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《第2章》偏愛の獣たち

第4話:下ごしらえ

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第4話:下ごしらえ

何かおかしい。それに気づいた時にはどうしようもないほど体が熱く火照っていた。


「ゥ・・ぁ・・っ」


首元までフリルのついた服を握って、リズは読んでいた本を床に落とす。
毒でも盛られたのか。でも一体誰に。自分が口にするものはすべて、シシオラ、ゼオラ、ルオラの三人が用意している。引き取ってくれたグレイス家には他の雇い人はいない。料理人も女中も庭師もいない。
今は主人であるモーガン・グレイスも不在の屋敷で、リズが口にする飲み物に毒を混入させることのできる家人は存在しない。


「ッ・・んっ・・・ぁ」


それにしても、おかしい。
視界が揺れて気持ち悪さを認識した瞬間から、動機と息切れが全身を襲ってくる。荒くなる呼吸、上昇する体温。仮に毒だとして、誰も目の前に現れないのは異常だと断言してもいい。
耳のいい執事たちは、咳ひとつでも大げさなほどかまってくる。
つまずいて転ぶようなものなら、まして椅子から本を落とすだけでも、この世の一大事のような形相で飛んでくる。それがない。


「・・ぁ・・・くっ」


今日はお客様が見える日。もしかしたら手が離せないほど忙しいのかもしれない。そんな日に誰がどこで混入したかもわからない毒で倒れて心配をかけたくはない。


「はぁ・・はぁ・・ッン・・はぁ」


それでも苦しいものは苦しい。どうして急にこんなことになったのかと、リズは混乱に戸惑いをにじませながら首元のリボンを緩めていた。


「リズ様?」

「・・ぁ・・・しし、おら?」


いつの間に気を失っていたのか。首元のリボンを緩めたことで呼吸がラクになったせいだろう。ソファーに横たわった体にはクッションが差し込まれ、床に落ちていた本がテーブルの上に乗せられて、少しマシになった寝転ぶ視界をシシオラの顔が覗き込んでいる。


「随分おつらそうですね」

「だいじょ・・ぶ・・・ぁ」


大丈夫だと最後まで言葉にして伝えたかったのに、シシオラに触れられた首元から電流が走って全身が痺れていく。それは指先まで走る微弱なもので、いったい何の毒が盛られたのかと怖くもなる。
もしかしたら死んでしまうのか。
そう思いいたった瞬間、リズは傍目で見てもわかるほど涙を浮かべて狼狽え始めた。


「ああ、すみません。泣かないで、リズ様」

「ぁ・・シシオラ・・っヒッ・・ぅ」


頬を触れられても電流が走る。髪に指を通されても電流が走る。言い換えればシシオラに触れられて敏感に反応しない場所がどこもない。リズはシシオラの燕尾服のすそを握りしめながら「変なの」と泣き声を零していた。


「毒、ですか?」


シシオラの顔がとぼけている。
脈拍、心音、呼吸。どれをみても異常だと一言で表現できるのに、なぜシシオラは先ほどから平然とした態度をとっているのだろう。


「違いますよ、リズ様。これは媚薬です」

「び・・や、く?」

「催淫薬と言い換えても結構です。今のリズ様は強制的に発情状態になっているのですよ」


笑顔で何を言っているのか、困惑のままリズはシシオラを見つめている。


「本日はリヒド様もお見えになることですし、その前にリズ様はいったい誰の番であるのか、しっかり認識しているか。それを確認させていただこうと思いまして」

「どう・・ぃ・・ッう」

「どういうも何もそのままの意味です」


ソファーに横たわったままの体にシシオラの唇が落ちてくる。ゆっくりと落ちてきたその唇は優しく触れて、ついばむように軽いキスを繰り返した。


「ああ、可愛いですよ。リズ様、その顔をもっと見せてください」

「ッ・・ぁ・・んっ」

「せっかく着せてもらった服をまた脱がされるのは嫌でしょう。出来るだけ着崩さない努力をいたします」

「なっ、に・・・ぁ」


勢いよく引き起こされてソファーの淵に掴むように後ろ向きにされる。
呼吸はか細い息を繰り返し、熱が頭にまわって現状把握をするだけで朦朧としてくる。なんとか背もたれを掴み、前のめりに体重を預けることでバランスを保ったリズは、そのドレスが足元からまくり上げられるのをどこか他人事のように感じていた。
そうは言っても、実際他人事で済まされる状況ではない。


「ヤッ、ぁ・・だメっ」


わかりやすいほど反応した身体が、前振りなく差し込まれたシシオラの指を締め付ける。


「おや」


驚きを隠そうともしないシシオラの声が困ったような笑みを吐いて、背後から項垂れたリズの背中に問いかけていた。


「まさか、指を挿入しただけでイッてしまわれたのですか?」

「・・・・~っ、ぁ・・ごめ、なさ」

「リズ様がそこまではしたない女性だとは思いませんでした」

「ッぁ、ヤッ・・め・・ぁ」

「たしかに前戯の必要がないほど濡れていますが、それにしても指だけで呆気なく果ててしまわれるとは、お可愛らしい」


減らず口の絶えないその物言いに、快楽をまともに吐き出せない。
拒絶したい気持ちよりも、与えられて悦ぶ体の方が勝る感覚を悟られたくはない。シシオラの言うように「はしたない女」だと思われたくなくて、リズは必死に現状と戦っていた。


「どこまでも煽るのがお上手ですね」


助長なく聞こえた軽快な手形。認識できずに混乱したリズの蜜は太ももを伝ってシシオラの手を汚す。


「少し叩いただけで、可愛い声をあげないでください。手加減が難しくなります」


困ったように笑うくらいなら助けてほしい。
そう言葉を吐きたくても、シシオラに叩かれたお尻の音にリズは歓喜の声をあげていた。


「ヒッぁ・・ぁ、ヤァッ!?」


なぜ叩かれているのか、それがわかれば苦労しない。
怒られるようなことをした自覚がない。それよりも問題は、叩かれるたびに愛蜜を滴らせる自分の下半身にある。いつから叩かれるだけで果ててしまうほど淫乱になってしまったのか。
リズはシシオラの手のひらから伝わらる振動を感じるたびに、ソファーの淵にもたれながら抑えられない快楽を口にする。


「ごめ・・ぁ・・なさ・・ァッ」

「何に謝っておられるのです?」

「わか、らっ・・ァッな・・ぁやっ、ぁ」

「叩かれるだけで感じてしまうような、はしたない令嬢になってしまったことを悔いていらっしゃるのでしたら、それは心配ございません」

「ヒゥ・・ぁ・っ、ンッ・・ぁ」

「淫乱な令嬢だと知ればリヒド様はさぞお怒りになるかもしれませんが」

「ッ!?」

「おや、また軽くイッてしまわれましたね」


黒い皮手袋の大きな手。右手の薬指だけが本来のシシオラの手を差し出しているが、爪を折ったその指の腹は少しざらついて人間とは違う。今は太ももの裏側を撫でて臀部へと手形を残すその指が昨晩は乙女の割れ目を何度も往復していたのを思い出す。


「・・・あッ・・ぁ・・ひっぅ」


なぜ、肌に触れられるだけでこんなにも感じてしまうのか。
足りない刺激を求めて無意識に揺れる体が、何かに操られているようにシシオラの手を求めている。


「いいですか、リズ様」

「・・ぁ・・アッ」

「あなたの番が誰であるか忘れないでください」


パンっと、耳に新しい音が加わるたびに喜びと快楽がないまぜになる。改めて確認しなくても、「誰の」番であるかは決まっている。変更する気も取り下げる気もない。
いつか消える程度の痕でなく、それこそ一生消えない痕を刻んでくれればいいものを。彼らの行為はいつも優しさの延長線上に存在する。


「薬がきれた後の痛みが、誰に与えられた痛みなのかをしっかり覚えていてください」


聞いていますかと、背中越しにかけられた声にすら感じてしまう。


「困りましたね。あなたがそんなに無防備だと、仕事に手がつかないんですよ」


文句をいわれても困るのはこちら側だと伝えたい。仕事が手につくか、つかないか。怠惰の理由を押し付けられたところで、代替案の出しようもない。
ここは無防備で過ごせるはずの自宅内だというのに、シシオラが心配する必要のない領域内だというのに、なぜ。こんなことになっているのか。説明して欲しいのはこちらだと、リズは困惑の顔をシシオラに向ける。


「ッ・・・ぃ、あ」

「心配せずに済むように監禁・・いえ、常に把握できる場所にいていただきたいのですが、今以上の場所となると少々難しいですし、かといってここに住んでいる以上、最低限のことをこなさねばなりません」


さらっと願望をぶちまけたシシオラの言葉は、臀部を叩く小気味いい音に紛れて霧散する。
何度も、何度も。それこそ振り返る隙すら与えないほどに繰り返されていく。


「形式上の婚約者とはいえ、自分の番が他の雄・・・それも自分が認める認めない以前の人間の雄と過ごさせるなど殺意しかわかないというのに、本当やめていただきたい」


本当に泣いてしまっていいだろうか。
すべて快楽として受け止めてしまう痛みに震え、叩かれるだけで飛んで果てる悦楽が憎い。真っ赤になったお尻を見ることはできないが、冷めることのない断続的な痺れのせいで身体が疼いてしかたがない。


「し、しぉっ・・ぁッ」


今まで叩くばかりだったシシオラの大きな手が太ももを撫でて、憎まれ口ばかり吐いていた唇が腫れた肌にキスをする。
ズルい。まともに言葉を紡げるなら、そう言葉にしたい。
涙を流す代わりに、期待の吐息がリズの唇からこぼれ落ちた。


「ああ、リズ様はいいのですよ。何も気にせずに、自分に与えられる快楽に溺れていてください」


そういいながらズボンを下ろし、許可なく当てられたものに全身が震えていく。
早く、早く、早く。ホシイ。
葛藤は無意味。相手は体の中を巡るあらゆる感情を手のひらのうえで転がすような滑稽さをもった獣でしかない。


「リズ様、あなたを永遠に手放さなくて済むのなら悪役にでも執事にでもなりましょう」

「アッっ・・ッや・・ん、ァア」


後ろから、それこそ獣のように突き上げられた腰が喜びに喘ぐ。薬のせいだと言い訳にして、その快楽を受け入れるなら、シシオラのもつ熱量に勝る治療はどこにもない。


「リズ」


敬称を捨てて、名前を呼ぶシシオラの声に身体が跳ねる。その顔を見たくてもソファーの背にしがみつくだけの淫乱な情事に、それは不可能に近かった。
腰をふり、背後から何度も熱に浮かされて、リズは午前のすべてをシシオラに捧げて力尽きていく。


『リズ様、愛しています』


独特の発音で告げられた言葉。同時に注がれた熱量に意識が遠退いて、シシオラが満足に引き抜く頃にはリズの身体は限界に気を失っていた。


「解毒は無事に効いているようですね」

「んっ・・はぁ・・ぁ」

「どうしました、そんな目で見つめられると離したくなくなります」


どの口がそれをいうのか。
散々好き勝手した顔は機嫌の良さを隠しもしないで、何事もなくリズの服を整えている。


「・・・離さないで」


これくらいは許されるだろう。
リズはドレスについた腰のリボンを結び終えたシシオラに振り返って、その身体に抱きついた。人間とは違う硬い身体と柔らかな毛に癒される。


「当然です。あなたがこの手を離す日がきたとしても、この手があなたを離す日はありません」


すり寄って呼吸するリズの肩に手を置きながら、シシオラは優しい眼差しでそれを見つめていた。
抱きしめ返せば潰してしまう自信がある。
それほどまでに軟弱な生物。いっそ、このまま殺してしまえば永遠に自分の手の内にいるのではないかと錯覚するほど、吐き出したはずの欲がうずく。


「さて、そろそろお客様がお見えです。リズ様準備はよろしいですか?」


顔をあげて見つめあったその瞳に言葉はいらない。


「では参りましょう。今はただ、グレイス家の令嬢とその執事として役割をこなすために」


差し出された手を演技じみた仕草で受け取ればそれでいい。そうして向かった先ではシシオラの言葉通り、都会へ続く道の向こう側から小さな馬車が屋敷へと近付いていた。
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