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第一部

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 翌朝のフラエの顔は尋常でなく腫れており、それをなんとか蒸した布で押さえて非常に腫れた状態にまで復元した。
 その顔で出勤したフラエを同僚たちは特に何も言わずに迎え入れ、ミスミはいつも通りに「おはよ」と軽く挨拶した。
「それで、先週の話なんだけど」
「うん」
 フラエが話を聞くために振り返ると、彼は自分の机に並べた資料をいくつか取り上げた。何冊かの本と何本かのレポートを机の上に積み重ね、「フラエ、資料だ」と言って手渡す。
「人体再生魔術群、通称エイラ法」
 フラエはそれを受け取り、表紙に書かれた文字を読む。人体の構成・再生を研究する学者であるミスミは、「これもそれの資料だったわ」とぶつぶつ呟きながら、フラエの持つ資料の山にさらに積み重ねた。受け取った資料をひとまず自分の机の上に置く。ミスミはそれを確認するやいなや、早口にまくしたて始めた。
「通常、ヒトは一種類の魔力属性しか使えない。従って四大元素全てを用いる必要がある人体再生、ひいては治癒魔術は現状、魔術道具を使用した魔力変換・操作をもって、もしくは四大属性それぞれの魔力属性を使用可能な四人の人員を用意して施術されている」
 ミスミはフラエに資料の山を指さす。
「俺のレポート。去年の雪の月のやつ、見てくれ。人体における四大元素の組成及び効果についてまとめてあるんだが、考察の項目な」
 言われるがままに彼の最新のレポートを開く。フラエは、考察の項目を素直に読みあげはじめた。
「先述の実験により、人体内では四大元素の属性変換が行われていることが確認できた。ヒトは潜在的に全属性魔力を体内に含有していることは、多くの先行研究で確認されていることである。魔力属性変換が人体で行われていることは……」
 フラエの読み上げを我慢できなかったのか、ミスミが言葉を引き継ぐ。
「ヒトは皆、四大元素によって構成されている。現在大多数のヒトが一属性の魔力しか使用できないが、潜在的には全魔力を使用できるはずなんだ。だって、身体には全属性の魔力が含まれていて、それの変換までが行われているんだからな」
 彼は綺麗な石を自慢する子どものように目を輝かせ、「フラエ。治癒魔術が、事故現場などのまさに怪我人が発生する場所で用いられていない理由はなんだ?」と口を開く。フラエはつらつらと、そらで口述した。
「ヒトが使用できる魔力は、通常個々人によって異なる特定属性の魔力一種に限定されており、人体組成の再現・修復を一人の施術者で行えず、全属性の魔力を必要とする治癒魔術使用には特別な設備・人員・道具を必須とするため。基本的に、設備と人員の豊富な大病院でしか、四肢の再生といった大規模な施術は不可能だ」
「そうだ、一人一属性の魔力しか使えないからだ」
 ミスミは頷き、「だったら全属性使えるようにすれば、誰でも治癒魔法を使える」と突飛なことを言いだした。
「発想の転換だ。フラエ、お前は治癒魔術を練習してくれ」
 へ? と間の抜けた声が出る。「論理が飛んだよ」とミスミに指摘すると、興奮気味の彼は椅子に座り直した。ごめん、焦りすぎた、と頭を掻く。
「全属性の魔力を使用できるフラエが治癒魔術を行使するときの、魔力回路の動作を確認する。現状、ヒト体内における属性ごとの魔力回路の差異はほとんど観察されていない」
 彼の話をまとめると、こうだ。
 治癒魔術の使用のためには全属性の魔力が必要だが、ヒトは大抵一種類の魔力しか使用できない。そこで全属性の魔力が使用可能であるフラエが、全属性の魔力を必要とする治癒魔術を会得し、実際に人体へ使用する。その際の魔力の働きや動きを見ることで、何か分かることがあるかもしれない。
 治療魔術の分野は、フラエがこれまで研究してきた生殖補助分野とは、近いようで全く異なる分野だ。
「引き受けてくれるか?」
 懇願するミスミを前に、フラエは資料をぺらぺらとめくる。専門知識はそこまでない分野ではあり、勉強は必要だろう。しかし、興味が惹かれるものがある。何より、誰かの役に立つかもしれない研究だと思った。
 資料として渡された書籍を開き、目次を確認する。
「いいよ」
 フラエは、ミスミに軽く頷いた。
「僕の今の研究は、たぶんもう袋小路だっただろうし」
「ありがとう……!」
 ミスミはものすごい勢いで頭を下げる。思わずフラエが少し身体を引くと、彼はさらに追加で分厚い本をどさどさと追加してきた。
「お前はもうエイラ所長の本はほとんど読んでるだろうから、これとこれとこれを読めば俺の研究はだいたい理解できると思う。追加で質問があれば何でも俺に聞いて。あと……」
 完全に、ミスミはおおはしゃぎだ。何にせよ、ミスミは生体再生術研究者の一人である。聞きたいことがあれば、なんでも聞けるだろう。フラエは本を自分の机に並べ直し、「何から読めばいい?」とミスミに尋ねた。彼は「ちょっと待て」とメモにペンを走らせはじめる。
 フラエはそれを「焦らなくていいよ」と笑った。新しい春の光が差し込み、花の月のあたたかな空には雲一つなかった。

 生体研究室の外。施設内の廊下では、気象・地理部門の研究者たちが慌ただしく走り回っていた。
「王都西南部に強大な火属性の魔力反応。観測記録内に前例は?」
「ありません。ただし近辺の言い伝えに、該当地域には火竜が封印されているという記述があるそうです」
「霊脈の励起? 大精霊が目覚めるっていうのか」
 誰かがぽつりと言う。
「火属性ダンジョン攻略の準備を提言しないと、いけないかもな」
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