IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,125 【十年愛】 No,10

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花見は桜。
日本人はなぜか、桜が好きだ。

桜が咲いたと言っては、その下で酒を飲んでドンチャン騒ぎ。
緋龍院建設でもその悪しき習慣は蔓延っており、各部署において少しずつ時期をずらして、花見の場所取り合戦に血道を上げている。……仕事もそれ位真面目にやれば、出世も早いだろうにと毎年の事ながら思う。



花見は奈良時代、中国から伝来されたばかりであった梅を貴族たちが鑑賞した事が起源とされている。その後、平安時代に花と云えば桜をさすようになっていったが、藤の方がはるかに好まれていた。それが証拠にかの「源氏物語」では、源氏の生涯の憧れの女性ひとは【藤壺の宮】であり、所縁の少女は【若紫】であり、長じて後、源氏の妻となった時には【紫の上】と称された。



※ ※ ※



真唯は藤が好きだ。

富士、“不二”に通じると言って、あの紫の房を殊の外、愛している。


奈良では春日大社の【砂ずりの藤】を始め、万葉植物園内の藤や奈良公園内の野生の藤を。

近場では彼女の地元の西新井大師を始め、亀戸天神の藤の時期などには必ずと言っていいほど訪れ、その時期開催される【藤まつり】の賑やかな様子を豊かな筆致で描き出し、夜、ライトアップされた夜藤のその甘やかな香りまでが漂ってくるかのような記事は、秀逸の一言である。



その真唯が珍しくも、桜の記事をアップした。

場所は隣の埼玉県の草加市だ。
川縁らしく、土手に咲いている菜の花との対比が美しい。

その様子を、『桜と菜の花のコラボ』と表現しているあたりが真唯らしい。


真唯は下戸ではない。それが証拠に、グラスワインやシャンパンなど、自分が飲んで美味しいと思ったものをブログ内で紹介している。……モエ・エ・シャンドンのグランヴィンテージ・ロゼを、いつかボトルで飲ませて差し上げたい……


……などと云う俺の密かな願望は横に置いておいて。

真唯は花見だからと言って、酒を用意したりはしなかった。彼女が用意したのは最寄り駅の近くで購入したと云う、ドトールのテイクアウト・コーヒーだ。お摘みにはフィナンシェやミニバウムクーヘン。

春の陽に輝く薄紅色の花吹雪を、しみじみと鑑賞したそうだ。




……なんとも、真唯らしい……




藤の花見の記事を読む度に、一人であったり、トーシロー嬢や山崎嬢と云う女性の友人連れである事にホッと安堵していたのだが。



……いつか、藤色の花房の下を二人で歩いてみたい……



俺のささやかな願望は、後年、形を変えて叶えられる事となる。



三月……【パウカル・ワライ】に、これ以上ない、幸せな花見に誘ってもらえる事になるのは、まだもう少し先の未来―――



※ ※ ※



俺はこれ以上ない程、苛立っていた。
真唯と山崎嬢は相変わらずの付き合いを続け、ブログ内でも【仏友ぶつとものYちゃん】として、その地位を確立していた。

しかも。
しかもだ!

山崎嬢が、もうそろそろ就活を始めなくてはならなくなるから、長めの旅行は今のうちになどと云う理由で、なんと女二人でローマ・パリ一週間の旅に出ると言うのだから、俺は気が気ではなかった。


イタリア男は、恋が命だ。
ドンファンを気取った妙な男に出会わないか、心配で心配で堪らない。

海外出張を繰り返していた頃が懐かしい。思わずイタリア支店やパリ支店に用はないか問い質しそうになってしまったが、日本の夏休みは丁度向こうのバカンスシーズンだ。支店自体が休みなのだから無駄な足掻きでしかない。(K国には用事があったのだが、中東なので是非もない。)
……そうだ。バカンスシーズンなのだ。ヨーロッパの人間は、とにかく休む時にはきっちり休む。特に夏のバカンスは、長くて七月半ばから九月半ばまでの長期間をゆっくり避暑地で楽しむのだ。日本のように、お盆休みに四、五日休むのとは訳が違う。特に真唯たちが行く八月はピークだ。どこの店も閉まっているに違いない。
いっそ、それを理由にして諦めてくれないかと思ったりもしてみたのだが、そこら辺の事情は旅行代理店も考えていた。観光客目当てに開いている店をピックアップしていると云うのだから、余計な事を…! と、歯噛みせずにはいられなかった。

結局、どうする事も出来ずに二人を見送った。真唯の護衛チームは全員向かわせた。日本よりはるかに危険な異国の地で、二十四時間体制で彼女を守れるように。その中にイタリア語とフランス語に堪能な者たちが混ざっていた事は、言うまでもない。


ローマ行きは、服飾に興味のある山崎嬢の希望らしいが、真唯にも目的があった。ヴァチカン市国である。あそこのサン・ピエトロ大聖堂には、かのミケランジェロの若き日の傑作【ピエタ】がある。


キリストの亡骸を抱える聖母の悲哀―――


そんなものを感じていたのだろう真唯は、その像を前に涙してしまい、長い間、そこから動く事が出来なかったそうだ。



今回の旅行は前回と違って、パックツアーである。ローマやパリの市内観光に、真唯は山崎嬢と楽しそうに周っているとの事で一応の安心はしたのだが。SPには、スリとナンパにはくれぐれも用心するように言い付けていた。
トレビの泉、スペイン広場、コロッセオに真実の口etc
ポンペイ遺跡の半日観光に、カンツォーネディナー。大いにローマを楽しんだ真唯たちは、幸いジャック・ワルテルのようなイタリア男に目をつけられる事もなく、無事にパリへ向かったとSPから連絡を受けた時は、ホウッと安堵の吐息を吐いたものだった。



パリでも真唯は山崎嬢と、その他大勢(添乗員や現地ガイドを含む)と共に、市内観光を楽しんだそうだ。エッフェル塔や凱旋門にノートルダム寺院、ちょっと移動してモンマルトルの丘のサクレ・クール寺院など。
ベルサイユ宮殿の半日観光と、セーヌ川ナイトクルーズディナーに参加したのは、山崎嬢が一緒だったからだろう。

一日フリーの日は、午前中はあのシャンゼリゼ通りをウィンドウ・ショッピングして歩いた。
実は、この時が一番危なかったそうだ。何と、日本人の二人連れと現地人たちから声を掛けられそうになっていたと云うのだ! 自分たちがナンパの標的になるなどと思いもよらない呑気な真唯たちは、声を掛けられても気付かずに幸いな事に人混みに紛れて撃退する事に成功したと云うのだから、お手柄だったSPたちには臨時ボーナスでも出して報いてやりたい気分だった。

所謂“ブランド物”にまったく興味のない二人は、しかし、山崎嬢がファッションに興味津々のため、洋服の店になると目の色が変わり。真唯は辛抱強く、それに付き合ってやったようだ(ただし、【LANCEL】は別格らしい。わざわざ本店まで行って、今度は長財布を購入したと云うのだから、よほど気に入ったのだろう)。

そして、午後になると立場が逆転した。
カフェで簡単に昼食を済ませた二人が向かったのは、ルーヴル美術館だった。

【ミロのヴィーナス】や、【モナ・リザ】に山崎嬢が瞳を輝かせる横で、真唯は【洗礼者・聖ヨハネ】に再会出来た事に感激し。
【サモトラケのニケ】や、ファラオ時代のエジプト美術をじっくり鑑賞し、メソポタミア美術のアッシリアの【有翼人面雄牛像】の巨大さは初めて見る山崎嬢には、かなりのインパクトだったようだ。
館内をゆっくりじっくり鑑賞した二人は、今一度、イタリア・ルネッサンスのコーナーにとって返し。【岩窟の聖母】や、ラファエロの【聖母子】を鑑賞して。

真唯は【洗礼者・聖ヨハネ】の前を動かなかったそうだ。

山崎嬢が地下のミュージアムショップから、土産を買って戻って来るその時まで。



※ ※ ※



そして、パリの最後の夜。
真唯は山崎嬢のために、とっておきのサプライズを用意していた。
宿泊先のプティ・ホテルからドレスアップして出て来た二人が向かった先は、パリ・リヨン駅。
そう。
真唯は、【ル・トラン・ブルー】にディナーを予約していたのだ。

再会する事の出来たマネージャーと、今度は流暢な英語で会話をし、にこやかに握手をして。案内されたのは、フロアーの一番奥の最上席。内装のあまりの豪華さ、華麗さにびっくりしている山崎嬢と、食前酒アペリティフのシャンパンで乾杯をし。始まったディナーは、この店の名物のフォアグラの前菜を始め、メインの鴨肉をボルドーの赤ワインと共に楽しみ。最後のデセールは、『Happy Birthday』と書かれたチョコプレートの乗ったホールケーキだった。

真唯はこのケーキを、自宅の家電から国際電話で特別注文していたのだが、N○BAでの練習成果を堂々と発揮する声に、俺は盗聴していて胸が熱くなったものだ。


年下の友人のために、ここまでするなんて……



……なんて、真唯らしい……



日本から用意していたプレゼントを渡し、それを開封する山崎嬢に、

「8月30日にはまだ少し早いけれど、21歳のお誕生日おめでとう!
 私からのプレゼントのブレスレットは、“守護石”の黄水晶シトリン
 富や繁栄を意味して、あらゆるものにエネルギーを与える太陽を象徴する石よ。
 これからも、真夏の太陽みたいな優里ちゃんのダイナミックな魅力が、ますます輝きますように。

 “夫婦の幸福・和合”を意味する誕生石のペリドットかサードニクスは、未来の旦那様から貰ってね。…私と出会ってくれて、こんな遠い処までご一緒する仲になってくれて、ありがとう。」

との言葉を添えて。



勿論、山崎嬢は大感激で。マネージャーやギャルソン、そして、周囲にいた客たちにも祝ってもらい、遂には泣き出してしまったそうだ。……異国の地で、見知らぬ人々から受ける温かい祝福。そして何より、同行した年上の友人の愛すべき心遣い……どんなに嬉しかったか、察するにあまりあると言うものだ。







―――山崎嬢との繋がりは、一生ものになるかも知れない。






俺が、そう覚悟せざるを得ない出来事だった。






帰国してからブログにアップされた記事が、ローマとパリに行ったかのような臨場感に満ちていて、読者の心を改めて魅了した事は言うまでもない事だろう。







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