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《第3章》九年前の記憶

第2話:過保護な執事

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第2話:過保護な執事

燕尾服を着た獣亜人は珍しい。特に人間に対して敵対心を持つ群青兎が人間と行動しているだけでも奇跡に近いというのに、リズを追いかけてきた青と白の三匹は、望んで執事をしているのだから驚愕に値する。
どこから走ってきたのかは想像がつくが、いつから追いかけてきていたのかはわからない。馬車はすでに三時間走り続けているが、獣亜人の脚力はそれを問題にしない持久力があると証明する三匹に言葉が出てこない。


「リズ、いけない子だね。彼らに出かけることを話したのかい?」

「いいえ、リヒド様。言われたとおりに、私は何も言わずに出てきました」


事前にリヒドから渡された招待状に「群青兎たちには秘密だよ」と書かれていたのだから、リズはその通りにしたと頬を膨らませる。
たしかに朝、一緒になった日から五年間欠かさずにフォンフェンの森へ修行に出かける彼らを見送ったはずだった。それがどういうわけか、まだ太陽が昇っている時間だというのに、三匹の群青兎たちの姿がそこに見える。


「仕方ない、か」


困った笑みをみせたリヒドの顔に胸が苦しくなる。


「ごめんなさい、リヒド様。怒らないで」

「怒る?」

「だって、私」


約束を破りたくて破ったわけではないと、どうすれば伝えられるかわからない。
大人たちが先ほどのリヒドのような息を吐く時は大抵よくないことが待ち構えている。この場合は過去からの経験上、怒られることは想定内の結果だった。


「わたしがリズを怒ったことはないはずだよ」

「じゃあ、シシオラたちを怒るの?」

「リズは感情の機微に敏感だね。たしかに新婚旅行気分を味わっていたのに邪魔されるのは気分が悪いが、こうなるだろうと想定していたから問題ない」


怒ることはないと断言したリヒドは、不安そうに瞳を揺らすリズの頭を撫でてから馬車を止めさせる。
馬車は道の真ん中で停車し、青空の下にリヒドたちを降ろした。


「誰が、誰と新婚旅行だって?」

「ゼオラっ!?」


リヒドに手を引かれて馬車から降りたばかりのリズは、その瞬間に体をさらわれる。今朝の温もりと同じ腕は、全速力で追いかけてきても息一つ乱すことなくそこにある。
それは一人ではなく三人なのだから、リズは鬼の形相をした三人の腕の中で小さくなることしかできなかった。


「まったく、油断も隙もありませんね。リズ様を騙して連れ出すとは」

「人聞きが悪いな。わたしは何一つ嘘はついていないし、騙してもいないよ」

「そうよ、シシオラ。リヒド様を悪く言わないで。いつも通りみんなが帰るまでには帰るから修行に戻ってちょうだい」

「リズ様、リエントからマーリア村には日帰りで行けないのですよ」

「えっ、そうなの?」


三人からリヒドをかばうために顔をあげたリズは、そのリヒドがしれっと明後日の方角を向いていることに言葉を失う。弁明を求めるような空気に押されて観念したのか、リヒドは「馬車でいけばすぐそこ、だとは言ったかな」と微笑むのだから驚くしかない。
たしかに「日帰り」だとは言われていないので嘘はつかれていないが、深層の令嬢ともいえる生活をしていれば地図の距離と体感距離が結びつくことはない。「すぐそこ」がもつ意味を初めて知ったリズは群青兎の輪の中心で愕然と肩を落としていた。


「わかったら、もう家に帰って。大人しく部屋にいて?」

「でもルオラ、誰もいない家に一人でいたくないの」

「僕だって監禁したくないよ、わかるでしょ?」


可愛く見つめられてもわからないことがある。長く伸びた白い耳を傾けて、無言の金色の瞳で訴えてくる相手に「わからない」と言えればどれほどよかったことか。「わかる」というまでこの時間は無限に続くのだと、安易に物語るルオラの姿勢にリズも無言の息で訴える他なかった。


「家庭教師がリズ様の残された書き置きをみて泣いておりましたよ?」

「・・・ごめんなさい」


シシオラの腕の中でリズは視線を逸らす。
毎日違う家庭教師が決まった時間にやって来るが、どこの国かもわからない言語や、いつ披露するかわからない楽器の練習をし続けるより、リヒドの誘いの方がよっぽど魅力的だったのだから無理もない。いつもと違う日常を送ってみたかったのはリズの本音。日帰りで、それもリヒドと一緒ならモーガンも許してくれるだろうと、リズは初めて無断で家を出た。
結果、家庭教師を泣かせ、過保護な執事たちに確保されたことになる。


「リズ様の音がいつもと違ったので何かあるとは思っていましたが、本当に目が離せなくなりました」

「でもね、シシオラ」

「リズ、でもとかだっては使っていいときと悪いときがあるだろ」

「ゼオラ・・・っ、ルオラ」

「リズ様、そんな音を奏でても、無理なものは無理なんだよ。いま目の前でこいつを八つ裂きにしないだけ、ものすごく僕たちにありがとうをしなきゃいけないんだってわかってる?」


このままではらちが明かない。こんなところまできて強制送還はイヤだと、リズはすがるように最後の男に視線を送った。


「さ、そろそろ行くか」


まさかの裏切りにリズの顔がショックに歪み、群青兎たちが満足そうに笑っている。ところが、リヒドは先に馬車に乗り込むなり「何をしている。貴様たちも早く乗れ」と、アゴでその場にいる全員に命令した。
空気が「意味がわからない」と叫んでいる。
それをどこか悪戯な笑みで眺めたあと、リヒドは不敵に息を吐いて述べた。


「モーガン様に了承はもらっている。最初から全員で行く予定だった。わたしとしては貴様らはマーリア村まで走ってもらったほうがよかったんだがな」


その言葉の意味にリズの声が喜びを吐き出す。
シシオラの腕の中で子ウサギのように飛び跳ねながら早く行こうと促してしまえば、どちらに軍配があがっているかは一目瞭然。仲良く馬車に乗り込んでマーリマ村に向かう道中は、人生で一番楽しい時間になった。


* * * * * *


空に下弦の月が浮かぶ夜の山間部を馬車は休むことなく走り続けていく。時刻は二十二時を回ったばかり。初めてみる風景を楽しみ、途中で口にする食事を楽しみ、始終楽しんでばかりの移動も間もなく終わりを迎えるころ。
目的地までの道中を全力で楽しんでいたリズが寝息をたて、初夏の夜風は心地よく流れていくが、馬車内はそうとも言えない空気に満ちていた。


「まさかと思うが、毎晩そうして眠っているのか?」


リヒドの顔が目の前の状況に対して不機嫌に歪んでいる。


「だったらなに?」


これは挑戦的に笑ったルオラの声。ついでに見せつけるようにリズに尻尾を絡ませたのだから、リヒドの口角はわかりやすく右にあがった。
シシオラのひざの上で対面に抱かれ、左にゼオラ、右にルオラを置いて、リズはその尾を布団代わりに眠っている。誰がみても安心しきっているとわかる寝顔で幸せな夢を見ているようだった。


「群青兎が複数でつがうことは理解しているつもりだが、自分の婚約者がその対象である場合は理解したくないものだな」


ため息とともに零れ落ちたリヒドの呟きはリズには届かない。
その代わりに、その息を受けた三匹の一人が眉を動かす。


「は、リズはお前と出会う前から俺たちといるんだ。渡さねぇよ」

「渡すもなにも、ゼオラ。わたしはリズからお前たちを引き離すつもりはない」

「どうだか。リズがお前を望んでいたとしても、俺たちはまだお前を認めていない」

「別に構わん。親同士が決めた婚約だが、リズを望んだのはこのわたしだ。認めるも認めないも人間同士の婚姻を獣亜人にはどうすることもできない」


リズを抱いた三匹と足を組んだ一人。向かい合う形で馬車に揺られているが、リズが一人眠りに落ちるだけで空気は一気に氷点下へと下降していた。それでも乗組員に空気を打開するつもりはないのだろう。
緊迫した無言のにらみ合いは続いている。


『人間風情の掟など反吐が出る』

「お前、リズが起きているときとは別人の顔になるな」

「勘違いするな人間。リズが泣くから生かしているだけだ」


シシオラの口調に、リヒドの笑みが煽る。
まさに一触即発かと思われたその時、以外にもリヒドが降参の息を吐き出した。


「どうしてリズなんだ?」


獣亜人がその変化に気づかないわけがない。三匹は空気が変わったリヒドの態度に休戦を受け入れたのか、その瞳の色を輝かせる程度にとどめている。そしてその質問の答えを遠い昔を思い出すように口にした。


「いいでしょう。リズ様の眠りを妨げるつもりはこちら側もありません」


普段通りの口調に戻ったシシオラが代表して話し始める。


「人間が群青兎=ブルーラビットと呼ぶ我々種族は忌み名があるとおり、錯乱状態になると眼球が黒く染まり、瞳が欠けて逆さ月のように映ります。その状態になれるオスは戦士として認められる一方、その状態のときは番以外の周囲すべてを殲滅するまで命を削ります。狂乱兎=クレイジーバニーと他の種族から恐れられていますが、あの状態の戦士に出会うのはたとえ仲間内でも避けたいものです。だからこそ愛する者まで殺されてしまわないように、我々は複数で一人の番を守ります。もともとメスは三度泣けば死んでしまうほど弱いので、複数で見守らなければ気が気でなくなってしまうんですけどね。ともあれ、五年前、強制的に錯乱状態を誘発された集落はフォンフェンの森からひとつ消えたわけですが、運悪くその場に鉢合わせた我々も錯乱状態となりました。そして麻酔を打たれ朦朧とする意識のなか、リズ様の音が聞こえたのです。何を殺し、誰を殺めたのかもわからない不安定な精神で、それがどれほど大きな意味を持つか。リズ様の音だけが自我を保つ唯一、そしてそれに気付いた時、本能が告げたんですよ。リズ様こそが生涯守るべき、愛しい花だと」

「花は弱い。寒ければしおれ、寂しければ枯れる」

「比喩ではなく群青兎のメスは三度涙を流すと本当に死んじゃうんだよね。だから群青兎のオスは何よりもメスを優先するし、番を泣かせる原因は全力で潰す」


理由を話したシシオラから引き継いだゼオラとルオラで会話が止まる。
彼らの耳は始終せわしなく周囲の音を拾っているようだが、警戒を怠らずに愛する者を守ろうとする姿はリヒドにも伝わっている。だからこそ無下にすることも出来ずに、こうして成り行きに身を任せているのだとリヒドの瞳も物語っていた。
リズが望み続ける限り、互いに受け入れなければ傍にいることは出来ない。葛藤し、苦悶する日々が続くのであれば、早くに受け入れてしまった方が心はラクになる。


「それが出来れば苦労しない、か」


相容れない種族同士。せめて同じ種族であれば解決への道は最短で描けたことだろう。それでも、誰よりも自分がリズの傍にいたいと願うようになってしまったのだから仕方がない。今しばらくはこの関係が続きそうだと、夜の馬車は静かな寝息を見つめていた。
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