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《第5章》シュゼンハイド王国

第3話:獣亜人の生き方

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第3話:獣亜人の生き方

受け入れると決めたところで、そうやすやすと体に馴染むわけではない。
引きこもって十か月。すっかり怠け癖がついた体は、剣をふるう腕力を弱らせ、持久力すら常人に負けるほどになっていたのだから情けなくもなる。
それでもようやく目を失う前の自分を取り戻し、リヒドはリズに会うための馬車に乗っていた。瞳を失ったマーリア村の事件から約二年。季節は再び春を終え、初夏を告げる陽射しが降り注いでいる。


「ようやく来たか」


最初に出迎えたのはゼオラだった。グレイス城につくまでの道中で話したいことがあったのだろう。随分離れた場所での出迎えに、リヒドはやはり苦笑する。


「これでも大変だったんだよ」

「どの口が言ってる。まあ、だけど随分マシになったじゃねぇか」


走る馬車と並走していたゼオラは、なんなく乗り込んでリヒドの前に座る。
相変わらず作法もなにもない。
それがリヒドには心地よかった。


「眼帯と、杖?」


リヒドの顔、上半分を覆い隠す黒い眼帯に気付いたゼオラが顔をしかめた。


「杖はまだしも、目はそんなんで見えるのか?」

「むしろこっちの方がラクに生活できる。それになにかと都合がいい」

「都合、ね。てっきりその目でリズに会うのが怖いとか言うのかと思った」


図星を指摘されてリヒドの脈が揺れる。
相手は目よりも耳の方が鋭い獣。誤魔化せるわけもない。リヒドは早鐘を打つ心臓ごと差し出すように、ゼオラに顔をむける。けれど意外にも、ゼオラは何事もないといった風に息を吐いただけだった。


「悔しいが、リヒドがいなきゃリズが泣く。リズが毎日お前の話ばかりするせいで、こっちはこの二年、お前を忘れた日はないんだ」

「・・・光栄だね」

「リズが望んでる。俺たち全員を」


励ましてるつもりなのか。ゼオラの声が温かい。リヒドは手に持つ杖の先を撫でて、心音を柔らかなものに整えようとしていた。
それでも、向かう先の距離が縮むにつれて緊張が増していくのは仕方がない。


「だから落ち着けって」

「落ち着いている、ようには見えないか」

「人間には取り繕えても、俺たち相手にその心拍数を聞くなってのは野暮だぜ」

「ゼオラには、リズがどう見える?」


小さくかすれた言葉の意味がわからないほどバカじゃない。見えてきた屋敷の門に、リヒドがごくりと喉をならしたのがわかった。


「実際、その目で見ればわかるさ」


そして馬車は止まり、リヒドを誘導するためにゼオラが先に降りる。


「そうだな」


リヒドは意を決してゼオラに続く。
ここまできたのだ。二年ぶりに会う婚約者の姿がどうか変わらないでほしいと、強く祈るばかり。心臓が口から飛び出しそうだと感じたのは生まれて初めてで、後にも先にもこの一回だけだったといえる。


「リヒドさまっ」


地面に足がついた瞬間を狙っていたとしか思えない。勢いよく抱きついてきたその声に驚いたものの、リヒドは無事にリズを抱きとめて立っていた。


「あっ、ごめんなさい。私ったらいきなり抱きついたりし・・・て」


視界に降り注ぐ薄紅の髪。赤い唇に左下のほくろ。少し痩せたが、杖を支えに抱き止めてくれたその匂いは、リヒド以外の何者でもない。けれど、その美しい顔を隠す黒い布が痛々しい。


「リヒド様・・・目は・・・」


見えると聞いていたが、本当は見えないのだろうか。どちらかわからずに、さ迷うリズの声をリヒドが手招きする。


「リズの手で外してくれるかな?」

「・・・はい」


いいのだろうか。疑問符ばかりが頭に浮かぶ。それでも本人が望んでいるのならと、リズは意を決してリヒドの眼帯を取り外した。


「キレイ」


思わずこぼれた言葉に気付きもせず、リズはリヒドの瞳を覗き込む。黄金色が初夏の日差しを反射して、宝石と同じ輝きを宿していた。それを綺麗と表現する以外の言葉が見つからない。むしろ言葉はいらない。元から美しかったリヒドの姿に群青兎の瞳は美しすぎた。


「リヒドさま?」


泣いている。その事実に気付くのが遅れたのは、リヒド・マキナという人物が「涙を流す」という行為と結び付かなかったせい。まばたきもせず、じっとリズを見下ろしたまま透明な雫をとめどなく溢れさせている。


「リズ」


今度こそ確実に抱き締められる。
杖を捨てて強く抱き着いてきたリヒドの行為に驚いたものの、リズは素直にその温もりを受け入れていた。それがリヒドにとってどれほど救われたかなど、リズにはわからない。ただ生きて目の前にいることがどれほど嬉しく思っているか、伝わればいいなと思っていた。


「リヒド様、会いたかった」


ずっと待っていた。
本当はすぐに駆けつけたかった。それでもなだめられ、止められ、待つことしか許されなかった時間は二年を何年にも長く感じさせた。


「リズ、すまなかった」


抱きしめた腕を緩めることも出来ずにリヒドは深く息を吸う。閉じた瞳の奥で、目を失う前夜、シシオラが話してくれた言葉を思い出す。

『何を殺し、誰を殺めたのかもわからない不安定な精神で、それがどれほど大きな意味を持つか。リズ様の音だけが自我を保つ唯一、そしてそれに気付いた時、本能が告げたんですよ。リズ様こそが生涯守るべき、愛しい花だと』

彼らはもうずっと前から、この感情を抱いて傍にいたのかと思うと胸が苦しく、そして愛しくなる。婚約者などと生ぬるい。リヒドはたまらず、そこでリズに誓いのキスを贈っていた。


「はぁ!?」


これは成り行きを見守っていた三匹の悲鳴。


「待って待って待って、ちょっと待って」


リヒドから音が出る勢いではがされたリズは、ルオラの腕のなかでその唇を拭き取られる。


「うわぁぁあ、リズ様のファーストキスは僕がもらうはずだったのにぃ」

「待ってください、ルオラ。それはまだ決まっていなかったはずです」

「そうだ。大体、リズに手を出すのはまだ先の話だろうが」


三つ巴。群がる輪の中心でリズの唇は三匹の手にごしごしと擦られ、「痛い」といやがる素振りを見せても珍しく止めてもらえなかった。


「リズ様もひどいよ。なに、まんざらでもない音してるの」

「・・・え?」


どちらがひどいのか。すっかり腫れた唇がしびれているのを感じながら、リズはルオラの指摘に狼狽える。けれど、それがよくなかったらしい。
まんざらでもない音。その音がリヒドにキスをされたことの答えだとするなら、熱が一気に昇ってくる。


「あーあ、許されるんなら。もうこれは解禁な」

「っ・・ンンッ!?」


首を持ち上げられ真上から周回するようにゼオラの唇が頬を寄せる。


「なるほど、では」

「えっ、ちょっ・・んっ」


何がなるほどなのか。ゼオラから奪うように迫ってきたシシオラの熱が伝わってくる。


「待ってよ!!」


この制止の声はリズではない。
一体何が起こっているのか、混乱している身からすれば停止を叫ぶ余裕などない。


「リズ様のイジワル。これは僕を焦らした罰だからね」


いつの間にかルオラに拉致されていたリズは、全員の手が届かない場所で一番の熱い口付けに犯される。


「ッ~~んっ・・・ンッぁ」


唇を重ね合わせるだけの衝撃が可愛く思えるほど、ざらついた舌が口内に入ってくる感触は饒舌に尽くしがたい。
神経が震えて、聞いたことのない変な声が息の隙間から飛び出たことに、リズは驚きすぎて固まっていた。


「るぉ・・~~ッやっ」


さすがに限界だとルオラを突き飛ばしたリズの赤い顔が青空のしたに映える。混乱に上気した頬は、時間が経過するごとに自分のあげた声の意味を知って、徐々に羞恥という色に染まっていった。


「ふっ、はははは」


赤い顔を隠すように両手で熱を冷ましていたリズは、今日のリヒドはやはりいつもと違うと思う。いつも穏やかな笑みを向けてくれてはいたが、声をあげて笑うところは見たことがなかった。もちろん今の方が断然いい。それでも言っておきたいことはある。


「リヒド様のせいだからねっ」


リズは真っ赤な顔で、こうなる原因を作ったリヒドに罪を告げていた。


「では、償いをしなくてはいけないね」

「えっ・・ンッ、ちがっ・・今のは~~~そっ、ぁ・・意味じゃな・・ッ」

「なにかな?」

「・・・うぅ・・・リヒド様のいじわる」


はじめてのキスにしては刺激的すぎた四人からの猛攻に耐えかねて、リズの腰がついに抜ける。
それがリヒドの人生が大きく変わった夢の終わり。真っ赤な色で見上げてくるリズの顔が華やいで、リヒドの記憶に焼き付いていく。それは焦がすほど痕がつき、年月を増すごとに染みの範囲を広げていった。


「・・・リズ」


暗闇で呼ぶ名前はいつも同じ。苦境の淵に立つときは、いつもリズの名前に腕を伸ばす。失いたくない光を守るのだと強い意思を持ちながら。


* * * * * *


「ま・・りひ・・さ・・・リヒド様」

「ッ!?」

「リヒド様、よかった」


死の沼から這い上がったような息苦しさがリヒドを襲っている。
夢から覚めた場所は首都シェインにあるグレイス家別邸の寝室。いつの間に屋敷に帰って来たのか、リヒドの記憶は執務室で終わっている。これは夢の続きか。曖昧に歪む時空では、その判断さえも難しい。


「なに・・が・・ッ」

「動かない方がいい。毒にあてられてる」


群青色の長い髪が揺れて、リヒドが起き上がるのを制止する。
どうやら眼帯は外されているらしい。視界に映るのは、よく知る獣亜人の一人だった。


「ぜお、ら?」


大人のゼオラに安堵の息が肩からもれる。
リズを巻き込んでしまう事態になったのではと、一瞬奮い立った気持ちが凪いでいく。ゼオラが傍にいれば安心だろう。
仮にも獣亜人。多少の問題は突破してくれる。


「夢を見ていた」

「いい夢だったか?」

「さあ。この眼を得た日の遠い記憶だ」

「気分は?」

「最悪以外の言葉が浮かばない」


リズはどこにいったのか。ゼオラと会話しながら意識は常にその存在を追っていた。
狂えるほど求めている。
今すぐにでも周囲を破壊してしまいそうな衝動をリヒド自身、もてあましていた。
その気配を敏感に察したのか、いや、たぶん初めからわかっていたに違いない。


「リズ、おいで」


リヒドが目覚めたら一度離れるように言われていたリズは、ゼオラが手招きする場所に舞い戻る。


「いい子だな。ん、リヒドが心配か?」


ベッドの脇に立つゼオラの腕のなか。こめかみにキスが落とされるのを感じながら、リズの目はリヒドを見つめていた。


「・・・っ、な・・」


目覚めてからの違和感がリヒドの呼吸を荒く、小刻みに震わせている。リズの顔をみると、なぜか今すぐにでもその瞳を抱き寄せて滅茶苦茶に壊したい衝動に駆られる。手を伸ばせば最後と知りながら、ゼオラを殺してでも奪いたくて仕方がない。
そうしたくてそうしないのは、ただ単純に理性の一言。


「どうすればいいと思う?」


ゼオラの声がリズの耳に優しく問う。
俗に狂乱兎=クレイジーバニーといえるリヒドの今の状態を抑えるには、どうすればいいかという質問。黒い眼球に逆さ三日月。元が人間なために、強制的に身体の限界を引き起こされた神経はあらゆる方向に暴走している。
触れてしまえば最後。頭の先から食べられてしまうかもしれない。それこそ物理的に。けれど、リズは迷わずドレスの紐を解いた。


「というわけだ、リヒド。欲しいんだろ、クレイジーバニーの状態を抑えるには、リズの蜜が一番効く」


だてに群青兎たちと十四年も過ごしてきたわけではない。自分の意思ではない狂乱化の負担を和らげるには、ゼオラの言うとおり近年『これ』が一番効く。


「リズ、足広げて。出来るよな?」


恥ずかしくないといえば嘘になる。
全裸になってリヒドの横に自ら侵入し、その眼前で足を立てて股を広げる。


「リヒドが入れやすいように自分で広げて、そう。いい子だな」


後ろからゼオラが肩を抱いて背中を預けさせてくれる。群青色の耳が忙しく動き回っているが、その瞳は真っ直ぐにリヒドを見つめていた。


「安心しろ。リズを傷つけそうになったら俺が全力で止めてやる」


その声が届いたのか、理性と本能の狭間を行き来していたリヒドの瞳が、獰猛な獣を隠しもせずに燐光を走らせた。
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