上 下
6 / 6

鈴なりの女たち

しおりを挟む
 ふう、とため息をつく。縁談の顔合わせに向かうのは、いつもどこか憂鬱だ。
 馬車に揺られながら、今朝のことを思い出す。早朝にエドガーの夢を見てしまって、なんだか気まずい。
 彼は私の額にキスをして、細かい内容は覚えていないけれど、私への愛を囁いていた。

 もしかして、私は、彼のことを……。

 姉らしからぬことを考えながらも、とうとう今日のお見合い相手のお屋敷につく。
 今日は王都随一の色男、フリン=フテー様とのお見合いだ。

 私が馬車を降りると、フテー様はすでに玄関口にいらっしゃった。
 整った顔立ちに、洒脱な服装。清潔感のあるいでたちは、なるほどモテるのも当然だわ。エドガーほどではないけれど、美しい人ね。

「ごきげんよう、ロゼ=ローラン嬢。フリン=フテーと申します」

 本来ならば家令をはじめとした使用人に任せるところだけど、こういう破天荒なところも色男たる理由でしょう。
 私は彼が差し出す手を取り、にこりと微笑んだ。

「はじめまして、フテー様。本日はよろしくお願いいたします」

 まず、彼は私を東屋へと案内した。この季節に咲く鮮やかな花々に囲まれて、その色彩や芳しい香りに気分がぱっと華やかになる。

「素敵なお庭ですね」
「ありがとうございます」

 爽やかな笑みを浮かべて、彼は私を椅子に導く。手を離すその時、彼の骨ばったうつくしい指先が、するりと私の手の甲を撫でた。どき、と胸が鳴る。

「ああ、失礼。あなたがあまりに美しいものですから、離しがたくて」

 この男、危険ね。
 八年間で培《つちか》われた勘が、警戒しろと言っている。
 私はぱらりと扇を広げ、口元を隠した。目元だけで微笑んでみせれば、彼もまた微笑みを返す。

 私の警戒は、きっとばればれね。

「そのお召し物、とても素敵ですわ。どこでお仕立てになられましたの?」
「ああ、これはうちのお抱えの針子が作ったのです。彼女は大変才能にあふれておりまして」

 そうなのですね、と少し大袈裟なくらいに驚いてみせた。

「そんなに素敵なお仕立てができるならば、きっと素敵なお店を持てるでしょうね」

 あえて、あなたにその針子はもったいない、と捉えられても仕方のないところを狙う。無礼を働いて、相手をそれとなく不快にするのだ。
 だけど彼はまったく気にせず、上品な頷きを返した。

「ロゼ嬢のドレスも素敵ですよ。あなたはきっと、服など気にせずとも美しいお方ですが……」

 そう来るか。

「ドレープにたっぷり深紅の布地を使った、艶やかで重厚ないでたち。緑の瞳にもお似合いです」
「ありがとうございます」

 こうして、私たちの戦いは火蓋を切った。
 私は穏便に断るための、彼は私をオトすための。

「ロゼ嬢は本当に素敵なお方だ。こんな方と巡り合うことができるだなんて、僕は本当に幸運な男です」
「そうでしょうか? 人は星の数ほどいますもの、まだまだ巡り会えていない素敵な方がたくさんいますわ」
「いやいや。あなたは僕の一番星です」
「まあ。私は太陽のように苛烈な女とよく言われますの」

 話を少しずつずらして、会話にならないように。しかし相手も相当の手練れだわ。すぐに話を自分のペースに戻そうとする。
 負けない。私の方が強いわよ。

「ああ、ロゼ嬢。そんなつれないことを言わずに」

 フテー様は、とうとう立ち上がった。そして私の前に跪き、胸に手を当てて顔を覗き込む。

「僕はすっかり、あなたのとりこなのです。どうか美しいあなたに愛されるという幸運に恵まれたいのです」

 お慈悲を、と彼は私の手を取る。彼なりの殺し文句とは裏腹に、私の心はどんどん冷えていった。

 経験上、こういう男はたいていろくでもない。

 私がお断りの返事をしようと口を開いた瞬間、風切音がする。
 どこからか飛んできた閉じられたままの扇子が、すこんとフテー様のこめかみを突いた。
 フテー様は悲鳴を上げ、私は扇子が飛んできた方を見る。

 そこには、およそ十人を超えようかという女性たちが立っていた。
 華やかなドレスを着た女性、町娘の格好をした方。様々な身なりの彼女たちはみな、一様に瞳に怒りをたぎらせている。

「この浮気男!」

 針子の格好をされた方が、勢いよく倒れたフテー様に殴りかかる。私があっけにとられている間に、女性たちは私を置いてフテー様にとびかかった。

「あたしの五年を返せ! あんたさえいなけりゃ、今頃店のひとつでも構えてたんだ!」
「そうですわ! 私が婚期を逃すこともありませんでした!」
「わたしたちの心を弄んで、何が楽しいのよ! サイテー!」

 女性たちに取り囲まれ、身体を捕まれてもなお、フテー様は笑っている。ぞっ、と私の背筋に冷たいものが走った。

「ふん、だからなんだって言うんだ。僕の人生にそんなことは関係ないだろ」
「なんですって……!」

 いよいよ殺気だった女性たちが、おのおの拳を握りしめる。いけない、と私は彼らの間に割り込んだ。

「みなさま、いけません。このような不届者であったとしても、暴力はなりませんわ!」
「だけどアンタ、こいつは……!」

 お針子が何かを言いかけた瞬間、「お待ちになって!」とドレスを着た女性が制する。

「あなたは伝説の破談令嬢《ブロークンレディ》、ロゼ=ローラン様ではなくて!?」

 私は一瞬言葉に詰まったけれど、居住まいを直して胸を張った。
 ここで気圧されては、ローラン家の名折れ。

「ええ。私がその伝説の破談令嬢《ブロークンレディ》、ロゼ=ローランでしてよ」

 伝説に……なっていたのね。
 途端に彼女たちはわっと私を取り囲み、「お会いできて光栄です」と手を握った。

「あなたのお話に、何度勇気づけられたか」
「独身であることに数々の眠れない夜を過ごしてきましたが、あなたの数々の武勇伝が気持ちを明るくしてくれました」
「あたし、ファンです! 握手してください!」
「浮気者に婚約パーティーで往復ビンタした話が一番好きです!」

 それは三回目の婚約破棄の話ね。まだ十代の、ものを分かっていない頃のことだから、恥ずかしいわ。
 私が照れている間に、ずりずりとフテー様が逃げようと這いつくばる。あっと声を上げた瞬間、彼は立ち上がって脱兎の勢いで逃げ出した。

「動くな! 司法警察だ!」

 そしてどこからか現れた屈強な男性が、呆気なく彼を捕まえた。

「し、司法警察だと……!」

 驚愕に目を丸くするフテー様の前に、靴音も高らかにエドガーが現れた。私がまあ、と声を上げると、彼は書類をすっと彼の前に広げる。

「フリン=フテー。貴様を多重不貞罪で逮捕する」
「な、なんだその罪は!」

 その聞き覚えのない罪状に、私たちもざわつく。

「なんだあれ、まるであいつのための罪名じゃないか」
「ええ。私たちも彼を訴えることができればと、何度も袖を濡らしてきましたけれど……」

 エドガーが胸を張り、威風堂々とした振る舞いで宣言する。

「王都にはびこる不貞行為を重く見た俺が、宰相代理として昨晩立法した。同時に十人以上と性的関係を持った場合、当該者は婚姻の権利をはく奪される」

 宰相代理って、すごい。
 フテー様は絶句して、真っ赤になって震えていた。エドガーは冷ややかに彼を見下ろす。

「貴様のようなクズが家庭を持つ権利はない。もう一生分の恋愛を経験しただろう。男として隠居しろ」
「ふ、ふざけるな! こんなの権力の私物化だ!」

 唾を飛ばして叫ぶフテー様をよそに、私はエドガーに寄りそう。エドガーは私の肩を抱いて、「大丈夫?」と囁きかけた。

「怖かったね。もう大丈夫だよ」
「無視するな! 宰相代理だからって国家権力の濫用をするなよ!」

 なんででしょう。なんだかフテー様がまともなことを言っている気がするわね。
 だけどこの場の女性陣は、全員エドガーの味方のようだった。わあっと歓声をあげて私たちを取り囲み、涙ぐみながら頭をさげる。

「ありがとう。私、あんな奴のために婚期を逃したって思うと、悔しくて……!」
「あたしもあんな奴に引っかからなけりゃってずっと後悔してたけど、やっと前を向けそうだ」
「本当に、あなたたちは救世主ですわ!」

 やんややんやと私たちが騒ぐ中、フテー様は縄をかけられて連行されていく。

「おぼえてろよ……!」

 小物ならではの捨て台詞を吐いて、彼は姿を消した。

 一方。残された女性たちは、エドガーを置いて、私と一緒に盛り上がっていた。

「あんた、男関係でそんなに苦労してたのかい。大変だったね」
「私たち、なんだかいいお友達になれそうですわね。そう思わなくて?」
「このままみんなで飲みに行きませんか? 私たちの門出を祝って!」

 私もにっこり微笑んで、みんなで肩を組んだ。

「ええ。このまま街へ繰り出しましょう!」

 こうして、独身女たちは徒党を組んで街へと向かった。

「ロゼ!」

 エドガーが私を呼ぶ。あっ! と声を上げて、私は彼を振り返った。

「ごめんなさい、今晩は遅くなるわ!」
「ロゼ……! 二次会までにしてくれよ……!」

 まったくエドガーったら、心配性なんだから。
 こうして、私は新しい友人たちと街で楽しい時間を過ごした。

 四次会まで行って泥酔した私をエドガーが迎えにきてくれたことも、多重不貞罪はさすがにやりすぎだと王太子殿下が罰金刑にすげかえたことも、今はまだ関係のないお話。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、離縁の申し出承りますわ

ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」 大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。 領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。 旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。 その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。 離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに! *女性軽視の言葉が一部あります(すみません)

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。

airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。 どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。 2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。 ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。 あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて… あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...