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《第1章》リャシュカの港町

第3話:フォンフェンの門番

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第3話:フォンフェンの門番

豊富な資源と自然に守られて、それなりの国土と情勢を保っているシュゼンハイド王国の夜は、どの場所にいても等しく訪れる。
空にまで届く神秘の山「神台メテオ」の麓に広がる国、シュゼンハイド王国。有名なものは数あれど、特に国土の三分の一を占めるフォンフェンの森は誰もが知るところ。そこに住む「群青兎=ブルーラビット」と俗に呼ばれる獣亜人は世界でも名高く、複数のオスで一匹のメスを囲う一妻多夫で群れを形成する独自の習性をもっている。また、フォンフェンの森には神の時代から存在する「聖樹ンシャラヴィカ」があるとされ、そこは群青兎だけが足を踏み入れることのできる聖域と言われている。
古来より世界の中心に立ち、すべての歴史を見守ってきたとも噂されるその大木は、神台メテオから流れる清流「メテオ河」の向こう側に存在し、それはフォンフェンの森に隣接するリエント領の門番であっても越えられない境界線となっていた。
そして今夜はそこに、先の領主たちが懸念したように複数の群青兎が集まっていた。


『集落がひとつやられた』

『数がまだ把握できないが、子どもたちもさらわれたそうだ』

『神の子が奪われたというのは本当か?』

『なに、白兎(びゃくと)が人間の手に渡っただと?』

『手負いの戦士はまだ意識が戻らない者も多い。人間どもめ、いったい何を森にまいた』

『許せぬ。人間ごときが、この森を侵すなど耐えられぬ』


口々に囁く声は森の木々を不穏に揺らし、いくつもの逆さ三日月を夜の闇にちらつかせている。
山肌から随分と距離のある針葉樹のうえのほう。闇深い夜の森でその先を見上げても認識は難しいが、その上空部分に群青兎はひしめき合っている。まるで彼らが一枚の葉のように枝に隠れ、次々に聖樹目指して集まるその様子は異様な光を放ちながら増えていた。


『だから人間を早々に狩るべきだったのだ』

『それは天啓が許さなかった』

『カイオス様が見当たらないが?』

『いま別の者が探している』

『まったく。こんなときに役に立たぬのであれば意味がないというのに』


群青兎は高い木の上に巣を作り集落を形成する。一言で「巣」といってもそれは立派な家なのだが、それは森を深く進めば進むほど遭遇する機会が増え、今夜は特に各集落の外に聖樹に集まるのとは別の群青兎の姿を見ることが出来た。
どの家も殺気立った戦士が見張りに立ち、妻や子どもを家の中から出さないつもりでいるらしい。


『樹から降ろした子どもたちの回収を急げ』

『神の子を探し、連れ戻すのだ』

『これは緊急事態だ』

『現在、森にいる人間は殺せ。例外はない』

『各集落から一人、聖樹に足を運べ。長からの言伝に従え』


ざわめく風が高い音を混ぜて森の影を揺らしていく。
もしも今、晴れた太陽光のしたで森を上空から眺めてみれば、群青兎たちの持つ青い毛並みが波打って、まるで湖のように見えたことだろう。群青兎と名のつく由来、それは兎のような長い耳を持ち、海よりも深い群青の毛を持っているから。その毛並みの美しさは傾国すると謳われるほどの値がつけられる。
端整な顔立ちに獣亜人であることを忘れて恋をする人間もいるという。
ただ、耳に加えて長い尻尾を生やし、大樹の上空までいっきに飛ぶ脚力、獲物を一瞬で噛み殺す牙、岩も砕くとされる強靭な爪を持つ彼らは人間に対して友好的ではなく、むしろ好戦的で攻撃的。獣亜人の危険度合いでいえば、最上級のランクに指定されるほど人間との折り合いは悪い。


『奪った罪は重い』

『しかし人間のやることだ。森ごと焼くこともあるだろう』

『くそっ。化け物め』

『門番と連絡はついたか?』

『カイオスといい、モーガンといい。揃いも揃って、こんなときにどこにいる』


長い歴史を振り返ってみても、人間と群青兎は何度も戦いを繰り返しており、その決着がついたことはなかった。
森は彼らを守り、彼らも森に生きる。
そのため広いフォンフェンの森は群青兎の住処として今もまだ定着し、その森と人間の暮らす領土の境界をグレイス家の当主が代々担う形で落ち着いている。いや、ここは過去形にするべきか。集落をひとつ破壊されたことで群青兎たちは停戦していた人間へ、再び攻撃を行う姿勢を見せ始めていた。
それは森を埋め尽くすほどの勢いで増えていく小さな逆さ三日月の燐光が証明している。


「ああ、旦那様がいないときになんということでしょう。奥様、今夜はどうか屋敷からお出になりませんように」


窓から見える森の様子に、恐怖を隠そうともしない声が室内を振り返る。そばかすを顔につけたその若いメイドは、振り返った先のベッドに背を預ける女性をその青白い顔で見つめていた。


「落ち着きなさい、キャシー。カイオスがそのうち姿を見せるわ」


これではどちらが病人かわからないと、苦笑した女主人は軽くせき込む。その咳に反応したキャシーは窓からベッドの傍へすぐに駆け寄り、その背中を優しくさすった。


「ですが奥様。カイオス様がお見えになられても、旦那様はまだリャシュカの町から戻られておりません」

「彼らの領地を侵したのはコチラなのです。向こうが怒るのは当たり前、むしろすぐに襲ってこないことをありがたいと思わなくては」

「・・・奥様」


そばかすのメイド、キャシーは自分が「奥様」と呼んだ女性にたしなめられて服の裾を握りしめる。理屈がわかっても本能が警戒するほどの異常事態を受け流せる肝は据わっていないのだから無理もない。
雪が降るほど冷え込む夜。体調のすぐれない主人のために部屋を暖めているにも関わらず、歯の根が合わない音が聞こえてくる。


「キャシー、こっちにいらっしゃい」

「はい、奥様」

「幸い、今はこの広い屋敷のなかに私とあなたの二人きり。群青兎は女性には優しい生物なのよ」

「そうは申しましても、獣亜人のなかでもブルーラビットは特に人間嫌いで有名です。故郷の山に住む獰猛で危険な人喰い土蜘豚=ドグリューだって一撃で倒してしまうと聞きます。きっと丸のみにされてしまいますわ」


大げさな身振りでその表現をしたキャシーに、女主人は今度こそ息を吹き出して笑っていた。


「奥様、笑い事ではありません」


窓の外を見ていないからそんな呑気でいられるのだとキャシーは嘆く。一分、一秒経過するごとに不穏な光が移動して膨らんでいく黒い森の様子を一目見れば、誰だって平常心ではいられない。と、どうすればわかってもらえるのかわからずに、キャシーは笑う主人に不貞腐れた顔を向けていた。
そのとき、ドンドンと城の扉を叩く音が響いてくる。


「カイオスね、どうぞ。入って」


三階の奥に位置するベッドのうえから女主人は声をかけた。
一階の入り口から三階の寝室まで、いったいどれくらいの距離があるのか。その疑問は必要ない。聴力と脚力に優れた種族がこの距離を問題に思うはずもない。


「キキ、深夜に邪魔をする」

「こんばんは、カイオス」


やはり尋ね人はカイオスだったかと、現れた姿に安堵した。人間の男性の二倍はあるだろう体躯にピンと伸びた長い耳と重量のある尻尾が揺れている。深い群青色の毛並みに黒い眼球、黄金色の瞳は逆さ三日月を描いているが、穏やかな雰囲気をまだ宿していた。
けれど、寝室の扉を開けた瞬間、カイオスは少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「やはりモーガンはいないのか?」

「ええ、あなたの子どもたちを探しに行ったわ」

「我々の子どもだと?」

「何をそんなに驚いているの。あの人はあんなだけど、領主であり門番ですもの。役目はきちんと果たす方ですのよ」

「病気の妻をひとり残していくなど信じられん」

「一人じゃないわ、キャシーがいるでしょ?」


そう言ってキキは自分の隣で固まるキャシーを紹介する。可哀そうに、本物の獣亜人と間近で初めて対面したキャシーは気絶しそうなほど震えていた。
一瞬で命を奪われそうな鋭利な爪、靴は到底履けそうにない獣の足がキャシーの方をむいて「はぁ」とわかりやすい息を吐く。


「人間のこういうところはやはり理解できん。キャシーも守られるべき花だろう?」


その言葉に、キャシーは目を見開くほど驚いていた。
想像や噂とは違う群青兎の態度に、目からうろこが零れ落ちたといっても過言ではない。野蛮、乱暴、危険、獰猛。表向きは温和を装っていても、惨殺される可能性のほうばかり考えていたキャシーは抜けた腰に従うように床に崩れ落ちた。


「ね、群青兎って女性に優しいでしょ?」


床に座るキャシーの耳元に、どこか嬉しそうなキキの笑みが囁く。
その様子に、カイオスの名を持つ群青兎はまたわかりやすく「はぁ」とため息を吐き出した。


「呑気なことを言っている場合か、森に偵察に入っていた人間どもはみな、殺されるところだったのだぞ?」

「あら、そうなる前にあなたが助けてくださったんでしょう?」

「そうだが、そうではない」

「森の被害は深刻なの?」


キャシーからカイオスに向けられたキキの瞳は、さっきまでの悪戯な空気を消して真面目な顔に変わっている。こういうところはやはりグレイス家の奥方として「あの」モーガンの番だと認めざるを得ない。


「集落がひとつやられた。成人の花が二人攫われ、成人前の花が五人。花はまだ生きているが時間の問題だろう。殺された戦士の死骸は十二体、持っていかれた。手負いの戦士は八人いるが、三人はまだ錯乱状態のまま、残りの五人は昏睡状態から目覚めない」

「・・・そう」

「我々の毛皮の価値を知らないわけではない。愛玩用に花を狙う人間も今までに何人もいたが、今回は神の子が狙われた可能性が高い」

「あの神の子?」

「千年に一度生まれるといわれる白い毛をもつ子どもだ。成人の儀で樹から降りていたが見つからない。白兎は新たなる道を授ける吉報の象徴。我々は神の子を取り戻さねばならない」


カイオスはそれだけは譲れないとばかりに真剣なまなざしで告げる。
それはきっと神の子を取り戻すためならば、人間と戦争になってもかまわないと安直に伝えているのだろう。


「カイオス、猶予はどれほどありそう?」

「我々は夜明けとともにシュゼンハイドに戦士を送る」

「あの人の腕が試されるわね」


そう言って咳き込んだキキの様子に、現実に戻ってきたキャシーが慌ててその背をさする。その姿を数秒眺めたカイオスは窓の向こうに見える森へと視線を送っていた。


『モーガン、花を摘ませるなよ』


人間の言葉ではなく群青兎の扱う鳴き声を零したカイオスの呟きは、窓の外をちらつく複数の小さな光と雪に紛れて溶けて消えた。
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