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第2章:巡る記憶の回想
第4話:猛毒に散る花
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どうぞと許可を得て覗いた室内は、透明の器はもちろん、すり鉢、鍋、刻む用のナイフに至るまで、たくさんの調理器具や実験器具で溢れていた。細長い試験管や小瓶には見たことのない色をした液体。その脇には、三織の足元にあったのと同じ袋がいくつも添えられている。
「なんだか難しそう」
両手で窓枠を支えて覗き込んだ乃亜の感想は、それ以外に浮ばない。一体何を研究しているのか、聞いたところで寸分も理解できないだろう。
後ろで萌樹と三織の会話が弾んでいるが、効果効能を嬉々として喋る会話は小難しくて聞き取れないうえに、たとえそれが叶ったとしても話題の展開についていけそうにもないのだから仕方がない。
「乃亜ちゃん、ちょっとこっち来て」
目を向けた先で、おいでおいでと三織が呼ぶ姿に気づいて近付いてみる。
どうやら勝手口のような形で室内に入ることのできる扉があったらしい。そこから中に招かれた乃亜は、用意された椅子に座って「これ、なんだと思う?」と差し出された小さな瓶を覗き込んだ。
深い藍色。
黒さが混じる青は夜のように色濃く、それでもサラサラと水のように滑らかで、ワインのように香り高い。
「舐めてごらん。美味しいから」
食材の研究でもしているのだろうか。尽きない疑問の種は、好奇心を芽吹かせて乃亜の口を素直に瓶へと触れさせた。
「ッ!?」
手で口を押えて前かがみになった乃亜の手から、滑り落ちて割れる前に回収された瓶。
「ッ…ぁ…~~ぁ」
「思った以上によく効くなぁ。やっぱり構造の違いなのかな、オレにはそこまで反応出なかったんだよね」
中身を確認するように瓶を振る三織の声が頭上から降ってくる。何をそんな悠長に。そう言いたくても胸の奥から湧き上がる吐き気と痺れにうまく呼吸が続かない。
「ピリピリ痺れて敏感になっちゃうよね。あーあ、そんな場所にしゃがみこんじゃったら服に泥がつくよ」
椅子から滑り落ちて膝を折った乃亜は、そこで初めて三織に毒を盛られたことに気づいた。
自分を容易く抱き上げる獰猛な赤い瞳。昨夜、本の海の中で見た萌樹と同じ。獲物を見つめる狩人の色。
「なに…っ…を」
何を飲ませたのか。先走った好奇心に後悔したところで意味がない。
はぁはぁと繰り返す呼吸の音が体の筋力を弱らせ、脳の命令を無視した神経が、三織に運ばれる現状を受け入れている。舌が痺れて言葉もうまく続かない。ただ不思議なことに、意識だけがはっきりしていた。
「怯えた目、すごくかわいい」
興奮した顔で見つめないで欲しい。
乃亜の体は時間を追うごとに機能を失い、今はもう指先ひとつ動かせなくなっている。
「自分の体なのに自由に動かせないのが怖いんだよね、わかるよ。でも大丈夫」
何が大丈夫なのか、柵も何もない治療用として以前使われていた簡素なベッドが、なぜこんな場所にあるのか。
「意識は正常、運動機能は麻痺させ、感覚を敏感に」
「ぅ…んっ…ぁ」
「目は口程に物を言うとはよく言ったものだと思わない?」
三織の吐き出す言葉が何一つとして理解できない。
こちらは突然飲まされたもので体の感覚がすべて失われたといっても過言ではないのに、解毒はおろか、嬉しそうに鼻歌まで歌いだしかねない三織の雰囲気に気持ちが焦る。
このまま人形のように一生手足が動かせなくなったらどうしよう。などという不安は、きっと彼には微塵も伝わらないのだろう。
「ダメダメ、そんな風に無理矢理暴れようとしても、つらいのは乃亜ちゃんのほうだよ」
乃亜を寝かせて席を外した三織の声が、どこからか聞こえてくる。何かを取りに行って戻ってくるのか、それが解毒剤である可能性が高くない気がするのはなぜだろう。考えても無駄なことばかりに時間を消費していく。視界に映りもしない声に胸中が煽られる。
「やっと手に入れたんだから楽しませてよ」
不意に視界に戻ってきた存在に緊張が走る。
まるで自分の体の中に閉じ込められたみたいだった。魂は出ようともがいているのに、体がピクリともいうことを聞いてくれない。呼吸が出来ていることが不思議で、意識だけが明確に現状を理解しているのも怖かった。
いっそ、気を失うことが出来たなら。
せめて、声を出して助けを求めたい。
そこでようやく萌樹の存在を思い出した乃亜は、どうにか外にいる彼に現状を伝える方法はないかと模索し始める。
「オレ、もともと嗅覚がいいんだけどさ」
丁寧に頬に触れてくる三織の指先。
鈍くなった感度。三織の仕草がなんとなくわかる程度で、何をされているかは実際にわからない。
「やっぱ失敗か、これ」
可愛い顔からは想像もつかない低い声。
「全感覚麻痺させたら意味ねぇんだよな」
「っ…ぁ…み…ぉり?」
「まあ、死なねぇっつーのは、助かったわ」
上から覗き込んでくる三織の目に、体の中から血が引いていく気配がする。
何をしているのか、何をされているのか。肌がゴムにでもなったように、痛みも痺れも感じない。視界が滲む悲しみに気づいたのか、初めて三織がギョッと驚いた風に声を慌てさせた。
「あー違う違うって、ちょっとオレの配合が失敗しただけで、解毒剤はちゃんとあるから」
ほらっと見せてくれたものは、先ほどとよく似た瓶に入った全く別の色の液体。
「これを飲めばたちまち元通り。それはオレ自身でも検証済みだから安心していいよ」
安心させるための笑顔とは到底思えない。
何がどう元通りなのか、本当に元通りになるのか。わからないから募る恐怖。それを与えてきた人物の言葉を信頼出来るはずもない。せめて、ぽろぽろと零れ落ちる涙の意味くらいはちゃんと伝わってほしい。その願いが通じたのか、少し申し訳ないような顔をした三織の指が乃亜の瞳から溢れた涙をぬぐいとる。
「で、さっきの話の続きなんだけどね」
乃亜の目から掬い取った涙を舐めた三織が、ここで見せるはずのない朗らかな笑顔で顔を近づけてくる。
「なんだか難しそう」
両手で窓枠を支えて覗き込んだ乃亜の感想は、それ以外に浮ばない。一体何を研究しているのか、聞いたところで寸分も理解できないだろう。
後ろで萌樹と三織の会話が弾んでいるが、効果効能を嬉々として喋る会話は小難しくて聞き取れないうえに、たとえそれが叶ったとしても話題の展開についていけそうにもないのだから仕方がない。
「乃亜ちゃん、ちょっとこっち来て」
目を向けた先で、おいでおいでと三織が呼ぶ姿に気づいて近付いてみる。
どうやら勝手口のような形で室内に入ることのできる扉があったらしい。そこから中に招かれた乃亜は、用意された椅子に座って「これ、なんだと思う?」と差し出された小さな瓶を覗き込んだ。
深い藍色。
黒さが混じる青は夜のように色濃く、それでもサラサラと水のように滑らかで、ワインのように香り高い。
「舐めてごらん。美味しいから」
食材の研究でもしているのだろうか。尽きない疑問の種は、好奇心を芽吹かせて乃亜の口を素直に瓶へと触れさせた。
「ッ!?」
手で口を押えて前かがみになった乃亜の手から、滑り落ちて割れる前に回収された瓶。
「ッ…ぁ…~~ぁ」
「思った以上によく効くなぁ。やっぱり構造の違いなのかな、オレにはそこまで反応出なかったんだよね」
中身を確認するように瓶を振る三織の声が頭上から降ってくる。何をそんな悠長に。そう言いたくても胸の奥から湧き上がる吐き気と痺れにうまく呼吸が続かない。
「ピリピリ痺れて敏感になっちゃうよね。あーあ、そんな場所にしゃがみこんじゃったら服に泥がつくよ」
椅子から滑り落ちて膝を折った乃亜は、そこで初めて三織に毒を盛られたことに気づいた。
自分を容易く抱き上げる獰猛な赤い瞳。昨夜、本の海の中で見た萌樹と同じ。獲物を見つめる狩人の色。
「なに…っ…を」
何を飲ませたのか。先走った好奇心に後悔したところで意味がない。
はぁはぁと繰り返す呼吸の音が体の筋力を弱らせ、脳の命令を無視した神経が、三織に運ばれる現状を受け入れている。舌が痺れて言葉もうまく続かない。ただ不思議なことに、意識だけがはっきりしていた。
「怯えた目、すごくかわいい」
興奮した顔で見つめないで欲しい。
乃亜の体は時間を追うごとに機能を失い、今はもう指先ひとつ動かせなくなっている。
「自分の体なのに自由に動かせないのが怖いんだよね、わかるよ。でも大丈夫」
何が大丈夫なのか、柵も何もない治療用として以前使われていた簡素なベッドが、なぜこんな場所にあるのか。
「意識は正常、運動機能は麻痺させ、感覚を敏感に」
「ぅ…んっ…ぁ」
「目は口程に物を言うとはよく言ったものだと思わない?」
三織の吐き出す言葉が何一つとして理解できない。
こちらは突然飲まされたもので体の感覚がすべて失われたといっても過言ではないのに、解毒はおろか、嬉しそうに鼻歌まで歌いだしかねない三織の雰囲気に気持ちが焦る。
このまま人形のように一生手足が動かせなくなったらどうしよう。などという不安は、きっと彼には微塵も伝わらないのだろう。
「ダメダメ、そんな風に無理矢理暴れようとしても、つらいのは乃亜ちゃんのほうだよ」
乃亜を寝かせて席を外した三織の声が、どこからか聞こえてくる。何かを取りに行って戻ってくるのか、それが解毒剤である可能性が高くない気がするのはなぜだろう。考えても無駄なことばかりに時間を消費していく。視界に映りもしない声に胸中が煽られる。
「やっと手に入れたんだから楽しませてよ」
不意に視界に戻ってきた存在に緊張が走る。
まるで自分の体の中に閉じ込められたみたいだった。魂は出ようともがいているのに、体がピクリともいうことを聞いてくれない。呼吸が出来ていることが不思議で、意識だけが明確に現状を理解しているのも怖かった。
いっそ、気を失うことが出来たなら。
せめて、声を出して助けを求めたい。
そこでようやく萌樹の存在を思い出した乃亜は、どうにか外にいる彼に現状を伝える方法はないかと模索し始める。
「オレ、もともと嗅覚がいいんだけどさ」
丁寧に頬に触れてくる三織の指先。
鈍くなった感度。三織の仕草がなんとなくわかる程度で、何をされているかは実際にわからない。
「やっぱ失敗か、これ」
可愛い顔からは想像もつかない低い声。
「全感覚麻痺させたら意味ねぇんだよな」
「っ…ぁ…み…ぉり?」
「まあ、死なねぇっつーのは、助かったわ」
上から覗き込んでくる三織の目に、体の中から血が引いていく気配がする。
何をしているのか、何をされているのか。肌がゴムにでもなったように、痛みも痺れも感じない。視界が滲む悲しみに気づいたのか、初めて三織がギョッと驚いた風に声を慌てさせた。
「あー違う違うって、ちょっとオレの配合が失敗しただけで、解毒剤はちゃんとあるから」
ほらっと見せてくれたものは、先ほどとよく似た瓶に入った全く別の色の液体。
「これを飲めばたちまち元通り。それはオレ自身でも検証済みだから安心していいよ」
安心させるための笑顔とは到底思えない。
何がどう元通りなのか、本当に元通りになるのか。わからないから募る恐怖。それを与えてきた人物の言葉を信頼出来るはずもない。せめて、ぽろぽろと零れ落ちる涙の意味くらいはちゃんと伝わってほしい。その願いが通じたのか、少し申し訳ないような顔をした三織の指が乃亜の瞳から溢れた涙をぬぐいとる。
「で、さっきの話の続きなんだけどね」
乃亜の目から掬い取った涙を舐めた三織が、ここで見せるはずのない朗らかな笑顔で顔を近づけてくる。
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