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第1章:深夜の鐘が鳴るとき

第1話:魔法の泉(2)

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「やっ…いやっ」


乃亜は現実逃避をするように首を横に振る。
彼らは狩りを楽しむ獣と同じ。


「オレから見れば萌樹くんもオレたちと大して変わんないけどね」

「それは光栄です」

「乃亜、出てこい。そこにいるのはわかっている」

「あーあ、斎磨くんに怒られちゃうんだ。乃亜ちゃん可哀そう」

「顔が笑ってますよ、三織」

「そういう萌樹くんも相当悪い顔してるんだけど」


いよいよ時間は猶予をくれないらしい。
乃亜は深く息を吐き出すと、赤い三日月が見下ろす不気味な泉を覗き込んで、うんっと一人静かにうなずいた。


「魔法の泉、願いを叶える泉、求める対価と引き換えに、ふたつの世界を入れ替えたまへ」


右手を前に突き出して、囁くように三度唱える。目を閉じ、祈るように泉の中に飛び込めば、たちまち全身は光の放射線に包まれて、異空の道を旅しているはずだった。


「乃亜ちゃん、みーっけ」

「キャァッ!?」


飛び込む寸前でそれは失敗に終わる。
目を閉じて前方に傾いた体は、三織の体に遮られて軽い衝撃を受けたついでに、尻餅をつくというなんとも無様な醜態をさらしていた。間に合えば、今頃安堵の息を吐いていただろう。それなのに、赤く歪んだ三日月の見下ろす真っ黒な泉の桟橋で、乃亜は恐怖に見開いた瞳に三人の男の姿を映し出していた。


「あはは、その顔。すっごく可愛い」


歯の根の合わない音が聞こえてくる。


「みっ…ぁ…三織」


かたかたと合わないままの歯の音は、腰を抜かして涙を浮かべる乃亜の声を許さない。
たしかに記された呪文通りに泉に願いを込めたはずなのに、世界は以前と変わらない様子で目の前に立っている。
燃えるように赤い閃光を宿した鋭利な瞳。暗い闇夜の中にあっても光を放つその目は、獰猛な獣に似た気配を宿してじっと乃亜を見つめていた。


「キミは本当、愚かで浅はかですね」

「ぁ…っ…萌樹」

「泉に願うだなんて、今更でしょう」

「まさか本気で、俺たちから逃げ切れると思ったか?」

「ッさ…さい…まッぁ」


同じように赤い光を放つ瞳で微笑まれて言葉につまる。
圧倒的な重力を伴って後方から現れた斎磨と萌樹。前には三織。三人に囲まれた体は、輪の中で硬直しながら冷たくなった指先を握りしめる。


「なっつかしい光景。ねぇ、乃亜ちゃん?」


目線を合わすようにしゃがみ込んだ三織と、それを見下ろす斎磨と萌樹。かつてこの場所で目を開けて、最初に目にした風景と何も変わらない。けれどそこに付随するならば、狂喜を孕んだ美麗な顔に、歪んだ愛情を滲ませているということだろう。それならいっそ、初めて会った頃のように距離のある冷たさでよかったと心底思う。
義務だけで花を愛でてくれたなら、まだ苦しむ呼吸を知らずに済んだかもしれない。


「答えないのですか?」


赤い三日月に似た笑みが、そろって腕を伸ばして迫ってくる。


「乃亜、質問に答えろ」

「ぁ…ヤッ」

「ほぉら、乃亜ちゃん。全裸に剥かれたくなかったら、早く答えちゃいなよ」


引き上げられた体が面白いほど弓なりにしなって、三織から斎磨の腕の中に招かれていく。抵抗の二文字をどこに置き忘れたのか、そらせない瞳が赤い光を見つめたまま、にじんだ世界の中に甘い口付けを落としていた。


「ッ…ぁ…やっ…ぁ」

「質問に答えることも出来ないとは」

「躾が必要ってことでしょ。そういうのオレたちの得意分野だから安心して捕まっていいよ」

「ほら、キミの大好きなクスリですよ、ちゃんと飲んでくださいね」

「ンッ…ァ…~~っ」


斎磨の腕の中で萌樹の唇から薬を飲まされる恐怖をこの二人、いや三人はわかっているのだろうか。唇に力を入れてその侵入を拒んでも、容赦のない男の強行にかかれば生まれたての赤子も同然。


「世話が焼ける子ほどかわいい、でしたっけ?」

「今度はオレにもその役まわしてよね」

「また逃げ出すことがあれば」

「えーじゃあ。永遠にないってことか、残念」


ぐったりと意識を失った乃亜を抱えて、三人は再び雑木林の中に向き直る。立ち誇る不気味な木々の向こう側には、その屋根を見せつけるように監獄の檻がそびえたっていた。

To be continued...
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