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第6話 愛の行方(前編)

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目が覚めると病院のような場所にいた。エタノールの匂いと、簡素な真っ白い部屋。
今日は晴れているのか、明るい日差しに白いカーテンが照らされている。


「ここは?──ッ!?」


身体を起こそうとして、起き上がらないことに驚く。全身がひどくだるくて、ところどころ痛かった。


「目が覚めたみたいだね。」

「…っ…あき?」


真上から心配そうに覗き込んできた顔に、優羽は首をかしげた。
どうしてこんな場所に自分と晶がいるのだろうかと、まったく見当がつかない。
パチパチと疑問の表情で視線だけ動かす優羽の視界に、今度は輝の顔が覗き込む。


「昨日のこと覚えてるか?」

「きの──ッ!?」


遠慮がちに切りだされて、優羽は大きく目をまたたかせた。

昨夜の出来事がよみがえる。

自分から求めたとはいえ、限界を越え、意識の明滅を繰り返しても終わらない快楽。
思い出して体が震える。
優羽の顔がわずかに青ざめると、それを見下ろす晶と輝の顔もかげりを見せる。いや、苦しんでいるように見えた。


「ごめんね。」

「えっ?」

「怖かったよな。」


頭を優しく撫でようとして思いとどまった晶と輝を優羽は見つめる。その目はどこか怯えたように二人の顔を交互に見比べていた。


「あっ。」


二人同時に伸ばされた手は、宙で空振り、ギュッと唇を結んだ優羽の視界を通りすぎる。
なぜかズキンっと心が痛んだ。


「体は痛む?」

「何かしてほしいことあるか?」


優羽の心の痛みを知ってか知らずか、晶も輝も心なしかどんどん顔が近くなってくる気がする。


「熱はないみたいだね。」

「っ。」

「何かしてほしいことがあれば言えよ。」


手の代わりに額なら大丈夫だとでも思ったのだろうか。晶と重なったおでこに熱が上がっていくのを感じる。
加えて輝の囁きが顔を熱くさせた。


「あっ…ありがとう。」


離れた美麗な二つの顔に優羽はお礼を口にする。ドキドキと身体の熱が上がった気がするが、それの原因はわかりきっていた。
だけど、今は心配してくれる晶と輝にかまっている場合ではない。


「陸は?」


優羽の心配は、目の前の二人を通り越して別の人物へと向いていた。


「いるよ。」


優しく笑った晶が視界から消える。それを追うように視線を動かせば、戒と一緒に小さく丸まった陸がそこにいた。


「ほら、陸。ちゃんと謝ってください。」


ポンっと、戒に背中を押された陸が遠慮がちに数歩だけ近づいてきた。


「ごめん……なさい。」

「えっ?」


深々と頭を下げた陸に驚いた。なぜ、謝っているのかわからない。
求めたのは自分なのに、逆に申し訳ない気持ちが込み上げてくる。


「陸は大丈夫?」


しゅんっと小さく見える陸がハッと顔をあげる。体は元気そうだが、相当ひどい顔をしていた。


「かわいい顔が台無し。」


クスッと優羽は笑う。
そうして伸ばした手に陸は駆け寄るように握りしめた。


「ゴメン。僕、もう少しで優羽を全部食べちゃうとこだった。」

「え?」


涙目で、いや半分泣いている陸の言葉の意味が理解できない。
本人は大真面目に優羽の顔を見つめているが、優羽はその顔をキョトンと見つめ返すことしか出来なかった。


「陸。優羽が困ってますよ。」


はぁと、あきれた戒の声に陸はハッと気づいたのか、再びゴメンと頭を下げる。それがなんだがとても可愛くて、愛しかった。
陸の言葉の意味は相変わらずわからないままだが、その一挙一動がおかしくて、優羽は思わず声をあげて笑っていた。


「陸、私は大丈夫だから。」

「優羽。」

「晶も輝も戒も心配かけてごめんなさい。」


きしむ体を半分起こしながら優羽はペコリと兄弟たちに頭を下げる。
迷惑をかけてしまった。
陸は何も悪くない。禁忌を承知で求めたのは自分自身。


「優羽には負けます。」


クスッと戒が息をもらす。
その声に反応して、晶も輝も困ったように笑顔をみせてうなずいていた。


「陸、優羽を休ませてやれ。」


気をきかせた輝が手を握りしめて離さない陸を優羽から引き剥がす。


「優羽、本当にごめんね。」

「陸、もういいってば。」


そこまで言ってから、優羽は初めて気がついた。
陸の手が震えている。

───コワイ?

───ドウシテ?

それは同じ気持ちなのかもしれない。


「大丈夫だよ。陸を好きな気持ちは変わってない。勿論、晶も輝も戒も……だから、謝らないで。」


言葉を選びながら、優羽は今の気持ちを口にする。


「大好きだよ。」


陸を含め、その場にいる全員が驚愕に目を見開いていた。その顔が意外で、優羽はフフッと笑ったあと、もう一度ペコリと頭を下げた。


「だけど、ごめんなさい。たぶん、いっぱい傷つけてる。」


誰も選べない。
この感情に確信を持てたとしても、全員が同じくらい同じように大好きだから。


「私、私は……っ。」


もっと自分がしっかりしていれば、こんな風に誰も傷つけなかったかもしれない。迷惑もかけなかったかもしれない。
許してくれる甘い世界に溺れて見えなくなっていた。
これは罪。
愛も恋も知らないくせに、求めるだけ求めて、受け入れてもらえることだけを望んでいる。
これから先もきっと、誰か一人なんて選べない。


「私……っ。」


それ以上言葉にできず、苦しそうな優羽の姿に、義兄弟たちはそろって顔を見合わせる。
そうしてフワッと優羽に笑いかけた。


「優羽、俺たちはこうなることをわかってたんだよ。」

「え?」

「誰かを選ばないといけないなんて、思わなくてもいいんですよ。」

「でもッ!」

「その代わり、一生逃がさねぇから覚悟しろよ。」

「輝。それじゃ脅迫になっちゃうじゃん。」

「うるせぇ、陸に言われたくねぇよ。」


段々と、いつもの調子に戻っていく彼らに優羽は複雑な思いを巡らせる。
選ばなくてもいい。本気で、そう言っているのだろうか?
疑いの眼差しをむける優羽とは逆に、彼らはどこか安らいだ顔をしていた。


「あのっ────」

「優羽、とりあえず今はゆっくり休んで。」

「─────え?」


疲れてるだろうから話の続きはあとにしようと、晶は優羽の言葉を遮った。
誤魔化されたのだろうか。
優羽の疑惑の目から逃げるように病室を出ていった彼らと入れ違いに看護師がそっと入ってくる。


「熱と脈拍をはからせてもらうだけなので、そのままで。」


ニコリとほほえむ看護師に体をあずけながら、優羽は大きく息を吐き出した。


「はぁ。」


一体どういうことだろう。
時々わからなくなる。
幸彦も晶も輝も戒も陸も大好きだと思う気持ちに迷いはないはずなのに、それが異性としての感情だと認識しているはずなのに、今一つ自信がもてない。

快楽は凶器だと思う。

溺れてしまっても構わないと思う自分が怖い。何も考えなくていい。いや、考えられなくなるほどの快楽に支配されたいと願っている自分がいた。
鳴いて、求めて、誰でもいいわけではないのに、そう思われても仕方がないと思う。


「違うのにな。」


けれど、望んだのは自分自身。
拒むこともできるのに、拒めない自分にあきれてため息が出る。制御出来ずに、男をむさぼる自分の体に彼らは欲しいだけ与えてくれるが、その行為に甘えていいのかと優羽の良心が痛んだ。


「はぁ。」

「何か悩みごとですか?」

「えっ?」


ため息を吐いた優羽の体温を測り終えた彼女がクスクスと笑う。無意識のため息だっただけに、なんだか急に恥ずかしさが込み上げてきた。


「恋の悩み?」

「え!?」

「だけど、あんなに素敵な人たちが身近にいるんじゃ、なかなか上手くいかなさそうね。」


次に脈をはかろうと、腕に帯を巻き付けてくる看護師の言葉にそうだと気付く。
毎日一緒にいるから忘れがちだが、晶も輝も戒も陸も素敵どころではないほど素敵すぎる。彼女の一人や二人いたっておかしくない。むしろ、いないほうが変だ。


「やっぱり、からかわれてるのかな?」

「あら、あの中の誰かなんですか?」


楽しそうに瞳を輝かせる看護師に、まさか"全員です"とは答えられず優羽は小さくうなった。


「それとも、実はもっと年上が好みとか?」

「えっ?」

「年の差カップルでも珍しいことじゃないですよ。」


驚いた声をあげる優羽に彼女がまた笑う。


「年の差カップル?」


その言葉に、幸彦の顔が浮かんだ。優羽の体に最初の男を刻んだ人。


「その顔は、図星!?それとも別の彼がいるのかしら?」

「ちっ違いますっ!そんな人いません。」

「怪しいわね。まぁ近くにいる人の気持ちなんてよくわからなくて当然よ。」

「え?」


脈をはかり終えたのか、彼女は体の向きをかえて優羽を真上から見下ろしてくる。
顔を赤くしながら早くなった脈を整えるようにその看護師を見上げた優羽は、その目をみてゾクリと悪寒を走らせた。


「あ、の────」

「人の本性なんて、案外わからないもの。」

「────っ。」


クスクスと笑う看護師の顔がぼやけていく。
何がそんなにおかしいのだろうかと尋ねる前に、優羽は深い眠りに誘われた。
ゆっくりと戻ってくる意識の中で、優羽は寝返りをうとうとした体がまったく動かないことに気づいた。
これが、かの有名な金縛りか。
焦りと混乱で意識が混濁するなか、聞いたことのある声が耳をかすめる。


「わからないわ。どうしてこんな子が、晶さまに可愛がられるのかしら。」

「そんなに憎い?」

「憎いわ。魅壷の凄さを何もわからないようなガキに、私の晶さまがとられるなんてありえない。」


誰と話しているのかはわからない。
聞いたことのある声はひとつだけ。


「だけど、無理にでも担当にしてもらってよかったわ。こんなに早く、チャンスが訪れるとは思ってなかったけど。」


クスクスと笑う声が、あの看護師の笑い方と瓜二つ。
たぶん間違いはないだろう。
一体何がどうなっているかはわからないが、どうやら彼女はまだ優羽の近くにいるようだった。


「間違えないで、そのまま。」

「ええ、わかってるわ。でもこれは大丈夫なの?」

「疑うの?」

「いっいえ。そういうわけではないけど、これってあの媚薬でしょ?」

「ああ。たしかにそれの原液はキミが立派な秘書にもらったモノだけど、ちゃんと改良してあるから。」


そう。と、看護師は一緒にいた人物から手渡された何かを受けとる。
その音から何か小さなビンに入れられた液体らしきものだというのは感じ取れたが、一緒にいる人は誰なのか。
その声は聞いたことがない。


「ッ!?」


突然走った激痛に、頭が割れそうになる。


「あとはよろしく。」

「言われなくても。」


優羽の覚醒に気づいた声のひとつが遠ざかっていく。痛みに顔を歪めたまま、開けようとした視界の端に、見慣れない衣(コロモ)をまとった男がうつっていた。
ぞわっと全身に鳥肌がたつ。
アレは、よくない。
人の形をしているのに、何か別の生き物の気配がする。


「おはよう。魅壷家のお姫様。」

「ッ!?」


指一本自由に動かない優羽の視界に、上機嫌な看護師の顔が覗きこんでくる。
立つ方向から歯科医師のように逆に見える顔には、ニヤニヤと意地の悪そうな笑みがこぼれていた。


「──どうし──んッ─!?」


聞きたいことは山ほどあるのに、一気に飲まされた液体に優羽の呼吸がむせる。
けれど、彼女はおかまいなしに優羽の口内に、媚薬の入った瓶を逆さまに押し込んでいた。


「やアァ!?」


体が焼き溶けるように熱い。
呼吸がおかしい。
視界がチカチカする。


「すっご!一番効き目の強い麻酔かけてもらったのに、跳ね起きちゃった。」


何がそんなに嬉しいのか、びくびくと生命を維持しようともがく身体を暴れさせながら優羽は叫ぶ。
飲まされたものが劇薬だったのか、瞳孔の開いた目を大きく見開き、何度も打ち付けるようにして体が跳ねていた。

痛い

熱い

どちらを優先すればいいのかわからないほど、何度も気が遠くなる。


「ちょっと、これただの媚薬じゃないの?」


あまりに予想外の反応だったのか、優羽に毒を与えた彼女は少し驚いたように不審な顔をして、空になったビンを見つめていた。


「そうだわ。」


何を思い付いたのか、ビンから顔をあげてこちらを見てくる彼女にいい気はしない。


「自分の意思に反して暴れ狂う患者に使ってる拘束具で縛ってあげる。まぁ、この病院でもほとんど使ってない危険な医療道具のひとつなんだけどね。」

「ッア!?ヤァ……めッ!?」

「やだ。この程度で感じるの?」


饒舌に語りながら何かで固定していく看護師が触れるたび、優羽は大げさに声を荒げて悶絶していた。


「ヤッアあっ!?」

「この程度でイッちゃうんだ。」

「イヤァァッ……ッひぁ」


痙攣が止まらない。
空気が動く感触だけで体が震えて電気が全身を駆け抜ける。


「どれだけ叫んだって無駄よ。ここは先月廃止になった別棟にある産婦人科でね、来週から改築のために取り壊されるから誰もこないのよ。」


誰も頼んでいないのに、看護師は勝手に説明をしながら手をほぐすように揉み合わせていた。


「だから存分に狂わせてあげる。」

「ッ!?」

「安心して、一生病院生活になっても私は困らないわ。」


その先はよくわからない。
一瞬火花が散ったかと思ったほど、全身が跳ねたと思った瞬間、自分の叫び声で何も聞こえない。
無音かと錯覚するほどの凶声。
看護師が体に触れる度に、死にそうなほどの快感が優羽を襲う。


「ヤメテェェ────」

「あはっ、気持ち良さそう。」

「────ッアァァァア」


性感体がもうどこかもわからないほど、溶けた体に心が壊れそうになっていた。

助けて。

ダレカ


「誰かいるんですか?」

「「ッ!!?」」


ふいに現れた声に、優羽と看護師はそろって息を殺す。
ヒクヒクと、勝手に痙攣をおこす身体は、固定されているために自由にならない。
風が通ることでさえイキ狂う身体に、緊張感が走っていた。
ボヤけた視界にその姿が見える。


「ッ!?」


息をのんで駆け寄ってくるその姿に覚えがあった。

室伏 涼二

知る人ぞ知る、世界の玩具メーカー魅壷の影の権力者。


「これは一体。」


彼が状況を判断出来ないのは無理もない。
全裸のまま卑猥な形で拘束され、それさえも理解できていないほど半狂乱で泣き叫んでいる少女と、その体を恍惚の表情でもてあそぶ女。
どういう流れで今にいたったのかは全くわからないが、固定された少女が半死半生だということだけは見てとれた。


「優羽?」


こんなところにいるわけがないと、疑心暗鬼な涼二の声が閑散とした手術室に響く。


「イヤァァッァッ!?」

「ッ!?」


ニヤリと笑った女に涼二の足が止まった。


「ダメよ。この子は渡さないわ。」


クスクスと笑う女の行為に、再び優羽の体が暴れだす。ぐちゃぐちゃと愛液と唾液と涙と汗に濡れた体は、限界を迎えて壊れかけていた。


「許せない。こいつさえいなければ、晶は私のものなのに。」

「ヒッ!?」

「魅壷の商品にヤられて狂えばいいわ。」


十分に腫らせた突起物を愛撫する手に、優羽は大きく身体をのけぞらせる。


「イやッぁ…た……けて」


涙を浮かべたその瞳には、呆然と状況が飲み込めない男の顔と楽しそうに凌辱する女の顔がうつっていた。
おかしくなりそうだった。
ぜぇぜぇとすでにおかしい呼吸音にさえ、体が反応して熱くなる。全身がビリビリと感じすぎて、麻痺のように感覚がなくなりつつあった。


「イキなさい。」


優羽は泣く。もう嫌だと体が叫ぶ。


「た……けて」


絶頂にあえぐ優羽の悲鳴に、ピクリと室伏が動いた気がした。


「助けて…りょ───」

「キャアッ!?」

「────ッりょう……?」


通り抜けた風に体が震える。
こぼれ落ちる涙にすら感じる。


「状況はよくわかりました。」


足元に転がっていた空の瓶に心当たりがあったのか、それを拾い上げて投げたらしい涼二の視線の先には、そのガラスの破片を受けて優羽から飛び退いた女がいた。


「あなた、裏切るつもり?」

「っ!?」


助けてくれたのだろうと勝手に思い込んでいた優羽は、忌々しそうに顔を歪める女の言葉に息をのむ。

共犯者

それならこの地獄から生きて帰れる保証はない。


「依頼をしたのは事実です。」


わらにもすがる瞳で室伏を見つめていた優羽が感じたのは絶望。


「けれど、依頼内容と随分と違いますが?」

「それはご愛嬌ってやつよ。」


何を言っているのだろうかと、眼鏡の奥にある涼二の瞳が細く変わる。
一瞬、優羽と女を見比べた気がしたが、やはり自分の判断を信じたのだろう。


「誘拐ひとつに随分なサービスだな。」

「あら、そもそも誰かさんが頼んだりしなければ、可哀想なこの子は、こんなにキモチイイ快楽を知らずにすんだのよ?」

「取引の対価に媚薬を欲しがったことを不思議に思っていた。」

「普段、敬語で話す口調と全然別人ね。なにをそんなに怒っているの?」


荒く呼吸を繰り返す優羽の視界に室伏涼二の背中があった。
広い背中。
大きくて、まるで守られているような温かさを感じる。


「ヤァッ…ぁっ…イクッ…イヤァッァア」

「この子に何をした?」


ビクビクと体を暴れさせる優羽を背後に守りながらにらまれた女は、クスクスと嫌な笑みを浮かべて立ち上がった。


「ある人が協力してくれたのよ。」
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