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第一部

回想:リンカー騎士団のフラエ3*

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 ダンジョンの深部へ進むにつれて、強力なモンスターも現れはじめた。しかし魔力と体力にあふれる若い騎士たちは難なく攻略を進め、すっかりフラエに対する嘲りの雰囲気も復活していた。
「リンカー、自分が役に立てていないからって僻んで、僕らに適当を言ったのか?」
 揶揄する彼らを無視する。フラエは正直、無事に帰還できればそれでいいのだ。自分が進言したことが、杞憂であればそれに越したことはない。
 しかし、ディールだけは違った。彼はフラエを嘲る仲間に便乗せず、黙々と攻略を続けていた。土属性の騎士がだんまりの彼に「返事をしたらどうだ」と横柄に言った瞬間、ディールが立ち止まる。フラエは彼の視線の先を見て、無言で剣を構えた。
「来る」
 ディールが呟いた瞬間、男の太腿ほどもある太いツタが彼へ襲いかかった。剣で応戦する彼の前方に回り込んだフラエはツタを渾身の力で切断し、「前方警戒!」と叫ぶ。油断し切っていたほかの三人はあっという間にツルに絡め取られ、悲鳴を上げながらもがいていた。剣が取り落とされ地面に叩きつけられる金属音に、フラエは思わず舌打ちした。
「ご自慢の魔術を使いなよ!」
 しかし恐慌状態に陥った彼らは呂律が回らないらしく、ずるずると奥へと引き摺られていく。
「炎よ!」
 咄嗟にディールが放った炎がツルへ向かう。焼け焦げた部分から草の嫌な臭いが立ち、騎士たちを取り落とした。受け身も取れずに落下した彼らは痛みに悶絶しており、再度彼らを狙うツルをフラエが両断した。
「クソッ」
 貴族の子息らしからぬ言動に、ディールが目を剥いた気がした。それを無視し、魔道具を使って魔力盾を展開する。渾身の力を込めて、雪のように儚い盾で全員を覆った。
「はやくデカいのをぶっ放せ!」
 半狂乱で叫ぶフラエに応じたのは、ディールだけだった。彼は剣を胸の前で真っ直ぐ構え、詠唱する。
火の精霊サラマンダーのいと高き御名を唱え、我が命を捧げん」
 途端にディールの周りの空気が熱を帯び、剣を中心に炎が巻き起こった。慌てて風属性を操る騎士が続く。
風の精霊シルフのいと高き御名を呼ぶ、我が贖いに答えよ」
 ディールの周りに風が起こり、空気を孕んだ炎がさらに高く燃え盛る。同時にフラエの魔力が尽き、盾が消えた。しかしツタは火柱の熱を警戒し、五人の周りをぐるぐると巡っている。倒れ込むフラエを、誰も気にしなかった。それほどまでにディールの炎は圧倒的だった。
「はじめに精霊ありき。火の精霊は風を呑み、火の精霊は蹂躙し、火の精霊は燃やし尽くす。汝創世の獣、ことわりの精霊、我が贖いに答えかし!」
 半ば絶叫の詠唱が終わると同時、炎の壁が迫り上がる。炎はツルをつたい、あっという間に奥へと走り、焼け焦げていくツルがのたうつ。まるで咆哮するように、ダンジョンが揺れる。フラエは震える手で魔力回復用のポーションを開け、飲み下した。手足の痺れと眩暈がなんとか治まり、一息つく。ディールを振り返ってみれば、彼は地面に倒れていた。あれほど大きな魔術を使えば仕方ないが、主戦力の彼がいなくては、帰るのに困る。
 彼を囲む取り巻きたちに「ちょっと失礼」と割り込んだ。簡単に容体を確認すると、意識はないものの呼吸は安定していた。恐らく単純な魔力切れであり、他に不調はなさそうだ。
 フラエは躊躇いなく、自分に支給されている貴重なポーションの一本を開けた。それを口に含み、横たわるディールの口へ唇をつける。とろみのあるそれを彼の咥内へ流し込めば、彼は無意識に飲みこんだが、まだ目を覚まさない。突然の行為に呆気にとられる他の騎士たちを置き去りにして、フラエはもう一本ポーションを開けた。
 結局、フラエが最後の一本を飲ませた頃、ディールは目を開けた。フラエは口元を拭いながら「目が覚めたようで何より」と彼の顔を覗き込む。彼は自分のべたつく口元を確認し、フラエの濡れた口元を見て、顔を真っ赤にした。
「ま、まさか」
「まさかって何? ポーションを飲ませていただけだよ」
 フラエが淡々と言えば、顔を赤くした彼は黙って俯いた。取り巻きたちは怒涛の展開についていけず、呆然と彼らを見守っている。
 フラエは騎士団で受けた応急手当の指導を思い出しながら、ぺたぺたと彼の身体を触る。肋骨は折れていない。眼球はおかしな揺れ方をしていない。脈は速い。脚の骨は、と確認したところで、彼の股間が張っていることに気づいた。布の盛り上がりから無関心に目を離し、「魔力酔いしたみたいだね」と、フラエはディールから離れた。
「酔いが醒めたら出発しよう」
 取り巻きたちは、非常に気まずかった。陰で「あいつなら抱ける」と噂されている可憐な同期が、街では女性からひっきりなしに声をかけられる色男に、口移しでポーションを飲ませた。この時点でかなり気まずかった。今はその色男が可憐な男に頬を染め、おそらく彼への興奮もあって勃起している。同じ男として複雑な気持ちが湧き上がり、そっと目を逸らし、帰り道へと意識を逃がした。
 だから、全員油断していたのだ。
 フラエの耳に空を切る音が聞こえる。咄嗟に剣を抜いたが間に合わず、胴体に太いツルが巻きついていた。
「ぐっ」
 強い力で締め付けられ、身体がミシミシと軋む。思わず剣を取り落としたフラエを、ツルが引きずっていく。その速さは先ほどのもてあそぶような動きとは、比較にならない。
「リンカー!」
 ディールの叫び声が聞こえた。フラエは何とか身体強化魔術をかけようとするが、それも間に合わずツルに口元を塞がれる。魔力盾を展開しようにも、魔力が足りない。
 どうする、と思考を巡らせる。拳でツルを叩いたところで、当然のようにビクともしない。
 ダンジョンの最深部へと引き摺り込まれると、そこには大きな空間があった。下には甘ったるい臭いを放つ池があり、そこからツルが何本も伸びている。くらりと酩酊して、身体が熱くなりはじめた。ツルはフラエを乱暴に池へと引きずりこみ、深く沈める。
 苦しいのに気持ちいい。絶望感と多幸感で身体が跳ねる。もがくフラエの四肢にツルが絡みつき、フラエの命の灯火が、激しく燃え尽きようとしていた。
 必死に精神の力で抗おうとしても、頭が生物的な死の恐怖に敗北する。じんわりと絶望を通り越した甘い快感を覚えはじめ、フラエはたしかに絶頂した。絶頂の中死にゆくフラエに、
 誰かの手が伸ばされた。
 気づけば、陸へと引き上げられて、転がっていた。視線を横に向ければ土属性の騎士は地面に蹲っており、彼の足元には何本もポーションの空き瓶が転がっている。水属性の騎士も、青い顔でポーションを煽っていた。
「リンカー!」
 焦った顔のディールが、フラエを覗き込んでいた。そして気まずそうに視線を逸らし、顔を真っ赤にしている。僅かに呼吸は荒く、彼もあの液体にあてられたのだと悟った。
「あいつが、ツタを操作してくれたんだ。僕はそれに捕まって、君を引き上げた。……で、そっちは、池の水を洗い流してくれた」
 どうやら彼らが、フラエの命の恩人らしい。なんとか礼を言えば、彼らは気まずそうにそっぽを向いた。
 わざわざ死の池に飛び込んだらしいディールの目は熱っぽく潤んで、フラエを一心に見つめていた。フラエはその瞳に既視感があって、そういえばグノシスがこんな目で僕を見ていたな、とひとごとのように思った。
 彼の顔が徐々に近づく。まつ毛が長い。フラエ、と熱っぽく囁く吐息が唇にかかった。キスされるのだ、と悟る。
 そして目を瞑った彼の横っ面を、フラエは勢いよく拳で殴った。動揺で心臓がバクバクと跳ねている。
 油断していた彼は呆気なく吹っ飛ばされ、ディール! と取り巻きたちが焦った声を上げる。そして極限の緊張状態の中、彼らは顔を見合わせた。そして理不尽への怒りが、不満が、フラエへと向いた。
「ディールが俺たちのために、どれだけ尽くしてくれたか忘れたのか!」
「彼のおかげで、君も僕たちも生きてるんだぞ!」
 ディールは殴られた衝撃で、再び昏倒してしまった。そして混乱の最中、誰かが、こう言い出した。
「リンカー、君はこうなるのを分かっていたんだろう!」
 フラエが驚いて口籠ると、「図星なんだな」と鬼の首をとったかのように、未熟な正義感に燃える騎士が言う。
「君は途中、最深部がこうなっていることを予想していたにも関わらず、進言しなかった」
 したよ、とフラエが反論しても、悪人に裁きを与えたい使命感に燃える若者が、胸ぐらを掴み上げる。
「下賤な民と交わるうちに、高貴な精神も失ったか!」
 その瞬間、張り詰めていたフラエの中の糸が切れた。獣のような唸り声をあげて殴りかかり、それを止めようとする騎士に噛みつく。三人を相手に大立ち回りするフラエは、気づけば、上官を前に跪かされていた。足元には三人の騎士が転がっていて、少し離れたところに、ボロボロのディールが立っている。彼は上官に「ちがうんです、リンカーは」と何やら弁明していたが、彼は聞き耳を持たず、フラエを拘束するよう命じた。
「何を泣いている」
 無表情の上官に言われて頬を撫でれば、肌がびっしょりと濡れていた。
「……いえ。何も」
 そう呟くフラエの手に、縄がかけられる。ディールが「リンカー」と呼ぶので顔を上げると、彼はぐしゃぐしゃに顔を歪めていた。
「君が彼らを殴ったなんて、嘘だよな」
「本当だよ。それに君も殴り飛ばした」
 間髪入れずに答えたフラエに、ディールはショックを受けたようだった。
「僕はダンジョンの最深部がこうなっているのに気づいていて、黙っていたからね」
 その言葉に、彼の顔色がみるみる悪くなる。僕の判断ミスなんです、フラエは悪くない、と言い募る彼を置いて、フラエは一人連行された。ディールとは、それっきりだった。

 最終的には、フラエと三人の騎士たちの両方に罰がくだされた。
 フラエには、四人を殴った罰。
 騎士たちには、フラエに濡れ衣を着せようとした罰。
 冷徹で平等な法の下、フラエには二か月の謹慎と三ヶ月の減俸が下された。騎士たちは三ヶ月の減俸らしい。
 だけどフラエは、謹慎が明けても騎士団に戻るつもりはなかった。

 花の月の真ん中。北方のリンカー公爵家領でも花が満開に咲き誇る頃、フラエは騎士団の寮を引き払った。そしてリンカー公爵家の屋敷へ自らの所有品を全て手放す旨を伝え、父親からは「二度と帰ってくるな」という返事をもらった。
「お嬢、本当に行っちまうのか」
 王都行きの船に乗ろうとするフラエの見送りには、たくさんの下級騎士たちが駆けつけてくれた。フラエは彼ら一人ずつに抱きつき、「元気でね」と背中を叩く。
 亡くした娘とフラエを重ねていた男は、泣き腫らして糸のようになった目をしていた。フラエは最後に彼に抱きついて、「僕は大丈夫だよ」と、強く背中を叩く。
「こんなことってねぇよ」
 おいおい泣く親愛なるおじさんたちに、フラエは胸を張って「僕は、元々研究者になりたかったんだ」と笑った。
「だけど実家がこうだから、騎士団に入らなくちゃいけなかった。王都に行ったら試験を受けて、どこかの研究所に入るよ。遠回りしたな」
 そう言うフラエに、誰かが笑った。みんなが泣き笑いの顔で、フラエにおめでとうと言ってくれた。フラエも涙で滲む視界で、彼らを見た。
「だから、これは、僕の門出なんだ」
 とうとう涙腺が決壊したフラエに、小汚いハンカチが差し出される。それで目元を拭いて返し、振り返らずに船へと乗り込んだ。
 フラエの乗った船は川を降り、王都近くの港へ向かう。そして船の帆が見えなくなるまで、彼の父親は、屋敷の窓からそれを見ていた。
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