サキュバスくんが執着御曹司に溺愛されるまで

鳥羽ミワ

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5. 飢餓*

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 千円札を毎週土曜日の夜、千紘に渡す。彼が現金を受け取ったら、一緒に食事をする。それがすっかり日常になった頃、千紘とは全く別のことで、春斗は頭を悩ませていた。

 お腹が減ってたまらないのだ。それも、いわゆる食欲ではない方で。

 春斗は仕事を終えて帰宅してすぐ、食事をかきこむ。シャワーを浴びて寝る支度を整え、すぐにベッドに上がる。そうしないと、眠る時間が確保できないからだ。
 寝床に入り、すぐに下半身の衣服を取り払う。ごろりと横になって、股を擦り合わせた。性器がじんじんと火照り、腹の奥が切ない。

 毎晩、春斗はベッドの上で丸まって自らを慰めている。性衝動の根本的な解決には至らないとしても、その瞬間だけは満たされるのだ。
 本能が求めるままに、後孔に手を伸ばす。そこはすっかり熱く潤んで、指を入り口に添えれば、吸い付くように収縮した。

「も、やぁ……」

 指を突っ込んで動かせば、愛液で淫靡な水音が立つ。淫魔という種族は見た目の性別を問わず、孕ませることも孕むこともできる。春斗は身体を火照らせながら、子種を求める自らの本能にむせび泣いた。
 身体が熱くて、腹の奥が切なくて、腰がへこへこと揺れる。呼吸がだんだん浅く早くなる。くぅ、と背中が反った。身体の奥からとぷとぷと蜜があふれ出て、ベッドに敷いてあるバスタオルに染みていく。

「あ、っあ、ふ、…ん、あっ」

 首を横にぱたぱたと振りながら、必死に胎内をまさぐる。つま先が丸まって、シーツを引っかいた。いちばん感じるしこりを指の腹で押し潰し、勃起した花芯を擦って絶頂を目指す。

「ん、ひっ」

 呆気なく腰が跳ねて、ぱたぱたと精があふれた。ほんの一時の多幸感に身を委ね、春斗はゆっくりと、眠りの中に身を投げ出した。
 こうして自慰行為でその場をしのぎ、なんとか毎日眠っている。だけど決まって眠りは浅く、いつも下腹部が重たく疼いて目が覚める。

 実家の、同じく淫魔の母に相談しようかとも思った。思春期時代に散々この類の衝動を突っぱねてきたことを思い出して、申し訳なくなってやめた。春斗は自分自身を受け入れられなくて、それを散々、自分を生んだ母のせいにしてしまったことがある。

 だるさを訴える身体を無視して、身支度を整える。根本的な解決には人の精を「食べる」必要があるが、気は進まない。

 このままで大丈夫なはずはないと思っている。だけど、今日、今すぐ、解決しなくてもいい問題のはずだ。
 自分にそう言い聞かせ、シャツに腕を通す。いつも通り出勤する準備を整えて、家を出た。
 店長は最近よく、物言いたげに春斗を見る。それに気づかないふりをして、春斗は働き続けた。土曜日の夜には千紘が訪れ、千円札を渡す。

 それが彼の手段であって、目的ではないことくらい、とっくに春斗は分かっていた。

「春斗さん、最近疲れてる?」

 千紘が気づかわしげにこちらを窺う。あれ、と春斗はぺたりと頬に手を当てた。

「そんなに、元気ないように見えます?」
「なんとなく」

 彼の手が、春斗へと伸ばされる。ぴたりと指が平熱の額に添えられ、春斗はぼんやりと千紘を見つめた。彼の瞳は思ったよりも深い黒色をしていて、吸い込まれそうなくらいだと、やっと春斗は知った。

「熱はないみたい」
「寝不足気味、なんです」

 ふうん、と気のない返事をして、千紘は手を離した。春斗の鼓動が少し早くなり、誤魔化すようにグラスについた水滴をなぞる。

「最近暑いからね。寝苦しいんじゃない?」

 そうですね、とあいまいに肯定する。季節は初夏を通り過ぎようとしていた。少しずつ冷房の必要な日は増えてきたとしても、本当の理由はそれではない。

 口ごもる春斗をよそに、店長が食事を運んでくる。

 春斗が注文したナポリタンに、千紘が注文したカルボナーラのドリンクセットが二つ。千紘は食事に手をつけ始めた。春斗もそれに続いて食べ始めるが、どうしても集中できない。
 彼の手がくるくるとパスタを巻く様や、口を開けて物を食べる様。そして時折、こちらを見る瞳。
 彼が食べ終わっても、千紘はまだ半分も食べられていなかった。千紘は春斗が食べる様子をじっと見つめていて、正直、ものすごく、居心地が悪い。

「……なんで、そんなに見るんですか」
「かわいいから」

 いつものように、千紘は春斗をかわいいと言う。はいはい、と軽く受け流すふりをした。
 本当は、撫でまわすような視線に、そわそわと身体が浮き立っている。欲求不満な身体は食欲を性欲で上書きして、「違うもの」が食べたくなる。
 目の前の彼が、食べたい。

「ん、」

 こんなことで興奮するなんて、おかしい。熱に浮かされた指でフォークを操り、パスタを巻く。ナポリタンにするんじゃなかった、と後悔した。
 この人に、みっともなく口周りを汚した姿を見られたくなかったと、今になって気づいた。
 なんとか最後の一口を口に入れると同時に、千紘が紙ナプキンを差し出す。咀嚼している春斗の唇に真っ白なそれが押し付けられ、赤く汚れた。

「かわいい」

 だからそれをやめてほしい。愛撫するような視線に、ぞくぞくと腰の奥から衝動が這い上がってきた。
 千紘は食事が下手な子猫にしてやるように、春斗の口周りを拭う。きれいになった、と囁く声にまで感じてしまいそうで、春斗はちいさく震えた。

「春斗くんって、恋人はいるの?」

 低い声で彼が尋ねる。ふるふる首を横に振ると、千紘は「そっか」と笑い混じりに言った。

「いくらでもできそうなのに」

 また首を横に振る。恥ずかしさと、それだけではない何かで、いっぱいいっぱいだ。

「おれ、あんまり、そういうのは」

 そう否定する声が甘えを滴らせている。濡れた声に、千紘の喉仏が上下するのが、見えた。

「嫌なの?」
「はい」
「そんなに?」
「はい」

 頷く。千紘は「そっか」と、今度は静かに頷く。ぱ、とにこやかに微笑んだ。明らかに彼の雰囲気が切り替わり、湿っぽい春斗の身体が場違いになる。

「春斗くん、体調がよくないみたいだし、帰るね」

 お大事に。彼はそう言って伝票を持って立ち上がり、春斗はじっと、そこに座っていた。本当は立ち上がって、会計をしなければいけない。だけど今立ち上がると、何をするのか、自分でもよく分からなかった。
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