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第一部
回想:リンカー騎士団のフラエ1
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卒業式後、失意のフラエは予定通り、北方にある国境近くの領地へと帰っていった。
リンカー公爵家領は広大なユーレン山脈を望み、その峰を越えれば隣国のオンヨウの領土だ。フラエの実家はオンヨウとの交流も盛んで、時に向こうの王侯貴族と姻戚関係も結んできたという。実際、フラエの祖母はオンヨウ皇室の傍流の姫だった。
閑話休題。フラエは易々諾々とリンカー騎士団の入団試験を受け、「リンカー家子息に相応しい成績」を出すことができなかった。ギリギリで合格になったフラエに父親はため息をつき、既に騎士団幹部となっている兄は馬鹿にしたように顔を歪めた。
「フラエちゃんは弱いからなぁ」
煽られても顔を歪めるだけのフラエに、兄はつまらなさそうな顔をする。これまでなら間違いなく掴みかかっていたが、それができるほどの気力はない。
入団後の配属先には貴族の子息らが多く所属しており、魔力量の多い彼らはフラエを嘲笑した。遠く身分の及ばないはずの下級騎士すら、戦闘能力に劣るフラエを馬鹿にした。平民の身ながら、腕っぷしを買われて入団を許された者たちは、尚更フラエが気に食わないようだった。
絶対に負けたくなくて、血の滲むような努力をした。筋肉がつきにくい体質で、男らしい身体つきになれない。誰よりも身体をいじめた。生まれつきの魔力が周りと比べて圧倒的に少ない。誰よりも魔術訓練で頭を使った。
そうしたフラエの努力を最初に認めたのは、下級騎士や平民出身者たちだった。
「お嬢、こっちに来な」
休日。食堂で夕食をとっていたフラエに、酒を飲んで赤ら顔になった、平民らしい中年の男が声をかける。外出先では相当飲んでいたのだろう、酒の匂いがつんと鼻についた。泥酔した彼を警戒して身構えると、彼は太い毛むくじゃらの腕を広げる。びく、と震えるフラエに構わず、彼は「あんた、頑張ってるなぁ」と強く抱きしめオイオイと泣き始めた。どこからか湧いてきた下級騎士たちと平民出身の団員たちがすぐに男を引き剥がし、曲がりなりにも大貴族であるフラエに青い顔で跪く。
泥酔した男はといえば、「こーんなに若いのに」「リリーが生きてりゃ同い年だ」と泣きじゃくっていた。フラエは混乱しながらも跪く男たちを片手で制し、泣きじゃくる男の前に膝をついた。
「リリーとは、誰なんだ?」
「俺の一人娘だよ」
彼は目からぼろぼろ涙をこぼしながら、「お嬢とそっくりな黒髪でなぁ」と続ける。
「この辺りでいちばんの美人だった、親の欲目って言われたけど、そんなんじゃあねえ」
いまいち要領を得ない彼の話を要約すると、数年前に流行病で亡くした娘の面影をフラエに見出しており、さらに同い年であることから、同情しているとのことだった。フラエはなんだか胸がいっぱいになって、男の肩を叩く。人のあたたかさに久しぶりに触れて、自然と笑みがこぼれた。
「おじさん……」
途端に、周りの空気が怪しくなった。何人かは肩を小刻みに震わせ、それを隣の者が小突く。フラエはそれに気づかないで彼らを見下ろし、「おじさんたちも楽にしていい」と鷹揚に言った。その瞬間、空気が爆発する。
「おじさんだってよ!」
お貴族様がおじさん、と爆笑する彼らに、フラエはちょっと怯えた。酒臭い男は「嬢ちゃんも大変だなぁ」とまたフラエに抱きつき、その髭が生えた頬をじょりじょり擦りつける。
「僕は男だよ」
「嬢ちゃんはかわいいなぁ、リリーにそっくりだぁ。あの子が三歳くらいのときにゃ、パパのお髭が好きで好きで……」
なでくり回され、まとめていた髪はすっかりぐちゃぐちゃだ。髭が痛くて顔を顰めるフラエに、下級騎士たちがもう一度笑う。フラエも思わず、つられて笑った。後日リリーという娘の似姿を見せてもらったが、別に大して似ていなかった。
その日を境に、フラエは下級騎士たちと交流を持つようになった。彼らのあけすけな物言いでフラエの至らないところを指摘されても、不思議と腹が立たない。素直に気をつけようと思えた。
「お嬢はちっと喧嘩っ早い。もうちょっと我慢した方が得だぜ、先に手ェ出したら悪者にされちまう」
「あんたは素直でかわいいなぁ。けど、物言いには気をつけろよ。俺たちにゃ構わんが、お貴族様ってのはそうもいかないんだろ」
「だけど自分が悪かったって謝れるのと、自分ができないことをできないって言えるお嬢は、いい子だな」
熊のような見た目で粗野な態度の彼らは、フラエを自分の子どもや弟のように扱った。こんな風に庇護の対象として見られると、気恥ずかしい。それと同じくらい、心が満たされた。
当然ながら上級騎士はじめ貴族たちは、それが気に食わなかった。
リンカー公爵家領は広大なユーレン山脈を望み、その峰を越えれば隣国のオンヨウの領土だ。フラエの実家はオンヨウとの交流も盛んで、時に向こうの王侯貴族と姻戚関係も結んできたという。実際、フラエの祖母はオンヨウ皇室の傍流の姫だった。
閑話休題。フラエは易々諾々とリンカー騎士団の入団試験を受け、「リンカー家子息に相応しい成績」を出すことができなかった。ギリギリで合格になったフラエに父親はため息をつき、既に騎士団幹部となっている兄は馬鹿にしたように顔を歪めた。
「フラエちゃんは弱いからなぁ」
煽られても顔を歪めるだけのフラエに、兄はつまらなさそうな顔をする。これまでなら間違いなく掴みかかっていたが、それができるほどの気力はない。
入団後の配属先には貴族の子息らが多く所属しており、魔力量の多い彼らはフラエを嘲笑した。遠く身分の及ばないはずの下級騎士すら、戦闘能力に劣るフラエを馬鹿にした。平民の身ながら、腕っぷしを買われて入団を許された者たちは、尚更フラエが気に食わないようだった。
絶対に負けたくなくて、血の滲むような努力をした。筋肉がつきにくい体質で、男らしい身体つきになれない。誰よりも身体をいじめた。生まれつきの魔力が周りと比べて圧倒的に少ない。誰よりも魔術訓練で頭を使った。
そうしたフラエの努力を最初に認めたのは、下級騎士や平民出身者たちだった。
「お嬢、こっちに来な」
休日。食堂で夕食をとっていたフラエに、酒を飲んで赤ら顔になった、平民らしい中年の男が声をかける。外出先では相当飲んでいたのだろう、酒の匂いがつんと鼻についた。泥酔した彼を警戒して身構えると、彼は太い毛むくじゃらの腕を広げる。びく、と震えるフラエに構わず、彼は「あんた、頑張ってるなぁ」と強く抱きしめオイオイと泣き始めた。どこからか湧いてきた下級騎士たちと平民出身の団員たちがすぐに男を引き剥がし、曲がりなりにも大貴族であるフラエに青い顔で跪く。
泥酔した男はといえば、「こーんなに若いのに」「リリーが生きてりゃ同い年だ」と泣きじゃくっていた。フラエは混乱しながらも跪く男たちを片手で制し、泣きじゃくる男の前に膝をついた。
「リリーとは、誰なんだ?」
「俺の一人娘だよ」
彼は目からぼろぼろ涙をこぼしながら、「お嬢とそっくりな黒髪でなぁ」と続ける。
「この辺りでいちばんの美人だった、親の欲目って言われたけど、そんなんじゃあねえ」
いまいち要領を得ない彼の話を要約すると、数年前に流行病で亡くした娘の面影をフラエに見出しており、さらに同い年であることから、同情しているとのことだった。フラエはなんだか胸がいっぱいになって、男の肩を叩く。人のあたたかさに久しぶりに触れて、自然と笑みがこぼれた。
「おじさん……」
途端に、周りの空気が怪しくなった。何人かは肩を小刻みに震わせ、それを隣の者が小突く。フラエはそれに気づかないで彼らを見下ろし、「おじさんたちも楽にしていい」と鷹揚に言った。その瞬間、空気が爆発する。
「おじさんだってよ!」
お貴族様がおじさん、と爆笑する彼らに、フラエはちょっと怯えた。酒臭い男は「嬢ちゃんも大変だなぁ」とまたフラエに抱きつき、その髭が生えた頬をじょりじょり擦りつける。
「僕は男だよ」
「嬢ちゃんはかわいいなぁ、リリーにそっくりだぁ。あの子が三歳くらいのときにゃ、パパのお髭が好きで好きで……」
なでくり回され、まとめていた髪はすっかりぐちゃぐちゃだ。髭が痛くて顔を顰めるフラエに、下級騎士たちがもう一度笑う。フラエも思わず、つられて笑った。後日リリーという娘の似姿を見せてもらったが、別に大して似ていなかった。
その日を境に、フラエは下級騎士たちと交流を持つようになった。彼らのあけすけな物言いでフラエの至らないところを指摘されても、不思議と腹が立たない。素直に気をつけようと思えた。
「お嬢はちっと喧嘩っ早い。もうちょっと我慢した方が得だぜ、先に手ェ出したら悪者にされちまう」
「あんたは素直でかわいいなぁ。けど、物言いには気をつけろよ。俺たちにゃ構わんが、お貴族様ってのはそうもいかないんだろ」
「だけど自分が悪かったって謝れるのと、自分ができないことをできないって言えるお嬢は、いい子だな」
熊のような見た目で粗野な態度の彼らは、フラエを自分の子どもや弟のように扱った。こんな風に庇護の対象として見られると、気恥ずかしい。それと同じくらい、心が満たされた。
当然ながら上級騎士はじめ貴族たちは、それが気に食わなかった。
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