【R18】群青ニ歪ム偏愛ノ獣たち

皐月うしこ

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《第5章》シュゼンハイド王国

第2話:逆さ三日月

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第2話:逆さ三日月

散る鮮血は弧を描いて地面に落ちる。白銀の刃に似た鋭利な爪で喉を掻き切られたせいだが、骸になった者がその爪を持つ白い生き物を視界にいれることは不可能だった。その代わり、その場にいた男たちはみな武器を構えて戦闘態勢に入っていた。
ただ、見たところ「普通の人間」とは言いがたい。かといって、獣亜人ともいえない。
中途半端な生き物が混ざる小さな群れの前に突然現れたのは白い兎。


「確認なんだけどさ?」


ニコリともしない可愛い顔が黄金色の瞳の周囲を黒に染めている。


「アングってここだよね?」


息を飲むほど美しい姿。口伝でしか聞いたことのない想像上の生物に、武器を構えた男たちも萎縮しているのだろう。
胡散臭い路地裏の廃墟。崩れた壁に残された仕掛け扉の向こう側は、密売組織の根城になっていた。組織名『アング』別に覚えなくていい程度の小さな組織だが、母体はイザハ帝国にあるとも、軍が秘密裏に地下に放ったなどともいわれる噂の組織。
総じて、良い行いをした形跡はない。
人身売買、麻薬密売、金銭浄化など例を挙げればキリはないが、肝心の親玉が顔を汚さない以上。問い詰めるのは末端に限る。


「まあ、別にどっちでもいいけど」


誰も答えないのを良いことに、ルオラはその顔を歪めた。黒い瞳に浮かぶ逆さ三日月。本来、群青兎がその目をするときは錯乱状態とされ、周囲すべてを無差別に攻撃するといわれている。
あながち、その情報は間違いではない。文献や伝承に残された事件に目を通すなら、歴史は彼ら好戦的な種族の残酷さを綴っている。


『リズ様が悲しむ要素は種のうちに潰さなきゃ、ね』


ひとつ修正をするなら、狂乱兎=クレイジーバニーになったすべての群青兎にそれが当てはまるとは限らないということ。強大な力を操り、自分の意思で変化できる戦士がいることもまた事実。
ルオラたち三匹はその後者といえた。


「はい、おみやげ」


王都獣亜交国管理省。長ったらしい名前を持つ執務室で書類に目を通していたリヒドは、五階の窓枠に姿を見せたルオラの声に苦笑する。


「ずいぶん豪華な土産だ」


縄にかけられた二人の男。まともに会話できる状態であれば喜ばしいが、頭から血を流して気を失った状態では、まともかどうかは確認できない。それでもルオラが「おみやげ」として持ってきた以上、ささやかな未来は期待できそうだった。


「これで早く帰れそう?」

「残業はしたくないね」

「なに、その言い方。僕の労働に見合わないんだけど?」

「その労働の対価に望むものは?」

「わかってるくせに」


ルオラは縄で縛った男たちをリヒドへ投げてよこしながら、その毛についた赤い血を舐めている。純白の群青兎。千年に一度の存在。崇高なその姿を人間はアルビノ種と呼んでいるが、群青兎たちはルオラを「神の子=白兎(びゃくと)」と称し、王に据えた。
群青兎の王が労働してまで対価に欲しがるものがあるとすればひとつしかない。


『リズ様は僕たち全員を望んでる』

『知っているよ』

『そこにはリヒドも含まれてる』

『不服だとでも?』

『別に』


今朝、リズが仕事にでかけるリヒドに「早く帰ってきてね」と言った。それがすべて。ルオラはリズの願いを叶えるために労働し、リヒドが「リズが早いと感じる時間」までに帰るよう要求している。
ただ、ひとつ。真白な毛に血を浴びたがるほど好戦的な生物が、素直に愛妻のためだけに動いたのかと問えば、疑いが残る。人間との交戦を楽しんでいると思えなくもない。


『わたしを口実に、いくつ潰した?』

『片手ほど』


見つめる視線は、無垢な子どものように黄金色に輝いたまま。このままでは無駄に死体が積みあがるだけ。さすがのリヒドも黒い眼帯の下に隠した瞳を閉じて降参の仕草をみせた。


「で、何読んでるの?」

「王国神書」

「リヒドが愛国心に溢れた人間で、信仰熱心だなんて思わなかったよ」

「わたしでも読むときはあるよ」

「ふぅん。まあ、どうでもいいけど。早く帰ってきてね」

「そうしよう」


語尾をリズと同じセリフで閉めたルオラの笑みを無視するわけにはいかない。リヒドはルオラが投げてよこした男たちを回収すべく、呼び鈴を鳴らして自分の部下を呼びつけたようだった。


「ゼオラは?」

「先に帰らせたよ」

「えー、じゃあ僕も帰ろうっと」


五階の窓から家々の屋根をつたって、リズのいる屋敷へ帰るに違いない。正規の扉ではなく窓に背を向けて枠を蹴ったその姿は、リヒドの返答を待たずに消えてしまった。
まるで嵐のようだと疲労を覚えるのは気のせいだろうか。
薄紅の髪を風に揺らして、左唇のほくろに触れながらリヒドは到着した部下の足音を聞いた。


「リヒド様、これはいったい!?」

「親切な兎が届けてくれてね。客人として扱ってくれ」

「客人、ですか?」

「武器の密売組織の残党だよ。不法入国かどうかは調べればわかるだろう。問題は、彼らが獣亜人凶暴化による不当な事件に関与していないかどうかだが」

「いかがなされました?」

「きみは、見ない顔だね」

「はい。昨日配属されたばかりで、リヒド様にお会いするのはこれが初めてかと」

「そう。では、よろしくと言っておこう。しかし困ったことに今日は早く帰らないといけなくなった」

「はい?」

「彼らを牢に案内して、それからこれをモーガン様に」


言いながら走り書いたメモを呆気にとられる部下に渡す。仮にも王族が選んだ優秀な人材。これくらいの臨機応変に対応できて当然。つまりはリヒドの願い通り、賢く状況判断ができる部下は疑問を口にすることもなく、すぐに執務室から消えるだろう。
そうすれば誰もいなくなった部屋に残るのは血痕だけ。


「・・・ッう」


突然襲ってきた耳鳴りと頭痛に体勢を崩したリヒドは、傍にあった椅子の背もたれに手をついて寄りかかる。


「・・・っ・・・まいった、な」


両目の奥がきしむほど痛む。かすれていく視界には、先ほど顔を合わせたばかりの部下の背中が遠ざかっていく光景が映っていた。


『ルオラ・・ッ』


先に帰すんじゃなかったと思っても後の祭り。押さえた首の付け根に、鋭利な何かで刺されたような痕が触れた。
自分は早く帰ると紙に書いて宣言した以上、先ほどの間者はうまく利用して誰も部屋に立ち入らないよう工作するに違いない。一体どうしたものかと、考えている時間は残されていないようだった。


「いったい・・なに・・・が」


鈍器で思い切り殴られるどころの痛みではない、断続的に強まっていく痛みが呼吸を荒くし、大量の汗を吹き出させる。原因は何かわからない。寒くないのに震えていた。


「リズ・・・すまない」


消えるほど小さな声を聞く者もなく、そのまま気を失ったリヒドは懐かしい記憶を辿る夢に誘われていた。


「・・・ぁ・・・ぅ・・クッ」


体が自由に動かない。指一本まともに動かせない。
死んでいるのか、生きているのか。自分で判断が出来ないほど、焼け付くような熱さが全身を襲って思考回路がちぎれていく。それはいつかに体験した忌まわしい過去とよく似ていた。


* * * * * *


「・・・リズ」


リヒドの記憶は九年前。マーリア村を襲ってきた土蜘豚=ドグリューの一匹に目をえぐられた夢を繰り返す。クリス王子の安否を確認し、退路を確保するために前に出た。その瞬間をやられたが、目を奪ったその腕を剣で切って吹き飛ばすくらいには返り討ちにした。
目が見えずとも、腕を切られた土蜘豚=ドグリューがその真実を直視できずに、飛んでいった腕を探しに消えていったことだけは理解できた。


「・・・ッ・・くっ」


放たれた炎は町と果樹園を焼いた熱で周囲一帯を覆っている。数秒の差が生死を分ける。視界を奪われた身で、どうすればいいのか。炎に肺を焼かれ、痛む両眼に触れることもできず、倒れたリヒドはそこで命を終えようとしていた。


「リヒド様ッ!?」


あのとき、薄れては消える意識をとどまらせた声はひとつしかない。


「リヒド様、リヒド様」


何度も自分を呼ぶ声。喉が枯れても、涙に嗚咽をにじませても、途切れることなく名前を叫んで響く声。今も、昔もそれは手放せない道しるべ。光を失った体に希望を与えてくれる唯一。


「・・・ッ・・ぅ」


九年前。死んだと思った自分が再度目を覚ましたとき、リヒドはその目が見せる光景にたまらず嘔吐したことを思い出す。高熱にうなされ、生死の峠を何度も走り続け、医師が言うには丸二ヶ月が経過したころ。リヒドは幸運にも現世にとどまる道に戻ってきた。


「リヒド・・ぁあ、リヒド」


最初に見たのは、医師と看護師。そして両親の顔。
両親の顔は区別できたが、医師と看護師の顔が酷く醜く歪んで見える。とてもじゃないけど人間とはいいがたい。後遺症か何かなのか、それを判断できる材料はない。それでも、吐き気がするほど気持ち悪い。
子どもが悪戯で塗りつぶした黒い影に、適当にあしらった目と鼻と口。嫌悪むき出しの表情が「なぜ、助かった」という畏怖と「これで命は繋がった」と自身の安否をぐるぐる混ぜたように蠢いている。


「今夜は安静になさってください」


そう言って去った医師はもちろん。リヒドの吐しゃ物を片づけた看護師は、二度と戻ってこなかった。
理由は簡単。リヒドがそれを願った。


「なぜなの、あなたを助けてくださったお医者様なのよ?」


かろうじて認識できる母親の顔ですら直視するのがしんどいと感じる。


「リヒド。モーガンの娘には会えそうか?」

「いえ、今はやめておきます」

「そうか。ならば、まだしばらく面会謝絶にしておこう」


体調が戻っても、具合が戻らないリヒドはそこから一年、人前に姿を見せなかった。主に過ごしたのは自室のベッドのうえ。
目が覚めて最初の一か月目。
なぜ、人の顔が認識できなくなったのか。その理由を理解するまでにかかった月日。部屋から鏡が取り払われていた不可解な事象に気付いたのは、夜、満月に照らされて窓に反射した自分の瞳が逆さ三日月を描いていたから。


「うあぁぁああぁ」


驚いたなんてものじゃない。黒い眼球に逆さ三日月。どうして忘れていたのか「自分の両目がえぐり取られ失明していた」と。見えるはずがない。それなのに「見えている」。世界は確実にリヒドに世界を映している。


「なぜ・・・なぜだ」


すぐに頭に浮かんだのは、リズを愛する三匹の獣。けれど同時に違うと感じた。何度考えても答えが出ない。わかったことはただひとつ、自分はもう人間ではないということだけ。
正確には群青兎の目を持つ人間。比喩ではなく、現実に。だから使用人たちがどこか怯えたような態度をしていたのかと納得もいく。


「合成獣を作ろうとしている研究者が知れば、わたしの懸賞金はいくらになるかな」


想像すれば笑いが込み上げてくる。
獣亜人と人間のもつ細胞や血液は異種同士、融合することはないとされていたのだから尚のこと。この奇跡を表現する言葉が見つからない。
絶望が希望か。リヒドはすっかり変わってしまった世界を受け入れられずに三日寝込んだ。慣れない目と付き合いながら自室に引きこもって半年、ようやく両親の顔を見ながら話せるようになった。見舞いに来た二つ年上の兄は平気だったが、その花嫁候補たちを見た瞬間、リヒドはまた倒れた。


「人間が気持ち悪い」


不可解な現象の答えは見つからない。
ここまでの人生、誰と一緒にあったかを思い返せば、その恐怖は日毎に増えていった。


「リズに会うのが怖い」


紛れもない本音。喉から手が出るほど会いたいのに、会えばなにか壊れる気がして躊躇する。


「こんなにも情けなく、惨めな男なのだな。わたしは」


リヒドの呟きは逆さ三日月の瞳だけが聞いていた。
そして、そこから三か月が過ぎたころ、モーガン・グレイスがリヒドを訪ねてきた。顔を見る前に吐き気がこみあげてきたのはいうまでもない。
群青兎の瞳になってから初めて会う婚約者の父。いくら群青兎と共存しているグレイス領の当主でも、将来、自分の後を継ぐ婿候補が半獣亜人では婚約破棄を告げるに違いないと思った。


「はっはっはっ、わしが、リズからキミを取り上げるわけなかろう」

「ですが、モーガン様。わたしは異種族の血が流れる身、リズ様との間に子を授かれる保証がなくなってしまいました」

「それがどうした」


両親より多少歪むものの、モーガンの顔はまだ人間の表情として認識できる。言葉と渦巻く感情が同じなのかもしれない。


「わしは元より、わしの代でグレイス皇族の血を終わらせるつもりでいる。グレイス領は群青兎=ブルーラビットとリズの住処として提供しているにすぎん。だから心配するな」

「そうは申されましても、シュゼンハイド王国の七領のひとつに跡継ぎがいないわけにもいかないでしょう」

「何を言っている。わしの目の前にいるではないか」


豪快に笑うモーガンに、なぜ人望があるのかわかる気がした。リズの父親としての位置ではなく、人間としての位置で、リヒドは初めてモーガンを見たかもしれない。


「リヒド様、リズを頼みますぞ」


頭をさげたその姿に、リヒドの心はある決意を固めていた。


「モーガン様、リズ様は・・・その・・・どうされて、いますか?」

「リヒド様が一命をとりとめたことは知っている。しかしだな、会いたいだの見舞いに行きたいだの、しつこくてな。シシオラの入れる酒はまずくなるし、ルオラが家を半壊にするし、ついにゼオラに強制的に様子を見て来いと追い出されたのだ」

「はい?」

「わしが主人だというのに、あの息子どもめ。リズの願いを叶えるためならあらゆる手段に打って出てくる」


そう言って笑う姿に悪意はない。互いの信頼関係が出来ているからこそ、モーガンは代表でリヒドに会いに来たのだろう。その光景が目に浮かぶようで、リヒドも自然と笑みを浮かべていた。


「ひとつ、いいですかな?」


改まったモーガンの声がリヒドに許可を求める。いまさら何を告げるのかと、婚約破棄の言葉がちらつくリヒドの目を真っ直ぐにみてモーガンは言う。


「リヒド様に瞳を与えたのはカイオスという群青兎だ。受け入れてやってくれ。あいつは子どもたちの未来をリヒド様に託した」


その顔は影のように歪むことはなく、以前のモーガンの顔のままそこにあった。


「待っておるぞ」


放たれた言葉の意味を深く考える必要はどこにもない。帰っていくモーガンの背中を見送ったリヒドの瞳は、黒から白に眼球の色を変え、逆さ三日月から満月の輝きを映していた。
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