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16. それは今じゃない
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夜の帰り道はまだ蒸し暑い日も多くて、だけど今日は、少し涼しい。春斗は千紘の前での緊張を、ほどくことができずにいた。
彼に優しくされるたびに下心を疑ってしまう。千紘が春斗を好きになったのだって、春斗の持つ性のせいじゃないかと思っていた。
「春斗くんは、かわいいね」
今日だって千紘は、春斗をかわいがる。愛撫するような声色に、表情に、春斗はいつもくらくらした。彼は千紘に、とにかく与えたがる。言葉も、食べ物も、贈り物も、春斗が受け止められないぎりぎりまで、千紘は与えた。はちきれそうになる。
「かわいくないです」
そう言う自分の声は、どこかだらしなく潤んでいた。千紘はうっそりと目を細めて笑い、「そういうところ」と囁く。
彼の声もそうだけど、目が、表情が何よりも雄弁だった。千紘はどこからどう見ても春斗を甘やかしたがっていて、愛かもしれない濃くてどろどろの何かで春斗を包む。
本当に、愛なんじゃないか。最近はちょっと、信じたくなってきてしまっていた。こんなに甘い誘惑が近くにあって、堕ちてしまわない方が難しい。
「また、一緒に出掛けない?」
千紘が、繋いだ手を揺らして言う。春斗はカーディガンを羽織り直し、「どこに?」と尋ねた。千紘は指折り、春斗と行きたいのだという場所を数える。
「最近できたっていうカフェで一緒にパフェを食べたいし、映画も観にいきたいな」
「映画は何を観るんですか?」
「適度に面白そうじゃなさそうなやつ」
思わず面食らう春斗に、千紘はいたずらっぽく笑った。
「あんまり面白い映画は、デートには向かないんだよ。面白いとそっちにばかり意識が向いて、その後の話が映画の感想だけになるから」
普通は、逆じゃないんだろうか。春斗が目を瞬かせると、千紘は器用に上目遣いで顔を覗き込んでくる。
「俺、映画に負けたくないんだ。春斗くんも俺の話をしてよ」
「なんですか、それ」
春斗が呆れて笑うと、千紘も声を上げて笑う。その声があんまり幼気で純粋だったから、春斗はうっかり、胸のあたりにつかえていたものが、少し緩んでしまった。
「負けず嫌いにもほどがあるだろ」
ぽろりとこぼれた言葉を聞き逃さず、千紘が「春斗くん限定でね」と、腕を引いた。電灯の光が降り、二人の影が長く伸びる。夜の雑踏で、驚くくらい二人の身体が近かった。千紘の熱い手が春斗を掴んで離さなくて、春斗もこのままでいいかもしれない。
おれの気持ちはどうなんだろう。春斗は彼を見上げて「千紘さんは」と名前を呼んだ。
彼は高い背を屈めて春斗に耳を近づける。だから春斗も、小さな声で尋ねることができた。
「おれのこと、好きなんですか」
「そうだよ」
「めちゃくちゃ食い気味で言う」
呆れていいのか、照れていいのか、それとも喜んでいいのか。どうにも反応に困る。
「うん。好きだよ?」
重ねて言う千紘の声は軽くて、優しくて、やっぱり春斗を撫でて蕩かそうとする。どうにもならなくなって俯く春斗に、「耳まで赤い」と、千紘がからかうように言った。ちらりと様子を窺うと彼のその顔も赤くて、春斗はいけないものを見てしまった気持ちになる。
「……暑いですね、今日も」
咄嗟につまらない言い訳を口走る春斗を、千紘は「そう」と否定も肯定もしなかった。ただ春斗の手の甲を親指の腹でなぞって、「でも、手は繋ぐでしょ」と指を絡めた。
解いてはいけない、と咄嗟に握り返した。気がかりなことはずっと、喉の奥で引っかかって、言葉になりかけている。だけど今日は、そんなことを言う必要を感じなかった。
じっとりと背中に汗をかく。掌の中に熱が籠っていく。彼の言葉と行動は春斗を溶かして、とろとろに潤ませて、あと少しでかたちがなくなりそうだ。
こんなのに甘えずにいられるほど、春斗は強くない。千紘がエロい春斗を好きでも、春斗が肉体的な結びつきを信じられなくても、この手の熱さには何もかもが負ける。
身体目当てでも別にいいかな、と思ってしまうくらい、この瞬間の春斗は揺れていた。
「千紘さんって、俺とえっちしたいんですよね」
まぁ……うん……と、歯切れ悪く千紘が頷いて、何も見えない夜空を見上げた。
「したい」
「します? 今から」
じっと彼を見つめる。千紘は返事を寄越さずに、春斗の手を強く握って、うんうん唸りはじめてしまった。二人の間で会話のない時間がたっぷり続いた後、千紘が再び口を開く。
「春斗くんは、したいの?」
「分かんないです」
そっかぁ、と千紘は優しく笑った。
「じゃあ、しない」
春斗はその返事に、こくりと頷いた。無意識に食いしばっていた歯がゆるみ、ほっと息を吐く。千紘は「いつかはしたいよ」と、春斗の肩に寄り添った。
「でも、今じゃないみたいだ」
ちょうどその時、彼は手を離した。ちょうど春斗が電車に乗る駅に着いたから、彼は別れのために手を振る。
「またね。帰ったら連絡するから」
そう言って、彼はあっさりと夜の雑踏へと消えていった。あ、と春斗の声が街の音に紛れて届かない。
離した手が少し冷たくて、もうちょっとだけ繋いでいたかった。
彼に優しくされるたびに下心を疑ってしまう。千紘が春斗を好きになったのだって、春斗の持つ性のせいじゃないかと思っていた。
「春斗くんは、かわいいね」
今日だって千紘は、春斗をかわいがる。愛撫するような声色に、表情に、春斗はいつもくらくらした。彼は千紘に、とにかく与えたがる。言葉も、食べ物も、贈り物も、春斗が受け止められないぎりぎりまで、千紘は与えた。はちきれそうになる。
「かわいくないです」
そう言う自分の声は、どこかだらしなく潤んでいた。千紘はうっそりと目を細めて笑い、「そういうところ」と囁く。
彼の声もそうだけど、目が、表情が何よりも雄弁だった。千紘はどこからどう見ても春斗を甘やかしたがっていて、愛かもしれない濃くてどろどろの何かで春斗を包む。
本当に、愛なんじゃないか。最近はちょっと、信じたくなってきてしまっていた。こんなに甘い誘惑が近くにあって、堕ちてしまわない方が難しい。
「また、一緒に出掛けない?」
千紘が、繋いだ手を揺らして言う。春斗はカーディガンを羽織り直し、「どこに?」と尋ねた。千紘は指折り、春斗と行きたいのだという場所を数える。
「最近できたっていうカフェで一緒にパフェを食べたいし、映画も観にいきたいな」
「映画は何を観るんですか?」
「適度に面白そうじゃなさそうなやつ」
思わず面食らう春斗に、千紘はいたずらっぽく笑った。
「あんまり面白い映画は、デートには向かないんだよ。面白いとそっちにばかり意識が向いて、その後の話が映画の感想だけになるから」
普通は、逆じゃないんだろうか。春斗が目を瞬かせると、千紘は器用に上目遣いで顔を覗き込んでくる。
「俺、映画に負けたくないんだ。春斗くんも俺の話をしてよ」
「なんですか、それ」
春斗が呆れて笑うと、千紘も声を上げて笑う。その声があんまり幼気で純粋だったから、春斗はうっかり、胸のあたりにつかえていたものが、少し緩んでしまった。
「負けず嫌いにもほどがあるだろ」
ぽろりとこぼれた言葉を聞き逃さず、千紘が「春斗くん限定でね」と、腕を引いた。電灯の光が降り、二人の影が長く伸びる。夜の雑踏で、驚くくらい二人の身体が近かった。千紘の熱い手が春斗を掴んで離さなくて、春斗もこのままでいいかもしれない。
おれの気持ちはどうなんだろう。春斗は彼を見上げて「千紘さんは」と名前を呼んだ。
彼は高い背を屈めて春斗に耳を近づける。だから春斗も、小さな声で尋ねることができた。
「おれのこと、好きなんですか」
「そうだよ」
「めちゃくちゃ食い気味で言う」
呆れていいのか、照れていいのか、それとも喜んでいいのか。どうにも反応に困る。
「うん。好きだよ?」
重ねて言う千紘の声は軽くて、優しくて、やっぱり春斗を撫でて蕩かそうとする。どうにもならなくなって俯く春斗に、「耳まで赤い」と、千紘がからかうように言った。ちらりと様子を窺うと彼のその顔も赤くて、春斗はいけないものを見てしまった気持ちになる。
「……暑いですね、今日も」
咄嗟につまらない言い訳を口走る春斗を、千紘は「そう」と否定も肯定もしなかった。ただ春斗の手の甲を親指の腹でなぞって、「でも、手は繋ぐでしょ」と指を絡めた。
解いてはいけない、と咄嗟に握り返した。気がかりなことはずっと、喉の奥で引っかかって、言葉になりかけている。だけど今日は、そんなことを言う必要を感じなかった。
じっとりと背中に汗をかく。掌の中に熱が籠っていく。彼の言葉と行動は春斗を溶かして、とろとろに潤ませて、あと少しでかたちがなくなりそうだ。
こんなのに甘えずにいられるほど、春斗は強くない。千紘がエロい春斗を好きでも、春斗が肉体的な結びつきを信じられなくても、この手の熱さには何もかもが負ける。
身体目当てでも別にいいかな、と思ってしまうくらい、この瞬間の春斗は揺れていた。
「千紘さんって、俺とえっちしたいんですよね」
まぁ……うん……と、歯切れ悪く千紘が頷いて、何も見えない夜空を見上げた。
「したい」
「します? 今から」
じっと彼を見つめる。千紘は返事を寄越さずに、春斗の手を強く握って、うんうん唸りはじめてしまった。二人の間で会話のない時間がたっぷり続いた後、千紘が再び口を開く。
「春斗くんは、したいの?」
「分かんないです」
そっかぁ、と千紘は優しく笑った。
「じゃあ、しない」
春斗はその返事に、こくりと頷いた。無意識に食いしばっていた歯がゆるみ、ほっと息を吐く。千紘は「いつかはしたいよ」と、春斗の肩に寄り添った。
「でも、今じゃないみたいだ」
ちょうどその時、彼は手を離した。ちょうど春斗が電車に乗る駅に着いたから、彼は別れのために手を振る。
「またね。帰ったら連絡するから」
そう言って、彼はあっさりと夜の雑踏へと消えていった。あ、と春斗の声が街の音に紛れて届かない。
離した手が少し冷たくて、もうちょっとだけ繋いでいたかった。
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