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第一部

断章:新しい季節

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 ディールは王宮騎士団からダンジョン攻略者の選考会について打診が来たとき、一も二もなく参加を決めた。命の保証すらない場所へ赴くフラエを、いちばん近くで守ることができるところにいたかったから。
 フラエが危険な場所へ行くことを、止めることはできなかった。それどころか、彼は自分を見くびるなと激怒したのだ。ディールはその強さと美しさに心が震え、フラエが本来持つのだろう、高貴な精神にひれ伏したいような気持ちになる。彼はディールの花であり、叶うことなら、この気持ちと忠誠を受け取ってほしい。
 やる気に満ちあふれたディールは難なく選考を突破した。さらに都合のいいことに、ディールの実力であれば火属性ダンジョン内部で魔術師の補助もいらないだろう、と騎士団側は判断したらしい。明日にはグノシス、フラエとの顔合わせと現場視察を行い、ダンジョン攻略に向けて少しでも鍛錬を行う。幹部たちからは、そう今後の説明を受けた。
 すぐに訓練へ合流するよう指示され、騎士としての装備品の有無を尋ねられる。一部は自室に置いてある旨を伝えると、取ってきたまえと彼らはディールを見送った。
 荷物を取りに戻る途中、王宮の廊下で若い騎士に呼び止められる。
「ヘイリー殿。選考会での奮戦、拝見いたしました」
 立ち止まる。そちらを見れば、選考で一緒だった男だ。彼は、ディールへ真剣な表情で尋ねる。
「あなたは現在、騎士の身ではないと聞いています。それにも関わらず、どうしてそれほどまでに強く、ダンジョン攻略に参加しようと思うのですが?」
 彼は、選考に落ちた嫉妬から尋ねているわけではなさそうだった。その純真さにどこか気恥ずかしくて、目を伏せて答える。
「……大切な人のためです」
 彼は「それは……」と口ごもる。戸惑う彼に、ディールは微笑みかけた。フラエを思い出すと、少し胸が切ない。
「愛すべき人に忠誠を誓うのは、騎士のロマンでしょう?」
 育ちと人の良さそうな彼は頷く。君主のみならず、愛すべき人に忠誠を誓う恋愛譚は、騎士にまつわる代表的なロマンスのひとつだ。年配者たちは、「最近の流行り物は不謹慎だ」と腹を立てることが多い。しかしこうしたエピソードは、今を生きる若者たちには人気が高かった。
 彼は素直に顔を赤らめ、「うらやましいです」と率直に述べる。
 ディールは、はにかんで彼に応えた。彼の肩を叩いて、「リンカー殿は、私の花なんだ」と囁く。
「応援しております」
 騎士は微笑みを返し、立ち去った。これからもまた、訓練があるのだろう。ディールもこれから王宮騎士団の騎士たちに混ざり、身体を動かすことになる。
 研究所の方角を見て、目を細めた。春の空気はいつもどこか花のにおいを孕んでいるようで、甘い。北国よりも明るい春の色に、フラエの新緑のような瞳を思い出した。ディールがフラエとともに騎士団で過ごした北国の約三ヶ月は、ほとんどが冬だった。
 彼と新しい季節を過ごせる喜びと、彼を守ることができる喜び。ディールは胸いっぱいに空気を吸い込み、歩き出した。
 ディールは忘れていない。騎士団にいた頃のフラエの、誰よりも努力し、誰よりも強くあろうとしていた美しい姿を。その姿にずっと目を惹かれていたのに、素直になれなかったことを、ずっと恥じている。
 しかし、彼は許してくれた。フラエはディールをあまり気にかけていないようだが、これから彼の世界へ入っていけばいいのだ。彼の可憐なまでに美しい微笑みを思い出すと、自然と背筋が伸びる。

 そう浮かれるディールは、気づかない。
 なぜ自分がフラエに許されているのか。ディールのことがどうでもよかったからである。
 なぜどうでもよかったのか。ディールがフラエを認めていなかったからである。馬鹿にしていたからである。軽んじていたからである。
 彼はフラエとの関係で報われておらず、報いを受けてもいた。つまるところ、彼もまた、ひとりよがりなのだ。
 彼はいつも胸を張る。誠実であることを心がけているから。彼の誠実さの中身は、他ならぬ彼が決めたことである。そして彼はフラエに、自分が誠実であると認めてもらいたい。ディールは廊下から芝生に降りるとき、一輪の白い花を踏んだ。それを省みることはないし、ディールの顔は変わらず明るい。
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