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アンリ、王子に抱きしめられる

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 とぼとぼと裏庭に現れたアンリを見て、レオナードは怪訝な表情で首を傾げた。いけない、と背筋を伸ばして、無理に微笑みかける。ゆっくり右手を伸ばして、レオナードに向けた。

「それじゃあ、今日も練習をはじめましょうか」
「何かあったのか」

 ぎくり、と視線をそらす。次の瞬間には、真剣な目つきのレオナードに手首を掴まれていた。

「何かあったんだろう」
「なにもないです」
「何もない顔じゃない」

 どうすればいいんだろう。アンリは途方に暮れて、ただレオナードの瞳を見つめた。その紫の瞳は熱く、見つめられるだけで身体が火照っていく。
 レオナードは視線を逸らすこともできないアンリを引き寄せて、腕を掴んだ。

「何か言われたのか」
「言われた、というか」

 ぼそぼそと呟くアンリに、レオナードは口を引き結んだ。じっとアンリを見下ろす彼の目を見られなくて、俯く。

「殿下は、ウィンストン嬢たちと、お茶会の約束をしていらっしゃるんですよね。ウィンストン嬢は、殿下の婚約者候補と聞きました」

 レオナードが息をのむ。アンリは苦く笑って、頭をかいた。

「そのお約束があるなら、僕との練習ばかりじゃ、よくないんじゃないですか?」
「どうしてだ」
「せっかく、殿下の世界は広いんですから。僕が狭めるのは心苦しい」

 卑屈な言葉が口から飛び出した。だけどアンリの本心だった。
 そろりとレオナードを見上げると、彼はぐっと腕を掴む力を強める。思わず息をのむと、彼はぎろりとアンリを睨んだ。

「俺の気持ちと行動を、お前が決めるな」
「決めていないです。僕の気持ちの話をしています」

 アンリが反論すると、レオナードはぐっと唇を噛んだ。その手がゆっくり離れ、そして彼は両手を広げてアンリの前に立つ。

「来い」

 え? と声を上げるアンリに対して、レオナードは腕を広げ続ける。

「ん」

 催促するように顎を引き、アンリを睨む。頬がほんのりと赤く染まり、怒りも露わに「来い」とゆっくり腕を広げた。

「え、えっと……」

 恐る恐る歩み寄るアンリを、レオナードが捕まえる。そのままゆっくりアンリを腕に収めて、彼は息を吐いた。
 アンリの思考が、一瞬止まる。

「僕たち、何をしているんですか?」
「さあ」

 意味もなく声を潜めて、二人は囁き合った。アンリが身じろぎするたび、レオナードの腕の力が強くなる。

「これくらい、俺はお前といたいんだぞ」

 まずい、と頭の中で警鐘が鳴る。ジャケットの内側に仕込んだナイフがばれてしまう。体温が近い。吐息が熱い。
 なんとか逃れようと身じろぎをしても、彼は決してアンリを離そうとしなかった。

「殿下、いいですから」
「俺がよくない」

 身体が密着する。身を固くするアンリに構わず、レオナードは熱っぽい声で囁く。

「どうなんだ? 俺に抱きしめられて。嬉しくないのか?」
「わ、分かりません」

 胸越しにレオナードの心臓の音が、痛いほど伝わってくる。腕の力強さも声の甘さも、彼のうなじのにおいも、全てがアンリをめちゃくちゃにする。

「やめてください……」

 そう反抗する自分の声が甘ったるい上に、アンリの手はそっとレオナードの服の裾を掴んでいた。そうか、とレオナードが低い声で笑った。

「嫌なら、やめる」

 ぱっ、とレオナードが身体を話した。そしてアンリの顔を見て、得意げに目を細める。

「本当に、嫌か?」

 その聞き方は、ずるい。アンリはレオナードをきっと睨みつけ、「いやだったらどうするんですか」と反抗した。だけどその声だって甘えたに揺れていて、レオナードは肩を揺らして笑う。

「嫌じゃないんだな」

 アンリは屈辱で口をへの字に曲げた。俯いて上目遣いにレオナードを睨みつける。その反応に、やはりレオナードは満足そうに笑っていた。

「で、こんなことを俺にされておいて、お前は」

 レオナードが、アンリの耳元へ手をやる。ピアスをそっと指の腹でなぞって、わざわざ耳元で囁いた。

「お前以外の奴のところへ行けって言うのか?」
「僕が言いたかったのは、そういうことではないです。殿下が僕とばかり過ごされるのは、心苦しいと言いました」

 まだ噛みつくアンリに、レオナードは諭すようにその青い瞳を覗き込んだ。

「お前は、俺に群がる奴らに、妬まれたんだ。それで傷ついたんだな?」

 無言のアンリに、レオナードは「そんなの、くだらない」と真っすぐ言った。その傲慢さに、アンリは目を細める。

「俺が今一緒にいたいのは、アンリだけだ。他の奴らといても楽しくない」

 そう言われるだけで、これまでずっと澱んでいた胸が軽くなる。一瞬で明るい気持ちになったのが、かえって恥ずかしかった。視線を逸らすアンリに、レオナードは頬に手を添えて無理矢理そちらを向かせる。

「お前の心苦しさより、俺の意思を優先させろ」

 横暴だ。アンリの顔が真っ赤になる。怒りや羞恥や、それ以外の胸が沸き立つような何かが全身を駆け巡った。
 認めたくない。レオナードに求められている喜びが、どくどくと心臓を打ち鳴らしているなんて。

「……は、い」

 身体が熱い。じんわりと目が潤む。レオナードは「やっと分かったか」とアンリから離れ、自身の右手を差し出す。

「やるぞ」
「はい」

 アンリはその手を握り返した。今日も二人きりの練習がはじまる。
 レオナードの一片の曇りもない好意が嬉しい。アンリは何を返せるのだろうか。

 そもそも、何かを返すことを、許されるのだろうか。アンリはレオナードを殺すためにここにいる、彼の敵だ。

 明るくなった心の奥底から、アンリも気づかないうちに、じわりと黒いものが滲んでいった。
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