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第七夜 月に照らされた涙(上)

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言い様のない空気で部屋は満たされていた。
場所は広間。この洞窟の中央に位置し、外からの光が届く唯一の場所。時刻は夜。したがって、部屋には複数の松明(タイマツ)が灯されていた。


「詳細がわかるまで、手出しはしないと。そう約束を交わしたような気がしますが。勘違いだったのでしょうか」


戒のトゲのある物言いに、広間はシンと静まり返る。静寂のなか、ゆらゆらと揺れる炎の灯りにともなって、人間の姿をした三匹の獣が、影を震わせている。そうして、小さく輪を作った四隅(ヨスミ)の端で、見事に戒の目が冷たく座っていた。


「なんのために、わたしは情報収集と言う面倒な仕事をしに行って来たのでしょう」

「………」

「父さんと涼が“ああ”だから、わたしたちで警戒しておこうといったはずでしょう?」

「………」

「聞いてますか?」


誰も何も答えない。仮にも、この輪の中で一番年下の戒に怒られたとなっては、年長者の三人に立つ瀬はない。影は獣のはずなのに、人間の容姿をした彼らは、そろって戒と視線を合せないようにしていた。


「そろいもそろって毒されるなんて」


これみよがしなため息に、空気が重さを増す。戒の視線に映る年長者たちが狼の姿であれば、耳も尻尾も下を向いていたかもしれない。その証拠に、夜が更けていく洞窟内もまたひとつ、暗くなった気がした。


「今は大人しく寝ていますが、相手は人間だということを忘れていないでしょうね?」


一瞥するように流した視線の先では、やはり目を合わせない兄弟たちが座っている。帰宅するなり遭遇した兄弟喧嘩の原因が、たかだか人間の少女風情などと、それもエサとして飼うだけの小娘だとは微塵も思っていなかった。そう、戒の空気が物語っている以上、言葉すら発することが出来ないようだった。
逆の立場であれば、戒の位置にいるのは自分だったかもしれない。いや、確実にそうだと言い切れるだけに、この戸惑いを表現できる言い訳は見つからない。何を言っても支離滅裂になることは、他の誰でもなく当の本人たちが一番よく分かっていた。


「人間だと言うことは、忘れて、ない」


片言で応えたのは輝。
あの後、とりあえず床に転がったまま放置されていた優羽を敷物の上に寝かせ、起こしてはなんだからと場所を移して今に至る。この場にいるのは四人。戒はもとより、晶、輝、竜で全員だった。


「まぁ、あの娘に関しては何の問題も浮上しませんでしたから、別にいいんですけどね」

「問題なし?」

「ええ。涼をかばったと言う話は本当でした。あの村の男たちに追いやられ、森に迷い込んだと言うのも本当でした。もとより、この地の人間ではありません」

「なんや、せやったらなんも問題ないやん」

「そういうわけにもいかないんですよ」


疑心的な晶の問いを肯定した戒に、竜はホッと息を吐いたが、戒のするどい視線がそれを突き刺す。優羽の言っていたことが嘘ではなく真実だとわかった以上、何が問題なのかと、三人の視線は同じく戒に向かって注がれていた。


「来年の姫巫女は無しと言う方向に、話しが進んでいます」

「「「はっ?」」」


空気がゆれる。大きく口を開けて固まる三人の表情は、どれもよく似ていた。
優羽の話が本当だとして、それがなぜ「姫巫女を献上しない」という話になるのか、つじつまも合わなければ繋がりも感じられない。村人たちの思考回路が理解できないと、三人の表情は確実にそう訴えていた。


「これはただの憶測ですが」


先の兄弟喧嘩とは違い、こちらは想像できる反応だったのか、戒の顔は、疲れた色がにじんだ憂いの表情を浮かべている。「よくわからない」に類似した言葉が使えるのなら、その一言に尽きると、戒はひとり重苦しい息を吐き出していた。


「バカな人間が考えそうなことなので」


そう前置きして、言葉を濁した雰囲気が、面倒そうに戒の声を続けている。


「あの娘が涼と出会ったのは目撃されている事実ですから、それを利用できるとふんだのでしょう」

「姫巫女は、一年に一人だけっていう掟を引き合いに出してくるつもりか?」

「その線が濃厚ですね」


輝のつぶやきを拾った戒の声が暗い影を落としていく。


「つまり、なんや、今年は二人献上したことになるから、来年は無しっちゅー話にしようとしてるってことか?」

「理解はしたくないけど、竜。そういうことだろうね」

「ちょ、そんなん。まかり通るわけないやろ!?」

「これだから人間は好きじゃないんだよ。約束を忘れ、利己的に生き、自分たちが常に優位だと思っている」

「晶の意見に、わたしもそう思います。そう思って帰ってきたのに、まさかその人間のことで喧嘩に発展しているとは、思ってもみませんでした」


再び三つの影が「うっ」と言葉につまる。未だに不規則に揺れる松明の火だけが、ゆらゆらと、カミたちの心情を表している。とはいえ、今はそれに構っている場合ではないのだろう。
話しは何も終わっていない。


「太古からの約束では、一年に一人の乙女を生贄として捧げること。優羽が村の人間でなかったとしても、彼らには関係ないのですよ。乙女は乙女。一人は一人。むしろ、幸運だとでも思っているのかもしれません。これ以上、村から娘は一人も出したくないという本心が駄々洩れですが、今回はこの幸運を眼前に掲げて、訴えかけてくるつもりでしょう」

「幸運……ねぇ。関係のない娘を見殺しにするなんざ、便利な運もあったもんだな」

「まあ、輝の言葉ももっともですが、国中に蔓延している流行り病も影響しているかと。少なからず、あの村にも襲いかかっていますからね。近年、稀に見る不作続きも合わさって、村人は目に見えて減っています。来年十五を迎える娘は一人だけ。例のごとく穢れなき乙女ではないと思いますが、可愛い村娘を守るため、村人も必死なんですよ」

「せやけど、他のとこに比べたらマシな状態やん。副作用みたいなもんやけど」


竜の言葉が戒を横切る。
幾分か緊張感が緩和されたのだろう。密着していた気配が少し散って、竜は伸びをしていたが、戒は見ないふりをする。


「彼らいわく、ここはイヌガミ様に守られた土地ですからね。わたしたちも縄張りを守る以上、必然的に彼らの村を守ることになっていますが、その意味をはき違えられるのは、腹立たしいものです。追い出すことなど造作もないのに、それをしない意味を忘れてしまったのか。それなりに不自由しない暮らしに慣れてしまったのでしょう。所詮人間です。今以上に不幸が続くと感じれば、交わした約束など、手のひらを返したように歯向かってくるでしょう」


言っているうちに、苛立ちが募ってきたに違いない。ただでさえ冷たい戒の声がさらに冷たく、氷点下のような寒さを感じてしまう。
それに今度は竜ではなく、晶が体感温度の中和を買ってでた。


「そうかもしれないね。実際その結果が、来年の姫巫女は用意しないという話なんだろうし」

「ええ、そうです」

「優羽は故郷を病で失くし、一人でこの地まで彷徨い、あの村に助けを求めた。けれど、あの村の人間は優羽を厄介払いし、挙げ句、襲おうとしたとか。そのうえ、関係のない因習まで背負わせるなんて、笑ってしまうね。健気さが愛らしいとも感じず、命の重さを天秤にかけるのが好きな人間らしい。愚かで小賢しい人間の考えそうな悪質で陰湿なこじつけに、俺たちが応える必要はあるのかな?」


中和されるどころか、ニコリと晶の笑みが室内の闇まで連れてくる。考えれば考えるほど腹が立ってきたのだろう。瞳に宿す銀色の瞳が鈍く鋭利な光を放って、炎の揺らめきを反射している。
そして何を思い至ったのか、ふふっと晶は口角をあげて笑みを吐いた。


「あの村人たちにとって、優羽はありがたい存在になるだろうね」

「村を救う姫巫女の逸話か。大体あれは人間どもが三百年前の話を美化してるだけだろ。それを再現しようなんて無理な話。ってか、むしがよすぎねぇか?」

「そういう偶然を必然や奇跡に結び付けたがるのが人間なんだよ」


晶の皮肉めいた言葉に、輝も肩で息をつく。晶も輝も、その瞳は、人間が心底嫌いだと物語っていた。
カミ側と人間側で随分と異なる寿命の違いが、共有されたはずの事実にも差異を生み、過去や歴史を変換していく。刻まれた記憶と流れる伝承は、同じ過去を背負っていても、移ろう人間はねじ曲げていく。
取り残された存在にとっては有難迷惑な話でしかない。
事実がどう改竄されようと関心はない。
イヌガミたちは、せせら笑っているが、影は何か思うところがあるように揺れていた。


「うぜぇ」


それが松明の光を反射して見えるものなのか、輝の心情が見せるものなのかは、よくわからない。
戒は沈黙が落ちた室内に区切りをつけるように、息を吐いて話題を切り上げた。


「あの娘を何者にするかはさておき、陸はどうしたんです?」


いつもなら何かと騒ぎ立てて本題に横槍を入れる人物がいないことに、戒は首をかしげた。おかげで話し合いは順調にすすんだが、夜も更けた時間となっては心配しないわけにもいかない。今は事情が事情なだけに、面倒なことは避けたいとも思う。
瞬間、晶と竜が顔を見合わせて、口元を引きつらせた。もちろん、戒の視線は、それを見逃さなかった。


「なんです?」

「いや。さっき見たときは、アホみたいに元気になっとったはずやねんけど」

「あの陸に元気がなかったのですか?」

「まさか、大丈夫だよ。少し外の空気を吸ってくるって言ってたから、すぐに戻ってくるんじゃないかな」


尻すぼみで狼狽える竜の代わりに、晶がサラリと言ってのける。加えて普通の笑顔を向けられれば、戒にそれ以上の追及は不可能だった。


「まあ、あの陸ですしね」

「せやせや、あの陸やからな」


「あの」で通用する。普段の陸の行いがもたらした結果だが、竜は戒の疑心を払うように首を縦に振って、話題を誤魔化すことに成功していた。けれど、やはり戒は一抹の不安が残るのか、顎に手を添えて「んー」と考え込むような仕草を見せる。


「なにか気に病むことでも?」


今度は晶が戒の変化に問いかけた。


「いえ、それならいいのです」


珍しく言葉を濁した戒に対して、それぞれの視線が向く。興味があるような、無いような、なんとも言えない視線を受け取りながら、普段よりもずっと穏やかな広間に戒は視線を走らせた。
夜の広間は薄暗い。そうでなくても太陽の光が十分に入らない洞窟に住んでいる。いくら広大な森を見渡せる崖の中腹に設けられているとはいえ、月の光も最深部までは届かない。
それで十分だった。
それなのに、今日はやけにシンとした静寂に満ちている気がしないでもない。
少し、静かすぎる。今夜は台座の奥にかかる銀色の垂れ幕もなく、ポッカリと暗い穴があいているからかもしれない。


「父さんの会議に、ついて行っていないといいのですが」


ハッと空気が止まった。嫌な想像をしてしまったと、顔をひきつらせた戒に「それは、ありえない」と言ってくれる者はいない。
たぶん、同じ考えが脳裏に浮かんだのだろう。その場にいる全員の顔が、疑心と格闘しているように見えた。


「…………ありえそうやな」

「だな」

「いくらなんでも父さんが許さないよ」

「んなこと言ったかて、陸がそれを気にするタマかいな」

「その場合って、監督不行き届きで俺らが怒られるんじゃね?」


血の気が引くような悪寒が背中を駆け抜けぬけた気がするのは、決して気のせいではないだろう。本来の力が弱まり、体調が万全とは言えない幸彦が、わざわざ単身で向かう場所。重要かつ重大な会議に、陸が遊び半分で顔を出そうものなら、そのとばっちりは、十分に自分たちにも降りかかる災厄になると、容易に想像がつく。


「冗談じゃねぇぞ」


どこか焦った輝の声が、洞窟内に虚しく響いた。


「陸をすぐ連れ戻せ」

「今夜の見回りは涼ですから、陸が勝手に抜け出すことはないと信じていますが」

「今夜の涼が普通じゃねぇのに、んなこと期待できっかよ」

「あぁ、えらい気ぃたってたもんな。ふて寝してサボってそぉや」


輝と竜がそろって顔を見合わせる。思い返してみれば数時間前、太陽が昇ったばかりの時間。まだ得体の知れない優羽を害虫だと決めつけ、排除しようと目論んでいた四人は、見事にその計画を破断にされた。


「相手が親父やったらしゃーないやろ」

「まあ、な」


今朝の様子を思い返し、輝と竜はそろって天井を見上げる。晶と戒の記憶も正しければ、同様の回想が天井をぐるぐると駆け巡っていた。


「それでも、父さんに牙を向いた涼が悪いよ」

「晶の言うとおりです。自分で招き入れた種ですよ」


幸彦から処遇を言い渡された優羽に対して、情を持つことを禁じられた涼は、誰が見ても明らかなほど不機嫌だった。不機嫌という言葉で片付けるには少し軽すぎるかもしれない。
あれは異様。
晶が優羽を連れていくのを睨み殺そうとしていた。その感情は沸点に達していたのだろう。「それ以上、誰も触るな」と怒声をきかせて唸り声をあげ、ついに、幸彦に罰を言い渡された。


「あっこまで優羽に執着しとるとは、思わんかったわ」

「そうそう。いつもなら親父にとられた瞬間に興味なくすくせに、今回は交換条件をあっさり飲みやがった」

「で、今日一日外で見回り当番。会議時の警備担当。ここおっても優羽から離れへんかったやろし、丁度良かったんちゃうか」

「ったく、たかがエサひとつに固執し過ぎなんだよ」

「俺たちがそれを汚したと知ったら、どうなるだろうね」

「食べ物の恨みは怖いと言いますしね」


晶と戒のつぶやきに、輝と竜は指折り数えていた声をピタリと止める。
正直、頭がいたい。
確かに「食べる」つもりは微塵もなかった。それは紛れもない本音だが、現実はそれとは違うのだから仕方がない。「気づいたら代わる代わるいただいていました」なんて、誰が聞いても理解しないだろう。
ましてや、自分が見つけた大好物のエサ。それを横取りされたと知れば、たとえ涼じゃなくても怒るに違いない。しかし犯してしまった過(アヤマ)ちは、もうどうしようもない。


「最初に晶が手ぇつけただろ。晶が考えろよ」

「俺はただ、仕事をしただけだよ」

「じゃあ、跡をつけた竜が責任とれ」

「なんでやねん。最後の一滴まで食い漁ったん輝やろ?」


責任のなすりつけあいが始まった。
お互いに、ああでもない、こうでもないと騒ぎ立てるさまは、なんとも滑稽で無様に思う。人間の姿から本来の姿に戻ってまで対立することなのかと、当然、一人しらけた顔の戒がいた。
これでは戻ってきたときと同じ。


「本当、どうにかならないんですか?」


会議を開いた意味があったのかと問いたくもなる。話す前と後で何も変わらない現状に、疲れた肩を落とす戒の言葉は、議論しあう三匹には届かない。


「どのみちすぐにバレますよ。父さんもそれを見越して涼を外部の見張り役に任命したのでしょうし。大体、そろいもそろって何をやってるんですか。たかが人間の小娘一匹相手に、手を出した出さないという議論自体が無意味ですよ」


物静かに座る戒は、ジッと絡み合う三匹の様子を眺めていた。いや、正確には何も見ていなかった。
目に映るすべてが無意味だと思っているのか、空虚な瞳には何も映らない。
その美しい白銀の瞳は、松明の光に照らされた白銀の毛がもつれていくのを鏡のように反射させるだけ。


「食材に入れ込むなど、どうかしています」


食事をするのは生きていくため。
飢えれば満たすだけのこと。
それが満足感を得られるかどうかは別にして、食べなければ、生きていけない。美味しいかまずいか、選択できる自由もないのだから、ただ目の前に与えられた食材に食らいついてしまうのは本能というもの。
それ以上でも以下でもない。


「理性を忘れれば、本当にただの獣です」


いがみ合う兄弟に溜息しか出てこない。自分だけが人型でいるのも馬鹿らしくなった戒は、狼の姿に戻って、その場に伏せる。そうしてスッと瞳をふせた戒は、しばらくしてからピクリと耳を動かした。
どうやら、その音に気付いているのは自分だけらしい。周囲の空間は、兄弟喧嘩の頂点に達しているために、声をかけることさえ不可能だった。


「結局、こうなるんですよ」


お決まりの状況だと、戒は一人、重たい腰をあげる。それすら気付かないまま、三匹の狼たちは低い声でじゃれあっていた。


* * * * * *


何も見えない。
目が覚めた時には暗闇の中にいた。
目と一緒に耳まで聞こえなくなってしまったのだろうか。本当に不気味なほど、暗い静寂が室内を支配している。腕を伸ばして自分の指先を確認しようと思った優羽は、刹那、激痛が走った身体に驚いて顔をしかめた。


「痛───…ッ…」


ピリピリとした痺れが、動かそうとする箇所から全身に激痛を走らせる。指先ひとつ満足に動かせなくなった原因は、残念ながら、ひとつ思い当たった。


「て、る」


薄れていく意識の中、声も枯れるほど、すがりつくように甘えた悦楽は忘れられない。本能に従い、溺れていく感覚。輝は最初こそ威圧的で怖かったものの、終盤は優しさとぬくもりを連れてきた。
意地悪な獣であることが変わらなかったせいで、何度も昇り詰める羽目になったのが原因だろう。エサとしての役割が果たせたのであれば何よりだが、その代償としてこの状況なのであれば、今後は少し考えなければならない。
これでは、いくらなんでも身がもたない。
美味しくある以前に、生命の維持が先決だと、優羽は全身のきしみを感じながら体をおこす。


「―――……ッ……いったぁ」


鈍器で殴られたような頭痛がする。
眩暈もするし、吐き気もする。
とてもじゃなく、立ち上がることは不可能だと思われた。優羽は頭を押さえながら唯一動く視線だけで部屋の中を探る。
普通の人間に夜目はきかない。
それでも傍にいれば容易に感じられるだろう狼たちの気配はない。黒一色と言っていいほど闇色に近い室内には、輝の気配すらなかった。


「な、に……これ……っ」


確かに輝と交わっていた記憶はあるのに、そのあとは何があったのか、よく思い出せない。頭痛と目眩だけがひどくなる。
窓もない暗い部屋。簡素な敷物と、すっかり慣れてしまった室内の匂いに、まだ生きているということだけが痛いほどによくわかる。


「うぁ…ッ…~~く」


筋肉痛とは全く違う身体の異変に、優羽は眉をしかめながら自身を抱き締めた。激痛だけではない。重くて、だるくて、息切れがする。風邪かと聞かれればそうかもしれないが、いくらなんでも眠っている間に重度の風邪にかかるなどあるだろうか。


「まさか」


疫病かと疑った。村を襲った疫病が、遠く離れたこの場所までついてきたのだとしたら。それは容易に想像がつく結論なだけに、優羽の顔が青ざめていく。
知らない土地で一人きり。
死んでいくには、あまりにも寂しくて苦しい。


「やだ…っ…怖いよ」


エサとして生きることを教え込まれた体は、鋭利な爪と牙で、一気に命を摘んでくれると思っていた頃の覇気まで一緒に放散してしまったらしい。遠ざかったはずの死が迫ってくる。
唐突な現実に混乱した優羽は、半身を起こしているものの、うずくまるように体を丸めていた。


「…~ッ~……」


このままこうしているのも耐え難い。
限界を感じて寝転ぼうにも、それさえ面倒臭い。
一体自分はどうしてしまったのだろう。神経が麻痺してしまったように、何の気力もわいてこない。
このまま消えてしまえばいいのにと、考えることを放棄した頭の端で、そっと誰かが囁いた。


「身体の具合はどうですか?」
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