみんなも忙しい。何かあれば統王様や四獣様を頼れ」


忙しい日のゴマ婆は機嫌がいいが、花魁道中となるとそうもいかないらしい。
アザミは十日間続く催事の規模を実感しながら、今後はジンが提案することに安易に頷かないようにしようと心に誓っていた。

* * * * * *

ときは数か月前にさかのぼる。
イルハは無表情で、いや、死んだ魚のような瞳をして目の前の光景を眺めていた。


「やはり、菊か……それだとあまりに露骨すぎるか?」


ひとりでぶつぶつと呟いているのがジンでなければ、早々に帰宅していただろう。
イルハは、アザミの元から帰るなり「帯留めを作る職人を紹介してくれ」とジンに捕まえられていた。実家が呉服屋だと知られている以上、逃げ場はない。


「帯留めぇ?」


怪訝な顔で断ろうとしたイルハだったが、瞬間、ジンの顔を見て何かを悟る。長年の経験則だろう。その顔は、諦めたというより青ざめている気がしないでもない。


「アザミに聞いただろう。花魁道中を復活させる」

「……そりゃ、聞いたけど」

「香妃を黄宝館に招いて宴をする催事だ。すっかり忘れていた。アザミと話していて思い出したのだ。先帝は廃止したが復興の成功には欠かせない。どうだ?」


まるで幼児が語るみたいに目をキラキラとさせたジンの言葉に、イルハが言葉に詰まるのも無理はない。「どうだ?」と聞かれて、どう答えればいいのだろう。
個人的には興味がない。
アザミが望むならやってもいいかと思う。けれど、それを聞いていた実家の姉たちの顔を見た瞬間、絶対にやりたくないと本能が警鐘を鳴らしていた。


「ジン陛下、今のはなし、本当でございますか?」


店全体に響き渡るほどの大声で叫んだのは、一番だったか、三番だったか。とにかくジンが来ていると大騒ぎしている女性陣の誰かであることは間違いない。


「花魁道中を復活なさるのですか!?」

「ああ。何十年とやっていない催事だが、どうだろうか?」

「良いと思います。いつ開催ですか?」

「そうだな。時期は、文月の満月あたりが良い気がしている」

「良いと思います!!」


全肯定の声が勝手にジンの発言を決定事項として受け止め、それはあっという間に隣家へと派生していく。花魁道中。その言葉を知らない若者は首を傾げ、その言葉を知る年配は嬉々としてその祭りごとを語る。
誰もがあまりに嬉しそうに語るので、人々は思いを馳せ、興奮を宿し、あっという間に帝国中に広まっていった。


「……オレは知らねぇぞ」


イルハが咄嗟に思い浮かべたのは、面倒な男たち。同じ四獣のコウラ、ヒスイ、アベニだが。自分がコウラとヒスイの中間地点を担当しているからといって、その二人に伝えるのはごめんだと口調が物語っている。


「そういうわけでイルハ。アザミに贈る帯留めが欲しいのだ。よい職人を紹介してくれ」

「どういうわけだよ。知らねぇよ」

「金はいくらかかってもいい」

「そういう話をしてんじゃねぇよ。ってか、なんだよ今さら、アザミに関わんねぇって言ってたじゃねぇか」

「イルハも興味がないと言っていただろう?」


お互い様だと微笑むジンに、イルハが返せる言葉はない。
たしかに興味がないと言動や態度で告げていて、実際、コウラやヒスイが水面下で争う様子を馬鹿にしてきた。それを仲裁していたアベニまで、その輪に参戦したと知った時ですら自分には関係ないと傍観を決め込んでいた。
でも、今は違う。
アザミの元へ行ける日が近づくと、イルハの機嫌が底抜けによくなることは周知の事実であり、婚礼衣装ともいえる着物を贈ったことは帝都中に知れ渡っている事実でもある。


「さあ、イルハ。紹介してくれるまで、わたしはここに居座るぞ?」

「暇かよ。仕事しろよ」

「わたしに仕事をさせたいのであれば紹介しろ」


にこりと完全無欠の笑みを向けられれば断る術はない。
ジンはやるといったことは本当にやる。あのヒスイが根負けするのだから敵に回してはいけないとわかっている。イルハは威嚇するように渋っていたが、やがて諦めたように「ついてこいよ」とジンを案内する羽目になって、今に至る。


「やはり、菊か……それだとあまりに露骨すぎるか?」


ぶつぶつと呟くジンを職人の元へ送り届けて、すぐに帰ることができればよかった。
帝都中を動き回るジンに影の護衛がついていることはわかっている。ここで放置しても問題ない。それなのに、ジンはイルハとの会話をもう少し楽しみたいらしい。


「イルハは、白地に金木犀を刺繍した衣装を贈ったと聞いたぞ」


ぴりっと走る空気に何もない。
緊張や緊迫感が生まれたわけでも、攻撃されたわけでもないのに、なぜかチクチクと肌がむず痒くなった気がする。


「姉貴が勝手に用意しただけだ」


そう返すだけで口の中が乾く気がすると、イルハは首の後ろに手をやる。
ジンは、振り返るどころか、職人が並べる見本から顔をあげることなく「コウラたちが何を贈ったのか知っているか?」と立て続けに聞いてきた。
知りたくはなかったが、知っている。
随分と有名な話なのだからジンもおそらく知っているはずだと、イルハはへの字型に唇を曲げていた。


「その顔は知っているな。よい、申せ」


振り返ってきたジンと目が合ってしまえば、口にしないわけにもいかない。


「コウラは蝋梅のかんざし、ヒスイは沈丁花のクシ、アベニはクチナシの香」


口にするだけでも腹立たしいと苛立ちを隠しもしないイルハにか、それともその贈り物に対してか、一瞬目を丸くしたジンは、瞬間、あはははと嬉しそうに笑っていた。


「本当に執着心や独占欲が強いな。では、わたしも菊にしよう」


あとは大きさなどの詳細を職人と打ち合わせるだけなので、問題ないだろう。
自分の役目はここまでだと、イルハは溜息を吐いてジンの背中をじっと見つめる。


「ジンってこんなやつだったか?」


ジンに仕えて、二十年。
二歳で四獣の力を授かったイルハにとって、ジンや他の四獣たちは兄といっても過言ではない。いつもその背中を追って、必死に進んできた。
だから口にはしなくても、尊敬しているし、その身を守れること、一緒に肩を並べられることを誇りに思っている。それでも今までのジンはもっと淡々としていたように思う。
優しく微笑みながら一人の女性への贈り物を用意する姿は見たことがない。


「……はぁ……花魁道中、か」


頭に浮かぶのはいつだってアザミのこと。
自分も譲れないという感情が芽生え、自分だけのものにしたいという醜い感情を抱いているのだから、自分よりも長くアザミを知っている四獣の兄たちはもっと深く根付く思いを秘めているのだろうと想像する。
それでも負ける気はさらさらないと、イルハは用事のすんだジンを見送り、雷光だけを残してその地を去った。
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