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《第4章》デビュタント

第3話:シェインバル

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第3話:シェインバル

「・・ぁ・・ッン・・ァ」


首都シェインにあるグレイス伯爵家の別宅はリエント領の城より小さいが、周囲の邸宅よりも大きな建造物として鎮座している。モーガンはより城に近い本邸にいるらしく、ずっと空いていたこの屋敷を首都滞在中は使うようにしてくれた。


「ヤッぁ、待っ・・ぁ、アッ」


国を支える七つの領主の屋敷なのだから、それなりの規模を誇っていて当然なのだが、出来ることならもう少し隣家に近い方がありがたかったかもしれない。そうであれば、到着するなり服を脱がされ、ベッドのうえに連行される哀れな女に誰か気づいて止めてくれたかもしれない。いや、せめて屋敷に使用人がいればよかった。そうであれば、欲情した彼らにも理性の欠片が残っていたかもしれない。


「リズ様、大人しくして」

「ヒッぅ・・ぁ・・ルオ、ら」


四つん這いになった背後から深く差し込まれたものに「大人しく」しているのは無理だと、リズは首を横に振る。


「ダメ、ずっと煽られてたこっちの身にもなって」

「アッぁ、ァ・・ッ・・ヤッ・・ぁ」

「優しくしたいから、逃げない、の」

「・・・・ッ、~~ンッ」


ルオラに優しいの意味を問いたい。シーツを掴んだ指先に込める力の加減がわからなくなる。視界に映る人間ではありえない腕。中指の部分だけ千切れた革手袋をはめたままの真白の毛並みが余計に神経をおかしくさせる。


「リズ、気持ちよさそうだね。わたしに顔をみせて」

「ぁアッ、りひ・・・ッ、ンッ」


下から差し込んできたリヒドの手に顔が持ち上げられる。
見たくない。不可抗力を呪いたくても、身体は正直に快楽を打ち付けてくる。顔を持ち上げられたことでシーツを掴んでいた身体が連動して、潤んだ瞳に黄金色の瞳を持つ男たちを映していた。


「乳首の先まで震わせて、そんなに俺以外のがキモチイイのかよ」

「ッあ・・ィ・・・イクッ・・ぁ」

「ルオラのを美味しそうによだれを垂らして咥えているので、キモチイイのでしょう」

「だっだめ・・ァ今、そ・・・ンッぁあ」

「リズ、きちんと目を開けていなさい」

「そ・・ッん、な。見ないッでぁ・・ぁ・・ルオ、ら、止まッぁ」

「あー、そうだね。僕も優しくしたいし、いったん止まる」

「ッ!?」


本当にピタリとやんだ律動に、リズの内部が膨らんだ期待を逃がしきれずにきつく締まる。
それでもイケない。すぐ手の届く場所にあった快楽の頂点が、目の前にぶら下がったまま停止している。


「・・・な・・ンッで」


目を開けろと言われて開け続けた視界に映るのは、劣情を隠しもしない男の匂い。
こんなことならずっと目を閉じていたかった。絶頂に染まってしまえば無縁の羞恥が、じっと見つめられる視線に侵されて高まっていく。
「見ないで」と、声にならない願いを口にしたところで、彼らが聞き入れてくれる保証はどこにもない。身体が見られることで喜んでいる部分がある以上、それを隠しきれない音で判断する彼らには無意味な抵抗でしかない。案の定、「もういい?」と確認してきたルオラの声にリズは唇を噛んで敗北を認めた。


「ッ・・ぁ・・ぅ・・はぁ・・ぁ」


一度下降した感度が再び急上昇し始める。
背後から腕を引かれて、上半身を目の前の三人に見せつけながら、リズは背後のルオラに導かれる。


「イクッぁ、ッぁ・・ゃ」


いつからこんな風になってしまったのか。それが「いつ」と明確にわかる自分が嫌になる。淫らに悶えて、どん欲に求めてしまう自分が嫌になるのに、すべてを受け入れてくれる優しい腕に溺れたくなる。甘い腕の中で鳴きたくなる。


「ぁ、だめっぁあ・・ぁ・・ゃァアアァァ」


前回、この屋敷を訪れたのは四年前。そのときに知った痛みは年月を経過した分、もっと深く、彼ら以外誰も触れられない奥深くまでリズの嬌声を馴染ませていた。


* * * * * *


初めて花開いた夜は枯れた落ち葉がさらわれるほど、乾いた風の吹く晴れた日のことだった。
グレイス伯爵令嬢として無事に十八歳を過ぎたリズは王国主催の舞踏会「シェインバル」に出席を果たし、そこで自分が注目の人物だということを知る。社交界デビューともいえる貴族令嬢の一代イベント。シュゼンハイド王国では毎年本格的な冬が始まる前の満月の夜が開催日に選ばれる。招待状は主要貴族にあたる年頃の令嬢たちに配布され、それに参加した令嬢たちは正式に国中の貴族たちの婚姻リストに名前を連ねることになる。
リズも例にもれず、胸元が大きく開いたネイビーブルーのドレスと長いレースの手袋で参加した。付添人はリヒドの母、マキナ公爵夫人。
後から知ったが、デビューする令嬢の付添人は本来は身内が務めるものらしい。リズの義母にあたるキキが生きていれば喜んで参加してくれただろうが、それは無理な話。残念ながら王室の作法は細かく指定されていて、女性でなければ付き添い人になれない決まり。番たちが認める人間の少なさを思えば、人選は無難といってもよかった。それでも異例の代行は、噂好きの貴族たちに憶測の種をばらまくことになったらしい。


「グレイス家とマキナ家の仲は安泰のようですな」

「あれで牽制のつもりかね。すでに婚約しているとはいえ、こうも露骨では礼節も何もあるまい」

「国王がモーガン卿へ直々に認められたと聞いた。その代わり、伯爵はしばらく王都住まいだそうだ」

「ああ、たしか夫人は数年前に亡くなったのでしたな。噂通り一人娘も獣亜人の慰み者となれば、婿養子を得たところで後継者は望めまい。マキナ公爵家と結んだところでリエント領を手放すのも時間の問題だろう」

「しかし、ブルーラビットを手名付けた実績は大きい。嫡子に恵まれずとも手腕は途絶えさせてほしくないものですな」

「マキナ公爵家の次男にグレイス伯爵ほどの手腕があれば喜ばしいが」

「本当に。戦になったときの利用価値は高くあってもらいたい」

「イザハ帝国とアストラ大国が停戦条約を結んだとはいえ、サドアとアルヴィドの関係は回復せぬまま、いつ戦争になってもおかしくはない。軍事力強化に獣亜人の力を加えられるのであれば、それこそ自国のため。名誉ある功績と言える」

「とはいえ、あの二大領主が今以上に密接な関係になることは避けたい者も多かろう」

「獣亜人へのあり方は国内だけでも賛否両論ありますからな」

「それであの条件。王都にいる間にモーガン卿を懐柔なさるつもりか」

「あの男は無理だろう。だからみな、令嬢を観に来たのではないのか?」

「マキナ公爵夫人が付き添い人でなければ、候補に手をあげたがる家は多い。娘さえいれば、群青兎も可愛いただの兎だろうに」

「息子をあてがわずとも、縁組みする方法を考えている輩もいるとか」

「マーリア村の一件で次期リエント領主候補の両目は光を二度と拝めないと言いますし、今夜もほら。婚約者の晴れ舞台だというのに欠席だそうだ」

「おお、それは面白い。誰がファーストダンスを申し込むのか興味がわきますぞ」


王家主催の正式な舞踏会というだけあって、その顔ぶれは国を動かす人々の集まりで出来ている。義父であるモーガンが屋敷に招いた顔もあれば、視察で訪れた場所で見かけた顔もある。息子の花嫁を探すついでか、いつもと違う場所だからこそ弾む話題もあるのだろう。
リズは王家への挨拶のあとに足を運んだ舞踏会場で、想像以上の居心地の悪さに壁の花を決めようとしていた。


「お久しぶりです」


周囲のざわめきは、群青兎でなくても肌で感じることができた。


「えっ、あ、クリス様」


四年前に一度だけ会った顔。それでも忘れることは出来ない。
シュゼンハイド王国第二王子クリス・ヴァンルーシュ。穏やかな優しい声。柔らかな茶色の髪に、愛らしい薄茶色の瞳。あの頃は同じくらいの目線だったのに、今は少し見上げないといけなくなっていた。


「あの日の約束を覚えていますか?」


忘れるわけがない。絵本に登場する王子様そのままに社交辞令で「デビュタントのときはぜひ僕とも踊ってください」と去っていった姿は、同じ年だと思えないほど大人びていて衝撃的だった。


「はい」


差し出された手を迷いなく受け取る。


「リヒド様が、ダンスはクリス様以外とは踊らないようにと」

「それは役得ですね」

「クリス様にお会いできなければ、迎えが来るまで壁と同化しているつもりでした」

「それは無理でしょう。皆、声をかけたがっていましたよ。ところで、リヒド様はお元気ですか?」

「ええ。こういう場所以外では、とても」


取り囲む群衆の喧騒などどうでもいい。リズは知った顔に出会えて心底ホッとしていた。
リヒドが映さなくていいものを両眼に宿すようになった以上、一緒に参加できないこの人生最大行事「シェインバル」が来る日をずっと不安に思っていた。シシオラたちはそもそも入場すら出来ない。友達もいない。ファーストダンスを踊る婚約者もいない。
それなのに婚約者たちときたら、ここ一番の力の入れ具合を間違えたかと錯覚するほど丁寧で豪奢にリズを飾り付けた。動く人形を作りたかったのではないかと疑心暗鬼にもなる。上質な布で作られた一点物のドレスに、レース編みの手袋。招待状と共に届いた銀で出来た髪飾りをつけて完成したリズの姿を見つめる彼らの瞳は、今まで見たことのない達成感と高揚感に満ちていた。


「会場の視線を独り占めしていたので、声をかけるのに勇気がいりました」

「クリス様にそう言われるなら嘘でも嬉しいです」


知り合いが一人いれば心強い。伯爵令嬢の義務として、育ての親の顔を立てるためだけに参加したシェインバルだが、少しでも良い思い出が出来るのであれば喜ばしい。
リズは差し出されたクリスの手を取って、最初の一歩をその腕にゆだねた。


「あれが、例の」

「グレイス伯爵家のリズ様ですわ」

「ええ、恐ろしい。あまり関係しないようにしないと」

「でも、懇意にしている方が何かと良いと聞きますし、七つの領主の後継者とあればご挨拶くらいは・・・ねぇ」

「そんなことをいって、飼い慣らした獣に食われるかもしれませんわよ。群青兎は人間には懐かないうえに、友好的な交流も望めませんもの」

「そうは言っても、入り口まで送ってきたあの三体を見ました?」

「わたくしは見ましたわ。とても美しかった。手に入らないものほど欲しくなるといいますけど、羨ましすぎて思わず吐息がこぼれましたわ」

「叶うならお近づきになりたいわよね。あの毛並み、出で立ち。本当にどうやって飼い慣らしたのかしら」


誹謗、中傷、羨望、嫉妬。城内をひしめき合う囁きは流れる音楽の隙間から聞こえてくる。それらにいちいち反応していては身が持たない。そもそも、生まれも育ちも違うのだ。清楚なドレスで包まれた他の令嬢たちは、血がにじむほど凍える世界を知りはしない。


「けれど、お可哀想。婚約者が長男のネロ様であればまだしも、リヒド様とだなんて」

「あら。獣亜人を飼いならすような令嬢にはうってつけかと思いますわ。見えない方がよいものも色々とありますでしょうに」

「ふふ、はしたないですわよ」


直接は聞こえなくても、大体何を言われているかくらいの想像はつく。
クリスと踊りながら通過するごとに絡みつく視線も声も、リズの集中力を奪って警戒心を高めていく。本当に、こういうときにリヒド含めシシオラたちの存在がいないのは心細い。半面、ここに彼らがいなくてよかったとも思う。


「本当に?」

「え?」


ダンスは身体を密着させる。周囲の声はうやむやに出来たとしても、触れる距離にあるクリス王子の声までは誤魔化せない。


「一緒に踊ってよくわかる。グレイス令嬢には彼らしか写っていないのだと」

「すっすみません」

「いえ、そういうつもりで言ったのではありません。獣亜人と人間。心から手を取り合うには愛が必要だという話です」


音楽に合わせて揺れる身体は、ついに周囲のざわめきを飲み込んで、クリス王子の言葉しか届けなくしたようだった。
妙な静けさが耳に痛い。演奏すら止んだ錯覚。「あなたは彼ら以外の人と結婚するのが想像できますか?」確かにそう問われた言葉の意味をリズはしばらく認識できずにいた。
クリスにもそれは伝わったのだろう。ステップを踏み外したリズの腰を抱き直して、最後の五線譜のうえを踊る。


「もしくは、彼らが自分以外の・・・例えば、リヒド様がこの会場にいる他の令嬢と結婚し、ブルーラビットたちが森へ帰るとしたら」


なんて最悪の結末。それでもあり得ない話ではない。
額に触れた柔らかな感触の正体をダンスの終了と共に認識しながら、リズは呆然とその可能性について考えていた。


「リヒド様は僕の命の恩人です。彼が来ることの叶わない願いを託されたのなら、それには全力で応えたいと思う」


最後にそう言って手を引いたクリスに、リズは立ち尽くしていた体を輪の外に連れ出される。それでも脳内にはまだ、先ほどの言葉が反芻していた。
自分以外の誰か、顔も名前も知らない別の誰かに、彼らの視線が向くなんてことはないと信じたい。


「・・・リヒド様」


ふいに会いたくなる。
婚約者以外とは二度目のダンスが許されないシェインバルで、クリス王子と再度踊ることは出来ない。他の令嬢たちが我先にとクリス王子を奪い去っていった背景もあるが、リズは当初の予定通り壁と同化して時間をやり過ごしていた。
そうしていると全体がよく見える。
幼い頃、壁に背を預けて見ていた風景と同じ。心がざわついて落ち着かない。


「シシオラ・・ゼオラ・・ルオラ」 


目を閉じて胸の前で指を組む。思い浮かべた顔に、少しだけ深い息を吐き出せた気がした。
そして知る。当然のように傍にいてくれる心強さ。心地よさ、息の出来る場所。けれど自分の立つ場所は現実。グレイス令嬢として招かれる場所に彼らの存在は許されていない。


「リズ様」


そう声をかけられる世界。きらびやかで、豪華で、無縁だった世界。着飾った彼女たちは汚れの知らない、甘い砂糖菓子で出来ているみたいに愛らしい。
どうして私と。それは何度思っただろう。
打算や政略の道具としてではなく、傍にいてくれる理由はわからない。「愛」が何か知らないが、彼らのいない世界は想像もつかない。どうしようもない気持ちごと受け入れてくれる存在。
そんな獣亜人が軽視される時代。
王家に次ぐ権力をもつ伯爵家の名前を得た今、誰もが行く末を馳せて、自分ならばと夢を思い描くだろう。富と地位を求めて近づいてくる人は多い。
そこに憧れを抱くのは貴族たちも同じなのだと、リズは生まれ育ったリャシュカの街を思い出していた。
あの頃と比べれば、あまるほどの幸せを手にしたかもしれない。それでも、手を伸ばせば触れられる距離に彼らがいなければ、目の前の恵まれた幸せですらつまらない。


「・・・帰りたい」


挨拶にくる人々を適当な笑顔と、教えられた返答でやり過ごし、リズは時間の経過を無限に感じていた。マキナ侯爵夫人が迎えを呼ぶ姿が見えた気もするが、正直、どうでもいい。


「うわぁ、想像以上に可愛い顔してる」

「リズ様。お迎えにあがりました」


出迎えに現れたルオラとシシオラの顔を見た瞬間、なぜか苛立ちが胸をついた。


「楽しかったか、リズ?」


ゼオラの言葉に無視をしながら迎えの馬車に乗り込む。


「わたしの婚約者はご機嫌ななめだね」


馬車に乗った先にいたリヒドの姿に、言葉を発するのも嫌だった。
どうしてこんなに、心が晴れないのかがわからない。ずっと感じていた「会いたかった気持ち」を優先するなら喜びを表すべきだったのだろう。けれど、リズの唇はだんまりを決め込んだまま揺れる馬車の外を眺めている。


「私、クリス王子と踊ったから」


窓の外を流れる暗い夜の街は、同乗者の顔を映さない。カーテンをかけているせいかもしれない。自分の顔さえ映してくれない窓の存在は、リズの感情にふたをさせる。


「それはよかった」


何がよかったのか。リズはその顔を目の前に座るリヒドに向ける。そこで眼帯を外した顔に微笑まれて、また唇は声をなくした。


「では、無事に社交界デビューを迎えた令嬢にわたしからの招待状を贈ろう」


差し出された封筒を無言で受けとる。
封蝋はリヒド・マキナの文様。じっと眺めていたのは、それを開けてしまえばせっかくの苛立ちが霧散してしまうような気がしから。ただそうしたリズの気持ちを待たずに、横に座るシシオラが爪でその封を切って、中身を取り出していた。


「リズ様。リヒド様からの招待状です」


たったいま、目の前でもらったのだからそれはわかっている。


「リズ様、機嫌なおったのバレバレ」


斜め前にいるルオラを蹴りたい。令嬢にあるまじき反応でもかまわない。表情に出さなくても些細な違いで伝わってしまう相手に、それこそ今さらなのかもしれない。


「特別な夜にしよう」


そう微笑まれて、何も言えなくなる。
世間的に婚姻できる令嬢だと認められた夜にしては悪くない締めくくりだと、リズもそっと微笑み返していた。
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