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第2章:巡る記憶の回想

第4話:猛毒に散る花(2)

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やはり以心伝心が困難な人種なのだと、諦めにも似た心境が乃亜の悲しみを虚しさに変えていく。もう解毒は時間の経過を待つしかないのかもしれない。死ぬことがないのであれば、このまま眠って時間を過ごせばいい。本気か嘘かもわからない三織に身を任せるより、その方がきっと安全だろう。


「乃亜ちゃん、オレの話はちゃんと聞こうか」

「ヒぁッ」


低い声のまま降り落ちてきた赤い瞳が、乃亜の意識を奪い去る。唇を通り過ぎて耳に吹きかかる息が、体の中に閉じ込められた神経を逆撫でたのか、乃亜は一瞬にして三織に意識を戻していた。


「そうそう、そのままオレに集中して」


したくてしているわけではない。
それでも三織の言うとおり、乃亜は三織の声に心を傾けている。


「オレ、もともと嗅覚がいいんだけどさ。全身から萌樹くんの匂いをさせているのは、どういうわけ?」


首元で告げられた声は、すねていると表現してもいいのだろうか。


「牙と指の痕、消してないの。わざと?」


尋ねられた意味がわからない。わざとも何も、気を失った昨夜に引き続いて行われた朝の遊戯を思えば、残された痕が消せるはずもない。


「オレ以外の痕を残されるってすげぇイヤ。わからせてやりたくなる。乃亜ちゃん、今、痛みも感じないし、ちょうどいいよね」


三織の口から吐き出される台詞のひとつひとつに、疑問を浮かべるのをやめてしまいたい。三織の声に耳を傾ければ傾けるほど、何が正常で、何が異常か、判断の切り替えが思考回路を分断して頭痛を覚えそうになる。そして、何よりも。真実を掴みたくて、尋ねることさえ許されない乃亜の体は、現在進行形で見つめている光景を信じられなかった。
与えるべき人間に与えられない薬を乃亜の瞳は見つめている。
先ほど「解毒剤」だと教えられた瓶の中身をなぜか三織が口にしていた。


「オレの痕もしっかりつけてあげる」


鎖骨付近に刺さった三織の牙は、たしかに肌に突き刺さっているのだろう。何も感じない。三織の言葉に過剰反応しただけかと安堵した刹那。乃亜は戻ってきた自分の声を聞いた。
空いた穴から流れ込んでくる解毒薬の感覚。わずかに動かせるようになった指先が暴れている。動き出した肺は過激に震え、ようやく戻って来た声は激痛からの解放を訴えていた。


「嗚呼、かわいそうに」


くすくすと笑う萌樹の声が遠くから聞こえてくる。


「絶命するほどの痛みだけを与えられるなんて」

「萌樹くん、言い方ぁ。ちょっと配合に失敗しただけでしょ」

「ボクも昨夜、力加減に失敗したので、キミのことは責められません」

「ちゃんと生きてるってことが大事なんだよ」

「そこは同意します」


意識を手放した乃亜を囲んで口にするには内容が不穏でも、本人たちに隠すつもりがない以上、どうすることもできない。まだ朝が来たばかりだというのに、再び眠りについた身には何が起こったのか状況整理もままならない。


「食事は全員そろって、だそうです」

「そう言えば、そんなこと言ってたっけ」

「一度は見逃してもらえましたが、おそらく二度目は邪魔が入りますよ」

「そこはきっちり見張られてるんだ」


乃亜を見下せる位置で二人。互いに顔を向けることなく、眠る乃亜にだけ視線を落としている。
三織に噛まれた鎖骨付近からは赤い血が衣服に染みていたが、そこは大事ないだろう。すでに出血は止まっている。


「三織は斎磨を見かけました?」

「んーや。オレは自分のことしか考えてなかった。萌樹くんは?」

「いいえ」


顎に手をあてて何か思案するような顔つきになった萌樹の仕草に、初めて三織が視線向けた。
屋敷に滞在を強制されたのは何も萌樹と三織だけではない。たった二十四時間。昨日言葉を交わした人物が、たった一日でやけを起こしたとは考えにくい。いや、斎磨ならその可能性はあるのかもしれない。
けれど同時に、あの斎磨に限ってそんなことはしないだろうという確信も捨てきれない。
そんな微妙な視線に気づいた萌樹は、苦笑しながら「でも、大体は予想がつきます」と三織の無言に答えた。


「上に立つ人間は、上に行きたがるのが世の習いですので」


心配無用だとでも言いたげに、萌樹の顔によく見る笑顔が戻る。
仮面に貼り付けたような笑みは腹の内を見せない彼なりの防御なのか。じっとその変化を眺めていた三織は、まあいいかと、それ以上考えることはやめにしてフッと息を吐いただけ。
交わらない視線は、萌樹と三織の視界に乃亜を捕える。胸を静かに上下させる程度に落ち着いた呼吸は、乃亜の眠りがまだ続くことを示していた。


「乃亜をお預けしても?」

「オレを信用するの?」

「まさか」

「だよね」


今度こそ決別の声が空気を切り裂く。
穏やかさと朗らかさの声音を持っている二人が、笑顔の仮面の下で火花を散らせているなど、他の目撃者がいない以上証明は出来ない。それでも確実に、この友好的に見せかけた間柄に信用信頼関係は存在せず、互いの利益だけで成り立っているのだと二人は理解していた。


「当然の責任を要求しているだけです。せっかく手に入れたのですから、そう簡単に他人に壊されては行き場がないでしょう?」

「はは、そりゃ言えてる」


悲しいことに目的が同じであれば手を組むほか仕方がない。
関係性がどうであれ、手に入れるための近道が存在するのであれば、たとえ自分にとって不利な場面があろうと、身を引く必要もあるのだと二人の笑みが語っている。


「ま、確かめるまでもなく極上品だわな」

「おそらく」


宝石のように赤い瞳は、狙った獲物の血を欲して耽美(タンビ)に煌めく。
時刻は朝。
何の変哲もない静かな山奥の屋敷で乃亜の寝息だけが室内の空気を満たしていた。

To be continued...
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