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《第2章》偏愛の獣たち

第2話:わかりやすい境界線

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第2話:わかりやすい境界線

屋敷の中から絶えず聞こえてくる甘い鳴き声は愛しく、先ほどまで腕の中にあった温かさを思い出させる。ほんの少し力を込めれば簡単に死んでしまう弱さが庇護欲を誘い、自分が守らねば生きていけないのではないかと不安になる。その不安が拍車をかけて過保護に甘やかしてしまうのは仕方がない。
出来ることなら一秒たりとも離れることなく傍にいたいものだと、ゼオラは月を眺めながら憂いの息を吐いていた。


「はぁ。なんで毎晩こんなやつらを相手にするために、リズとの時間を犠牲にしなきゃなんねーのか意味不明。そう思わね?」


足元に積んでいるのは人間の男。数は十五人程度だが、その手に猟銃が握られているところをみると、明らかに敵意を持って襲ってきたことがうかがい知れる。ただ死人に口なし。すでに息絶えたその体が本心を語ることはない。
相手が静かな躯になったのをいいことに、ゼオラはその山の頂きに立ち、一人空を見つめている。伸ばして細長く編みこんだ群青の髪は、背中に影を落としていた。
どこか欠けた月は美しく、晴れた夜空を支配するように浮かんでいる。静寂な夜。リエントの屋敷の背後に広がるフォンフェンの森も今夜は随分大人しい。


「まあ、リズに先に褒美もらったしな」


今夜は愚痴を吐くわけにはいかない。
左手の中指以外にはめた手袋が血に濡れようと、靴を脱いだ本来の足が大地を削って汚れようと、順に与えられる見張りの役目はこなさなければならない義務のひとつ。十四年前にリエントの領主であるモーガン・グレイスに拾われたその日から、ゼオラたち群青兎の運命はある程度定まってしまった。
正確にいえば、リズという少女と出会った日から。
殺意と憎悪に蝕まれたあの夜のことは、瞼の裏にこびりついて消えはしない。今でも人間を見るとその血を見たくてたまらなくなる。それでも一部を除いてそうしないのは、愛する番の悲しむ顔を見たくないという理由以外ない。


「・・・リズ」


目を閉じて名を呟けば、不思議と気持ちが穏やかに変わる。


「ッぁ・・アッぁ・・ぅ」

「可愛い、やばい、可愛い、俺の名前だけ呼ばせたい」

「るぉ、ら・・ぁッ・・シシオ、ラ」


月明かりを受けた長い耳に届くのは、兄弟たちに愛されて溶けていくリズの鳴き声。高く甘く昇り詰めていく快楽を受けて悶え、喘ぐ声が心地いい。


「近くで聞いても可愛いけど、遠くで聞いても可愛いんだよな」


一人うんうんと頷くのも毎度のこと。


「ヤッぁ、ッぁ・・ぁ・・ンッ」

「邪魔さえなけりゃ、もう少し俺もゆっくりできるってのに。あんたたちも毎晩こりないねぇ」


足元の死体はもちろんのこと、人間には到底聞こえないだろう。視界にとらえるか、とらえないか、ギリギリの距離に見えるグレイス城の奥の奥。愛する番の眠る部屋。同じ建物の中にいても人間は聞こえないというのだから、随分不自由な耳を持っているとしか思えない。
愛する者の声は、どこにいても聞いていたいもの。むしろ聞こえていなければ落ち着かない。吐息も寝息も何もかも。生きていてくれれば、それに勝る幸福はどこにもない。


「リズ、愛している」


尻尾が夜風に揺れてふわりと舞う。
自分の声はリズに届かないことを知りながら、それでもゼオラは声に出さずにはいられなかった。たぶん、兄弟たちには聞こえただろう。同じ獣の耳を持つ仲間の声がゼオラの耳にも聞こえるように。


『守備はどうです?』


リズの声が落ち着いたところでシシオラの声が話しかけてくる。独特の波長。人間の言葉ではなく群青兎が本来持つ言葉は、森の合間を縫って遠い仲間に伝えるために特化している。


『上場』


嗤うように答えたゼオラに、シシオラも笑っていることだろう。


『今夜は十五人ってとこだな』

『おや、少ないですね。昨夜の見回り時にはその倍はいましたよ』

『誰かさんが怖がらせたせいじゃねぇの?』

『はて、なんのことだか。身に覚えがありませんので』

『よくいうぜ。だいたい、お前が見回った次の夜は極端なんだよ』

『今夜は少なくてよかったじゃありませんか』

『まあな』

『自分としてはあなたにはもう少し働いてもらいたいところですけどね』

『んだよ、お前もご褒美を口実に好き勝手やってんだからいいだろ』

『それはそれ、これはこれです』

『ほんと、そういうところあるよな。シシオラは』


見た目は温和そうに見えるのに頑固で負けず嫌いな性格がシシオラらしい。兄弟のなかで一番質の悪いワガママだとゼオラは息を吐く。それをどう受け取ったのか、シシオラは「ふふ」と含んだ息を漏らしただけで、そこから先は自分たちが気絶させたリズの隣で眠ることにしたらしかった。
代わりに、満足そうに唇を鳴らしたルオラの声が聞こえてくる。


『ゼオラ、そっちはどんな感じ?』

『ルオラ、お前また歯型残しただろ』

『あ、バレた?』

『リズの鳴き方でわかる』

『あは、ゼオラってば変態』

『ルオラに言われたくねぇ』


兄弟の中で唯一の「白」の毛並みを持つルオラの顔が嫌でも想像出来た。人間は決まってルオラを「可愛い」と表現し、女に至っては声の音が一段階跳ね上がる。可愛いは何かと武器になるらしく、ルオラはその外見をより可愛くみせる技を十四年かけて磨いていた。
ただ、その性格が可愛いで済まされるわけにはいかない。


『なにが「ねぇ、リズ様。僕にもご褒美、いいでしょう?」だよ。リズもお前の顔に弱すぎ』

『リズ様は僕たちみんなの顔に弱いんだよ』

『俺たちの顔ねぇ。ただ同じ目と鼻と口がついてるだけだってのに、人間の好みはわかんねーな』

『人間の美的感覚は僕たち獣亜人とは違うってことでしょ。それでもリズ様がこの顔をしてるってだけで可愛く心臓を高鳴らせてくれるなら、僕は存分に利用しようと思ってるんだ』

『その語尾をあげる口調やめろ』

『えー、リズ様には好評なのにな』


どこがだと悪態付きたくても実際にそうなのだからゼオラに反論の余地はない。
ルオラの言うように人間の美的感覚は獣亜人とは別の認識を持っているようで、外見を重視する機雷がある。好みの見目こそ十人十色だが、ある程度共通して好む傾向は存在するらしい。それをすべて把握できるほど人間に興味はないが、自分の愛する番が人間である以上、無視することもできない。
どうすればもっと自分だけを見てもらえるのか、好いてもらえるのか。一妻多夫の習性をもっているとはいえ、独占欲がないわけではないのだから悩ましい。


『明日は僕が見張りなんだから、働かなくていいぐらいに処分しといてよ?』

『そうは言っても、それこそ人間はお前目当てに友達つれてくるんじゃね?』

『そっちのほうが僕はいいよ。狙われるのが僕っていうなら、れっきとした正当防衛なわけだし、公的に人間をやれるなんてワクワクしちゃう。熟した果実みたいに片手で潰すときの感覚はいいよね』

『お前、絶対それリズに聞かせるなよ』

『やだな、僕がリズ様の前でそんなへまするわけないじゃん』


それもそうかとゼオラは長い息を夜空に吐き出す。
ルオラは白いアルビノでありながら、どの群青兎よりも獣亜人らしい本質を秘めている。神の子だと大人たちはルオラを大事に奉っているが、ゼオラにいわせてみれば危険分子と言った方がしっくりくる。誰よりも好戦的で自我が強い。瞳に逆さ三日月を宿しているわけではないのに、いつもどこかネジが飛んでいるように感じることがある。


『ゼオラ、お客さんだよ』


番を共有するのは誰でもいいわけではない。
自分の認めた相手でなければ殺し合ってでも奪い、自分の巣で囲う。それが群青兎のオスの本能。


『僕をがっかりさせないでね』

『俺にまで王様気取りはやめとけ』

『冗談だって。じゃあ僕はリズ様と寝るから、あとはよろしく』


本当に冗談かどうかはどうでもいい。人間で作った山に立つゼオラに向けられるのは複数の銃口。


『くれぐれも静かに頼みますよ』


起きていたのか。シシオラの声で兄弟の会話は締められる。


「好き勝手ばっかりいうよな、ほんと」


銃口がなんだというのか。自分たちが持つ爪の強度に比べれば、加工された鉄はもろく弱い。弾丸が指ではじかれた反動でその筒の中を移動するよりも早くその鉄をばらしてしまえば、大抵の人間は腰を抜かして戦意を失くす。
そんな人間が束になり、数を変えて毎晩のように現れるのだから相手をする身にもなってほしい。


「くそっ、誰だよ。人間になつく群青兎だからこのヤマは簡単だっていったやつ」

「へぇ。それ、俺も知りたい」


逃げだした仲間と共に叫びながら走っていた男は、真横で微笑む美麗な顔に息をのんだに違いない。
晴れた夜空に浮かぶ月と美しい獣。兎のように長い耳を持つその獣亜人は、男が最期に観る光景としてはあまりにも現実離れしていたことだろう。


「はい、にーじゅいち、にーじゅに」


死体の山に死体を積む。夜明けにはこれをフォンフェンの森に捨てに行かなければならないので面倒くさい。
このまま放置していてもいいが、最初の頃、それをしたことでモーガンにひどく怒られたことがある。それだけならまだしも、リズはモーガンが怒っているのをみて泣きそうな顔になっていた。
リズは泣かせない。


「リズを悲しませる奴は全員殺す」


たとえ襲撃してくる彼らの目的がアルビノ種であるルオラでも、獣亜人共存派として一目置かれるグレイス家の断絶であっても、フォンフェンの森の門番という地位を手に入れたい欲でも関係ない。
「人間に懐く群青兎」はここ十年ほどで随分有名になってしまった。
モーガンがリズを連れていく先々で、リズを囲む三匹の群青兎がいれば有名にならないほうがおかしな話なのだが、それは本人たちの知るところではない。ただ厄介なことに、一部では「グレイス家のリズ嬢を手に入れれば群青兎が言うことを聞く」というネタが触れ回っているのだから安寧の夜はまだ当分訪れそうもない。


「・・・人間の臭いも音も気持ち悪い」


歪んだ口からちらついた牙は、年齢を重ねるごとに鋭く硬く尖っていく。兄弟のなかで一番外見的に獣の血が濃いと自負しているが、嗅覚も聴覚も優れているからこその苦悩がそこにある。
それでも選んだのは人間と共存する世界。
あながち噂は嘘ではないのかもしれない。火のない所に煙は立たぬというが、ゼオラを含め人間を番にもつ三匹の群青兎はリズの生きる人間社会のなかでは友好的で大人しい振りをしている。


「あー、早くリズを抱きたい」


そう憂いたゼオラの呟きは、夜明けの鳥が頭上高く飛んでいくまで吐き出され続けることだろう。
たとえ愛する者と同じ「人間」という枠組みで生きる死体の山が高く積みあがったとしても、人畜無害な顔で屋敷に帰り、リズに笑みを贈るまでは。
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