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第一部

火照り

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 その頃には、既に日没が近かった。
 一旦引き上げることとなる。その一行からフラエとディールが抜け、それをグノシスが見ていた。あまりにも凝視しているのでフラエが視線を返せば、彼は少し怒ったような顔をする。どうしてそんな顔をするのか分からなくて無表情でこちらも凝視する。彼は拗ねたように顔をそむけ、隊列に加わって立ち去った。
 フラエとともに残ったディールは、気まずそうに「大丈夫?」と尋ねる。フラエは首を横に振り、苦笑した。
「大丈夫だよ」
「でも、すごく見られていたけど」
 まぁね、と曖昧に濁す。ディールはフラエの手を取り、真剣に言った。その視線に圧倒されるフラエに、彼の青い瞳が細められる。
「もしも殿下のことが負担だったら、僕を頼って」
 どうして、とフラエが聞くよりも早く「君が心配なんだ」と彼は切実で、誠実な声色で言う。
「僕は、君を守りたい」
 騎士団時代にあれほどないがしろにしておいて、どの口が言うんだ。そう思うのと同じくらい、フラエは彼の気持ちに心打たれていた。直球の好意に弱い彼は視線を逸らし、「大丈夫だよ」と繰り返す。
「あれは、……」
 口ごもるフラエに、ディールが「でも、殿下の気持ちが君の負担になっているように見えるんだ」と言い募った。
「君の立場で、殿下の気持ちを拒否するのが難しいのは、分かるから」
 フラエは、その言葉に困ったように眉を曇らせた。正直フラエは、ディールのあからさまな行動に困ってもいたので、どう返せばいいのか分からない。黙り込むフラエに、ディールがさらに続ける。
「フラエの力になりたい」
 そう、彼はフラエの手を握る力を強くした。すっかり困り果てたフラエは、「そうだね」とぽつりと呟いた。
「僕は、殿下のことが、……嫌いだから」
 そう言ったフラエの顔を見て、ディールがそっと手を離した。見上げれば、彼はどこか苦しそうな表情でフラエを見つめていた。その真意が分からなくて、フラエは「とりあえず」と場違いなまでに明るい声を上げる。
「僕たちは僕たちのことをしよう」
 ディールも気を取り直し、「そうだね」と頷いた。
「ありがとう、ディール。僕の調整役を引き受けてくれて」
 礼を言えば、彼はやはり蕩けるように笑った。ディールは腰に手を当て、「どういたしまして」と言う。
「騎士として当然の行いさ」
「そっか」
 フラエは辺りをぐるりと見渡し、「とりあえず、僕は動いてみる」と剣を抜いた。
「ディールは、戦闘中も魔力操作はできそうなのかな」
「それができそうだから、僕が選ばれたのさ」
 彼は少し得意げに片目を瞑った。フラエはそれに小さく笑って、「とりあえず、確認だけさせて」と肩を竦めた。
「君を疑うわけじゃないけど。この環境と、僕自身で、一度確かめさせてもらってもいい?」
「もちろん」
 頷くディールに、フラエはぐるりと辺りを見渡す。
「君も戦闘中に魔力操作ができるか、というのを確かめたいんだけど……」
「それなら、君に魔力操作しながら軽く手合わせしてみる?」
 そう言って、彼は剣を抜いた。フラエも少し考えて、「うん」と頷く。正直、久しぶりに対人戦闘ができるのは、フラエにとっても剣の腕を確かめるいい機会になりそうだ。
 双方距離をとり、剣を構える。フラエとディールはそれぞれ中段に構え、相手の動きを窺った。
 先に動いたのはフラエだった。彼は腰を低く落として地面を強く蹴り、ディールに向かって突進する。低く繰り出された素早い突きをディールは軽くいなし、剣を弾かれたフラエはすぐに手首を返し次々剣戟を繰り出す。鋭い金属音が断続的に洞窟内に反響し、防戦一方のディールにフラエが好戦的に笑った。
「君らしい堅実な手だね!」
「お褒めいただき光栄だな」
 ディールはあくまで涼しい顔でフラエをいなし、右手側の一撃を強く弾いた。フラエの手に痺れるような衝撃が走り、ほんの一瞬動きを止めたフラエに向かってディールが大きく踏み込む。しかし彼は身軽に後ろに引いて体勢を立て直し、素早い身のこなしで逆にディールの懐に飛び込んだ。剣の柄でディールの胸元を殴り飛ばそうとするフラエはしかし、彼の右腕一本で止められる。
「捕まえた」
 そうディールは小さく呟き、フラエの腕を素早くひねる。関節を強く、的確にきめられ、フラエは思わず剣を取り落とした。カラカラという金属音が虚しく響く。
 動きを止めた瞬間、フラエは身体を全力で動かしていたことを知る。荒い息をつきながら、ギラギラと光る瞳でディールを見上げた。彼はゆっくりと手を離し、「大丈夫?」とフラエの腕を撫でる。
「大丈夫」
 フラエは息を深く吐いて、「君には、剣技でも敵わないか」と小さく笑った。そりゃあね、とディールは目を細める。
「こっちの方が騎士として過ごした月日は、長いわけだし。むしろ、フラエがこれだけ強くてびっくりだよ」
 そう? とフラエが言うと、彼は熱っぽく潤んだ瞳でフラエの肩を叩いた。強いね、と言う彼をなんだか見ていられなくて、フラエは目を逸らす。
「温度調整は、すごくよかったよ。大丈夫じゃないかな」
「うん」
 なんだか湿っぽい彼の声に耐えがたくなって、フラエは剣を鞘へと納める。そして洞窟の出口の方へ踵を返し、「帰ろうか」と歩き出した。ディールもそれに並ぶ。二人はしばらく無言で歩き、やがて山中に出る。外はすっかり暮れかけて、太陽は沈もうとしていた。
「戻ったか」
 そこにはグノシスと、侍従たちの姿があった。思わず驚いて立ち止まる二人に、グノシスがずかずかと歩み寄る。フラエの前で立ち止まり、見下ろす。
「楽しそうだな」
 フラエは思わずムッとして、睨み上げる。
「仕事をしていただけです」
 そうだな、とグノシスが言う。その声にいつもの威勢のよさを感じられず、不審に思ってフラエは彼の顔を窺った。周囲が暗いため顔色はよく分からないが、何故か少し、寂しそうに見えた。
「何を寂しがっているんですか」
 つっけんどんに言い放つと、彼は小さく囁く。
「フラエが近くにいないと、寂しいさ」
 直球の言葉に、フラエはぽかんとした。次いで頬が熱くなる。
「ば、ばか言わないでください」
 自分の言う、その響きが少し甘くてイヤになる。グノシスが小さく笑う気配が、頭の上でした。
「フラエ。また会おう」
「ええ。後日、ダンジョン攻略で」
 つんとした態度で言うフラエに、グノシスが顔を寄せた。耳元で「それ以外でも」と囁かね、肩が跳ねる。
「かわいいな」
 そう言う彼の口ぶりに熱を感じて、身体中の血が沸騰するかと思った。憎らしくなって睨み上げれば、彼は既に身体を離して立ち去るところだった。
 その小さくなっていく背中に悔しくなって、フラエは地団駄を踏む。唸りながら何度も地面を蹴りつけるフラエに、ディールは驚いたように駆け寄った。
「むかつく~!」
「こ、こら、フラエ」
 彼は落ち着かせるようにフラエの背中を叩き、「何か言われたの?」と問いかける。
「何も」
 つん、と言い放って、フラエは足早に山道を下り始めた。いくら整備された山とはいえ、完全に暗くなっては危険が伴う。
 ディールはその背中を追いかけながら、何度もフラエに声をかけた。その声も届かないくらいフラエの頭はグノシスでいっぱいで、ずっと身体がぽかぽかしていた。花の月の夜は暖かく、どこか花の甘い匂いがする。
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