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本編
No,127 【十年愛】 No,12
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今、瞳の前では、俺の愛しい真唯が、幸せそうにケーキを頬張っている。
あまりに自分に都合の良い現実が信じられなくて、ついうっとりと眺め入りたくなるのを必死に堪える。
……真唯にとっては、まだ俺は、二度目に偶然会えた知人に過ぎないのだから……
※ ※ ※
真唯の行動パターンは、大体把握している。
参拝の小旅行に行く事のない週末は、意外にお寝坊さんである事も。
そして本棚に鎮座する、真唯が言うところの【My 神棚】にお供えする線香の消費量も。
……そろそろだな……
にらんでいた通り、この週末は例のあの店に行く事にしたようだ。
少なくなっている線香の入っている箱の中身を見て、眉根を寄せて困っている表情で理解る。
万が一、この勘が外れたら、それはそれで構わない。
次の機会を狙えば良い。
……7年間待ったのだ。
一応の知り合いにはなれたのだから、あちらからのアクションがなければ、こちらから動けば良い。偶然を装うチャンスはいくらでもある……
俺は真唯が自宅でブランチをとり、出掛ける頃合いを見計らって網を張った。
煩わしい秋波を伴った気配とは明らかに異なる視線を感じて、俺は店長と話していた視線を店外に向けた。
そしてそこに、狙った獲物がかかってくれている事に、歓喜に上がりそうになる口角を堪え、偶然に出会えた事に驚く表情を作る。
「こんにちは、真唯さん。お久し振りです。」
意識せずとも、にっこりとした最上の笑顔を浮かべてしまう俺に、真唯は赤くなるどころか、素直にポカンとして呆けた表情をしてくれる。
……ああ、真唯…!
……なんて、可愛いんだ…!!
「…こ、こんにちは。一条さんもお香を買われるんですか…?」
「ええ。自分が聞くのでなくて、取引先への贈答品なのですがね。」
「…ああ、それでこのコーナーに…さすが一流企業の専務さんですね。」
「ちょうど良かった、真唯さん! 私を助けては頂けませんか?」
「…は? 私が、一条さんを助けるんですか?」
「ええ。実は貴女のブログに載っていた香炉と香木を持参したところ、大層喜ばれましてね。」
「…え? …このコーナーにあった香炉って、もしかして…!?」
真唯の贔屓のお香の店。【銀座 香十】は、銀座○アビルの中に店舗が入っているのだが、1つのフロアーに2軒の店がある。1軒は、一般の人々が普段使い出来る線香や和風小物が品良く並べられている。しかし俺がいたのは、もう1軒の方だ。そこには専門的で高価な香炉が、まるで博物館のように陳列されている。真唯はこちらのコーナーに飛び込んでくると、「…も、もしかして、コレの事ですかっ!?」と指差して興奮しているが、何もそんなに震えなくとも……
「ええ、そうですよ。」
「…って、そんな簡単に! これって、0が8個もあるんですよっ!?」
「…実は、ある中東の王族の方でしてね。8個どころか、9個や10個もあるような宝石を普段使いしている方なんですよ。」
「…さ、さようでございますか…」
「そんな訳で、真唯さん。貴女のお知恵を拝借したいんですが。」
「…お知恵と言われても…私は、お香にそんなに詳しい訳じゃありませんから。」
「ああ、言い換えましょう。
…貴女の、今、お部屋に飾ってみたいのは、どれですか?」
「…ハ? …私の部屋でしたら、あちらの別のコーナーにあるので充分ですから…」
「…真唯さん…」
「…え…えーとですねェ~~、…コレ…かな?」
そう言って真唯が指差したのは、九谷焼の茶香炉だった。
……ふむ、お茶か……それは考えなかったな……うん、悪くない。
「ご店主。これを頂けますか。」
「はい、ありがとうございます!」
「ちょ、ちょっと、待って下さい!」
俺と店主の遣り取りに割り込んで来たのは、当然、真唯。
「…何か?」
「そ、そんなに簡単に決めないで下さい!!」
「簡単にではありませんよ。どれも今一つ気に入らなかったのですが、さすが真唯さんはお目が高い。」
「だ、だって、王族の方にそんな物…!」
「そんな物ではありませんよ、お嬢さん。外国の方でしたら、却って喜ばれると思います。わたくしどもも、自信を持ってお薦め出来ます。」
俺と真唯の会話に割り込んで来たのは店主。彼女との会話に口を出されるのは少々腹立たしいが、店主にここまで言われてしまえば真唯も引き下がるを得まい。
ウゥ~~ッと唸っている様子が、毛を逆立てる子猫のように愛らしい。
俺はにっこりと、心からの笑みを浮かべて真唯を見降ろした。
※ ※ ※
「そのナントカ殿下に取引を中止されても、責任なんかとれませんからね!」
「まだ、そんな事をおっしゃっているんですか。大丈夫。きっと、アフザル殿下は気に入って下さいます。ついでに、日本茶にも興味を持って下さるでしょう。」
「…だったら、良いんですけど…」
「ついでに、殿下には貴女のブログも読んで頂きたいですね。 …真唯さん、【強引g 真唯道】をアラビア語に翻訳して下さいませんか?」
「無茶をおっしゃらないで下さい!」
「ハハハ! 冗談ですよ、冗談。」
「…心臓に悪い…」
今、俺たちは、椿屋珈琲店の3Fの席で向かい合っている。
真唯はチョコレートケーキセットを。俺は椿屋炭火焼珈琲とレアチーズケーキを頼んで。それらを挟んで、至近距離に向かい合って座っている。……夢のようだ。
あの後、真唯自身の買い物に付き合い。真唯がブログの中でUPしている線香や、カラフルな香立てなどを興味深く見学させてもらった。そして早々と白檀の線香を購入した真唯を、お礼と称してお茶に誘った。……本当は、帝都ホテルでディナーにでも誘いたかったのだが、何しろ俺は、真唯にとっては初対面も等しい人間だ。あまりに押すと引かれると思って、お茶にとどめておいたのだ。
7丁目まで歩いたのだが、それは酷く心弾む時間だった。普通の女性の喜びそうなブティックなどを何軒も通り過ぎたのだが、真唯はそのどれもに興味を示さなかった。……俺に気に入られようとしての演技などではない。本心から、何の興味もないと理解る。視線が、俺の顔からまったく動かないのだ。話題は勿論、さっき購入した香炉の事。本当にあれで良かったのか、もっと芸術性の高い高価な物の方が良かったのではないかと、しきりに気にしている。
……クリスマスイルミネーションに彩られた銀座の街を、真唯とこんな風に歩く事が出来るなんて……
真唯は、俺に何もねだらない。俺は女性のオネダリの視線に敏感だ。ウィンドウショッピングと称して、様々な品物に眼をとめ、「これ、素敵ね。」などと言ってくる。
……女は待っているのだ。『買ってあげようか?』の一言を。
しかし、真唯にそんな素振りは、一切見られない。
足が止まるどころか、視線さえ動かないのだから。
大体、ブラックカードで買い物をした人間にお茶に誘われて、スタバを提案してくるのだから君は大物だよ、真唯。
優雅なクラシックが流れる午後のひと時。
お香の話に始まって、神社仏閣や仏像、海外旅行から舞台に最近読んだ本の話など、真唯との会話は話題が尽きる事はない。話しをしている真唯の表情は飾り気がまったくなく、本当に楽しそうで嬉しそうで、さっきから俺の表情筋は緩みっぱなしだ。
その内に不思議系雑誌「ム○」の話になり、俺が創刊号から持っていると言ったら、彼女の瞳が輝いた。他の女は宝石や毛皮でこんな表情になるのにと思ったら、おかしくなってしまった。
……いや、そもそも、あんな女たちと真唯を比べる事自体が間違っているのだ……
「…話が戻りますが…」
「はい?」
アフザル殿下への贈答品に対する不安を忘れ、ケーキを至福の表情でたいらげ、お互いに二杯目の珈琲を頼んだタイミングで切りだしてみた。
「さっきのアラビア語と言うのは冗談ですが、せめて英語にしませんか? そうすれば日本にとどまらず、海外の方にブログを読んで頂けますよ?」
「…………」
「もし、私にお任せ頂ければ、喜んで翻訳させて頂きますよ? これでも留学経験者なので、英語の読み書きには自信がありますので。」
「そんな! お忙しい専務さんに、そんな事お願い出来ません!!」
「ですが貴女のファンとして、もっと多くの方に読んで頂きたいので…」
「…実は、出版社さんの方から、いくつかお話は頂いてるんです…」
「…でしょうね。先見の明がある編集者なら、それを考えて当然だ。」
……その筆頭が岩屋である事は、言わぬが花だ。
「…何を躊躇っていらっしゃるのですか…?」
「…一条さんのような方にそこまで評価して頂けるのは有り難いんですが…自信がないんです…。…私は、ただ、自分の好きな物を紹介してるだけで…充分、楽しいんです。…そこに商品価値を見出されてしまっても…困ってしまうだけなんです…」
……あれほど素晴らしい言葉を紡ぐ事が出来る人なのに……この自信のなさは、どうした事だろう……
……もしかして、幼少の頃の人格形成に問題があったのかも知れない…例えば…俺のように……
「…前言撤回します。忘れて下さい」
「…一条さん…」
「私は別に、貴女を困らせたい訳ではないので。」
「…申し訳ありません。」
「謝罪には及びませんよ。私の方こそ謝らなくては。貴女のお心を煩わせてしまって…」
「いえ! 一条さんは、ご好意で言って下さってたんですから…!」
「…では、許して下さいますか…?」
「そんな! …私の方こそ…」
「…だったら、この話はこれでお終い! …ね?」
「…はい…」
気まずい雰囲気を払拭したくて、真唯が楽しみにしているであろうクリスマス公演【くるみ割り人形】の事について振ってみたら、案の定、食いついて来てくれた。
しかし、残念だ。
緋龍院建設は芸術振興にも力を入れていて、松山バレエ団の後援も行っている。
きっと、招待席が用意されていたはずなのだ。
来年こそは、必ず真唯を誘い出してみせる…っ!
バレエ公演の事について楽しそうに語る彼女の事を、微笑ましく見守った。
……ずっと、そのままの君でいて……
……俺以外の男とクリスマスを過ごす君の事など、考えたくもないから……
※ ※ ※
彼女と別れがたい俺は、ディナーに誘いたいのを必死に堪えた。
こんな処でのケーキセットでさえ、こんなに申し訳なさそうに「ご馳走様でした!!」と繰り返すのだから。
……まだ早いと自分に言い聞かせて……
その代わり、今度、【竹むら】へ行こうと誘ったら、「本当ですか? 実は、一度行ってみたいと思ってたんです!」と、快くOKしてくれた。
真唯の大好きな「池波正太郎の銀座日記」にも出て来る、揚げまんじゅうが有名な店だ。粟ぜんざいや田舎しるこもある。 …しかし、残念だ。春や秋なら、少し足をのばして古書店巡りも出来ただろうに。こう寒くては、連れ回すのも可哀想だ。
その気持ちをそのまま伝えると、「じゃあ、暖かくなって来たら、古書店巡りをしましょうか?」などと嬉しい台詞を聞かせてくれて、俺を天まで舞い上がらせ。
じゃあ、【竹むら】へ行くのに、連絡を取り合いましょう、私のナンバーもメアドも分かりますよね?と何気なく言うと、世にも申し訳なさそうな声で、「…申し訳ありません…頂いたお名刺、捨ててしまいました…」などと、地獄の底まで突き落としてくれて。
今度は絶対捨てないようにと約束させて、名刺をもう一度渡す羽目に陥った。
俺に二度と連絡を取る気でいなかったのだと思い知らされ、ガックリと肩を落とす一方で。
“緋龍院建設の専務”などと云う肩書を利用する事も思い付かない女性である事を再認識させられ、それを酷く嬉しく思う自分も確かに存在して。
7丁目から4丁目の日比谷線の地下鉄の駅まで送る間、傍らにある温もりを必死に感じていて……
―――……甘くて、ちょっぴりホロ苦い……そんな初デートの余韻に、いつまでも浸っていたくなるような冬の晩の事だった……―――
ちなみに。
【くるみ割り人形】をご一緒出来なかった悔しさは、その日真唯をリザの店に連行し、大変身させ散財する事でその鬱憤を晴らした。買い物がストレス発散になると云うのは、本当の事だったのだ。
『こんな事して頂く理由がありませんっ!!』散々怒られてしまったけれど、
『年に一度のクリスマスなんですよ。たまにはこれくらい着飾ってみても、悪くはないでしょう…?』言い放った俺に返事はなかった。
……彼女も自分自身の変身振りに、驚き戸惑いつつも……心の奥底では喜んでいるのが理解る……
真唯とリザは、すぐに親しくなってしまった。
人当たりが良いから騙されがちだが、リザはあれで人間の好悪がハッキリしている。素直で裏表のない真唯の真っ正直な気立てが、リザは殊の外お気に召したようだ。
『良いのよ、金はある奴が出せば。それより真唯ちゃん、もっとお洒落を楽しみましょ?』
『…リザさん…』
リザの言葉に真唯は大いに戸惑っていたようだけれど……反論はしなかった。
……この美しい真唯の隣に立てない事を残念に思い、他の野郎にこの姿を晒す事は俺の嫉妬心を疼かせたが、彼女をここまで変身させたのが自分だと云う事は、俺の自尊心を心地良く擽ったのだった。
ついでながら。
今年、あるアパレルメーカーに就職出来た山崎嬢を労わって、どこから探してきたのか【なまはげ】などと云う秋田の郷土料理の店で、真唯が山崎嬢にささやかな忘年会を催してやったのは完全なる余談である。
……花見と共に、日本人の悪しき習慣である“忘年会”
会社の男共に囲まれる真唯を心配するくらいだったら、山崎嬢と一緒の方がまだまだマシだ。
しかし、この時の俺には理解らなかった。
【なまはげ】での山崎嬢との忘年会が、いつの間にか毎年の恒例の事となってしまい。
真唯と2人親密そうに、“女子会”が出来る山崎嬢に、羨望に近い想いを抱いてしまうなんて……
……神ならぬ身の俺にとっては、想定外の困惑の出来事になってしまうのだった。
あまりに自分に都合の良い現実が信じられなくて、ついうっとりと眺め入りたくなるのを必死に堪える。
……真唯にとっては、まだ俺は、二度目に偶然会えた知人に過ぎないのだから……
※ ※ ※
真唯の行動パターンは、大体把握している。
参拝の小旅行に行く事のない週末は、意外にお寝坊さんである事も。
そして本棚に鎮座する、真唯が言うところの【My 神棚】にお供えする線香の消費量も。
……そろそろだな……
にらんでいた通り、この週末は例のあの店に行く事にしたようだ。
少なくなっている線香の入っている箱の中身を見て、眉根を寄せて困っている表情で理解る。
万が一、この勘が外れたら、それはそれで構わない。
次の機会を狙えば良い。
……7年間待ったのだ。
一応の知り合いにはなれたのだから、あちらからのアクションがなければ、こちらから動けば良い。偶然を装うチャンスはいくらでもある……
俺は真唯が自宅でブランチをとり、出掛ける頃合いを見計らって網を張った。
煩わしい秋波を伴った気配とは明らかに異なる視線を感じて、俺は店長と話していた視線を店外に向けた。
そしてそこに、狙った獲物がかかってくれている事に、歓喜に上がりそうになる口角を堪え、偶然に出会えた事に驚く表情を作る。
「こんにちは、真唯さん。お久し振りです。」
意識せずとも、にっこりとした最上の笑顔を浮かべてしまう俺に、真唯は赤くなるどころか、素直にポカンとして呆けた表情をしてくれる。
……ああ、真唯…!
……なんて、可愛いんだ…!!
「…こ、こんにちは。一条さんもお香を買われるんですか…?」
「ええ。自分が聞くのでなくて、取引先への贈答品なのですがね。」
「…ああ、それでこのコーナーに…さすが一流企業の専務さんですね。」
「ちょうど良かった、真唯さん! 私を助けては頂けませんか?」
「…は? 私が、一条さんを助けるんですか?」
「ええ。実は貴女のブログに載っていた香炉と香木を持参したところ、大層喜ばれましてね。」
「…え? …このコーナーにあった香炉って、もしかして…!?」
真唯の贔屓のお香の店。【銀座 香十】は、銀座○アビルの中に店舗が入っているのだが、1つのフロアーに2軒の店がある。1軒は、一般の人々が普段使い出来る線香や和風小物が品良く並べられている。しかし俺がいたのは、もう1軒の方だ。そこには専門的で高価な香炉が、まるで博物館のように陳列されている。真唯はこちらのコーナーに飛び込んでくると、「…も、もしかして、コレの事ですかっ!?」と指差して興奮しているが、何もそんなに震えなくとも……
「ええ、そうですよ。」
「…って、そんな簡単に! これって、0が8個もあるんですよっ!?」
「…実は、ある中東の王族の方でしてね。8個どころか、9個や10個もあるような宝石を普段使いしている方なんですよ。」
「…さ、さようでございますか…」
「そんな訳で、真唯さん。貴女のお知恵を拝借したいんですが。」
「…お知恵と言われても…私は、お香にそんなに詳しい訳じゃありませんから。」
「ああ、言い換えましょう。
…貴女の、今、お部屋に飾ってみたいのは、どれですか?」
「…ハ? …私の部屋でしたら、あちらの別のコーナーにあるので充分ですから…」
「…真唯さん…」
「…え…えーとですねェ~~、…コレ…かな?」
そう言って真唯が指差したのは、九谷焼の茶香炉だった。
……ふむ、お茶か……それは考えなかったな……うん、悪くない。
「ご店主。これを頂けますか。」
「はい、ありがとうございます!」
「ちょ、ちょっと、待って下さい!」
俺と店主の遣り取りに割り込んで来たのは、当然、真唯。
「…何か?」
「そ、そんなに簡単に決めないで下さい!!」
「簡単にではありませんよ。どれも今一つ気に入らなかったのですが、さすが真唯さんはお目が高い。」
「だ、だって、王族の方にそんな物…!」
「そんな物ではありませんよ、お嬢さん。外国の方でしたら、却って喜ばれると思います。わたくしどもも、自信を持ってお薦め出来ます。」
俺と真唯の会話に割り込んで来たのは店主。彼女との会話に口を出されるのは少々腹立たしいが、店主にここまで言われてしまえば真唯も引き下がるを得まい。
ウゥ~~ッと唸っている様子が、毛を逆立てる子猫のように愛らしい。
俺はにっこりと、心からの笑みを浮かべて真唯を見降ろした。
※ ※ ※
「そのナントカ殿下に取引を中止されても、責任なんかとれませんからね!」
「まだ、そんな事をおっしゃっているんですか。大丈夫。きっと、アフザル殿下は気に入って下さいます。ついでに、日本茶にも興味を持って下さるでしょう。」
「…だったら、良いんですけど…」
「ついでに、殿下には貴女のブログも読んで頂きたいですね。 …真唯さん、【強引g 真唯道】をアラビア語に翻訳して下さいませんか?」
「無茶をおっしゃらないで下さい!」
「ハハハ! 冗談ですよ、冗談。」
「…心臓に悪い…」
今、俺たちは、椿屋珈琲店の3Fの席で向かい合っている。
真唯はチョコレートケーキセットを。俺は椿屋炭火焼珈琲とレアチーズケーキを頼んで。それらを挟んで、至近距離に向かい合って座っている。……夢のようだ。
あの後、真唯自身の買い物に付き合い。真唯がブログの中でUPしている線香や、カラフルな香立てなどを興味深く見学させてもらった。そして早々と白檀の線香を購入した真唯を、お礼と称してお茶に誘った。……本当は、帝都ホテルでディナーにでも誘いたかったのだが、何しろ俺は、真唯にとっては初対面も等しい人間だ。あまりに押すと引かれると思って、お茶にとどめておいたのだ。
7丁目まで歩いたのだが、それは酷く心弾む時間だった。普通の女性の喜びそうなブティックなどを何軒も通り過ぎたのだが、真唯はそのどれもに興味を示さなかった。……俺に気に入られようとしての演技などではない。本心から、何の興味もないと理解る。視線が、俺の顔からまったく動かないのだ。話題は勿論、さっき購入した香炉の事。本当にあれで良かったのか、もっと芸術性の高い高価な物の方が良かったのではないかと、しきりに気にしている。
……クリスマスイルミネーションに彩られた銀座の街を、真唯とこんな風に歩く事が出来るなんて……
真唯は、俺に何もねだらない。俺は女性のオネダリの視線に敏感だ。ウィンドウショッピングと称して、様々な品物に眼をとめ、「これ、素敵ね。」などと言ってくる。
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しかし、真唯にそんな素振りは、一切見られない。
足が止まるどころか、視線さえ動かないのだから。
大体、ブラックカードで買い物をした人間にお茶に誘われて、スタバを提案してくるのだから君は大物だよ、真唯。
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その内に不思議系雑誌「ム○」の話になり、俺が創刊号から持っていると言ったら、彼女の瞳が輝いた。他の女は宝石や毛皮でこんな表情になるのにと思ったら、おかしくなってしまった。
……いや、そもそも、あんな女たちと真唯を比べる事自体が間違っているのだ……
「…話が戻りますが…」
「はい?」
アフザル殿下への贈答品に対する不安を忘れ、ケーキを至福の表情でたいらげ、お互いに二杯目の珈琲を頼んだタイミングで切りだしてみた。
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「…………」
「もし、私にお任せ頂ければ、喜んで翻訳させて頂きますよ? これでも留学経験者なので、英語の読み書きには自信がありますので。」
「そんな! お忙しい専務さんに、そんな事お願い出来ません!!」
「ですが貴女のファンとして、もっと多くの方に読んで頂きたいので…」
「…実は、出版社さんの方から、いくつかお話は頂いてるんです…」
「…でしょうね。先見の明がある編集者なら、それを考えて当然だ。」
……その筆頭が岩屋である事は、言わぬが花だ。
「…何を躊躇っていらっしゃるのですか…?」
「…一条さんのような方にそこまで評価して頂けるのは有り難いんですが…自信がないんです…。…私は、ただ、自分の好きな物を紹介してるだけで…充分、楽しいんです。…そこに商品価値を見出されてしまっても…困ってしまうだけなんです…」
……あれほど素晴らしい言葉を紡ぐ事が出来る人なのに……この自信のなさは、どうした事だろう……
……もしかして、幼少の頃の人格形成に問題があったのかも知れない…例えば…俺のように……
「…前言撤回します。忘れて下さい」
「…一条さん…」
「私は別に、貴女を困らせたい訳ではないので。」
「…申し訳ありません。」
「謝罪には及びませんよ。私の方こそ謝らなくては。貴女のお心を煩わせてしまって…」
「いえ! 一条さんは、ご好意で言って下さってたんですから…!」
「…では、許して下さいますか…?」
「そんな! …私の方こそ…」
「…だったら、この話はこれでお終い! …ね?」
「…はい…」
気まずい雰囲気を払拭したくて、真唯が楽しみにしているであろうクリスマス公演【くるみ割り人形】の事について振ってみたら、案の定、食いついて来てくれた。
しかし、残念だ。
緋龍院建設は芸術振興にも力を入れていて、松山バレエ団の後援も行っている。
きっと、招待席が用意されていたはずなのだ。
来年こそは、必ず真唯を誘い出してみせる…っ!
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……ずっと、そのままの君でいて……
……俺以外の男とクリスマスを過ごす君の事など、考えたくもないから……
※ ※ ※
彼女と別れがたい俺は、ディナーに誘いたいのを必死に堪えた。
こんな処でのケーキセットでさえ、こんなに申し訳なさそうに「ご馳走様でした!!」と繰り返すのだから。
……まだ早いと自分に言い聞かせて……
その代わり、今度、【竹むら】へ行こうと誘ったら、「本当ですか? 実は、一度行ってみたいと思ってたんです!」と、快くOKしてくれた。
真唯の大好きな「池波正太郎の銀座日記」にも出て来る、揚げまんじゅうが有名な店だ。粟ぜんざいや田舎しるこもある。 …しかし、残念だ。春や秋なら、少し足をのばして古書店巡りも出来ただろうに。こう寒くては、連れ回すのも可哀想だ。
その気持ちをそのまま伝えると、「じゃあ、暖かくなって来たら、古書店巡りをしましょうか?」などと嬉しい台詞を聞かせてくれて、俺を天まで舞い上がらせ。
じゃあ、【竹むら】へ行くのに、連絡を取り合いましょう、私のナンバーもメアドも分かりますよね?と何気なく言うと、世にも申し訳なさそうな声で、「…申し訳ありません…頂いたお名刺、捨ててしまいました…」などと、地獄の底まで突き落としてくれて。
今度は絶対捨てないようにと約束させて、名刺をもう一度渡す羽目に陥った。
俺に二度と連絡を取る気でいなかったのだと思い知らされ、ガックリと肩を落とす一方で。
“緋龍院建設の専務”などと云う肩書を利用する事も思い付かない女性である事を再認識させられ、それを酷く嬉しく思う自分も確かに存在して。
7丁目から4丁目の日比谷線の地下鉄の駅まで送る間、傍らにある温もりを必死に感じていて……
―――……甘くて、ちょっぴりホロ苦い……そんな初デートの余韻に、いつまでも浸っていたくなるような冬の晩の事だった……―――
ちなみに。
【くるみ割り人形】をご一緒出来なかった悔しさは、その日真唯をリザの店に連行し、大変身させ散財する事でその鬱憤を晴らした。買い物がストレス発散になると云うのは、本当の事だったのだ。
『こんな事して頂く理由がありませんっ!!』散々怒られてしまったけれど、
『年に一度のクリスマスなんですよ。たまにはこれくらい着飾ってみても、悪くはないでしょう…?』言い放った俺に返事はなかった。
……彼女も自分自身の変身振りに、驚き戸惑いつつも……心の奥底では喜んでいるのが理解る……
真唯とリザは、すぐに親しくなってしまった。
人当たりが良いから騙されがちだが、リザはあれで人間の好悪がハッキリしている。素直で裏表のない真唯の真っ正直な気立てが、リザは殊の外お気に召したようだ。
『良いのよ、金はある奴が出せば。それより真唯ちゃん、もっとお洒落を楽しみましょ?』
『…リザさん…』
リザの言葉に真唯は大いに戸惑っていたようだけれど……反論はしなかった。
……この美しい真唯の隣に立てない事を残念に思い、他の野郎にこの姿を晒す事は俺の嫉妬心を疼かせたが、彼女をここまで変身させたのが自分だと云う事は、俺の自尊心を心地良く擽ったのだった。
ついでながら。
今年、あるアパレルメーカーに就職出来た山崎嬢を労わって、どこから探してきたのか【なまはげ】などと云う秋田の郷土料理の店で、真唯が山崎嬢にささやかな忘年会を催してやったのは完全なる余談である。
……花見と共に、日本人の悪しき習慣である“忘年会”
会社の男共に囲まれる真唯を心配するくらいだったら、山崎嬢と一緒の方がまだまだマシだ。
しかし、この時の俺には理解らなかった。
【なまはげ】での山崎嬢との忘年会が、いつの間にか毎年の恒例の事となってしまい。
真唯と2人親密そうに、“女子会”が出来る山崎嬢に、羨望に近い想いを抱いてしまうなんて……
……神ならぬ身の俺にとっては、想定外の困惑の出来事になってしまうのだった。
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